第16話 こっちがダメならあっち
翌朝、私はいつも通り遅めの朝食を食べていた。
昨日は家の外で魔族同士が派手にどんぱちしていたものの、結界の内側は無傷だったので、今日はもう何もしないつもりだった。
向かいではロキが黙って食事をしている。もともと愛想のいい子ではないが、今日は妙に静かだったので、何となく見ていると、食べ終えたところでこちらへ顔を向けた。
「俺はここを離れる」
「ん?」
いきなり何を言い出したのかと思ったが、本人はいたって真面目な顔をしている。
「昨日の連中で終わるとは限らん。俺がここにいる以上、また来る可能性がある」
「まあ、そうかもね」
「なら、俺が出ればいい」
腕まで組んで言い切る姿は相変わらず偉そうだが、言っていること自体は分からなくもない。
ただ、それと十歳の子どもが一人で出ていく話は、私の中では繋がらなかった。
「なんでそうなるの」
「聞いていなかったのか。俺を狙っていると言っただろう」
「聞いてたけど」
ロキは何か言おうとしたものの、私はその前に別のことを考えていた。
また来る。
昨日みたいなのが。
家の前で。
「……それは嫌だな」
「だから俺が」
「いや、あんたが出ていくんじゃなくてさ」
この家には何の不満もない。広いし、快適だし、家事はほとんど勝手に終わるので、今さら普通の生活には戻りたくない。
問題があるとすれば、場所だった。
少なくとも昨日の連中には知られている。
だったら。
「別の家も作ればよくない?」
ロキが黙った。
しばらく待っても何も言わないので見ると、眉間に皺を寄せている。
「……家を?」
「うん。ここは残して、別のところにも拠点作るの」
「そんな簡単に言うことか?」
「家建てるだけでしょ」
今度は完全に呆れた顔をされたが、別に難しいことを言ったつもりはない。
どうせなら人が来にくい場所がいい。町に近い必要もないし、必要なら転移すれば済むので、森の中にこだわる理由もなかった。
「南の方に、誰も住んでない島とかないの?」
「無人島ならいくらでもあるだろうが……まさか、そこに作る気か」
「いいじゃん。誰も来なさそう」
そうと決まれば、早い方がいい。
南へ。
人の住んでいない島。
海があって、できれば景色もいいところ。
そんな条件でよさそうな場所を探して転移すると、一瞬で周囲の空気が変わった。
目の前には白い砂浜が広がり、その向こうで透き通った青い海が光っている。背後には見慣れない大きな葉をつけた木々が茂り、湿った風が頬を撫でていった。
聞こえるのは波の音くらいで、人の気配はない。
「……ここ、当たりじゃん」
思わず口から出た。
ロキが周囲を警戒するように見回している横で、私はもう家を置く場所を探していた。
砂浜から少し上がったところなら海もよく見えるし、波も届かなさそうだったので、まずは周辺へ広めに結界を張る。
あとは私が働く必要はない。
前の家を作ったときに余った建材は収納に残っているし、足りないものがあれば、この島にある木や石、使えそうな植物を勝手に選んで加工してくれる。
南の島に合う、広めの平屋。
白い壁に木を多く使って、海側には大きな窓。中央には広いリビングとダイニング、それからアイランドキッチン。
そんな条件を思い浮かべて任せると、収納から建材が次々に現れ、島から集められた材料も混ざりながら、目の前で家が組み上がり始めた。
切るのも、削るのも、乾かすのも、もちろん私ではない。
私は見ているだけだ。
「……お前は何をしているんだ」
「見てる」
「そうではなくてだな」
「だって勝手に作ってくれるし」
何が不満なのか分からない。私が働かなくても家が建つなら、それが一番いい。
柱が立ち、壁ができ、屋根がかかっていくのを眺めながら、そういえばと追加で条件を足した。
キッチンの後ろにはパントリーが欲しい。
せっかくなので、中は時間停止にしておけばいい。食材の期限も気にしなくて済むし、冷蔵庫の奥から忘れていた何かが発掘されることもなくなる。
そう指定すると、出来かけていた壁の一角が組み替わり、棚の並んだ収納庫が出来上がった。
「便利」
「……そういう問題なのか」
ロキは何か言っていたが、聞き流して次を考える。
寝室は二つ。
私の部屋と、ロキの部屋。
大げさな衣装部屋はいらないので、それぞれの壁際には縦長のランドリーボックスとクローゼットを並べた。脱いだ服を箱に放り込めば、洗濯も乾燥も勝手に終わり、そのまま横のクローゼットへ移動して収納される。
干さない。
畳まない。
しまわない。
素晴らしい。
さらに、何に使うかは決まっていないものの、空き部屋が一つくらいあっても困らないので、ユーティリティルームも追加しておいた。
「何に使う部屋だ」
「まだ決めてない」
「なぜ作った」
「あとで何かに使うかもしれないじゃん」
何でも最初から用途を決めておく必要はないと思う。
海側には広い風呂を作り、湯船に浸かったまま海が見えるようにした。景色は大事だが、当然それだけでは暮らせないので、トイレも独立してちゃんと用意する。
家の中がだいたい出来上がったところで、大きな掃き出し窓を開けて外へ出た。
目の前には海。
これだけでも十分よかったが、せっかくなので外でもだらだらしたい。
屋根付きの広いテラスを追加し、島で使える植物素材や収納内の材料から、ラタンやウォーターヒヤシンス、アバカを使った家具に近い雰囲気になるよう指定する。
編み込まれた椅子や低いテーブルが並び、軒先にはランタンが吊られていった。
食事のできる外用のテーブルも置き、端には横になれる大きなソファを作る。
リビングにも同じように、ごろ寝できるソファを置いておいた。
これで晴れていても雨でも、好きなところで寝転がれる。
完璧だ。
……いや。
「プールもいるな」
「海があるだろう」
即座にロキが言った。
「海はしょっぱいし、砂つくじゃん」
「目の前に海があるのに、わざわざ水を溜める意味が分からん」
「プールは泳ぐだけじゃなくて、浮いてだらだらするところでもあるの」
「……そうか」
全然納得していない顔だったが、反対されても作るので問題ない。
テラスの前に横長のプールを指定すると、地面が整えられ、あっという間に水を湛えた空間が出来上がった。端には浅い場所も作り、海やプールから戻ったときにすぐ流せるよう外シャワーも付ける。
気づけば、最初に考えていた「避難用の家」とは、だいぶ違うものになっていた。
「……宿泊施設でも始める気か」
「働かないって言ってるでしょ」
「なら、なぜここまで必要なんだ」
「快適に暮らすため」
それ以外に何があるのだろう。
一通り完成したところで、私はテラスのソファへ腰を下ろした。
いや、そのまま横になった。
屋根があるので日差しは直接当たらず、海から入ってくる風だけが気持ちいい。顔を少し動かせば青い海が見え、その手前ではプールの水面が光っている。
振り返れば、大きな窓の向こうに広いリビングとアイランドキッチンが見えた。
静かだった。
誰も来ない。
うるさい連中もいない。
「……いいな、ここ」
「避難用ではなかったのか」
ロキが呆れたように言った。
「そのつもりだったんだけどね」
起き上がり、改めて家を見る。
広いリビング。
アイランドキッチン。
時間停止のパントリー。
海の見える風呂。
プール。
ごろ寝できるソファ。
しかも周囲には人がいない。
森の家に戻る理由を考えてみた。
特に思いつかなかった。
「……こっち住むか」
「は?」
「森の家は残しとけばいいし。必要なら戻ればいいじゃん」
ロキがしばらくこちらを見たあと、心底理解できないものを見るように眉を寄せた。
「お前はいつも、そんな軽さで住む場所を決めるのか」
「快適な方に住むのって普通じゃない?」
立ち上がって、もう一度海を見る。
波の音がして、風が吹き、プールの水面が揺れている。
避難先を作っただけのはずだった。
まあ、予定なんて変わるものだ。
何もしないための場所としては、こっちの方がどう考えても優秀だった。




