第15話 よそでやって
昼を過ぎた頃、私はソファで横になりながら、なんとなく画面を眺めていた。
朝に来た商業組合の人も帰ったし、昨日みたいに熊が結界を鳴らし続けることもない。窓の外ではラフィナビーが飛び回っているものの、それもすっかり見慣れた光景になっていたので、今日はこのまま何も起きずに終わりそうだった。
ロキは少し離れたところで何かを食べながら本を読んでいる。
静かだった。
こういう日が続けばいいのに、と思った直後だった。
遠くで何かが弾けたような音がして、床がわずかに震えた。
「……何?」
もう一度、今度はさっきより近いところで重い音が響き、窓の外を光が走ったので、私は体を起こした。
ロキも本から顔を上げている。
また魔物でも来たのかと思いながら外の映像を出すと、結界の向こうに何人もの人影が見えた。魔族らしく、何人かには見覚えがある。
前にロキを連れていこうとした連中だ。
「あ。また来た」
面倒くさいなと思ったところで、その向かい側にも別の集団がいることに気づいた。
こちらは知らない。
しかも話をしに来た雰囲気ではなく、片方が放った何かをもう片方が弾き飛ばし、光がぶつかって森の中で派手な音を立てて爆ぜた。
「ロキ、知り合い?」
返事がないので振り返ると、ロキは立ち上がったまま動いていなかった。
さっきまで普通だった顔から血の気が引いている。
「ロキ?」
「……あいつら」
声がひどく低かった。
窓の外では、見覚えのある魔族たちが家へ近づこうとする連中を食い止め、そのまま結界の外でぶつかっている。
「ロキ様には近づけさせない!」
「退け!」
「そちらこそ!」
また光が走り、今度は太い枝が弾け飛んだ。
事情はよく分からないが、知らない方はこっちへ来ようとしていて、前に来た連中がそれを止めているらしい。
「……俺を殺しに来た」
ロキがそれだけ言った。
「あっちが?」
「ああ」
「で、前に来た人たちは?」
「俺を連れ戻したい奴ら」
「ふうん」
なるほど。
両方ともロキ目当てだった。
そこまで聞いたところで、結界の外でもう一度大きな音が鳴り、ラフィナビーが一斉に巣から飛び出した。木々の間には煙が上がり始め、さっきまで立っていた木が一本、ゆっくりと傾いて倒れていく。
「ちょっと静かにしてくれないかな」
もちろん聞こえてはいない。
直後、今度はもっと派手な光が走り、結界の表面が一瞬だけ揺らめいた。
家に被害はない。
でも、うるさい。
しかも森まで壊している。
しばらく我慢していたものの、また爆発音が響いたところで、とうとう立ち上がった。
「……もう限界」
「え?」
ロキがこちらを見る。
私は窓の外へ視線を向けたまま、争っている連中をまとめて見た。
どっちが悪いとか、どっちを助けるとか、そんな話は知らない。
「よそでやって」
次の瞬間、結界の向こうにいた魔族たちがまとめて消えた。
光も怒鳴り声も途切れ、あとに残ったのは、折れた木と抉れた地面、それから焦げた下草から細く立ち上る煙だけだった。
「……ひど」
戦っていた連中がいなくなったせいで、余計に惨状が目につく。
幸い炎が上がっているところはなかったものの、何か所かはまだ燻っている。
喧嘩するなら、せめて後片づけくらいしてから帰ってほしい。
ソファへ戻ろうとしたところで、背後からロキの声が飛んできた。
「待て」
「何?」
「今、何した?」
「転移」
「それは見れば分かる!」
珍しく大きな声を出したロキが、窓の外と私を交互に見る。
「どこに飛ばした?」
「遠く」
「どこだ」
「知らない」
ロキが固まった。
「知らないって……」
「近くだとまた戻ってくるでしょ」
だから、できるだけ遠く。
それだけだ。
しばらく何も言わなかったロキは、やがて片手で顔を覆った。
「……あいつら、生きてるよな」
「たぶん」
「たぶん!?」
「危なそうな場所にはしてないよ」
そのつもりではある。
少なくとも海の真ん中とか、山のてっぺんとか、そういうところではない。
なら問題ないだろう。
私は再びソファへ寝転がったものの、ロキはまだ窓の外と私を交互に見ていた。
◇
それからしばらくして、ようやくロキも落ち着きを取り戻し、家の中にはいつもの静けさが戻っていた。
さっきまでの騒ぎが嘘みたいだなと思いながら飲み物に手を伸ばしたところで、
ポーン。
「ん?」
また誰か来た。
今度は熊ではないらしく、一度鳴ったきりなので映像を出してみると、門の前に立っていたのはギルだった。
「今度はギルか」
門を開けて外へ出ると、やってきたギルは私より先に森の惨状へ目を向けた。
折れた木、何か所も抉れた地面、黒く焦げた下草。まだ細い煙が残っている場所もある。
「何があった?」
「魔族が来て、喧嘩してた」
ギルの眉間に皺が寄った。
「町から光が見えた。爆発音がして煙も上がってたから、森で何か起きたと思って来たんだが……」
改めて周囲を見回し、大きく息を吐く。
「よく火が広がらなかったな」
「私も今それ思ってた」
森の中であれだけ派手にやっていたのだから、山火事になっていてもおかしくない。
ギルは焦げた地面へ近づき、まだ燻っている場所を確認してから、今度は人影を探すように周囲を見た。
「それで、やった連中は?」
「うるさかったから飛ばした」
「飛ばした?」
「転移で」
ギルがこちらを見る。
「どこへ?」
「遠く」
「だから、どこだ?」
「知らない」
昼間にも同じようなやり取りをした気がする。
ギルは何かを言おうとして口を開き、そのまま閉じると、大きく息を吐いた。
「……まあ、家が無事ならいいか」
「無事だよ」
「森は無事じゃないけどな」
「それは私じゃない」
「分かってる」
周囲に火が残っていないことを確かめると、ギルはようやく少し肩の力を抜いた。
「また何か来たら、せめて森がなくなる前に知らせてくれ」
「来ないでほしいんだけど」
「それは俺もそう思う」
念のため周囲をもう一度確認してから帰っていくギルを見送り、家へ戻ると、ロキがこちらを見ていた。
「何だった?」
「さっきの光と煙が町から見えてたって」
「……あれだけやればな」
そう言いながら、ロキはまた微妙な顔をする。
私は飲みかけのものを手に取り、今度こそソファへ戻った。
静かになった。
森はちょっと大変なことになっているけれど。
◆ ◆ ◆
「……ここはどこだ」
誰かが呟いた。
答える者はいなかった。
つい先ほどまで森の中で互いに武器を向けていた者たちは、見渡す限り続く乾いた草原の真ん中に立ち尽くしていた。
見覚えのある山もなければ、知っている街道もない。
しばらくして遠くから荷車が近づいてきたので、一人が手を上げた。
「すまない! 少し聞きたいのだが」
荷車を引いていた男が足を止め、何かを返した。
誰も動かなかった。
「……何と言った?」
「分からん」
別の者が前へ出て、ゆっくり言葉を選びながら同じことを尋ねたものの、返ってきた言葉はやはり誰にも理解できなかった。
荷車の男も困った顔をしている。
やがて諦めたように去っていく背中を見送りながら、一人が周囲へ目を向けた。
「植物も違う」
「建物の造りもだ」
「待て」
誰かが低い声を出した。
全員の視線が集まる。
「まさか、ここ……別大陸じゃないだろうな」
誰も否定できなかった。
沈黙が落ちる。
帰り道は分からない。
言葉も通じない。
土地勘もない。
さっきまで殺し合っていた相手だけは、なぜか全員そろっている。
やがて一人が、手にしていた武器をゆっくり下ろした。
「……ひとまず、休戦しないか」
向かいにいた男も、しばらく黙ったあと剣を収めた。
「異議はない」
こうして、つい先ほどまで敵同士だった魔族たちは、帰る方法を探すためだけに協力することになった。




