第14話 それ、全部売れます
翌朝、私は昨日回収した蜂蜜をパンに垂らしながら、遅めの朝食を食べていた。
向かいではロキも黙々とパンを食べている。昨日はハニー生姜焼きまで作ったので、今日はもう焼いただけで十分だったが、琥珀色の蜂蜜をかければそれなりに豪華になるし、巣にもまだ蜜は残っているので、しばらく甘いものには困らなさそうだ。
窓の外ではラフィナビーたちがいつも通り飛び回っており、昨日グランドベアが何度も結界に触れていた辺りにも特に変化はない。
平和だった。
こういうのでいい。
何も起きず、食べたいものを食べて、ごろごろして一日が終わる。それこそ、異世界に来てまで求めていた生活である。
だから来客を知らせる音が鳴った瞬間、嫌な予感しかしなかった。
「……今度は何」
ロキもパンを持ったまま顔を上げたので、手元に映像を出す。門の前にはギルと、見覚えのない男が立っていた。冒険者には見えないきっちりした服装で、革鞄を抱えている。
「ギルだ。ちょっと行ってくる」
残りのパンを皿へ戻して玄関へ向かい、門を開けると、二人はほどなく家の前までやってきた。
「朝から悪いな」
そう言うギルが、どこか申し訳なさそうな顔をしている。
その時点でろくな用件ではない。
隣の男は商業組合の者だと名乗り、丁寧に頭を下げた。
「先日の海岸に残されていた設備について、少々お話を伺いたく参りました」
「ああ」
忘れてた。
シャワーブースやら調理台やらを、そのまま置いてきたことを今になって思い出した。
「確認したところ、いずれも通常の魔道具とは構造が大きく異なっておりまして。同様の設備を製作していただくことは可能でしょうか」
「やだ」
笑顔が固まった。
横でギルが顔を背ける。
作れるかどうかではなく、作ってくれと言われたので嫌だと答えただけなのだが、何かおかしかっただろうか。
「ええと……もちろん、相応の報酬はお支払いいたします。海岸に残されていた品だけでも、かなりの価値が――」
「あれなら持ってっていいよ。もう使わないし」
今度こそ男は黙り込み、何とも言えない顔でギルを見る。
「だから言っただろ」
ギルが小さく肩をすくめた。
何を言われていたのかは知らないが、たぶん私に関するろくでもない事前説明だろう。
商業組合の男は気を取り直すように咳払いをした。
「では、もう一点。海岸で討伐されたアビスクラーケンについてですが、残りの素材をお持ちだと聞いております」
「あー、イカ」
「……アビスクラーケンです」
「うん、それ」
「どの程度、お持ちでしょうか」
海岸で出したのは全体の三分の一ほどだったはずだ。
「三分の二くらい」
男の目が変わった。
「ぜひ、買い取らせていただけませんか」
「食べる分残してくれるならいいよ」
「もちろんです」
即答だった。
どうやらイカは相当欲しいらしいので、収納から一部だけ出して見せると、男はしゃがみ込み、しばらく状態を確認してから顔を輝かせた。
「保存状態も申し分ありません。これほどの量があれば――」
そこから先はよく分からなかったので聞き流す。
クラーケンで勢いを取り戻した男は、続けて家の周囲で採れた植物の話まで持ち出した。
「先日、この周辺で採取された植物についても、商業組合で継続的に扱わせていただければと考えております」
「無理」
勢いが止まった。
「……理由を伺っても?」
「私が育ててないから」
勝手に育っただけだし、自分で刈って町へ持っていく気もない。欲しいなら冒険者が持っていけばいいと伝えると、男は少し考えてから食い下がってきた。
「では、商業組合側で採取と運搬を行いますので――」
「家の周りに毎日人が来るの嫌」
今度は最後まで言わせずに断った。
ギルが笑いを噛み殺している。
それでも商業組合の男は諦めず、海岸の設備だけでも定期的に作れないかと言い出したが、材料を用意すると言われても、報酬を上乗せすると言われても答えは同じだった。
「働きたくない」
とうとう男の肩が落ちた。
金が嫌いなわけではない。ただ、金を稼ぐために定期的に物を作り、納期を気にして、決められた数を揃える生活など絶対に嫌だ。
それをやらなくて済む生活を手に入れたのに、なぜ異世界まで来て仕事を増やさなければならないのか。
しばらく黙っていた男が、ふと家の脇へ視線を向けた。
「あちらに飛んでいるのは……ラフィナビーですか?」
「そうだよ」
「まさか、巣も?」
「あるよ」
また目が輝いた。
嫌な予感がする。
「もし蜂蜜が採れるのでしたら、そちらもぜひ――」
「余ったらね」
「……余剰分のみ、ですか」
「食べるから」
輝きが消えた。
クラーケンについては後日、商業組合側で引き取りの手配をすることになり、海岸に残した設備も好きにしていいと伝えると、それ以外については何ひとつ話が進まないまま、男は深いため息をついた。
「これほど価値のあるものをお持ちなのに、本当に商売をなさるおつもりはないのですね」
「ないよ」
「……惜しい」
その隣でギルが肩を震わせている。
「笑うな」
「いや、だから最初に言ったんだ。期待するだけ無駄だって」
どうやら来る前から分かっていたらしい。
二人が帰っていくのを見送って玄関を閉め、食卓へ戻ると、ロキはまだ残っていたパンを食べていた。
「何だった?」
「商売の人」
「ふうん」
興味はなかったらしい。
私も席へ戻って蜂蜜のかかったパンを手に取る。
クラーケンは食べきれない分を引き取ってもらえるし、海岸に置きっぱなしだった物まで勝手に片づけてもらえる。
私としては何ひとつ困っていない。
「なんであんなにがっかりしてたんだろ」
蜂蜜をもう少し垂らすと、ロキは一瞬こちらを見たものの、何も言わずに自分のパンへ視線を戻した。




