第13話 ピンポンダッシュはやめて
昼を少し過ぎた頃、ソファで寝転がっていると、ポーン、と来客の合図が鳴った。
「ん?」
こんな時間に誰だろう。
起き上がるのも面倒なので、そのまま来客用の映像を表示してみたものの、結界の前には誰もいなかった。
「……いないじゃん」
少し待ってみても何も映らない。
気のせいだったのかと映像を消し、再びソファへ身体を沈める。
ポーン。
「また?」
今度はすぐに映像を出した。
誰もいない。
森と、やたら元気に育った草木が映っているだけだった。
結界に触れなければ通知は鳴らないはずなので、何かはいる。
それなのに姿がない。
「……何これ」
ロキは床に座って何かを食べながら、ちらりと映像を見ただけである。
「誰もいないね」
「いないんだけど鳴るんだよ」
それからしばらく静かだったので、今度こそ終わったと思った。
ポーン。
ポーン。
「……ピンポンダッシュ?」
異世界に来て、まさかそんなものに遭遇するとは思わなかった。
さすがに気になり、映像を消さずに眺める。
草が揺れた。
画面の端を、黒っぽい何かが横切る。
「今なんかいた」
ロキも近寄ってきたので、そのまま二人で待っていると、もう一度草が大きく揺れた。
次の瞬間。
ぬっ、と黒い鼻先が画面いっぱいに現れた。
「犯人はお前か!」
思わず指をさした。
鼻が離れると、今度は大きな頭が映る。
熊だった。
いや、熊にしか見えないが、普通の熊より明らかに大きい。映像越しでも頭だけで相当な迫力があり、結界の外をうろうろしながら、鼻先で見えない壁を押している。
ポーン。
「押すたび鳴るのやめて」
当然、熊には通じない。
《鑑定》してみる。
《グランドベア》
大型の熊型魔獣。
雑食性。嗅覚に優れ、甘味を好む。
「熊じゃん」
そのままだった。
グランドベアは結界に沿って移動し、しばらく姿が見えなくなったかと思えば、また別の場所から鼻を押しつける。
ポーン。
「うるさいなあ」
来客ではない。
ただの熊である。
それも、何かを探しているらしい。
こちらを襲おうとしている様子でもなく、何度も鼻を上げて匂いを嗅ぎながら、結界の外を行ったり来たりしている。
「何があるんだろ」
映像を切り替えながら追っていると、グランドベアが一か所で立ち止まった。
大きな身体を起こして、木を見上げている。
その視線の先に、見覚えのない塊がぶら下がっていた。
「……何あれ」
今度はそちらを《鑑定》する。
《ラフィナビーの巣》
その周囲を飛び回っているのは、黄色と黒の縞模様を持つ蜂型の魔虫らしい。
さらに木の周囲をよく見れば、小さな花があちこちに咲いている。
《ラフィナ》
蜜を多く含む花。
急激に植物が増えたせいで、いつの間にか花まで増え、それを目当てに蜂が集まり、そのまま巣まで作ったらしい。
「知らない間に色々増えてる……」
草食魔物だけではなかった。
庭のようになってしまった一帯で、勝手に生態系が出来上がり始めている。
そしてグランドベアは、その中心にある蜂の巣をじっと見ていた。
「あ、蜂蜜か」
理由が分かった。
熊である。
蜂蜜があれば来る。
「なるほどね」
そこまで分かれば話は早い。
グランドベアが欲しいのは家でも自分でもなく、蜂蜜だった。
ただし、一つ問題がある。
「蜂蜜……私も欲しい」
ロキがこちらを見る。
「熊のじゃないの?」
「熊のでもないでしょ」
そもそもラフィナビーのものだ。
とはいえ、あれだけ大きな巣なら、少しくらい分けてもらってもいい気がする。
問題は蜂だった。
虫は嫌いである。
蜂ならなおさら近づきたくない。
「……でも蜂蜜は欲しい」
非常に悩ましい。
グランドベアが前脚を木にかけたところで、考えるのをやめた。
「とりあえず、熊は帰ってもらおう」
外へ出る必要はない。
映像越しに位置を確認し、そのまま《万能魔法》でグランドベアの身体をふわりと浮かせた。
突然足が地面から離れたせいか、熊が四肢をばたつかせる。
「暴れないで。落とさないから」
聞こえているかは分からない。
家からかなり離れた森の奥を思い浮かべ、そのまま転移させる。
巨大な身体が一瞬で消えた。
「はい、お帰り」
静かになった。
ポーンも鳴らない。
ようやく平和が戻ったところで、改めて蜂の巣を見る。
グランドベアを遠くへ送っただけでは、また別の熊が来るかもしれないので、巣のある木の周囲だけに小さな結界を張った。ラフィナビーは自由に出入りできるものの、大型の魔獣は近づけない程度のものだ。
もちろん、自宅の結界とは別である。
蜂を家の中へ入れる気は一切ない。
「これでいいかな」
あとは蜂蜜だった。
巣ごと取る必要はないし、近寄る必要もない。
《鑑定》で内部を確認すると、幼虫のいる場所とは別に、かなりの量の蜜が蓄えられている。
「これ、余ってる分だけもらえる?」
必要な分を指定し、空の瓶を用意する。
次の瞬間、黄金色の蜜が巣から直接転移し、瓶の中をゆっくり満たしていった。
「おお」
触らない。
近づかない。
蜂も来ない。
完璧だった。
蓋を開けて少しだけ指先に取り、舐めてみる。
濃い甘さのあとから、花の香りがふわっと広がった。
「うま」
普通の蜂蜜より少し香りが強いものの、嫌な癖はない。
ロキにも少し渡すと、目を丸くしている。
「甘い」
「でしょ」
せっかくなので、このまま何かに使いたくなった。
時計を見ると、もう昼をかなり過ぎている。
フレンチトーストも捨てがたいが、今からなら昼兼夕食でもいい。
収納を探していると、以前森で手に入れた猪に似た魔物の肉がまだ大量に残っていた。
「よし。生姜焼きにしよう」
「蜂蜜使うの?」
「使う」
醤油は貴重なので使いすぎないようにしながら、現地で手に入る調味料と生姜に似た香味植物を合わせ、そこへラフィナビーの蜂蜜を加える。
甘みが入る分、砂糖はいらない。
肉を少し厚めに切り、熱したフライパンへ並べると、すぐに脂の弾ける音が立った。焼き色がついたところで合わせたタレを流し込めば、甘辛い香りが一気に広がる。
「いい匂い」
ロキがキッチンまで寄ってくる。
「もうちょっと待って」
煮詰まったタレが肉に絡み、艶が出たところで火を止める。
炊いておいた米と一緒に皿へ盛り、テーブルへ運んだ。
「いただきます」
一口食べる。
蜂蜜の甘さは強すぎず、生姜の香りと肉の脂によく合っていた。
「……うま」
さっきまでピンポンダッシュの犯人に腹を立てていたことなど、どうでもよくなった。
ロキも黙々と食べているので、気に入ったらしい。
グランドベアは蜂蜜を食べ損ねた。
こちらは蜂蜜を手に入れて、生姜焼きまで食べている。
少し申し訳ない気もしたものの、肉をもう一切れ口へ運ぶ。
やっぱり、うまいものに勝るものはない。




