第12話 草刈りもしたくない
数日後。
朝、カーテンを開けたところで固まった。
「……何これ」
窓の外が緑だった。
もともと森の中なので緑なのは当たり前だが、そういう意味ではない。
家のすぐそばまで草が迫り、数日前まで足首ほどだったものが膝を越えている。低木は枝を大きく広げ、どこから来たのか分からない蔓まで地面を這っていた。
気のせいかと思いながら玄関を開ける。
気のせいではなかった。
「ロキ」
呼ばれて出てきたロキも、玄関先で足を止めた。
「増えたね」
「増えたとかいう量?」
家の周囲だけ、明らかに植物の勢いがおかしい。
少し離れたところはいつもの森なのに、ペレットを撒いた辺りからこちらだけ緑の密度が違っていた。草の隙間から新しい芽がいくつも伸び、低木だったはずの植物まで妙に大きくなっている。
しばらく眺めているうちに、原因に思い当たった。
「……肥料?」
あれしかない。
排泄物を処理して作ったペレットに、分解や加工で使ったマナまで混ざっている。それをまとめて撒いたのだから、普通の肥料とは違ったのかもしれない。
紙や生活用品に使った植物を少し返しておこうと思っただけなのに、数日で家の周りだけ軽くジャングルになっていた。
「肥料って、こんな効く?」
ロキは知らないという顔をしている。
こちらも知らない。
そして問題は、原因よりもこの先だった。
このまま伸び続ければ草を刈らなければならない。枝も切ることになるかもしれないし、蔓が家まで届けば取り除く必要も出てくる。
草刈り。
剪定。
庭の手入れ。
頭の中に並んだ言葉を見て、静かに玄関を閉めた。
「嫌だ」
せっかく生活用品の管理をしなくてよくなったのに、今度は庭の管理が増えている。
どうして何かひとつ楽をすると、別の仕事が生えてくるのだろう。
しかも今回は、本当に生えていた。
◇
玄関を閉めたからといって、外の草が消えるわけではなかった。
カーテンさえ開けなければ見えないので、とりあえず見なかったことにしていたものの、翌日には窓の下まで蔓が伸び、その次の日には玄関前の通路へ草が侵入してきた。
「……しつこいな」
肥料を撒いたのは自分なので、植物に文句を言うのも違う気はする。
それでも草刈りをする気にはならず、いっそ《万能魔法》で全部消してしまおうかと考えていた昼過ぎ、ポーン、と来客の合図が鳴った。
誰かが結界に触れたらしい。
映像を確認すると、結界の向こうに冒険者組合のギルが立っていた。
前に来た時とは周囲の様子がまるで違うので、腰近くまで伸びた草をかき分けてここまで来たらしく、ギルは家よりもその周囲を覆う緑をしきりに見回している。
「あ、ギルさん」
結界を通れるようにすると、こちらへ向かってきたギルは玄関前まで来てもなお草木の方を気にしていた。
「由美さん。前に来た時、こんなでした?」
「違います。肥料撒きました」
「肥料?」
「トイレから出たやつ」
ギルの顔が止まった。
「ちゃんと処理したやつですよ」
「……そういう問題ではない気がするんですが」
なぜか疲れたように額を押さえられた。
今日は家を訪ねてきたというより、この一帯の様子を確認しに来たらしい。ここ数日、森の中で本来ならもう少し奥にいる魔物を見かけるという報告が増えているのだという。
「魔物?」
「はい。この辺りではあまり見ない種類も混じっています。食べる物が増えたせいかもしれませんね」
言われて結界の外へ目を向けると、木々の間で何かが動いた。
丸みのある小型の魔物が茂みから伸びた葉を食べており、その少し離れた場所にも別の影がある。
言われるまで気づかなかった。
「じゃあ、全部消します?」
それなら早いので手を上げかけると、ギルが慌てて止めた。
「待ってください。これだけ植生が変わっているなら、一度確認させてもらえませんか」
「確認?」
「何が生えているのか見たいんです」
草は草だと思っていたので首を傾げたものの、勝手に消してあとから何か言われるのも面倒だった。
「好きにどうぞ」
ギルは玄関脇に生えていた細長い葉を摘み、今度は少し離れたところへしゃがみ込む。
しばらく見て回ったあと、何本か持って戻ってきた。
「由美さん」
「はい」
「これ、全部雑草だと思ってました?」
「違うんですか?」
ギルは手にしていた葉をこちらへ向けた。
「薬草です」
「草ですよね?」
「薬草です」
見た目はどう見ても草だった。
そのあとも何か所か確認すると、気になる植物を数本採取し、組合で詳しく調べてくるというので、そのまま見送った。
玄関前には相変わらず草が茂っている。
「……待ってる間も伸びるんだけど」
隣でロキが緑を眺める。
「元気だね」
「元気すぎるんだよ」
◇
ギルが戻ってきたのは、その日の夕方だった。
一人ではない。
結界の外にはギルと、籠や袋を持った冒険者が数人立っていた。それぞれ腰に鎌や小さなナイフまで下げている。
いい予感がする。
外へ出ると、昼に持ち帰った植物のいくつかが、組合で正式に買い取れる素材だったと教えてくれた。
「こちらは回復薬の材料になりますし、あちらは虫除けに使えます。赤い茎のものも、乾燥させれば染料になります」
「それ、刈るんですか?」
「採取させてもらえるなら」
「玄関の前も?」
「そこはかなり邪魔でしょうから、採れるものは片づけますよ。ただ、全部刈る必要はありません。使えるものだけ採って、あとは残します」
それならちょうどいい。
家の周囲全部を丸裸にされたいわけではないし、玄関まで普通に歩ければ十分だった。
「じゃあ、お願いします」
冒険者たちは結界の内側へ入り、ギルから説明を受けると、それぞれ目当ての植物を探しながら草の中へ散らばっていった。
片方では薬草の葉だけを摘み、別の場所では茎を切る。蔓のように伸びたものは絡まないようまとめながら籠へ入れていくので、何でもかんでも刈っているわけではない。
少し離れれば相変わらず緑は鬱蒼としているものの、玄関前を塞いでいた草だけは見る間に減っていった。
「すごいね」
ロキが感心したように眺めている。
「プロだね」
何のプロなのかは知らない。
ただ、私が何日も見て見ぬふりをしていた通路が、ものすごい速度で復活していく。
途中でギルが戻ってきた。
「採取した分については、組合で買い取ったあと由美さんの取り分をお渡しします」
「え?」
「ここの土地で採れたものですから」
「私、お金もらえるんですか?」
「そうなりますね」
草を片づけてもらって、さらにお金まで入るらしい。
「じゃあ、また邪魔になったら連絡していいですか?」
「もちろんです。こちらも素材が必要な時は助かります」
「それならいいです」
毎日人が家の周りをうろうろするのは嫌だけれど、必要な時に呼べば来てくれるなら話は別だ。
その日は夕方まで採取が続き、冒険者たちが帰る頃には玄関から家の脇にかけてかなり歩きやすくなっていた。
それでも少し離れれば背の高い草や茂みはそのまま残り、窓の向こうには相変わらず濃い緑が広がっている。
私は何もしていない。
鎌も持っていないし、草一本抜いていない。それどころか途中から家へ戻り、冷やしておいた果物を食べながら窓越しに眺めていただけだった。
◇
翌日、ギルが買い取り分を持ってきた。
「これが今回の取り分です」
渡された袋を受け取り、中身を確認する。
「……草でお金になるんだ」
「素材ですからね」
玄関の外を見ると、昨日きれいになった通路の脇から、もう新しい葉がちらほら伸び始めている。
草は勝手に育つ。
邪魔になったら組合に連絡すればいい。
そのうえ、お金まで入る。
「……異世界、いいところだな」
働くつもりはない。
草刈りも、もちろんするつもりはなかった。




