第10話 海に行こう
面白いことがないなら、自分から探しに行けばいい。
そんな当たり前のことに気づいたのは、翌日の昼だった。
昨日飛ばした観測球の映像をぼんやり眺めながら、私はソファで足をぶらつかせていた。知らない町や山を画面越しに見ても大して面白くなかったものの、青い海が映ったところでふと手が止まる。
見るだけだからつまらないのであって、行くなら話は別だ。
「ロキ、海行かない?」
本を読んでいたロキが顔を上げ、画面に映る海と私を交互に見た。
「海?」
「うん。暇だし、旅行」
少し考えたあと、ロキは本を閉じた。
「行く」
決まった。
旅行というにはあまりにも軽い決定だったけれど、宿を取る必要もなければ電車や飛行機の予約もいらない。昨日思い出した転移があるので、画面に映っている海岸の、人がいないあたりを確認してからロキの手を取った。
「じゃ、行こっか」
次の瞬間、潮の匂いがした。
足元には白っぽい砂が広がり、少し先では青い海が陽の光を反射している。画面で見た時にはただの海だったのに、波の音と風が加わるだけでまるで違った。
「おお……海だ」
昨日も同じことを言った気がするが、今度はちゃんと感動がある。
ロキは何も言わないまま海を見ていたものの、目だけは完全にそちらへ向いているので、来て正解だったらしい。
せっかくなので、まずは場所を作ることにした。
《万能生産》で大きめのパラソルを一本、その下に敷くシートを作り、荷物らしい荷物はほとんど《無限収納》の中なので、飲み物とタオルだけ取り出して置く。ついでに水着とビーサンも二人分作ると、人の少ない岩陰で着替えて海へ向かった。
「冷たっ」
足を入れた瞬間は思ったより冷たかったものの、慣れてしまえば気持ちいい。私はそのまま腰まで入り、少し遅れて入ってきたロキへ海水をかけると、無言で倍くらい返された。
「ちょっと!」
もう一度かける。
また返ってくる。
そのうちどちらから始めたのか分からなくなり、気づけば普通に水を掛け合っていた。
しばらく泳いでから沖を見ると、遠くには船も浮かんでいる。海岸にもまばらに人がいて、釣りをしている者や、浅瀬で遊んでいる子どもたちの姿が見えた。
観光地というほどではないけれど、海で遊ぶ習慣くらいはあるらしい。
ひとしきり泳いで陸へ上がると、今度は全身がべたべたした。
「……これ嫌なんだよね」
海水が乾き始める前に、パラソルの横へ二つ並んだ簡単なブースを《万能生産》と《万能魔法》で作る。上にはそれぞれ水の出る口をつけ、魔力を流せば真水が降ってくるようにしておいた。
水着のまま中へ入り、頭から水を浴びて塩を流す。
「あー、生き返る」
隣ではロキも同じように水を浴びている。
最後に魔法で身体と水着についた水分だけ飛ばし、私はパーカーと短パンを羽織ってビーサンを履いた。ロキにも同じ格好をさせると、これで海遊びはひとまず終了である。
パラソルの下へ戻り、冷たい飲み物を取り出したところで、沖の方から悲鳴が聞こえた。
「ん?」
さっきまで穏やかだった海岸が、急に騒がしくなっている。
沖に浮かんでいた船がこちらへ向かって逃げ始め、その向こうで海面が大きく盛り上がった。
黒っぽい何かが一本、海から伸びる。
続いて二本。
三本。
「……イカ?タコ?どっち?」
どう見ても触手だった。
しかも一本だけでも木の幹ほど太く、海面の下にいる本体がどれだけ大きいのか考えたくないサイズである。
海岸から逃げてきた男が、こちらへ走りながら叫んだ。
「アビスクラーケンだ! 逃げろ!」
「アビスクラーケン」
名前は格好いい。
やっていることは巨大イカだけど。
触手の一本が浅瀬へ叩きつけられ、水しぶきと一緒に砂が舞い上がる。近くにいた人たちが一斉に逃げていく中、私はパラソルが倒れないよう押さえてから立ち上がった。
「せっかく来たのに」
まだ帰るには早い。
海から伸びてきた触手を結界で弾き返し、そのまま《万能魔法》で風を叩き込む。巨大な身体が海面から半分ほど浮き上がったので、もう一度強めにぶつけると、アビスクラーケンは派手な水柱を上げてひっくり返った。
しばらく待ってみたものの、動かない。
「終わった?」
「うん」
ロキが普通に答えたので、終わったらしい。
私は海に浮かんでいる巨大な身体を見ながら、別のことが気になった。
「……これ、食べられる?」
「食べられるよ」
なら話は早い。
◇
《万能生産》で解体してみると、アビスクラーケンからは笑ってしまうほど大量の身が取れた。
ひとまず全部《無限収納》へ放り込み、《万能生産》で大きめの長方形の作業台を作る。その上へ三分の一ほど取り出してみると、それだけでも十分すぎる量だった。
「焼くか」
《万能生産》で耐熱性のある石を平らに加工し、焼き台を作る。串は木で十分なので細長く整え、適当な大きさに切った身を刺して並べていった。
火を入れると、すぐに香ばしい匂いが漂い始める。
「醤油ほしいな……」
日本から持ってきたものを大量に使うのはもったいないので、塩と市場で買った香辛料を中心に味をつける。試しに一本食べてみると、弾力はあるものの固すぎず、普通に美味しかった。
「うま」
ロキにも渡すと、黙々と食べ始めた。
これだけでもよかったのだが、身はいくらでもある。
私はもう一つ、丸いくぼみがいくつも並んだ石の焼き型を作った。
小麦粉と卵を混ぜた生地を流し、小さく切ったアビスクラーケンを入れる。
「イカだけど、まあいいか」
たこ焼きもどきである。
串で転がしながら丸くしていると、さっきまで逃げていた人たちが少しずつ戻ってきた。
最初は遠巻きに見ていただけだったものの、焼ける匂いには勝てなかったらしい。
「あの……それ、さっきのアビスクラーケンか?」
「そうですよ」
「食えるのか?」
「食べられるみたいです」
男は焼き台と私の手元を見比べたあと、恐る恐る聞いてきた。
「一つ、もらってもいいか?」
どうせ余っている。
「どうぞ」
一本渡すと、男は慎重に一口かじり、そのまま残りも食べた。
「うまいな、これ」
その言葉を聞いていた人が一人寄ってきた。
次に二人。
さらにその後ろから三人。
「……増えてない?」
ロキに聞いたところで、すでに十人近くいる。
しかも手ぶらでもらうのが悪いと思ったのか、一人が酒の入った瓶を持ってきた。
「これと交換でどうだ?」
「いいですよ」
それを見ていた別の人がパンを持ってきた。
次は果物。
干した肉。
チーズらしきもの。
気づけば、こちらが何も言っていないのに物々交換が始まっていた。
ロキには酒ではなく、誰かが持ってきた甘い果実水を渡す。
「これ、おいしい」
「よかったね」
私はそう返しながら串を焼いていたが、人の数はさらに増えていた。
無理だ。
「……面倒になってきた」
遊びに来たのであって、屋台のおばちゃんをやりに来たわけではない。
焼き台へ《万能生産》と魔法で少し手を加え、串が一定の間隔で勝手に回るようにする。隣の丸い焼き型も、生地と具材を入れれば頃合いを見て自動で回転するようにしてしまった。
くるり。
またくるり。
白っぽかった生地が、きれいな丸になっていく。
「おおお……」
なぜか周りから歓声が上がった。
「そこ感動するところ?」
私には分からない。
調理を自動化したので、ようやくパラソルの下へ戻って座る。
その頃には酒を飲み始める人まで出ており、どこから聞きつけたのか、小さな屋台を引いた商人まで海岸へやってきた。
「冷たい酒あるぞ!」
「焼きたてのパンだ!」
「果物もあるよ!」
完全に祭りだった。
「……なんでこうなったんだろ」
横を見ると、ロキはたこ焼きもどきを頬張りながら楽しそうに人混みを眺めている。
まあ、本人が楽しいならいいか。
私ももらった酒を少し飲みながら海を見る。さっきまで巨大なイカが暴れていたとは思えないほど穏やかで、夕方に近づいた空が少しずつ色を変え始めていた。
その間にも、海で遊んでいた何人かが、私たちのシャワーブースに気づいた。
「さっき、そこで水浴びてたよな?」
「海水流すのに作ったんです。使います?」
「いいのか?」
「どうぞ。魔力を流すと真水が出ますよ」
一人が入って水を出すと、頭上から真水が降ってくる。
「うわっ!」
驚いたのは最初だけで、そのまま頭から浴び、身体についた砂と海水を流して出てきた。
「これ、便利だな」
その一言で、また人が並び始める。
二つ作っておいてよかった。
しばらくすると、その中の一人が妙に熱心にシャワーの上や横を眺め始めた。
「これ、どこで売ってる?」
「売ってないですよ。さっき作ったので」
「作った?」
「はい」
男は黙ってシャワーブースを見上げたあと、今度は自動で回っているたこ焼きもどきの方を見た。
「……あれも?」
「作りました」
「そうか……」
何やら考え込んでいた。
日が傾き、海岸の騒ぎはまだ終わる気配がないものの、私は十分遊んだ。
「ロキ、そろそろ帰る?」
「うん」
パラソルを畳み、シートや飲み物を《無限収納》へしまうと、ロキの手を取った。
「帰ろっか」
次の瞬間には、いつもの家の居間に立っていた。
海へ行こうと思いついてから帰宅するまで一日。
宿探しも、移動時間もない。
「旅行、楽しかったね」
「うん」
ロキがそう答えたので、私も満足してソファへ座った。
久しぶりに、暇だと思わない一日だった。




