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第五話 居場所

仁志

 仕事が終わる頃には、少しだけそわそわしている自分に気付いていた。

 そして定時を少し過ぎた頃。

 オフィスを出ると、そこに彰吾がいた。

「お疲れ」

 たった一言。

 それだけなのに、胸の奥が少し温かくなる。

(……何だろうな)

 誰かに待ってもらうことなんて、もう必要ないと思っていた。

 大人になれば皆忙しい。

 仕事がある。

 生活がある。

 だから一人で帰ることにも慣れた。

 それなのに。

 彰吾が待っていると、不思議と安心する。

「帰るか」

「はい」

 帰り道は静かだった。

 会話はほとんどない。

 けれど気まずくもない。

 何か話さなければならない沈黙ではなく、ただ隣にいる人が彰吾だから成立する静けさ。

 その空気は思った以上に居心地が良かった。

 彰吾は予想以上に気が利く。

 ドアを開けてくれる。

 荷物を持とうとしてくれる。

 細かいところによく気が付く。

 人を甘やかすことに慣れているのかもしれない。

 だが。

 天然なところもある。

 家に着いて冷蔵庫を開けた瞬間、二人同時に固まった。

「……」

「……」

 中身がほぼ空だった。

 今朝、食材が少ないことに気付いていたはずなのに。

 彰吾は額を押さえた。

「忘れてた……」

 その顔が妙に面白くて。

 仁志は思わず笑ってしまう。

「そんなに面白い?」

「天才イケメン天然ボケって漫画でしか見たことないので」

「ボケてねぇよ。ただ忘れただけだ」

「いや、そうなんですけど」

 仁志は肩を震わせた。

「黒崎さんには似合わないなって」

「俺だって普通の人間なんだが?」

「そうですね」

 ようやく笑いが収まる。

「じゃあ今晩どうします? 外食ですか?」

「外食は健康に悪い」

 即答だった。

「今から買いに行こう」

「……」

「嫌なら俺一人で行く」

 そう言われて断れるはずがない。

「僕も行きます」

 彰吾が少し笑った。

     ◇

 スーパーは歩いて十分ほどだった。

 夕暮れの住宅街を並んで歩く。

 彰吾のマンションは本当に立地が良い。

 駅も近い。

 スーパーも近い。

 海も見える。

 家賃を考えると恐ろしくなる。

 買い物自体は普通だった。

 驚くほど普通。

 夕飯の材料を選んで。

 明日の分を考えて。

 カゴに入れていく。

「明日は何にします?」

 仁志が聞く。

「毎日来るの面倒ですし、その分も買いましょう」

「んー」

 彰吾は真剣に考える。

「肉あれば何でもいい」

「小学生ですか」

「失礼だな」

 仁志は少し笑った。

「じゃあハンバーグ?」

「いいじゃん」

 即決。

「採用」

(本当に分かりやすいな)

 単純で。

 素直で。

 案外扱いやすい人かもしれない。

     ◇

 夕食は肉じゃがだった。

 彰吾が作る料理は家庭的で優しい味がする。

 二人で食卓を囲む。

 改めて思う。

(食べ方、綺麗だな)

 箸の使い方も丁寧だ。

 育ちの良さが自然に出ている。

 食後。

 今日は仁志が皿洗いを引き受けた。

 流れる水の音。

 静かな部屋。

 リビングでは彰吾がスマホを触っている。

 まだ慣れない部屋なのに。

 不思議と落ち着く。

 その理由が、部屋ではなく人なのだと気付いてしまいそうで、仁志は考えるのをやめた。

________________________________________

彰吾

 仁志が皿を洗っている。

 その背中を見ながら、彰吾は完全に集中力を失っていた。

 スマホのゲーム画面は目に入っている。

 だが内容は何も頭に入ってこない。

(やばい)

 叔父――つまり社長にはもう話してしまった。

 今朝。

 二人で出勤しているところを見られたのだ。

『お?』

 なんて笑いながら。

『ようやく落ち着く気になったか?』

 そう聞かれた。

 だから。

 嘘はつけなかった。

 仁志が恋人だと答えた。

(……俺ってそんなに心配されてたのか)

 叔父はそれ以上何も聞かなかった。

 だが絶対に興味を持っている。

 あの人は昔からそうだ。

 子供がいない分、彰吾のことを本当の息子のように気にかけてきた。

 そして母親のこと。

 来月のこと。

 嘘のこと。

 考えれば考えるほど、自分がどれだけ無茶をしているか理解できる。

(仁志に迷惑かけすぎだろ……)

 昼休みの会話も思い出す。

 嫌われてはいない。

 だが警戒はされている。

 それは当然だ。

 部下たちに聞いても、仁志は真面目で正直な人間だと。

 ミスをしたらすぐ報告する。

 隠さない。

 だからこそ不安だった。

 そんな人間に、自分の嘘を支えさせていいのか。

 そんなことを考えていた時だった。

「……」

 気付けば仁志がすぐ横に立っていた。

 彰吾は思わず肩を震わせる。

「何ですか?」

「え?」

「さっきから視線追ってますよね」

 バレてた。

「あー……」

 誤魔化そうとして諦める。

「まぁ、何でもない」

 言えるはずがない。

 ――お前の演技力が心配なんだ。

 なんて。

 言えない。

 すると仁志は少し考えてから言った。

「黒崎さん」

「ん?」

「僕たち、一応付き合ってますよね」

「…ああ」

「付き合って二日目で隠し事ですか?」

「……」

「それはNGだと思います」

 彰吾は苦笑する。

 確かにその通りだ。

「なのでルール追加です」

「何?」

 仁志は真面目な顔で言った。

「正直は一生の宝」

「……」

「心にあることは言ってください」

 彰吾はしばらく黙った。

 それから観念する。

「怒らないか?」

「内容によります」

「叔父さんに言った」

「……」

「叔父さん…社長に、お前が恋人だって」

 沈黙。

 数秒。

 数十秒にも感じる沈黙。

「……で?」

「で?」

「それだけですか?」

 彰吾が瞬きをする。

「いや、多分社長から何かしら誘いが来ると思う」

 仁志は片手で額を押さえた。

「それを悩んでたんですか?」

「ああ」

「大丈夫ですよ」

 あっさり言われた。

「出来れば避けたいですけど、こうなるって分かってましたし」

「本当か?」

「はい」

 彰吾の肩から一気に力が抜ける。

「そうか!」

 思わず声が大きくなる。

「それなら問題ないな!」

「……」

 仁志は呆れたような顔をした。

「他に何もないなら寝ます」

 そう言って自室へ向かう。

 閉まるドア。

 静かな廊下。

 その後ろ姿を見ながら、彰吾はゆっくり息を吐いた。

(助かった……)

 あれほど緊張していたのに。

 仁志は怒らなかった。

 責めもしなかった。

 ただ受け止めた。

 そのことが。

 どうしようもなく嬉しかった。

 そして彰吾はまだ気付いていない。

 仁志の存在そのものが、少しずつ自分の「帰る場所」になり始めていることに。



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