第四話 境界線
翌朝。
目を覚ました瞬間、仁志は数秒だけ天井を見つめた。
(……ああ、そうか)
ここは自分の部屋ではない。
黒崎彰吾の家だ。
昨夜の出来事を思い出しながら起き上がると、リビングから物音が聞こえた。
キッチンへ向かえば、すでに彰吾が立っている。
「おはよ」
「……おはようございます」
彰吾はエプロン姿だった。
しかも妙に似合う。
「朝飯どうする?」
「俺が作ります」
「じゃ、俺は弁当」
結果広いキッチンに男二人が並ぶことになる。
仁志は味噌汁を作りながら、横目で彰吾を見る。
手際がいい。弁当箱におかずを詰める動作も慣れている。
(……意外だな)
もっと外食派かと思っていた。
いや、よく考えれば一人暮らしが長いのだろうし、料理くらいできても不思議じゃない。
だが問題はそこではない。
(近い……)
広いはずなのキッチンに、妙に距離感を意識してしまう。
そりゃそうだ。
ゲイの男二人。
しかも突然の仮初恋人同居生活。
相手はあの黒崎彰吾。
意識しない方が可笑しい。
(……昨夜、全然寝れなかった)
こんな少女漫画みたいな状況。一か月間どんな生活を送るのか、そして一か月後どう別れるのか。
「田中」
「はい?」
「卵焼き甘い派?」
「甘い派です」
「了解」
彰吾は笑いながら卵焼きを巻く。
その自然な空気に、仁志は少しだけ肩の力が抜けた。
◇
二人で出勤した。
会社が近づくにつれ、仁志の胃が少しずつ重くなる。
(誰かに見られたら……)
変な噂が立つかもしれない。
いや、この会社で露骨に差別されるとは思わない。
だが、知られない方が楽なのは事実だ。
「あとで人事に住所変更の届け出すんだよな?」
彰吾が自然に言った。
「一緒に行く?」
「……一か月だけですし、別に必要ないかと」
「いや、出しといた方がいいと思う。後から何かあった時の方が説明面倒だろ」
(正論ではある)
「……考えておきます」
「了解。俺こっちな」
エレベーター前で彰吾が手を振る。
「昼、迎え行くから待ってろ」
「……はい」
そのまま彰吾はコンサル部へ向かった。
仁志は静かに息を吐く。
周囲はいつも通りだった。
誰も何も言わない。
(気づいてないのか……?)
あるいは興味がないのか。
そもそも朝が早かったから、二人で出社しているところを見た人自体少ないのだろう。
それに彰吾は、少なくとも家族にはカミングアウトしている。
誰に何を思われても、多分あの人はそこまで気にしない。
(……後で聞こう)
会社の人間にどこまで話しているのか。
「昭、おはよう」
席に着くと、即座に昭が振り返った。
「おっはー。で?」
にやにやしている。
(こいつ、いつも遅刻寸前なのに今日は早いな……待ち伏せか)
「……何が」
「黒崎との同居生活」
「どうもなかったよ」
仁志はパソコンを立ち上げながら淡々と言う。
「黒崎さんには仮彼。俺には寝床が必要。取引成立。THE END」
「続編――イケメン帰国子女と美人会計士、偽りの愛が嘘の壁を越え二人は永遠の愛を誓うのでしょうか?」
「誓いません」
即答。
昭が吹き出した。
「お前さぁ、漫画の読みすぎ」
「いや、この状況自体が漫画だろ」
昭は楽しそうに頬杖をつく。
「それに黒崎のことイケメンって認めるんだ?」
「……」
「あいつ超ハイスペックだろ? た・な・かさん?」
仁志は偽笑顔付けて答える。
「ハイスペックすぎて二回もセフレに殴られてるし、大嘘ついて母親騙してる。廣谷さんの言う通り、本社恋愛対象No.1ですね」
「うわ、それ本人の前で言うなよ」
昭は腹を抱えて笑った。
「そういうこと。ゲイだろうが何だろうが、黒崎さんは恋愛対象として見たくない」
「嫌い?」
「違う。悪い人だとは思わない」
仁志は少し考えてから言った。
「でも恋人としては無理。信頼しづらい」
「へぇ」
昭が意味深に笑う。
「じゃ、セフレ枠?」
「……」
「同居してるし、腐女子大歓喜展開」
「コーヒー淹れてくる」
「俺の分も。“ブラック“で( ͡~ ͜ʖ ͡°)」
(……こいつに相談した俺が悪い)
◇
昼休み。
仕事を片付けていると、オフィスが妙に騒がしくなった。
「え、黒崎部長?」
「何あれ、誰待ってんの?」
仁志が顔を上げる。
会計部の外に、彰吾が立っていた。
長身で目立つ。
しかもスーツ姿が無駄に似合う。
「うわぁ」
昭が肩を震わせる。
「彼氏がお迎え来るとか青春かよ」
「……」
「俺のことは気にすんな。ランチデート楽しんでこい」
「廣谷黙れ」
仁志はそのまま彰吾の方へ向かった。
「こんにちは」
「よっ」
自然に並んで食堂へ向かう。
食事中は他愛ない会話だけだった。
だが食べ終わると、彰吾が「ちょっといいか」と言って外の公園へ連れて行く。
ベンチに座る。
冬の風は冷たい。
「仮彼の件なんだけどさ」
彰吾が真面目な声を出した。
「ルール必要だと思う」
「……同感です」
仁志も頷く。
「でもその前に」
彰吾がこちらを見る。
「田中って、自分がゲイだって他人に知られても平気か?」
仁志は少し黙った。
「……できれば知られたくないです」
「そっか」
「昭は元彼なんで知ってますけど。それ以外は、なるべく」
(恥じているわけではない。 ただ。 わざわざ説明する義理もない。 知られていない方が、生きるのは楽だ。)
「え?」
彰吾が固まる。
「……今なんて?」
「昭が元彼って話ですか?」
彰吾が目を瞬かせる。
「廣谷さんとお前?」
「高校時代の話ですよ。今はただの腐れ縁です」
仁志は肩を竦めた。
「あいつも三年前から彼氏と同居してますし」
「……マジか」
「この状況も説明済みです。バーの件、一緒にいましたから」
彰吾は数秒黙っていたが、やがて小さく笑った。
「まあいいや。会社には言う気ない。社長以外」
「はい」
そして彰吾は続ける。
「この期間、セフレ関係は全部切る」
「……」
「できれば今後も減らすつもり」
仁志は少し驚いた。
「あと、お前に好きな奴できたら教えてほしい」
「え?」
「邪魔する気はない。お前が嫌なら、その時点でこの関係終わらせる」
仁志は苦笑した。
「……多分、いらない心配です」
「そうか。よかった」
少し安心したように彰吾が笑う。
その後。
仁志は静かに口を開いた。
「黒崎さん」
「ん?」
「黒崎さんって、イケメンだと思います」
「……急だな」
彰吾が困惑する。
「正直、今朝も意識しました。でもそれは俺が僧侶じゃないからです」
仁志は真っ直ぐ彰吾を見る。
「ハグとかキスとか、そういう恋人っぽいことをすれば意識はすると思います」
「……」
「でも、俺は黒崎さんと恋愛はしたくありません。」
はっきり言った。
「恋人として信頼しづらいので」
沈黙。
風が吹く。
「……失礼だとは思います。でも、最初に言っておきたかったので」
彰吾はしばらく何も言わなかった。
(……告白されてるかと思えば振られてた)
一瞬そんなことを考えてしまった自分に、彰吾は内心で呆れる。
だが同時に、妙に納得もしていた。
「……いや、田中の言う通りだよ」
彰吾は苦笑する。
「俺でも自分が、恋愛対象としてかなり不適格だと思う」
そして少しだけ視線を逸らした。
「あと、俺もお前のこと可愛いとは思ってる」
「……」
仁志の耳が少し赤くなる。
「でも手は出さないし勘違いもさせない」
彰吾は静かに言った。
「その辺の境界線はちゃんと守る」
仁志は何故か少しだけ安心した。
そして、少しだけ残念にも思った自分に気づき、内心で戸惑う。
「……で」
彰吾が咳払いをした。
「同居生活についてなんだけど」




