男とか女とか。母乳……ではなく母性の前では無に等しい
とにかく前世記憶待ちであることがバレないためにも、「普通の赤ん坊」を演じる必要がある。そのために、俺は日々思考を巡らせていた。
まず、何歳から喋るのか。これは非常に重要な問題である。あまり早く喋ると不味いし、遅すぎると「発達障害」を疑われるかもしれない。標準的な発達段階を知らないので、判断が難しい。
さらに、どんな感じで喋るのか。最初の言葉は「ママ」でいいだろう。異論はないね?
そこから始まって、「わんわん」「にゃんにゃん」のような幼児語を使うべきなのか。それともいきなり「天使様」と崇め奉るべきなのか。
後者は明らかに不自然だが、ここが天使の存在する異世界ファンタジーであるなら捨てきれない選択肢ではないか?……ないですね。
赤ちゃん言葉には少し抵抗がある。できれば最初から「犬」「猫」と呼びたいところだが、違和感はないだろうか?
他にも、歩き始めるタイミング自分で食事を食べ始めるタイミング、様々な「発達の節目」がある。それらを全て標準に合わせなければならない。だが、その標準を知らないのだ。困ったものである。
まぁ聞こえてくるのは日本語で、カレンダーを見ると2012年(平成24年)とある。ここは異世界ではなく日本の片田舎であり、ママも歴とした人間で……いやいや、天使かもしれない。
そんな悩みを抱えていた俺に、救世主が現れた。
おそらく生後半年くらいの頃から、ちょくちょく遊びにくる母娘がいたのだ。娘は俺と同じくらいの女の子で、隣家に住む所謂幼馴染である。
と言いつつ隣家を見たことないけれども。もしかして田んぼに住んでるのかな?物怪かな?
ちなみにその女の子は、俺とは真逆でとにかく活発だった。
「あー!あー!」
奇声を上げながら部屋の中をハイハイで駆け回る。時には立ち上がろうとして、ふらつきながら転ぶ。それでも泣かずに、また立ち上がる。その繰り返し。
俺は、その姿を見て思った。これが普通なん?赤ん坊はもっとおとなしいものだと思っていた。泣いてばかりいる、それしかできない存在だと。全く、これだから独身はと我ながら呆れてしまう。
目の前の女の子はまるで小さな台風のような存在である。目が離せない。というか、目を離したら何をしでかすかわからない。
彼女の名前は小鳥遊 雀というらしい。ママは「すーちゃん」と呼んでいた。
ちなみに俺は「無患樹 楓」、ママは「紅葉」。ママとお揃いの苗字(当たり前)と、お揃いの名前でニマニマしてしまう。早く取り繕って!俺の表情筋!
雀は「あそぼ!」と言わんばかりに、俺の顔をベタベタと無遠慮に触ってくる。時にはおもちゃを押し付けたり、顔を覗き込んだけだったり、叩いたり。
子どものやることであるからと好きにさせているが、如何せんこちらも子ども。結構痛くて泣いてしまうし、乗りかかってこようものなら圧迫感で死の瞬間を思い出しパニックになり泣いてしまう。顔によだれを垂らされて不快感で泣いてしまうし、やっぱり泣くことしかできないんだよな、赤ちゃんの俺。
しかし、そんな状態にも慣れるのである。人間凄い。ママの微笑みだけは(以下略)。
そして俺はいつのまにか、彼女のことを仔猫のように感じでいた。小さくて、活発で、予測不能。そしてどこか愛らしい。
一方、俺の気分は先住していた大型犬である。仔猫が戯れついてくれば大人しくされるがまま。走り回れば、その後を追いかける(実際はどちらもハイハイだが)。彼女が転べば、近づいてあやす。
彼女を見守る生活を送りつつ、彼女に合わせて成長段階を調整する!完璧な作戦である!
少し脱線したが、俺は雀のことをそんなふうに思っていたのだが、雀の母親はいつも疲れた顔をしていた。
「すずめは本当に手がかかるのよ。ごめんね。入り浸ってしまって。かえちゃんが相手にしてくれるから、ここにいる間はだいぶ楽なのよね」
そう嘆く彼女に、俺の母は言う。
「遠慮しないでいいのよ。かえでは本当に手がかからないから、少し羨ましいわ」
ママのその言葉を聞いて、少しだけ罪悪感を覚えた。俺は「普通の赤ん坊」を演じようとしてはいる。
だか所詮演技であり、無意識に配慮もしてしまうし、我儘になりきれない。それが母にとっては「手がかからず、物足りなさを感じでしまうのだろう。オムツ替えの要求以外で泣くことはなく、ほとんど寝ているし、起きてても「大人」しくしている。
雀を見て気づく。「普通」の赤ん坊は、もっとわがままでもっと手がかかるものだ。そしてその事に母性が刺激され、多幸感を得ている。
行き過ぎてしまうと、雀の母のように疲れてしまうのだろうが、ここは個人差もあるのだろう。
少なくともママは、もっと「頼られたい」のであろう。
胸が締め付けられる。ニューゲームだから子育てに協力して雀ママの手助けはできても、ニューゲームだから俺のママに素直に甘えることも頼る事もできない。
いや、できないことはない。今からでも遅くない。できる事から始めるしかない。
……そんな決意をしたため、俺は1歳になり3食離乳食を食べれるようになった今でも授乳は続けている。だって拒否るとめっちゃ悲しそうな顔するんだもん。言い訳だけど言い訳ではないのだ信じて!
母という存在を通じて、俺は「無条件に愛される」という感覚を知った。
1年間。まだ1歳。されど1歳。
俺の新しい人生は、まだ始まったばかりだ。
将来的におじさん差別に怯えることも無くなったのだ。それどころか、天使の娘なのだ。その遺伝子を受け継げたなら、チヤホヤされ放題で人生イージーモード確定ではないか。
女性を怖がる事も無いはず?のイージーモードの人生。だが、一つだけ懸念事項が残っている。
俺は、今女である。
つまり将来は男と恋愛して、結婚して、子どもを産む事を望まれる可能性がある。
孫の顔を見たいってやつだ。前世では言われ飽きたと思いきや、40過ぎたあたりから言われなくなったらそれはそれで肩身が狭くなったやつである。
それは、前世では考えられなかったことである。男性だった俺が「産む側」になるとは。想像を絶する。
だが、今はまだ1歳だ。その問題について考えるのは、もう少し先でいい。今はただ、この小さな身体で、この新しい世界を生き抜くことだけを考えよう。
そう、思っていた。
この時は、まだ。
この世界の真実を、俺は何も知らなかったのだから。




