マザコンおじさんの誕生です。だめじゃん。
時は流れて、俺は1歳の誕生日を迎えていた。
赤ん坊としての1年間を振り返ると、実に様々な発見と苦難の連続だった。端的に言えば、赤ん坊というのは想像を絶するほど不自由な生き物である。前世の記憶があるせいで余計に、その不自由さが際立つ。
今日もママが……おっほん。母が俺の誕生日を祝ってくれようとしているが、お礼を言うことはできない。
幸せを態度で示そうにも、手足をバタつかせるくらいしか出来ない。まぁ、キャッキャッと不器用に笑っていれば、母は満足なようであるが。
そして今日も我が家には、母しかいない。どうやら母子家庭のようで、この1年間父親らしき人物は一切姿を見せない。写真すら見当たらない。祖父母も見た事がなく、母親は一人で俺を育てていることになる。頭が上がらない。赤ちゃんだけに。もう首は座ってるから上手いこと言えてないな?
家は立派な、だけど年季の入った平屋建ての一軒家だ。窓から見える景色は田んぼとビニールハウスしかない。見事なまでの田舎暮らし。
俺がこの家で把握しているのは、リビングと隣の寝室、お風呂場とそこまでの廊下だけ。
俺を連れて家を出る時は勝手口から出るため、玄関も知らない。探検したい気持ちもあったが、それ以上に母を心配させたくない気持ちが強く、基本はベビーベッドで退屈している毎日だ。マジ苦行。ホントマジでストレスでせっかく生え揃ってきた髪も禿げそう。
というか実際前世より髪薄いし、ハゲは若さの象徴だったのでは?
今では薄毛に悩めるほどはっきりと視覚が機能しているが、最初の数ヶ月、俺の目はほとんど機能していなかった。世界はぼんやりとした光と影のグラデーションでしかなかく、視力というものがこれほどまでに脆弱だとは知らなかった。前世では当たり前に見えていたものが失われたことによる不安は凄まじく、見えるようになる日が来るはずだとわかっていても、もしかしたらという焦燥感でハゲ散らかしていた。成長度合いの問題だって?そうともいう。
その代わり、嗅覚が異常に鋭かった。これは本当に驚いた。母親の母乳の匂い、外から漂ってくる草花の香り、洗剤の違い。鼻から入ってくる情報量が半端ではなかった。まるで犬にでもなったかのような感覚。前世では自分の加齢臭や朝の匂いすら嗅ぎ取れなかったというのに。雨の匂いもわからず、花粉症にもならない鈍感さであった。あれ?メリットでかいな?
そして目がはっきり見えるようになり、母親の顔を直視した時の衝撃は凄まじかった。それまでも薄々と感じてはいたのだが、やはりきっちりくっきりと「認識」したその日の事を考えると、今でも顔は硬直し、心臓は痛いくらいに鼓動を早くする。
それから今日まで何度となくその顔を見てきたが、未だに慣れない。慣れるはずがない。だって、ありえないのだ。倫理観という観点から言っても完全にありえない。
ママ……ではなく母はおそらく誰もが未成年と疑わないほどの童顔の持ち主で、さらには清楚系美人だった。
まず、肌が信じられないほど白くて綺麗だった。その肌は陶器のように滑らかで、一切の曇りがない。日に当たると透けるのではないかと思うほどの白磁。産後の女性がこんなに肌が綺麗でいいのかと、思わず赤ちゃん肌を持つ俺でさえ負けを認めそうになるレベルである。対戦ありがとうございました。
顔立ちはとにかく「清楚」という言葉がこれほど似合う人もいないだろうという完成度だった。切れ長の目は優しげで、瞳は深い琥珀色。その瞳に見つめられると、心臓がぎゅっとなる。
鼻筋はすっと通っていて形が良い。唇は薄すぎず厚すぎず、自然な桜色。笑うと口元がふんわりと緩んで、えくぼができる。そのえくぼがまた、破壊力抜群なのだ。
髪は艶のある黒髪で、肩甲骨あたりまで真っ直ぐに伸びている。手入れが行き届いていて、光に当たると天使の輪ができる。産後で忙しいはずなのに、どうやってこんなに綺麗に保っているのか謎である。
前世含め48年間、過去最高の完成度の顔である。きっと来年には、過去最高の完成度を誇る去年よりもいい出来とコメントがつくであろう。
そして何よりその童顔さが凄まじい。実年齢はわからないが、1歳児の母親という事実を加味してもなお、20代前半ではないかと考えてしまう。
正直高校生と言われても信じてしまうかもしれない。
外見情報だけなら中学生でもいける。
それほど若々しい。肌のハリ、目の輝き表情のあどけなさ。全てが「少女」を思わせる。
天使かと思った。本気でそう思った瞬間があった。いや、今も思っているか。
初めて「認識した」日の話に戻る。朝日が窓から差し込む中、俺を抱き上げた母の横顔が逆光に照らされて、まるで光輪を纏っているように見えたのだ。
実は異世界転生だったのか。この世界での天使はどんな扱いなのだろう。異人差別はないといいなぁと懸案しつつ、ステータス開いたら魅了のバッドステータスがついてそうだな。解除はできるんだろうかしなくてもいいかぁ。そんな取り止めのない思考と共にいつまでも母をまっすぐ見つめていたのを覚えている。
しかし、ふと我に帰る。俺は女性恐怖症気味だったはずなのだ。正確には「女性から恐怖されることへの恐怖」と言うべきか。電車で隣に座れば嫌な顔をされ、道を歩けば避けられ存在そのものが脅威として扱われる。そんな経験を何十、何百、何千回と繰り返してきた結果、俺は女性に対して必要以上に警戒心を抱くようになっていた。
なのに。
なのにこの身体は、ママを求めて止まらない。
「ママ、ママ」と、まだ言葉にならない声で呼びかけてしまう。ママが視界から消えると、不安で泣き叫んでしまう。抱き上げられると、心の底から安堵してしまう。母乳を飲むと共に、母の匂いに包まれると、脳がとろけるような幸福感に包まれてしまう。
客観視するとキモくて仕方がない。というかもう取り繕えてないしママでいいや。誰に聞かれてるでもないし。
これはきっと身体の反応だ。赤ん坊の本能だ。理性ではない。そう頭では解釈している。だが、その幸福感は前世の俺が決して味わえなかったものだった。女性に受け入れられる感覚。愛される感覚。必要とされる感覚。戸惑ってはいる。だが、抗えない。この身体はこの肉体は、母を求める。それはもう本能のレベルで。理屈ではどうにもならない。
さらっと流してしまっているが、実は最も深刻な問題が授乳である。
毎日、数時間おきにママは俺を抱き上げ、胸元の服をはだけさせる。そして、その白くて柔らかい胸に、俺の顔を導くのだ。最初は抵抗があった。何せ、独身男性……独身おっさんだったのだ。それが、女性の胸に顔を埋めるなど倫理的にどうなのか。
だが、身体は正直だった。
母乳の味は、驚くほど美味しかった。温かくて、甘くて何とも言えない優しい味。飲んでいる間、母は優しく俺の頭を撫でてくれる。その手の温もりが、また心地よい。赤ちゃんが抗えるわけがない。でもバレたらどうしようもないほど不味い事になる。
前世の死の間際に起こったこと。それすらも生ぬるく、死を待っても償いきれない状況になるだろう。
これは授乳であり、赤ん坊としての必要不可欠な行為だ。そう自分に言い聞かせる。だが、心のどこかで「おじさんがこんなことをしていいのか」という罪悪感が渦巻く。いや、実際に授乳を拒否することは死活問題であるし、どうしようもないことではあると理解していても、記憶がある以上どうしても意識してしまう。
前世の記憶があるとバレたらどうしよう。確実にママには嫌われる。それを想像するだけで鬱になる。
多分死ぬ。いや絶対ショック死する。
それほどまでのマザコンになっている自覚がある。
というか、見た目中学生の母親にここまでの感情覚えてるおっさんとかマジ犯罪者だな。てか自分で考えておいてなんだけど理解不能な文章だな。とりあえず死んだ方がいい気がしてきたけどおっさんは死んでたわ今赤ちゃんでした。
だが、その問題と同等に深刻な問題がある。
それは……排泄である。
これは本当に、本当に、深刻だった。
赤ん坊は、自分の意思で排泄をコントロールできない。それは知識としては知っていた。だが、実際に体験するとその屈辱は想像を絶する。おしっこをしたい、うんちをしたい。そう思った瞬間には、もう出ているのだ。止められない。我慢できない。
そして、排泄物で汚れたおむつの中はそれはもう、何とも言えない不快感である。濡れた感触、匂い、肌に張り付く感覚。早く替えてくれと思わず泣き叫んでしまい後悔する。
ママが嫌な顔をするどころか、嬉しそうに飛んでくるのだ。マジ天使。そして赤ちゃん言葉で話しかけられながら、おむつ交換タイムとなる。
ああ、情けない。立派な(?)大人だったのに。今や、排洩物を垂れ流すしか能のない赤ん坊である。この落差は正直、精神的に堪えるし、羞恥心で大人になってもふとした瞬間に思い出して身悶えること確実の黒歴史である。そこが電車内であろうが焼けた鉄板の上であろうが頭を抱えて転げ回るであろうことは確実である。早く、せめて早いとこトイレトレーニングを始めさせてください!おまるをください!
しかし、人間というのは適応する生き物だ。1週間も経てば、排泄をしたら泣いて知らせるという「普通の赤ん坊」の行動パターンに抵抗がなくなった。慣れってこぇぇ。天使の顔面偏差値には、いつになったら慣れてくれますかね?




