友達に事情を問い詰められたら、成瀬くんといるのが嫌じゃないことだけは誤魔化せなかった
終礼の号令が終わり、椅子を引く乾いた音が重なり合って、教室の空気が一気に放課後のそれに切り替わった。
部活動へ向かう生徒が廊下へ駆け出していく足音や、部室の鍵を取りに行く誰かの声が遠く響いている。窓から差し込む夕方の光は少しずつ赤みを帯び、並んだ机の影を斜めに長く伸ばしていた。
隣の席では、成瀬くんが机の上の筆記用具を鞄へ放り込んでいた。
教科書を一冊だけ詰め込み、ファスナーを閉めると、特に誰へ声をかけるでもなく鞄を肩に掛けて席を立つ。そのまま教室の前の引き戸を開け、廊下へ出ていった。
その背中が視界から消えた瞬間、前の席でガタッと椅子の背が回った。
「さて」
短めの髪を揺らしながら、秋林冬華がこちらの机に肘をついた。
顎に手を乗せ、形のいい眉を少しだけ上げて、私の顔をじっと覗き込んでくる。昼休みに予告されていた取り調べの時間が、正確に始まった合図だった。
「お昼の続き。ちゃんと聞かせてもらおうかな」
「続きって……何もないって言ったじゃん」
「嘘おっしゃい」
冬華は机の上で指を軽く組み、淡々とした口調で事実を並べ始めた。
「この前もさ、放課後に二人で教室に残って話してたでしょ。で、今日のお昼は成瀬くんの方から声かけて、一緒に購買行ったじゃない。戻ってきたら結衣、チョココロネ持ってさ」
「それは……」
「パン半分あげたお礼って言ってたけど、半分あげただけでわざわざ一個奢ってくれるの? そもそも、結衣が成瀬くんにパンを半分あげた理由もよく分かんないんだけど」
冬華の声に責めるような響きはなくて、ただ素朴に疑問をぶつけてきているだけだった。
だからこそ、返事に詰まった。
ツナマヨパンが私の手の中で無残に破裂したこと。
私の身体を勝手に動かした張本人が、今も私の頭の中にいること。
そんなこと、口が裂けても言えるはずがない。
『うっ……先輩、ごめんなさい……』
頭の奥底から、信じられないほど小さく縮こまった声が落ちてきた。
『完全に私のツナマヨバーストのせいです……バレたら怒られますよね……』
(怒られる以前の問題だから、今は静かにしてて!)
脳内で必死に念じながら、私は机の端を指先でなぞった。
「ええと……それは、ちょっとお腹いっぱいになっちゃって。残すのもったいなかったから、隣にいた成瀬くんに食べてもらっただけ」
「ふーん……」
冬華は目を細めて私を見た。
納得した顔ではないけれど、真っ向から否定するわけでもない。
「まあ、百歩譲ってそれはいいとして。成瀬くん、最近結衣といること増えてない? 前は席が隣でも、あんな風に話してなかったじゃん」
「それは……本当に、偶然っていうか」
「偶然で購買まで誘いに来るかな」
「あのね、冬華」
私は小さく息を吸い、言葉を探した。
どう言い繕えば、冬華を納得させつつ、余計な詮索を止められるのか。
「その……成瀬くんにも、いろいろ事情があって」
「事情?」
聞き返されて、自分の失言に気づいた。
喉の奥が引き攣るように強張る。
――事情?
妹の葵ちゃんが、交通事故に遭って今も病院で眠り続けていること。
その病室まで一緒に行って、妹の寝顔を私が見たこと。
そんな成瀬くんの家庭の事情を、私が勝手に話していいことじゃない。
「……ごめん。今の、忘れて」
私は視線を落とし、小さく首を横に振った。
「それは、私から言うことじゃないから」
教室内では、まだ数人の生徒が黒板を消したり、明日の小テストの範囲を確認し合ったりしていた。チョークの粉が落ちる音と、乾いた笑い声が遠くに聞こえる。
冬華はしばらくの間、何も言わずに私の顔を見つめていた。
追及が続くかと身構えていたけれど、彼女はふっと肩の力を抜き、椅子の背もたれに体重を預けた。
「……そっか。じゃあいいや。無理に言わせるつもりはないし」
「冬華……」
「結衣が言えないって言うなら、そうなんだろうしね」
冬華は組んでいた腕を解き、机に軽く指先を当てた。
「事情は分かんないけどさ。成瀬くんと最近よく話してるの、結衣としてはどうなの?」
「どう、って……」
「嫌なの? 無理に付き合わされて困ってるとか、そういうこと?」
「それは――」
否定しようとして、言葉が止まった。
嫌なのか、嫌じゃないのか。
そんなの、考えるまでもなかった。
葵ちゃんに頭の中で騒ぎ立てられて、振り回されるのは確かに大変だ。
けれど、成瀬くんと話しているあの時間まで嫌なわけじゃない。
「……嫌じゃないよ」
私は自分の膝の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめていた。
言った途端、頭の真ん中で何かが跳ね上がった。
『嫌じゃない……! 結衣先輩、今「嫌じゃない」って言いましたよね!? 言いましたよねええええええ!?』
(ちょっ、静かにしてってば……!)
『嫌じゃないいただきましたーーーっ! お兄ちゃん、聞いた!? ……って、ここにいないか! でも言った! 結衣先輩が自分の口で言いました!!』
脳内で全力で両手を打ち鳴らす葵ちゃんの気配が広がり、耳の奥までじわりと熱くなっていく。
それを必死に表情に出さないよう、私は唇を噛み締めて下を向いた。
冬華はそんな私をしばらく眺めたあと、小さく口元を緩めた。
「そ。ならいいや」
冬華は机の横から自分のスクールバッグを持ち上げ、立ち上がった。
「まあ、なんか困ったことあったらちゃんと言いなよ。相談くらいなら乗るから」
「……うん。ありがとう」
「じゃ、私帰るねー。また明日」
「うん、また明日」
冬華は軽く手を振ると、軽やかな足取りで教室の前扉から出ていった。
教室に残された私は、深いため息をひとつ吐き出した。
(……もう、誰のせいでこんなに冷や汗かいたと思ってんのよ)
『私のツナマヨバーストのおかげで、先輩の本音が聞けたんじゃないですか! 結果オーライです!』
(オーライじゃない。もう帰るよ)
私は席を立ち、鞄を肩に掛けて前扉へ向かった。
引き戸に手をかけ、廊下へ出ようとした、その時だった。
「――結衣」
ふいに、少し低くて柔らかな声に呼び止められた。
「あ、京也く――」
そのまま振り返ろうとした瞬間、頭の奥で、葵ちゃんが割り込んできた。
『ちょっと待ってください先輩』
(なに?)
『……この人、誰ですか?』
(え?)
『男の人ですよね? なんで先輩のこと「結衣」って呼んでるんですか!?』
(いや、この人は――)
『NTR!?』
(は!?)




