義妹のブランケットを選んでほしいと頼まれたら、脳内の本人が全力で趣味を主張してきた
終礼の号令が終わり、椅子を引く音と同時に教室がざわめきに包まれる。
部活へ向かう男子の声や、週末の予定を話す女子の笑い声が飛び交う中、私は机の横に掛けたスクールバッグを手に取った。
隣の席では、成瀬くんがいつもと違って机の上のノートをしまう手を止めていた。
「……白川、ちょっといいか」
「え?」
低く呼ばれて振り返ると、成瀬くんは少し視線を泳がせながら、鞄のファスナーに手を置いたままこちらを見ていた。
「急に悪ぃんだけどさ。……妹に、ブランケット買ってやりたくて」
「ブランケット?」
「ひざ掛けみたいなやつ。でも、女子向けのやつとか、俺全然分からなくてさ。……少し、付き合ってもらえないか」
成瀬くんが申し訳なさそうに眉を下げる。
そのとき、前のドアから出ようとしていた同じクラスの女子がふと足を止め、こちらに気づいて目を丸くした。
「あれ、結衣、成瀬くんと居残り? 珍しいね」
「あ、ううん、ちょっとね! ノートのことで!」
咄嗟に手を振って誤魔化すと、友達は「そっか、じゃあねー」と軽く手を振り返して廊下へ消えていった。
首筋にじわりと嫌な汗がにじむ。隣を見ると、成瀬くんも気まずそうに短く息を吐いていた。
『うおおおお放課後デートイベント発生!! 撃破率が! 撃破率が急上昇の予感です先輩!』
(買い物に付き合うだけ! あとデートじゃないから!)
心の中で騒ぎ立てる葵ちゃんを必死に押し込めながら、私は「うん、私でよければ」と頷いた。
事故の前から、無愛想なくせに時々こういう顔をする彼を、気づけば目で追っていた。そんな自分をごまかすように、鞄を抱え直す。
◇
駅前の大型生活雑貨店へ向かう道中、並んで歩く成瀬くんが、前を向いたままぽつりと言った。
「……今日、あいつ、一般病棟に移れることになってさ」
「え?」
「ずっとICUにいたんだけど」
その瞬間、頭の真ん中で甲高い声が跳ね上がった。
『えっ!? うそ、私、一般病棟に移れたの!? やったぁぁぁ! よかったぁぁぁ! お兄ちゃんも少し安心できるよねぇぇぇ!』
(ちょっ、耳元で叫ばないで!)
『だって知らなかったもん! あ、そっか、私ずっと寝てるから当たり前か!』
脳内で大喜びしてじたばた転がり回る葵ちゃんの気配を必死にやり過ごしながら、私は歩調を合わせた。成瀬くんの前では、今初めて病状を聞いたクラスメイトの顔をしなければならない。
「そ、そうなんだ……。大変だったね。でも、本当によかった」
「ああ。……ずっと無機質な部屋にいたから、何か一つくらい新しいの置いてやりたくてさ」
店に着き、ファブリックのコーナーに入った途端、成瀬くんは真剣な顔で棚を睨みつけ、迷うことなく一番手前にあった棚へ手を伸ばした。
「これとか、どうだ」
差し出されたのは、見るからに頑丈そうな、濃いグレーの分厚いフリースだった。
『地味!! お兄ちゃん、山小屋に泊まる気!? もっとパステルカラーでふわふわしたやつがいい!』
(山小屋は言い過ぎだけど……成瀬くん、いくらなんでも無骨すぎでしょ)
「ええと……暖かそうだけど、ちょっと重くないかな? ベッドの上なら、こっちの淡いミントグリーンとか、落ち着いた色のほうがいいと思うけど……」
「そうか? ……あいつ、そういうお洒落な色、着てたっけな」
成瀬くんが首を傾げた瞬間、頭の奥から必死の金切声が飛んできた。
『違う! グリーンじゃない! 先輩のセンスも悪くないけど今は私の好みを優先して! あっち! 右の棚の上段! 薄いラベンダー色のもこもこしたやつ!』
(もう、うるさいなぁ……)
私は小さく息をつき、ミントグリーンを棚に戻して、葵ちゃんが指定した棚から淡いラベンダー色のブランケットを手に取った。手触りのいいフランネル素材で、端に控えめな白いステッチが入っている。
「じゃあ……例えば、これとかどうかな?」
「……」
成瀬くんが受け取り、指先で生地の柔らかさを確かめた。
そしてふと、手を止めて私をじっと見つめてきた。
「……白川、なんでこれ選んだんだ?」
「えっ?」
ブランケットの端を持ったまま、指が止まった。
成瀬くんは、まだ私の顔を見ている。
「いや……あいつ、ラベンダー色のパーカーばっかり着てたからさ。白川、あいつのこと見たことあったのか?」
「え、あ……! う、ううん! ほら、女の子ってだいたいこういう淡い紫色とか好きだし……! それに、チクチクしなくて肌触りもいいから、寝てるときに気持ちいいかなって!」
言い訳を並べ立てながら、喉の奥がカラカラに乾いていくのを感じた。
成瀬くんは私の焦りまくった顔を数秒だけ不思議そうに眺めていたが、やがて視線を落とし、「……そう言われれば、そうか」とぽつりと言った。
「……確かに、すげえ柔らかいな。チクチクもしない」
「で、でしょ……?」
「ああ。部屋に置くなら、明るい色のほうがいいよな」
成瀬くんが少しだけ口元を緩めた。
その横顔を見て、私の頭の中がふっと静かになった。
『……お兄ちゃん、覚えててくれたんだ。私、あのパーカーばっかり着てたもんね』
さっきまでの騒がしさが嘘のように、葵ちゃんの小さな声が落ちてくる。
成瀬くんはブランケットを抱え直すと、「これにする。白川、ありがとな」と言ってレジへ向かった。
紙袋を下げて歩く成瀬くんは、教室にいるときより少しだけ肩の力が抜けて見えた。
◇
駅ビルの自動ドアを出ると、夕方の冷たい風が通り抜けた。
成瀬くんは紙袋を左手に持ち替え、振り返って私を見た。
「白川、急に付き合わせて悪かったな。……すげえ助かった。一人じゃ絶対、あんなの選べなかったし」
「ううん。私も選ぶの楽しかったよ」
そう答えると、成瀬くんはふっと息を吐いて笑った。
目元を少し緩めただけの、本当に控えめな笑い方だったけれど、事故のあとずっと張り詰めていた彼がこんなふうに笑うのを、私は久しぶりに見た。
『……お兄ちゃんが、笑った』
葵ちゃんが息を呑む気配がした。
成瀬くんは少し視線を落とし、迷うように紙袋の持ち手を握り直した。
「これ、明日持ってくつもりなんだけどさ」
「うん」
「……白川、明日って放課後暇か?」
「え?」
「いや……せっかく一緒に選んでもらったし。明日、病院行くんだけど……もし嫌じゃなかったら、一緒に来るか?」
「……私が?」
「妹も同じ学校だしさ。知らないやつでも、学校の話とか聞こえたら、何か……違うのかなって。……いや、よく分かんねえけど。迷惑だったら全然断ってくれていい」
言ってから自分でも迷ったのか、成瀬くんは少しばつの悪そうな顔で視線を逸らした。
頭の中の葵ちゃんは、何も言わなかった。
茶化すでも、作戦を叫ぶでもなく、ただ静かに息を潜めている。
「迷惑なんて、全然ないよ。……私でよければ、行ってもいい?」
「……そうか。じゃあ、明日、放課後に駅で」
「うん」
成瀬くんは紙袋を下げたまま、改札のほうへ歩いていった。
一人になった帰り道、私は頭の中の同居人に、声を出さずにそっと問いかけた。
(葵ちゃん、明日……会えるね)
少しの間があってから、返ってきたのは、震えるような、けれどどこか照れくさそうな声だった。
『……うん。変な顔で寝てないといいんだけどな』




