胃袋を掴めと言われてパンを半分こしようとしたら、脳内の義妹が暴走してツナマヨを爆発させた
四時間目のチャイムが鳴り終わると同時に、教室中が一気に騒がしくなった。
机をくっつけ合う女子たちの笑い声や、購買へ向けて廊下を走っていく男子の足音が響く中、私の頭の真ん中で軍艦マーチのような勇ましい鼻歌が鳴り響いた。
『さあ結衣先輩、第二作戦の火蓋を切る時が来ました!』
(……もう嫌な予感しかしないんだけど)
私がため息をつきながら鞄からパンを取り出すと、葵ちゃんが脳内でフンスと鼻息を荒くした。
『いつまでもプリントを写させたり写されたりしてる場合じゃありません。男の人を落とすなら、まず胃袋を掴む! これ、全少女漫画および恋愛シミュレーションゲームにおける絶対の鉄則です!』
(胃袋って……私、今日購買のパンなんだけど)
『だからですよ! 名付けて「手作りお弁当を半分こしちゃう大作戦(応用編)」!』
(パンの時点で手作り要素ゼロでしょ)
『パンを綺麗に半分にちぎって、「結衣、これ一個食べきれなくて……総司郎くん、半分食べてくれないかな?(首コテン)」です! これで間接キスと家庭的アピールが同時に完了します!』
(ツナマヨのどこに家庭的要素があるのよ。あと勝手に下の名前で呼ばせないで)
心の中で全力のツッコミを入れている私の横で、成瀬くんが制服のポケットに手を入れた。
やっぱり今日も顔色が悪い。購買へ行く気力すらないのか、取り出したのはカロリーメイトの銀色の袋だった。事故の前は、昼休みになれば周りの男子と「今日の購買、唐揚げパン残ってねえの?」なんてくだらないことで笑い合っていたのに。
『ほら先輩、見てください! お兄ちゃん、またあんなパサパサのブロックかじろうとしてます! チャンスですよ、今パンを半分あげるんです!』
(でも、いきなり半分あげるなんて不自然すぎでしょ)
『不自然じゃないです! クラスの可愛い女子からパンをもらって喜ばない男子はいません! いっけーー!』
(ちょっ――!)
神経の奥に、びりっと強いノイズが走った。
葵ちゃんが無理やり私の身体へ割り込んでくる時の、あの感覚だ。全身を乗っ取られるわけじゃない。けれど、感情を高ぶらせた彼女の勢いに引きずられるように、私の右手首が意志に反してカクンと跳ね上がった。
袋から出したばかりのツナマヨパンが、私の意図とは無関係に、勢いよく二つに引き裂かれた。
しかも勢いがつきすぎたせいで、柔らかい生地の中央から具のツナマヨがぶちゅっと飛び出した。
「わっ、ちょっと!」
叫んだ拍子に、ちぎれたパンの破片とマヨネーズが、成瀬くんの机の上にボトッと落ちた。
「…………」
銀色の袋を開けようとしていた成瀬くんの指が、完全に止まった。
机の上に転がる、無惨に破裂したツナマヨの残骸。
そして、ちぎれたパンを両手に持ったまま固まる私。
「あ」
「あ」
私と成瀬くんの声が綺麗に重なった。
斜め前で弁当箱を開けていた女子が「えっ、何?」と箸を止めてこちらを凝視している。視線が痛い。穴があったら今すぐ入りたい。
(葵ちゃん!! どうすんのこれ!!)
『ぎゃあああ失敗した! マヨネーズがバーストした! 先輩、ここは「てへっ、失敗しちゃった☆」って言って舌をペロッと――』
(殺す気かーーーーっ!!)
「ご、ごめん成瀬くん! 手が滑った! すぐ拭くから!」
耳まで真っ赤になるのを自覚しながら、私はポケットからティッシュを取り出し、成瀬くんの机を猛烈な勢いで拭き始めた。
「いや、いいって。ティッシュもったいないだろ、俺がやる」
「ダメダメ、私がこぼしたんだから!」
「白川」
慌てて手を動かす私の手首を、成瀬くんの指先が軽く制した。
骨張った指が触れたところから、じんわりと熱が広がって、思わず呼吸が詰まる。
「……お前、ツナマヨ好きなのか」
成瀬くんが、机の上に散らばったパンの残骸を見ながら、ぽつりと言った。
「え?」
「いや……うちの妹もさ、ツナマヨばっかり食うやつで」
成瀬くんの手が、私の手首から静かに離れる。
彼は少しだけ困ったように眉を下げて、本当に小さく、自嘲するように口元を緩めた。
「購買でツナマヨ争奪戦やって、負けたら俺のメロンパンと無理やり交換してきたりしてさ。……お前がパンぐちゃぐちゃにしてるの見たら、なんか、あいつ思い出した」
「成瀬、くん……」
彼の声は低くて、静かで、壊れ物を扱うように優しかった。
脳内が、しん、と静まり返る。
さっきまであれほど騒がしかった葵ちゃんが、息を止めたように黙り込んでいた。
「変なこと言って悪ぃ。……机、ありがとな」
成瀬くんは自分のハンカチを取り出すと、拭き残しをさっと片付け、机の上のカロリーメイトをぽりっとかじった。
「……成瀬くん」
「ん?」
「これ、もしよかったら……食べて」
私は、無事だった方の半分のパンを、成瀬くんの前に差し出していた。
葵ちゃんに言われたからじゃない。
首を傾げることも、甘えた声を出すことも忘れて、ただ、真っ直ぐに差し出した。
「一個まるまる食べきれそうになくて。……マヨネーズ、飛び出てない方だから」
「……」
成瀬くんは少し驚いたように目を見張り、差し出されたパンと私の顔を交互に見た。ほんの一瞬、受け取るのを躊躇うように指先を引いたけれど、私が引っ込めずにいるのを見て、ふっと息を吐いた。
「……じゃあ、もらう。サンキュ」
成瀬くんが受け取ったパンを口に運ぶ。
じっと見ているのも変なのに、彼がパンをひと口かじるその横顔から、どうしても目を逸らすことができなかった。
昼休みの終わりのチャイムが鳴る直前、手洗い場へ向かう渡り廊下で、私は頭の中の同居人に呼びかけた。
(……ねえ、葵ちゃん)
『…………』
(聞いてる?)
『……聞いてるよ』
葵ちゃんの声は、いつもみたいに甲高くなくて、少し鼻声のようだった。
『お兄ちゃん……そんなことまで、ちゃんと覚えててくれたんだね』
(当たり前でしょ。妹なんだから)
『うん。……でも、ずるいよ結衣先輩』
(え?)
『私、お兄ちゃんにツナマヨあげたことなんて一回もないのに。……先輩、お兄ちゃんにパン、食べてもらえちゃったじゃん』
悔しそうな、羨ましそうな、どこか泣き笑いのような声。
私は窓の外を見つめながら、小さく息をついた。
(……作戦、大失敗だったくせに)
『失敗じゃないもん! 胃袋掴んだもん! 撃破率、四十五パーセントに上昇だもん……!』
強がりを言いながら、葵ちゃんの気配が頭の隅で小さく丸まるのが分かった。




