ちゃんと振られた数分後に、私は義妹が頭の中にいると打ち明けた
袖口で何度も涙を拭い、冷たい空気で肺を満たす。
呼吸を整えても、胸の奥の鈍い痛みは消えなかった。けれど、昨日葵ちゃんと交わした約束を、ここで放り出すわけにはいかない。
私は窓枠から手を離し、渡り廊下の反対側へ視線を向けた。
壁に寄りかかり、腕を組んで待っていた成瀬くんの背中。
「……成瀬くん」
呼びかけると、成瀬くんの肩が微かに揺れ、ゆっくりとこちらを振り返った。
何も詮索せず、歩み寄ってきて、数歩手前で足を止める。
「……もういいのか」
「うん。待たせてごめん」
渡り廊下には、もう他の生徒の姿はない。
遠くの運動場から、部活動の掛け声が風に乗って微かに届くだけだった。
私はまっすぐに成瀬くんを見つめた。
「朝言った、妹さんのことなんだけど」
「ああ」
「……信じられないと思う。嘘じゃないから、ちゃんと聞いてほしいの」
「白川?」
「葵ちゃんの意識が……今、私の頭の中にいるの」
成瀬くんの唇が、わずかに開いた。
「……は?」
「葵ちゃんなの。事故のあと、ある日突然……私の頭の中に来て。それからずっと、話してるの」
「……白川、お前」
成瀬くんの眉間に皺が寄る。
視線が私の目元、まだ赤みが残る瞼へ落ちた。
「……大丈夫か。さっき、俺があんなこと言ったから……混乱してんのか?」
「違う。振られたショックで変なこと言ってるわけじゃない」
「じゃあ何なんだよ。葵は病院で寝てんだぞ。……それとも、事故の前にあいつから何か聞いてたのか?」
「私、事故の前に葵ちゃんと話したことないよ。成瀬くんだって知ってるでしょ」
成瀬くんは言葉に詰まり、唇を固く結んだ。
私の顔をじっと見つめている。
私は、土曜日にバス停で聞いた、二人だけの記憶を口にした。
「……中学の時」
「……あ?」
「親が再婚して、まだ一緒に暮らし始めて一か月も経ってない頃の話」
成瀬くんの表情が、ぴくりと止まった。
「まだお互いに『総司郎くん』『葵さん』って呼んでた頃。……日曜日の昼下がり、葵ちゃんが居間で、見たいアニメの録画予約をするために、テレビのリモコンを探してた」
成瀬くんの喉が、小さく上下した。
「成瀬くんも一緒に探して……葵ちゃんが焦って、初めて成瀬くんのことを『お兄ちゃん』って呼んだの」
そこで、言葉を止めた。
成瀬くんの目が大きく見開かれていた。
「……なんで、それ」
「…………」
「なんで……お前が、それを知ってんだよ」
成瀬くんの口から、途切れ途切れに続きが漏れ出した。
「……あいつ、あの時」
「……俺が、もう一回呼んでくれって言ったら……『言わない!』って返されて……」
「……うん」
「……で、リモコン」
成瀬くんは息を呑んだ。
「……あいつが着てた、パーカーの前ポケットに入ってた」
『……うぅ、恥ずかしい……』
頭の奥底で、葵ちゃんの消え入りそうな声が響いた。
もちろん、その声は成瀬くんには届かない。
成瀬くんはその場に立ち尽くしたまま、視線を床に落としていた。
「……じゃあ」
絞り出すような呟きだった。
「じゃあ……あの時の、独り言も……」
現国のプリントを見せた時。
私が誰もいない空間に向かって「するわけないでしょ、バカ」と吐き捨てた、あの独り言。
「……ブランケットもか? あいつのパーカーと同じ色だって……なんで知ってんだって、俺……」
成瀬くんの視線が、跳ね上がるように私を捉えた。
「……待てよ」
成瀬くんの指先が、ブレザーの袖を握りしめる。
「じゃあ……あの時も、いたのか」
昼休みの教室。
二人で並んで、パンを食べていた時。
「……俺が」
掠れた声が、静まり返った渡り廊下に落ちた。
「俺が……もう起きないのかなって言ったのも……葵は、聞いてたのか」
窓の外から、冷たい風が吹き込んできた。
頭の奥で、葵ちゃんが息を止めている。
私は目を逸らさず、まっすぐに成瀬くんを見つめた。
「……うん」
短く、それだけを返した。




