振った相手と振られた私と幼馴染と友達が、駅前のバーガー屋で相席する地獄
制止する私の声など届くはずもなく、京也くんは身軽な足取りで階段を駆け下りていった。
ガラス張りの窓から見下ろすと、ロータリーの歩道で、京也くんが成瀬くんの肩をぽんと叩くのが見えた。
成瀬くんが驚いたように足を止める。
何か二言、三言と言葉を交わしている。成瀬くんは困ったように眉を寄せたが、京也くんに爽やかに促され、断り切れずに店の中へ入ってきた。
『ぎゃあああああああ!!』
頭蓋骨の内側で、葵ちゃんが鼓膜を突き破るような金切声を上げた。
『水城先輩がお兄ちゃんを捕獲しましたよ結衣先輩!! なんで!? 今朝「普通にしてりゃいい」って言った張本人が、なんで自分から爆心地に燃料投下しに行ってるんですか!?』
(私に聞かないでよ!!)
「……うわ、本当に連れてきた」
向かいの席で、冬華が猫目を輝かせてポテトの箱をテーブルの端へ寄せている。
階段を上がってくる、二つの足音。
私はもう、目の前の紙カップを両手で握りしめて気絶したかった。
「ほら、座りなよ。五分だけ、ポテトくらい奢るからさ」
「……いや、水城先輩、俺これから用事が――」
「そんな時間取らせないって。ちょっとだけ付き合ってよ」
階段の踊り場から現れた成瀬くんは、京也くんに促されるようにして、私たちのボックス席の前に立たされていた。
そして――席に座る私と目が合った瞬間、成瀬くんの動きが完全に止まった。
「……白川」
「……あ、成瀬くん」
凍りついた空気が、テーブルの上に音を立てて落ちていくようだった。
昨日の放課後の階段と、今朝の「おはよう」を思い出したのか、成瀬くんの喉がかすかに上下し、気まずさで視線が彷徨った。
「ほら成瀬くん、突っ立ってないで座りなよ。秋林さんの隣、空いてるから」
京也くんは何食わぬ顔で成瀬くんに席を勧め、冬華の隣――つまり、私の真正面の席へ座らせた。
そして自分は、満足そうに私の隣へ腰を下ろす。
私と京也くん。
向かいに、成瀬くんと冬華。
どんな悪夢の配置だ。誰がこのデスゲームを企画したんだ。
『お、お兄ちゃんが完全に公開処刑の席に座らされてる……! 結衣先輩、これ何の拷問ですか!?』
(私が聞きたいって言ってるでしょ!!)
「成瀬くん、これからどこ行くの? 駅の方向歩いてたけど」
沈黙を破ったのは、状況を何ひとつ知らない冬華の、屈託のない声だった。
成瀬くんはポケットから一瞬だけスマホを取り出して画面の時刻を確認し、テーブルの木目を睨みながら短く答えた。
「……ちょっと、用事」
「ふーん? あ、ポテト食べる? チーズかかってて美味しいよ」
「……いや、いい」
成瀬くんのぶっきらぼうな返答に、私の隣で、カランと氷の音が鳴った。
京也くんがアイスコーヒーの紙カップを傾け、ストローをくわえながら、横目で成瀬くんを見つめている。
整った顔に浮かんでいるのは、朝のような屈託のない笑みではない。
何も知らない先輩の顔をした、ひどく穏やかで、けれどどこか探るような視線だった。
「成瀬くん、これから用事なんだっけ」
ふいに落とされた京也くんの声に、成瀬くんの肩がピクリと反応した。
「……はい」
「そっか。なんか忙しそうだな」
京也くんはストローから唇を離し、テーブルに肘をついた。
「友達と遊んだりもしないの? 結衣と隣の席なんだろ。この前の清掃ボランティアの時、結構息合ってたじゃん」
世間話のトーンだった。
『うぐっ……! 水城先輩、世間話のフリして外堀からチクチク刺してきてる……!』
(京也くん、やめてよ……!)
成瀬くんは膝の上で拳を握りしめ、唇を真一文字に結んでいた。
昨日の今日だ。私を振って傷つけたことを気にしているのか、成瀬くんは言い返さず、京也くんの言葉を黙って受け止めていた。
けれど、京也くんはさらに首を傾げ、穏やかな声のまま言葉を継いだ。
「いやね。結衣が今朝、ずいぶん思い詰めた顔をしてたからさ。席が隣のキミなら、何か知っているのかなと思ってね」
「っ……」
成瀬くんの黒い瞳が揺れた。
――白川が、水城先輩に話したのか?
そう言いたげな、痛みを堪えるような視線が一瞬だけ私へ向けられ、それから成瀬くんはテーブルの端を睨みつけた。
言い返せない。けれど、納得して黙っているようにも見えなかった。
耐えて、耐えて、耐え続けて――ついに、成瀬くんの喉から、押し殺したような低い声が漏れた。
「……先輩に、何が分かるんですか」
ピシリ、と空気が張り詰めた。
成瀬くんが顔を上げていた。
いつも無愛想で、どこか諦めたように周囲と距離を取っていた成瀬くんが、まっすぐに京也くんの目を睨み返している。
「…………」
京也くんの目が、わずかに見開かれた。
さっきまで浮かんでいたからかうような色が、一瞬だけ消える。
けれど、京也くんは何も言わなかった。
その静かな火花を放置できるほど、私の胃袋は頑丈ではなかった。
『お、お兄ちゃん……!』
頭の奥で、葵ちゃんが泣きそうな声で叫ぶ。
「京也くん!」
私はテーブルに身を乗り出し、隣に座る幼馴染のブレザーの袖をぐいっと引っ張った。
「もうやめて! 成瀬くんは悪くないから!」
「結衣……」
「悪くないの! 成瀬くんが何かしたわけじゃないから、変なこと聞かないで!」
必死になって庇い立てする私に、京也くんは目を丸くし、それから小さく息を吐いた。
そして――この一触即発の空気を前にして、向かいの席から声が上がった。
「……ちょっと待って」
冬華がポテトを持ったまま、私たち三人を順番に見つめた。
「何これ。絶対なんかあったでしょ。水城先輩が成瀬くんに突っかかって、結衣が必死に庇って、成瀬くんは『先輩に何が分かるんですか』って……何それ!? 二人、喧嘩したんじゃないの!?」
「げ、喧嘩じゃないってば!」
私が上ずった声で否定すると、冬華はポテトを突きつけるように身を乗り出してきた。
「喧嘩じゃないなら何なのよ! 明らかにただの隣の席同士の空気じゃないじゃん! 少女漫画の修羅場フェスじゃん! 水城先輩、絶対何か知ってますよね!? 教えてください!」
「いや、俺は別に……」
京也くんが苦笑しながら手を振る。
冬華の猛烈なガヤと、頭の中で大騒ぎする葵ちゃんの声が重なり合い、店内BGMすら聞こえないほどのカオスがテーブルを支配していた。
向かいの席では、成瀬くんがこれ以上ここにいたら窒息すると言わんばかりに、深く眉間を押さえている。
病院への面会時間だって、刻一刻と迫っているはずなのだ。
「冬華、本当に何でもないから! ちょっと席のことで話してただけ!」
私は冬華の肩を押し戻すようにして叫ぶと、隣の京也くんの袖をもう一度強く引いた。
まっすぐに、目で訴えかける。
――もう、これ以上成瀬くんを困らせないで。
私の真剣すぎる視線を受け止めた京也くんは、数秒の間、成瀬くんと私を見比べ――やがて、ふっと肩の力を抜いて首を振った。
「……はいはい。悪かったよ」
京也くんは苦笑いを浮かべ、成瀬くんに向かって軽く片手を上げた。
「成瀬くん、引き止めて悪かったね。用事があるんだろ? 行っていいよ」
「……え」
成瀬くんはぽかんと口を開け、それからゆっくりと席を立った。
冬華が「えー、成瀬くん行っちゃうの!?」と声を上げたけれど、成瀬くんはもうここに一秒もいられないといった様子でスクールバッグを抱え直した。
そして――階段へ向かう直前。
成瀬くんはふと足を止め、振り返って私を見た。
その瞳はまだ戸惑っていたけれど、さっきまでより少しだけ力が抜けたように見えた。
「……白川」
低く、掠れた声。
「……じゃあな。また、月曜」
ほんの少しだけ、目元が緩んでいた。
あんなに気まずかったはずなのに。こんなカオスに巻き込まれたのに。
それでも彼は、私に向かって「また月曜」と言ってくれた。
胸の奥が、ぎゅっと温かくなる。
「……うん。気をつけてね、成瀬くん」
私が答えると、成瀬くんは短く頷き、逃げるように階段を駆け下りていった。
パタパタと遠ざかる足音。
それを見送った京也くんは、ふうと小さく息を吐き出すと、私の頭の上にぽんと軽く手を置いた。
「……結衣、悪かった。ちょっと踏み込みすぎたよ」
「え……」
「怒るなよ。反省してるからさ」
いつものようにからかう調子ではなく、本当に申し訳なさそうに眉を下げて苦笑する京也くんに、私は毒気を抜かれて唇を尖らせることしかできなかった。
けれど、そんな静かな時間は一秒も続かなかった。
「……で?」
ヌッと、冬華が身を乗り出してきた。
両目をらんらんと輝かせ、冷めかけたポテトを私の鼻先に突きつけてくる。
「成瀬くんが逃げたところで、本番はここからだからね結衣? 『また月曜』って何!? あの成瀬くんが女子に去り際の挨拶したんだけど!? 二人で何揉めてたのか、吐くまで帰さないからね!!」
「だ、だから席のことでちょっと言い合いになっただけで――!」
「嘘おっしゃい! あんな顔で言い合うわけないでしょ!」
ギャーギャーと追及を再開する冬華と、「まあまあ」と笑いながらポテトを一本横取りする京也くん。
そして頭の奥では、葵ちゃんが心底ホッとしたように息を吐き出していた。
『ふうううう……! お兄ちゃん、無事に脱出できましたね! 危機一髪でした!』
(脱出できたのは成瀬くんだけでしょ! 私のライフはもうゼロよ!!)
冬華の猛尋問に冷や汗を流しながら、私はやけくそ気味にポテトを一本掴み、口へ放り込んだ。
散々な金曜の放課後だ。
けれど、窓の外に広がる夕焼けを見つめながら、私は小さく息を吸い込んだ。
――また、月曜。
その言葉が胸の底に残っているだけで、痛かったはずのみぞおちの奥が、ほんの少しだけ軽くなっていた。




