友達に失恋を嗅ぎつけられていたら、今朝相談した幼馴染まで合流してきた
朝の「おはよう」という一言で、壊れかけた日常は首の皮一枚で繋がった。
けれど、繋がったからといって胃の痛みが消えてなくなるわけではない。
授業中、隣の席からノートをめくる微かな音がするたびに背筋がピリつき、後ろから回ってきたプリントを隣へ手渡す指先が触れそうになるたびに呼吸が止まりかけた。
京也くんの言った「普通にしてりゃいいじゃん」を忠実に守り抜いた結果、六時間目が終わる頃には、私の精神ゲージは完全にゼロを割り込んでいた。
「――結衣、ポテト食べ行こ。奢らないけど」
終礼の号令が終わるや否や、前の席から振り返った秋林冬華が、スクールバッグを肩に担ぎながら私の机を指先でトントンと叩いた。
「ポテト……?」
「そう。駅前のバーガー屋。新発売のチェダーチーズポテト食べないと一週間乗り切れない。はい起立、撤退!」
有無を言わさぬ腕力で手首を引かれ、私は隣の席の成瀬くんを見る暇もなく、教室から連れ出された。
足早に廊下を歩く背中を追いかけながら、頭の奥で葵ちゃんが安堵の息を漏らす。
『ふう……ナイスです冬華先輩! これでお兄ちゃんと二人きりで気まずい放課後を過ごさずに済みましたね!』
(……まあね。今日はもう、これ以上成瀬くんと顔を合わせたら知恵熱が出そうだったし)
駅前のロータリーに面したファストフード店は、金曜の放課後ということもあって、部活帰りの高校生や買い物客でほどよく賑わっていた。
レジカウンターの前を抜け、私たちは通りが見下ろせる二階の四人掛けボックス席を確保した。トレーの上に置かれたのは、湯気を上げる山盛りのポテトと、紙カップのドリンク二つ。
「んー、うまい! やっぱ金曜の放課後は塩分と脂質に限るね」
冬華は長いポテトを器用に口へ放り込むと、向かいの席の私をじっと見つめてきた。猫っぽい形のいい目が、獲物を値踏みするように細められる。
「で? 結衣、今日一日ずーっと変だったけど、何かあった?」
ポテトに伸ばしかけた私の指が、空中でピタリと凍りついた。
『出たぁぁぁ! 冬華先輩の直感センサー!!』
(ちょっ、勘が鋭すぎるでしょ……!)
「べ、別に何もないよ。ちょっと寝不足だっただけ」
「嘘ばっかり。結衣、成瀬くんにプリント回す時、爆弾でも処理するみたいに指先プルプル震えてたじゃん」
「震えてない!」
「あと朝ね。教室入ってきた時、顔真っ白だったし。この前まで成瀬くんと普通に話してたのに、急に余所余所しいっていうか……なんか二人で揉めた?」
ストローをくわえながらジト目を向けてくる冬華に、冷や汗が背中を伝う。
昨日の放課後に告白して振られました、なんて絶対に言えない。
私が必死に言い訳を探して視線を泳がせていた、その時だった。
「あれ、結衣? こんなところで何してんの」
不意に、頭上から聞き覚えのある爽やかな声が降ってきた。
見上げると、トレーにアイスコーヒーと紙袋を乗せた京也くんが、おかしそうに片眉を上げて立っていた。
「あ、京也くん……」
「水城……先輩?」
冬華が目を見張り、ポテトをくわえたまま固まった。
「お、秋林さんも一緒か。ここ、隣空いてる?」
京也くんは屈託のない笑みを浮かべ、私の返事を待たずに、私の隣の席へ滑り込んできた。
向かいの冬華が、一瞬で面白そうな獲物を見つけた顔に切り替わる。
「え、ちょっと待って結衣! 水城先輩とどういう知り合い!? なんで名前呼び!?」
「あ、ええと……昔からの幼馴染で……」
「そうそう。昔からの腐れ縁」
京也くんは楽しそうに吹き出し、アイスコーヒーのストローを鳴らした。
それから、ふと思い出したように私へ視線を寄せてくる。
「で? 朝はどうだったの。ちゃんと普通にできた?」
サラリと落とされたその言葉に、私の心臓が跳ね上がった。
(ばっ……京也くん、何聞いてんの!?)
『ちょっ、水城先輩!? 冬華先輩がいる前で地雷原をタップダンスしないでください!!』
頭の中で葵ちゃんが頭を抱えて絶叫する。
案の定、向かいの席の冬華の目がキラリと光った。
「……はい? 『朝はどうだった』? 『普通にできた』? なんの話ですか水城先輩」
「ん? いや、今朝――」
「な、なんでもない! 今朝、自販機で京也くんに会って、ちょっと相談に乗ってもらっただけ!」
私が必死に手を振って遮ると、冬華はポテトを握りしめたまま身を乗り出してきた。
「相談!? あの結衣が、水城先輩に相談!? え、絶対成瀬くんのことじゃん! やっぱり喧嘩したんでしょ!? 水城先輩、教えてください!」
「えー、俺から言っちゃっていいのかな?」
京也くんがおもしろそうに口角を上げる。完全にからかわれている。
「ダメ! 言ったら絶交するからね!」
「はいはい、分かったよ。結衣が必死だからやめとく」
京也くんが肩をすくめてコーヒーを飲む横で、私はぜいぜいと息を整えた。
もう帰りたい。今すぐこの場から逃げ出したい。
そう思って、すがるように二階の大きな窓の外――通りのロータリーへ視線を逃がした、その瞬間だった。
歩道を、ブレザーのポケットに両手を突っ込んで歩く、見慣れた黒髪の背中が見えた。
少し猫背で、速足で、駅の改札へ向かっていく後ろ姿。
成瀬くんだ。
息が止まった。
病院への面会に向かう途中なのだろう。まっすぐに前を見据えて歩く横顔は、教室にいる時と同じように少し硬い。
(……成瀬くん)
『あ……お兄ちゃんだ』
葵ちゃんも声のトーンを落とし、ぽつりと呟いた。
頼むからそのまま通り過ぎてくれ。私のその切実な祈りは、隣に座る幼馴染の視線によって、一瞬で粉砕された。
「……あいつ、成瀬じゃん」
京也くんが窓の外を見下ろして呟いた。
さっきまでのからかうような調子が消え、声のトーンがわずかに低くなる。
前を向いて足早に歩いていく成瀬くんの姿を、京也くんは何かを測るように、じっと目を細めて見つめていた。
「えっ」
「成瀬くん!?」
冬華が窓に顔を近づけるのとほぼ同時に、京也くんはすっと席を立った。
「ちょっと呼んでくる」
「は!? ちょっ、京也くん、待って――!」




