振られたことを幼馴染に見抜かれたら、気づけば好きな人を全力で庇っていた
「相手、成瀬?」
京也くんのその一言に、全身の血がサッと引いていく感覚がして、私は完全に凍りついた。
なんで。どうして成瀬くんの名前が出てくるの。
私の狼狽を見て、京也くんは確信を深めたように小さく息を吐いた。
「この前の清掃ボランティアの時、二人の空気見てりゃなんとなく分かるよ。結衣、成瀬と話してる時ちょっと違ったし」
そこまで言って、京也くんの瞳の奥に、すっと硬い光が差した。
声のトーンが、一段低くなる。
「……あいつ、結衣のこと振ったわけ?」
京也くんの纏う空気が、わずかに冷たくなった。
「何考えてんだか。……あいつ、結衣に何て言ったの」
『お、お兄ちゃんを悪く言わないでください……!』
頭の奥で、葵ちゃんが噛みつくように叫んだ。
それとほぼ同時に、私の口からも言葉が飛び出していた。
「違っ――!」
渡り廊下を歩いていた他のクラスの生徒がちらりとこちらを振り返ったけれど、気にする余裕すらなかった。
「成瀬くんは悪くないの! あいつが悪いわけじゃないの! 成瀬くんにも……いろいろ、事情があって……!」
成瀬くんの家庭のことや、葵ちゃんが眠っていることは絶対に言えない。
それでも、成瀬くんが悪者みたいに言われるのだけは、どうしても耐えられなかった。
必死になって両手を広げて庇う私を、京也くんは驚いたように見つめていた。
数秒の沈黙のあと。
京也くんはふっと肩の力を抜き、やれやれと首を振って苦笑した。
「……分かったよ。怒るなよ」
「怒ってない……」
「怒ってんじゃん、顔真っ赤にして」
京也くんはそう言って、私の頭の上にぽんと軽く手を置いた。
昔から、私が意地を張った時によくやる仕草だった。
「……そっか。結衣、あいつのこと本当に好きなんだな」
呆れたような、けれどどこか降参したような声だった。
頭の上の温もりが離れていく。京也くんはポケットに手を戻すと、窓の外の青空へ視線を投げ、肩をすくめた。
「別に、今すぐどうにかしなくてもいいんじゃない?」
「え……?」
「隣の席なんだろ。普通にしてりゃいいじゃん」
「普通に……?」
「そう。気まずいからって変に避けたり、焦って何か仕掛けたりすんのが一番めんどくさいだろ。普通にしててさ……それで、まだ好きなら、その時また考えれば」
気のないような、男子高校生らしい雑な言い方だった。
恋愛相談の答えとしては、あまりにもあっさりしている。
けれど、その言葉が、昨日からガチガチに強張っていた胸の奥に、すうっと染み込んでいくのが分かった。
(……まずは、普通にしよう)
頭の中でそう呟くと、みぞおちの痛みが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
キンコンカンコン、と校舎に朝の予鈴が響き渡る。
「ほら、チャイム鳴ったぞ。教室戻りな」
京也くんは私の頭を軽く小突くと、背を向けた。
「じゃあな。あんまり思い詰めんなよ」
「……うん。ありがと、京也くん」
手を振って三階のフロアへ階段を上がっていく京也くんの背中を見送り、私は手の中の緑茶をぎゅっと握り直した。
『……完敗です』
頭の奥から、魂が抜けたような葵ちゃんの声が落ちてきた。
『タコさんウインナーをねじ込む隙すらありませんでした……。普通にしてりゃいい、ですか……。ぐうの音も出ない正論ですね……』
(言ったでしょ。これがリアルの男子の感覚なのよ)
『ううっ……悔しいけど、認めざるを得ません……!』
悔しがる同居人の声を背中に聞きながら、私は二階へ向かって階段を上がった。
一段、一段。昨日、一人で下りた階段を、今度は自分の足で登っていく。
二年二組の教室の前に着いた。
前扉の隙間から中を覗くと、すでにほとんどの生徒が登校し、朝のホームルーム前の騒がしい空気があふれている。
そして――窓際の、私の席の隣。
成瀬くんが、もう座っていた。
スクールバッグを机の横に掛け、制服のブレザーのまま、机の上に広げたノートに視線を落としている。けれどペンを動かすわけでもなく、その背中はどこか硬く、肩に微かな強張りが滲んでいた。
昨日の今日だ。
成瀬くんだって、気まずくないはずがないのだ。
私は小さく深呼吸をして、心の中で唱えた。
――普通にしてりゃいいじゃん。
ガララ、と前扉を開けて教室に入る。
友達と談笑する生徒の間を抜け、自分の席へ歩いていく。歩幅が狭くならないように、普段通りのスピードで。
自分の机の前に立ち、鞄を横のフックに掛けた。
成瀬くんの視線が、机の上のノートに落ちたままぴくりとも動かないのが分かる。
私は椅子を引き、腰を下ろす直前――努めていつも通りの、飾らないトーンで声をかけた。
「……おはよう、成瀬くん」
成瀬くんの肩が、小さく跳ねた。
彼は少し驚いたように顔を上げ、私を見た。
その黒い瞳が揺れて、一瞬だけ言葉を探すように唇が動く。
やがて、彼は小さく息を吐いて、視線をわずかに和らげた。
「……おう。おはよ」
低くて、少し掠れた、いつも通りのぶっきらぼうな声。
たった、それだけ。
昨日の告白が消えてなくなったわけでも、何かが劇的に解決したわけでもない。
気まずさが完全に消え去ったわけでもない。
けれど――壊れなかった。
『……普通でしたね』
頭の奥底で、葵ちゃんがぽつりと呟いた。
私は鞄から一時間目の教科書を取り出しながら、小さく息を吸い込んだ。
(普通でいいのよ、今日は)
机の上に置いたノートを開く。
朝のチャイムが鳴り響く教室の中で、痛かった胃の奥が、ほんの少しだけ軽くなっていた。




