恋愛経験ゼロの義妹が立てた作戦がクソすぎて、私は幼馴染に男心を聞きに行く
翌朝、通学路を歩く私の足取りは、鉛でも詰め込まれたみたいに重かった。
秋の冷たい朝の空気が制服のスカートを揺らすたび、みぞおちのあたりがきゅっと縮み上がる。
痛い。昨日からずっと、胃がシクシクと痛い。
そりゃあそうだ。昨日の放課後に階段の踊り場で告白して、「今は考えられない」と見事に振られたのだ。振られた直後は頭に血が上って「絶対振り向かせてやる」なんて啖呵を切ったけれど、一晩寝て冷静になれば、今日からまた教室で隣の席に座らなきゃいけないという地獄のような現実が待っている。
どんな顔をして教室に入ればいいのか。
そもそも、どの面下げて「おはよう」と言えばいいのか。
頭を抱えて電柱の影を通り過ぎようとした、その時だった。
『結衣先輩! 起きてますか結衣先輩!』
鼓膜の真裏で、信じられないほど前のめりな声が弾けた。
(起きてるわよ。あんたの声で目が覚めない人間がいたら連れてきてほしいわ)
『聞いてください! 昨日は私のせいで大変なことになって本当に申し訳ありませんでした! でも、先輩がお兄ちゃんを諦めないなら、私も全力でバックアップします! 昨夜一晩かけて、私の持てる全オタク知識を総動員した【成瀬総司郎・完全攻略チャート ver.2.0】を構築しました!』
(……もう嫌な予感しかしないんだけど)
頭の中でフンスと鼻息を荒くする気配が伝わってくる。
昨日の今日で責任を感じているのは痛いほど分かる。分かるのだが、この子の知識の出処はいつだって現実ではない。
『名付けてプランA――【押してダメなら引いてみろ! クーデレ擬態作戦】です!』
(クーデレ……?)
『はい! 昨日告白したことによって、お兄ちゃんの中で先輩の好意は確定しました! そこで今日一日、あえてお兄ちゃんを完全無視するんです! 挨拶もスルー、プリントも無言で叩きつけ、冷徹な氷の微笑を浮かべる! するとお兄ちゃんは「あれ……? 昨日あんなこと言ったから嫌われたのか……?」と焦り、先輩のことが気になって仕方なくなるはずです!』
私は歩道を歩きながら、眉間に深い皺を寄せた。
(あんた、自分の兄の性格忘れたの?)
『え?』
(成瀬くんよ? あいつ、私が急に冷たくなったら「そっか、俺のせいで気まずくさせたな」って納得して、余計に殻に閉じこもって誰とも喋らなくなるだけでしょ)
『あ、あり得る……! あのお兄ちゃん、自己完結型コミュ障だから普通に引きこもる……!』
(プランA、即刻却下)
『な、ならばプランB! 【ヒロイン特権・お弁当ゴリ押し作戦】!』
(また食べ物……?)
『昼休み、無言でお兄ちゃんの机の前に立ち塞がり、自分の弁当箱からタコさんウインナーを箸で摘んで、無理やりお兄ちゃんの口にねじ込むんです! 拒絶する暇も与えず胃袋を直接物理攻撃! 全年齢対象ギャルゲならこれで好感度ゲージが爆上がりですよ!』
(ただの暴行事件よ! なんでそんな力技でねじ伏せようとすんのよ!)
『ええええっ、ダメですか!? 古典的名作ラブコメの定石なのに!』
ダメに決まっている。
私はこめかみを押さえ、深いため息をついた。
(……ダメだ。あんたの知識、全部画面の向こう側のやつだわ)
『うぐっ……! 二次元を馬鹿にしないでください! フィクションには人間の英知が詰まってるんですよ!?』
(詰まってても現実の生身の男には通用しないのよ)
呆れ果てながら校門をくぐり、昇降口へ入る。
下駄箱でローファーから上履きに履き替えたものの、二階の教室へ上がる階段を前にして、足がピタリと止まってしまった。
喉がカラカラに渇いている。
教室へ行く前に、何か冷たいものでも飲んで落ち着きたい。私は踵を返し、昇降口の脇にある自動販売機の前へ向かった。
『ならプランCですよ先輩! 購買のパンをくわえて廊下の曲がり角でお兄ちゃんに激突――』
(だから古典派少女漫画から離れなさいって)
財布から百円玉を二枚取り出し、投入口へ滑り込ませる。チャリ、と硬い音が落ちる中、私は並んだペットボトルのボタンをぼんやりと見つめた。
――成瀬くんは、昨日の今日で何を考えているんだろう。
男の人って、告白を断った翌日、相手の女子にどんな顔をして接してほしいものなんだろうか。
二次元の攻略チャートじゃなくて、現実の男心を知りたい。切実に。
そう思った、まさにその時だった。
「結衣? なに朝から自販機の前で突っ立ってんの」
ふいに、頭上から聞き慣れた声が降ってきた。
驚いて振り返ると、ブレザーのポケットに両手を突っ込んだ水城京也くんが、おかしそうに片眉を上げてこちらを見下ろしていた。
癖のないさらりとした髪に、涼しげな目元。朝の光を受けても欠伸ひとつせず、女子生徒から人気があるのも頷ける爽やかさだ。
『ゲッ……水城先輩!』
脳内で葵ちゃんが息を呑んで身構える。
けれど私の頭の中には、まったく別の電球がピカンと点灯していた。
(……いた)
『え?』
(目の前にいたわ。女子にモテて、男心も分かってそうな生身の男子が)
『ちょっ、先輩!? この人に聞く気ですか!?』
私は葵ちゃんの制止を無視して、自販機の緑茶のボタンを押し込んだ。
ガコン、と取り出し口にボトルが落ちる。
「あ、京也くん。おはよう」
「おはよ。……なんかお前、朝から顔色悪くない? 幽霊でも見たみたいな顔してるけど」
「見てないよ。ちょっと寝不足なだけ」
私はしゃがんで緑茶を取り出すと、立ち上がりながら、できるだけ何気ない調子を装って口を開いた。
「ねえ、京也くん。ちょっと時間ある? 聞きたいことがあって」
「ん? いいけど。予鈴までまだあるし」
京也くんは特に怪しむ様子もなく、自販機の近くにある渡り廊下の窓際へ歩いていった。
中庭に面した窓からは、登校してくる生徒たちの賑やかな声が薄く響いている。
私は冷たいペットボトルの結露を親指で撫でながら、必死に頭の中で言葉を選んだ。
絶対に、自分が振られたなんて悟られてはいけない。
「あのさ、京也くん。……ちょっと、男心についての純粋な疑問なんだけど」
「男心? なにそれ、急に」
「いや、友達から相談されてさ。男の人ってどう考えるのかなって気になって」
完璧な導入だ。全人類が使う「友達の話」という名の鉄壁の隠れ蓑。
京也くんは吹き出しそうになりながらも、窓枠に肘を預けて苦笑した。
「友達ね。はいはい。で、どんな相談?」
「ええとね……例えばなんだけど。男の人って、女の子から告白されたとしてさ。『今はそういうの考えられない』って断る時って、どういう心理なのかなって」
「ああー……」
京也くんは視線を斜め上に泳がせ、少しだけ考えるように首を傾げた。
「まあ、当たり障りのない断り文句として使うやつもいるけどさ。『今は』ってわざわざ言うなら、文字通り本当に余裕がないんじゃないの」
「余裕がない……?」
「家のこととか、部活とかさ。自分のことで手一杯で、誰かと付き合ってその相手を大事にするキャパがない時とか。そういう時に告白されても、嬉しいとか以前に『無理だ』ってなるのは普通にあると思うけど」
――あいつがずっと寝てんのに……俺だけ普通にそういうことしてんの、なんか……違う気がして。
昨日の放課後、階段の踊り場で拳を震わせていた成瀬くんの姿が、鮮明に脳裏をよぎった。
喉の奥がきゅっと締まる。当たっている。怖いくらいに、成瀬くんの状況そのままだ。
『うぐっ……!』
頭の奥で、葵ちゃんが呻くような声を漏らした。
『て、的確すぎる……! これがリアルのモテ男子の分析力……! ぐうの音も出ない……!』
(でしょ!? あんたのタコさんウインナーとは説得力が違うのよ!)
私はつい焦って、ペットボトルを両手で握りしめながら身を乗り出してしまった。
「じゃ、じゃあさ! もし本当に相手に余裕がないのが理由だとしたら、告白した側ってどうすればいいの!? 待つべきなの!? それとも、諦めた方がいいの!? 何かできることって――」
「結衣」
低く、けれど静かな声に遮られた。
「え?」
見上げると、京也くんは腕を組み、窓枠から身体を離していた。
さっきまでのからかうような笑みは消え、整った眉をわずかに寄せて、まっすぐに私の目を見つめている。
「……お前、嘘つくの昔から下手くそだよな」
「えっ……」
「目が泳ぎすぎ。その『友達』って、お前のことだろ」
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
しまった、熱くなりすぎた。
「ち、違うってば! 本当に友達の――」
「相手、成瀬?」
「…………っ!」
声すら出なかった。




