告白を断られた直後だけど、脳内の義妹がドン引きするくらい私は諦めが悪かった
冷たい夕方の風が、階段の踊り場の窓から吹き抜けていった。
「……ごめん、白川」
「今は……そういうの、考えられない」
低く落とされた成瀬くんの声が、鼓膜の奥にそのまま張り付いている。
呼吸が浅く止まり、自分の指先からすうっと温度が引いていくのが分かった。
言葉の意味が、少しずつ遅れて頭の中に輪郭を結んでいく。「今は」「考えられない」。嫌いだと言われたわけではない。けれど、受け入れられたわけでもない。
二人とも、何も言わなかった。
上の階から、下校する生徒たちの遠い話し声が微かに反響してくる。
長い沈黙のあと、成瀬くんは握りしめた拳を震わせ、足元の影を見つめたまま、耐えかねたようにぽつりと零した。
「……葵が、あんな状態だから」
途切れ途切れの、掠れた声だった。
「あいつがずっと寝てんのに……俺だけ普通にそういうことしてんの、なんか……違う気がして」
その瞬間、喉の奥まで熱い塊がせり上がった。
――違う。
葵ちゃんは、そんなこと望んでない。
『せめてお兄ちゃんには幸せになってほしい』って。
この頭の中で、泣きそうになりながら言っていたじゃないか。
けれど――言えない。
答えを知っているのに、それを伝えてはいけない。
私はただ、唇を強く噛み締めることしかできなかった。
頭の奥底から、今にも消え入りそうな呟きが、ぽたりと落ちてきた。
『……違うよ、お兄ちゃん』
泣き出しそうな、震える声。
けれどその声は、成瀬くんには届かない。
成瀬くんは、黙り込んだままの私を見て、申し訳なさそうに眉を歪めた。
「……ごめん。悪ぃ」
短くそれだけ言い残すと、成瀬くんは階段を下りていった。
大袈裟に駆け出すでもなく、ただ一段ずつ、重い足取りで影の中へ消えていく。
踊り場には、私一人だけが取り残されていた。
遠くのグラウンドから、運動部の掛け声と乾いたホイッスルの音が風に乗って届いてくる。
成瀬くんの靴音が完全に途切れたあとも、私はしばらく動くことができなかった。
頭の中は、水を打ったように静まり返っていた。
どれくらいそうして立ち尽くしていただろう。
頭の奥から、おずおずとした、頼りない声が降ってきた。
『……結衣先輩』
(……なに)
『……ごめんなさい』
葵ちゃんの声は、消え入りそうに小さかった。
『……私が、急かしたから』
(うん。急かされた)
『……っ』
(でも、走って追いかけたのは私だから)
頭の奥で、葵ちゃんが押し黙った。
何かを必死に堪えるような、静かな気配だけが伝わってくる。
茜色だった夕日は少しずつ沈み、踊り場の壁は薄い紫色の影に覆われ始めていた。
冷たい風が、また一つ吹き抜ける。
ふっと、私の口元から息が漏れた。
(……ふふ)
『……え?』
(ふふふ……)
『ゆ、結衣先輩……? 精神崩壊しちゃいましたか……?』
恐る恐る尋ねてきた葵ちゃんの声に、私は両手で鞄を抱え直し、ぐっと前を向いた。
(絶対、振り向かせてやる)
『え、そっち!?』
頭の真ん中で、葵ちゃんの素っ頓狂な金切声が裏返った。
(そっちよ! 何よ、私がしおしおに泣き崩れるとでも思った?)
『いやだって、今まさに撃沈した直後じゃないですか! 普通のヒロインなら「ううっ、失恋しちゃった……」って膝を抱えて涙に暮れるターンですよ!?』
(撃沈って言わないで! 成瀬くん、「嫌い」とは言ってないもん。「今は考えられない」って言ったの!)
『あ、悪あがきが過ぎる……!』
(悪あがきじゃないわよ! 今は無理なら、考えられるようになるまで待って、その時に一番最初に私のこと好きにさせてやるわよ!)
『せ、先輩……負けず嫌いにも程がありますよ……! 撃破率ゼロどころかマイナス突入ですよ!?』
(マイナスじゃないわ、「判定保留」よ!)
『判定保留ってなんですか! メンタル鋼ですか!?』
ギャアギャアと騒ぎ立てる同居人の声に心の中で勢いよく突っ込みを返しながら、私は踵を返した。
階段を一段ずつ下りていく。
放課後の校舎はすっかり人の気配が薄れ、廊下の蛍光灯が薄暗い床をぽつぽつと照らしていた。
昇降口でローファーに履き替え、校門を出る。
冷たい夕暮れの風が頬を打った。
校舎の影を抜け、駅とは逆の通学路を一人で歩き出すと、さっきまでの威勢のいい熱が、少しずつ静まり返っていく。
アスファルトの上に、自分の影が長く伸びていた。
ぎゅっと握りしめていた鞄の持ち手から、ふっと指の力を抜く。
(……まあ、普通に凹んではいるけどね)
『ですよね!?』
即座に返ってきた葵ちゃんの声に、思わず小さく苦笑いが漏れた。
『びっくりしましたよ! 先輩が鉄のハートを持つバーサーカーになっちゃったのかと思いました!』
(なるわけないでしょ。心臓、さっきからずっと変な音立ててバクバク言ってるし……明日、隣の席に座るのとか、普通に胃が痛いし)
『先輩……』
(……成瀬くんがちゃんと考えられるようになるまで、保留)
『……はい』
夕日が住宅街の屋根の向こうへ落ちていき、空の端が深い藍色へと染まり始めている。
遠くで、電車の走る重いレール音がかすかに響いていた。
制服のポケットに手を入れて、通学路の歩幅を少しだけ緩める。
昼休みの教室。
コンビニのサンドイッチの袋を指先で小さくいじりながら、『俺、もう起きないのかなって思っちまって』と呟いた成瀬くんの横顔が、ふとまぶたの裏をかすめた。
成瀬くんを好きな気持ちは本物だ。
言った言葉に、何ひとつ嘘はなかった。
けれど――
(……でも、今日じゃなくてもよかったのかな)
その疑問だけが、さっきまでとは違う重さで胸のどこかに残った。
まだ、答えは分からない。
私は冷たい風の中を、家へ向かって歩き続けた。




