#07. Zデイから二〇日目 『狙撃手リーパー ゴースト・ターゲット』
昨日に続いて、今日もライフル銃を持って屋上に出た。
私が偶然にここに来て、主を失った『要塞』を勝手に私物化してから今日で、……えっと多分、八日目、だったはず。
うんざりすることに、下を見ると今日もやっぱり、近くの道路をゾンビどもが徘徊しているね。
数えてみると、視界に入るゾンビの数は全部で五匹だ。
ウロウロと歩き回り、かと思うと急に立ち止まる。そして、周囲に視線を動かして、唸り声をあげる。
ヴァアアアアアアウウオゥ…………
明らかに劣化しているものの、どこかに知性の名残のようなものが窺えて、それが余計に気色悪い。
脳みそまで腐っているくせにさ。
そのへんの気持ち悪さは、あの黒い悪魔に似ている。
あいつらはカサカサと動いたかと思うとピタッと止まり、触角を動かして周囲を窺う。
その仕草が妙に知性を感じさせて、それがあの気色悪さに繋がっている。
でもこの考えを人に話しても、あまり同意して貰えないんだけどさ。
「ほんっとに、鬱陶しい……!」
思わず、そう毒づく。あの血の気のない、灰色の崩れかけた顔を見るだけで無性に苛立ってくる。
だってさ、ついこの前、私はゾンビに食い殺されそうになったんだ。そんな経験をしたら、そりゃあ嫌いになるってもんだろう。なんの不思議もない。
ゾンビが怖いし、怖いと思ってしまうことが腹立たしい。
これでも一週間が経ってるから、少しはあのときの恐怖から立ち直ってはきてるんだけどね。
それでもまだ、あのヴァーだかヴォーだかいう唸り声を聞くと鳥肌が立ち、身体に怖気が走る。
軽いトラウマになっているのかも。
とっととあの、無駄に丈夫な声帯まで腐り落ちてしまえばいいのにね。
声帯ってのが腐るものかどうか、知らないけどさ。
昨日はどうしても我慢ができずに、当たりもしないのに、ライフル弾をゾンビに向かって撃っちゃったんだよね(銃弾は虚しく、どこか明後日の方角に飛んでいった)。
だってさ、ゾンビが誰かの死体をむしゃむしゃしてたんだよ。そりゃ撃っちゃうよね?
あのときはとんでもなくでかい音がして、驚いた。銃声ってすごい音が鳴るんだね。
近頃はもう、このあたりにはほとんど人なんかいないはずだ。だって、たまにゾンビが呻いたり、どこかで犬が吠えりする以外には、ほとんど音がしないからね。
それもあって、銃声はよく響いたよ。響きまくったよ。
ヴァアアイイイイイィィアァァ…………
また下から、ゾンビのなんとも言えない呻き声が聞こえてくるね。
腐った声帯から生まれる、腐った声だ。
「あーくそ、鉛玉で吹き飛ばして、ただの腐った肉片に変えてやりたい」
ゾンビは嫌いだ。
臭いし、汚いし、うるさい。
このライフル銃は、私が身を守るための大事な道具だ。
しかし、今のままでは宝の持ち腐れのようなものだ。猫に小判。豚に真珠。
少しくらいは練習しないと、まったく使い物にならない。
「音は気になるけど、でもだからといって使わないって選択肢はないもんね」
小説やマンガで読んだ知識で言うなら、銃声を抑えるためには、消音器とかいうのを銃の先につけるとか、後はクッションのようなものを銃口に押し付けて撃つとか、そんなのがあったけど。
本当にそれが使える方法なのか、私にはさっぱりわからない。
「取りあえずクッションは無理だよね。そんなの銃口に押し付けた状態で狙うとか、無理。ただでさえ当たらないってのにさ」
となると後は、消音器ってやつだけど、武器庫にそんなのなかったと思うんだよね。
「一応、武器庫の中をもう一度探してみたほうがいいかな?」
もしあるなら、試しに使ってみてもいいのかも。あまり期待はできないとしても。
「考えてみれば、銃って火薬を爆発させて、その勢いで弾を飛ばすわけでしょ? そりゃあ、音ぐらいなるよね」
すぐ手元で火薬が爆発するのだ。考えてみればかなり怖いね。
しかも猛スピードで金属の弾を飛ばすだけの衝撃を起こすんだから、結構強い爆発のはずだ。
それをすぐ顔や手の側で起こすのだから、はっきり言って、正気の沙汰じゃない。
「でも今は武器が必要だもんね……仕方ないか」
私はライフルの黒い銃身を、恐る恐る撫でた。
硬くて、冷たい。
そういえば、最近読んだ本の中に、ライフルで標的を狙う、スナイパーが主人公の小説もあったね。
私が自分で買った本ではない。
この『要塞』の前の主である久我健太氏の、本棚の隅に突っ込んであったものだ。
あれのタイトルは、なんだったっけ?
えーと、確か……
小説のタイトルは、……あ、思い出した。そう、『狙撃手リーパー ゴースト・ターゲット』。
主人公は、凄腕のスナイパーという設定なんだよね。
そしてライバルキャラもスナイパーで、主人公の恋人までもがスナイパーだ。
スナイパー同士の銃撃戦に、スナイパー同士のベッドシーン。
というか、主要登場人物はみんなスナイパーだよね?
……この世にスナイパーほどありふれた職業は、他にあるかな?
私は再度、スコープを覗く。視界の中央にある十字線の交点に、ゾンビの腐りかけた顔が映った。
はっきりとはわからないが、目標との距離は恐らく五〇メートルもないと思う。
いい加減な目測だけどね。
「いざというときのために、少しは銃が使えるようになっとかないとね……」
小説の中で、主人公のハーウッドは、八〇〇メートル離れてても目標を撃ち抜いたそうだから、それに比べればなんでもない距離だ。
そんな風に、自分自身を励ましてみる。フィクションが、どれだけ現実を反映しているか、なんてことは考えない。考えたら負けだ。
「このくらいの距離、屁でもない……」
上達するには、練習あるのみだ。
引き金を引くと、銃身が反動で跳ね上がった。「ガアアァァァァン……」と尾を引く銃声が、辺り一帯に響き渡る。
外れ。
銃弾はアスファルトにめり込んだ。
「チェッ」
舌打ちをひとつして、次の準備をする。
小説の中に、スナイパーの心得的なものは書いてなかったっけ?
一言呟けば百発百中になるような、都合の良い魔法の言葉でもあったらいいのにね。切実に、そう思う。
けれど、小説の中にすらそんな便利な呪文は出てこなかった。
スナイパーの心得は、「粘り強くチャンスを待ち、狙いをつけ、目標をスコープの中心に捕らえたら決して銃を動かすことなく、引き金を引く」
……口で言うのは簡単だ。
いくらピタリと静止していようとしたところで、手や指は自然と震えてくるものなのに。
あの小説。『狙撃手リーパー ゴースト・ターゲット』の主人公のハーウッドは、少なくとも物語の前半ではまったく良いところがない。
序盤で敵にしてやられて大怪我をし、その後も利用されたり騙されたり、何度も危機に陥った。
正直、読者目線でいえばあまりに頼りなく見えた。死に神とかいう大層な異名が泣くぞ、と。
それでも辛抱強く、いつか反撃してくれると信じて読み進めると、物語が後半に入るあたりで、どうやら主人公は調子を取り戻したようだった。
そこからは、いかにもアメリカのアクション小説って感じだった。ハリウッド的というか。
主人公はタフな男で、勇気があり、不屈の精神に無限の体力を持っている。
そして悪役は、ドギツイまでに悪人だ。権力はたっぷりあるのに、モラルは欠片もないという、アンバランスな悪人がこれでもかというほどに出てくる。
印象としては、登場人物の六割はドギツイ悪人で、四割は勇敢な善人。そしてその中間の人間は一人もいない。
なんにしろ、ラストまでにはちゃんと、悪人には報いがあったから、文句はないけどね。
さて、私は特にタフでもなんでもない。アメリカのアクション小説にはとても出演できない、普通の人間だ。
それでも私がこのライフルを撃たなければならない。だって、他には誰もいないんだから。
私のスナイパーとしての腕前は酷いものだけど、標的は動きの鈍いゾンビだし、距離もさほど離れていない。
レベル1のスナイパーの標的として、丁度良い難度の相手だ。
あの腐った死体を射撃のターゲットにすることに、特に良心の呵責は感じなかった。
あれも元は生きた人間であり、家族を持つ普通の一般人だったのだから、本来は感じるべきなのかもしれない。
しかし今となっては、人間性の欠片もなく、ウロウロと徘徊しては生きた人間に襲い掛かる怪物でしかないからね。
あのうるさい唸り声を消すためならば、銃弾を撃ち込むくらいなんでもないよ。
さすがに、もし見知った人間がゾンビとなって現れれば、動揺するかもしれないけれどね。
もう一度引き金を絞る。
また外れ。上手くいかないね。どうやら、私にはスナイパーの才能はないみたいだ。
もしくは、レベル1のスナイパーが、レベル2に上がるためには、もっと経験値が必要ということかも。
これ以上銃声を響かせれば、あたりを徘徊するゾンビどもを、ここに集めてしまうことになるかもしれない。それでは逆効果だ。意味がない。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、というわけにはいかないのだ。残念だけどね。
「当たっても外れても、これを最後にしようっと」
そう決めて、慎重に狙いを定めた。
破裂音。ゾンビの眉間に穴が開き、ゆっくりと倒れた。
私はニンマリと笑い、自分のあげた最初の戦果に満足した。




