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終末世界で本を読む  作者: 三山とんぼ
5/15

#05. Zデイから七一日目 『渇きの海』

「す、すごいですね。前も思いましたけど、久我さんって人は、一体なにを考えていたんでしょう?」


つーさんはどうやら、この『要塞』の前の主である久我健太氏の正気に疑義を呈したくなったようだ。

うん。その気持ちは私もよくわかるよ。ってか、私も同感だから。


「まったくだね。慎重なのはわかるし、悪いことじゃないけど、どうにもやり過ぎ感があるんだよね……」


驚いたような、呆れたような表情でそれを見つめるつーさんに、私は少しバツが悪い気分で答える。

もちろん私がやったことではないけど、受け継いだだけの私まで、なんとなく責められたような気分になったよ。


それが地上に出て来るまで一分もかからなかっただろう。

地下からキャリアごと持ち上がって来たのは、一台の自動車だ。結構ごつい車で、確かこういう車のことをSUVと言ったと思う。

車高が高い。見た目からしていかにも頑丈そうだね。


それが地下から持ち上がり、地上に現れて、止まる。

自動車がせり出してきた四角い穴は、自動車を吐き出すとすぐにまた閉じ始める。

一〇秒ほどで地下への穴はすっかり塞がった。

この『要塞』には、少なくとも見えるところには駐車場はひとつもないのだが、実はそれは地下にあった。

そして地下の駐車場には、今目の前にある灰色のSUV以外にも、四台か五台くらいの車が格納されているはずなんだよね。


実際に確かめたわけじゃないけど、指令室にあるPCにはこの『要塞』の備品の目録があってさ、それにはそのくらいの数の車が記されていたからね。


地上の、目につくところに置いておいて、壊されたり盗まれたりしないように、という意図はわかるんだけど、庭の地下にこんなものを作る必要まではあったのか……?

だって、私とつーさんが今住んでいるこの『要塞』は、山の麓から徒歩で十五分くらい登った場所にあるのだ。

山の中腹と言ってもふもとと言っても間違いではなさそうな、微妙な位置で、人家だってあまりない。

そこまで防犯に気を使う必要はないと思うんだよね。

コストと効果が釣り合っていないように思えるんだけど……まぁいいや。私のお金じゃないし、利用させて貰ってるだけの私が文句を言うなんて筋違いだしね。


「よし、じゃあ行こっか、つーさん。さあ、乗った乗った」

「はい、わかりました」


助手席につーさんを乗せて、私は運転席に座る。

シートの位置を調節し、リクライニングの角度を直し、……それからえっと、シートベルトを、いやその前にミラーの向きを変えないと――


「栞子さん、もしかしてペーパードライバーだったりしますか?」

「……うっ、やっぱわかる?」

「はい。なんか一個一個、手順を確認している感じですもん」

「でも、完全なペーパードライバーってわけじゃないよ。一時期、姉の車を運転していたからそれなりに経験はある。ただ、あまり上手くないし、半年のブランクがあるから、ちょっと忘れているだけ」

「それは、良い情報なんでしょうか?」


首を傾げるつーさんに、私は自信を持って頷いた。


「多分ね! 少なくとも、免許を取ってから一度も運転していないとかいうよりはずっとマシなはずだよ」

「それは比較対象としてどうでしょう?」


あーだこーだとうるさいなぁ!

まぁいい。私の運転を実際に見れば、彼女だって私を見直すに決まっているのだ。


「じゃ、しゅっぱーっつ!」

「わっ、待って待って! 栞子さん、ストップ!」

「なに? 出鼻をくじかないで欲しいんだけど!」


意気揚々と発進しようとした途端に止められた私は、くーさんに文句を言う。


「栞子さん、文句を言う前にあれを見てください。門を開けないと出発できませんよ」


つーさんが指差すほうを見ると、しっかりと閉まった鉄の門がある。


「……」


わかってる。今開けるところだったの! そう強がりを言いたくなったけど、やっぱり止めておくことにした。

だってつーさんは勘が良いからね。

どうせ嘘をついても見透かされて、二重に恥をかくに決まってる。


その代わりに一度コホンと咳払いをして、リモコンを操作する。すると、ゆっくりと門が開いていく。

完全に開くのを待ってから、私はもう一度、「それじゃ、しゅっぱーつ!」と掛け声を発した。


「そこからやり直すんですね」

「聞こえなーい!」

「はいはい」


そろりとアクセルを踏むと、灰色のSUVもまた、そろりと動き出して門を通り抜けた。

門は放っておいても、少しすると自動で閉まるはずだけど、その間にゾンビが入ったりすると嫌だから、ちゃんと戸締りをしたよ。



          ◇◆◇◆◇◆◇



「今日は栞子さんの家に行くんですよね?」


落ち着いて尋ねてくるつーさんだけど、視線は素早く、あちこちに向けられている。

久し振りの外出の機会に、辺りの様子を確かめているんだろうね。

具体的にはもちろん、ゾンビがどのくらい生息しているか、だ。


普段、このあたりにはそれほどゾンビは見かけない。今日だって、立って動いているゾンビはまだ、一匹だけしか見ていない。

ただ、路傍には人型のなにかが横たわっていたりはするんだよね。

それが、死体なのかゾンビなのかはイマイチよくわからない。

死体だと思って横を通り過ぎようとしたら、ガバッと起き上ってきてガブリとか、……やだやだ、考えたくもない。


でも実際問題、死体よりも放置自動車のほうが目立つ。

道路を半分塞いでいたりするから、危なくてとてもスピードは出せない。例え私が、若葉マークじゃなかったとしてもね。

幸い、完全に道路を塞がれて通れないってことは、今のところないけれど。


「そうだよ。家に行って、まだ中が運よく荒らされてなければ、家の物を回収して来ようと思ってさ」

「なるほど。確か栞子さんの家ってここから結構近かったですよね?」

「うん。近いよ」


なにしろ、『要塞』があるのは丹歌山にかやまの山道を少し登ったところで、私の家はその麓近くにあるアパートだ。

歩いても三〇分もかからない。


「つーさんはどのへん?」

「私の家はここからちょっと離れてますね。行こうとしたら、バスと電車を乗り継いで二時間以上かかります」


そしてつーさんは住所を教えてくれたが、確かにここからはかなり離れている。

同じ県内ではあっても、割と端と端ってイメージだね。


私は、姉以外に家族っていないし、その姉も今は海外だから連絡がつかないのは仕方ないと諦めてるんだけど、つーさんはどうなんだろう?

家にはきっと家族がいるよね? でも今まで、つーさんが家に帰りたいとか言うのを聞いたことがないんだよね。


「つーさんはうちに来るまで、一人でゾンビから逃げ回ってたって言ってたよね?」

「はい。五日間くらい一人でしたね」

「すごっ! 五日もかー。私なら絶対ゾンビにムシャムシャされてるよ」


なんで五日間も一人だったのか、とか訊いちゃっていいものかな?

気にはなるけどさ、なにせ今はこういう状況だから、下手したらすっごく重い話になっちゃいそうなんだよね。


(……私、そういうの苦手なんだよね)


もし家族になにかあったとしたら、つーさんを傷つけずに上手く話を聞き出すなんて、難し過ぎるよ。

そして今の状況では、そういうことがあってもなんの不思議もない。


だからあまり踏み込んだ話はできないんだけど、ただ、こうして接していても、あまりつーさんに暗いところはないんだよね。

私の気にし過ぎならいいんだけど。


「適当に逃げたり隠れたりしながらですねー。それで山のほうならゾンビ少ないかなって思ってこっちに来たんですが、その途中でゾンビがたくさん集まってきちゃって」

「あー、どうりで。つーさん、囲まれてたもんね」

「あのときはお世話になりました。栞子さんのおかげで死なずに済みました」

「いえいえ、どういたしまして……って、言ってるうちに、私んもうすぐそこだよ」


私は、少し先の細い路地を指差した。

そこの路地に入って、左側にあるアパートが、私が住んでいた家だ。

ただ、その前には青い車が、路地の入口を塞ぐようにして停まっている。


「これじゃあアパートの前までは行けそうもないね。仕方ないから、ここに車はとめて、歩いて行こうか。どうせすぐそこだし」

「わかりました。じゃあ行きましょうか。ゾンビがどこかにいるかもしれないんで、用心だけはしっかりしてくださいね」

「うん、わかってる」


一応私も、『要塞』を出るにあたって護身のために拳銃を持ってはきてる。

でもこんな武器があっても、咄嗟に使える気がしないんだよね。だって、慣れていないからね。

急にゾンビが出たら、私はパニックになって逃げ出しちゃいそうだ。そんな気がする。


「あまり緊張しすぎないでくださいね。用心は必要ですけど、たくさんのゾンビに囲まれたりしない限りは大丈夫ですから。今は体力も満タンですし、私がこの刀で栞子さんを守ります」


そう言ってつーさんは膝の上に置いてある愛刀の鞘をポンと叩く。


「うん、つーさんのことはマジで頼りにしてる」

「はい、こういうときは遠慮なく頼ってください!」


道路の脇に寄せて車を停める。

脇に下げたホルスターから、拳銃を抜き取った。

こんなものを私が手にしたところで、役に立つかどうかは怪しいけれど、ないよりはあったほうがいい。

主に精神面の安定のために。


とはいえ、事実として自分の持つ拳銃よりも、つーさんが手にしている刀のほうがずっと役に立つし、安心感がある。

なんたってつーさんは、侍JKだからね!


アパートの周りは、思ったよりも荒れてはいない。

ただ、さすがにエレベーターは使えないようだ。そりゃそうだよね。


「階段はどこですか?」

「こっち。裏にあるんだよ」


アパートの裏にある外階段のドアは、壊れてはいなかったが、鍵は開いていた。

オートロックがかからないように、ドアが完全に閉まらないように石が挟んであった。


「この状態になってるってことは、きっともう、中には誰もいないんだろうね」

「人がいたら、ゾンビを警戒してドアをちゃんと、閉めておきそうですよね」

「うん」

「でも、人はいなくてもゾンビならいるかもしれないですから、注意してくださいね」

「あ、そっか。そうだね」

「私が先に行きます。栞子さんの部屋は何階ですか?」

「それが七階でさ。ゴメン、上るの大変だよね」

「私はそのくらい問題ありませんよ。栞子さんのほうが心配なんですけど、大丈夫ですか?」

「……正直、荷物を持って何度も往復することを考えたらうつる」


確かに、私とつーさんじゃ、体力が大違いだもんね。剣術をずっとやっていたつーさんは、完全にアスリート。一方、私は本ばかり読んでいるインドア派だ。

それに、停車位置もアパートから少し離れた所だしね。これは、終わる頃にはきっとへとへとになるだろう。

外れようのない予測に、今から既に疲れた気分になって私は深くため息をついた。



          ◇◆◇◆◇◆◇



階段を慎重に上って、四階に着いたときだ。

先に進んでいたつーさんが、私のほうを振り向いて、口の前で人差し指を立てて見せた。

私は息をのんで、小さく頷いた。

どうやら、中になにかがいるらしい。私はなにも感じなかったけど、多分つーさんには気配かなにかを感じたんだろうね。

部屋の中にゾンビがいたとしても、階段を上り下りする分には今のところ問題はない。けれど、それは確かに不安要素ではある。

だからつーさんは、素通りせずにきっちり安全を確保するつもりらしい。


つーさんは鞘から刀を抜いて、右手に持ち、左手でドアの取っ手に手をかける。


(これって、私がドアを開けたほうがいいよね? そうすればつーさんは両手が使えるし)


「ドアは私が開けようか?」と声をかけようとしたけど、その前に無造作につーさんはドアを開けてしまった。

ずかずかと中に入っていくつーさんの後を、私も少し離れて恐る恐るついて行ったけど、実際のところ、つーさんには私の心配なんかまったく必要なかった。

なにせ、その部屋に私が入ったときには既にもう事は終わっていたからね。


抜身の刀を持って立っているつーさんの足元には、ゾンビが二体、転がっていたよ。

そしてゾンビの首からは、どす黒いタールのような血が零れ落ちていた。

どうやら、ゾンビに呻き声一つ立てさせずに一刀で斬り殺したみたいだね。

既に死体であるゾンビに対して、「殺す」という表現が正しいのかどうかは知らないけどさ。


つーさんは特に緊張した様子もなく、平然とした顔で立っている。

実際つーさんにとっては、この程度はなんでもないことなんだろうね。


(さすがつーさん、頼りになるなぁ)


私がそのゾンビの、鮮やかな刀傷を恐々覗き込むと、つーさんがハッとしたような顔をする。


「……あっ! そういえばここは栞子さんが住んでいたアパートですよね? なにも考えずに斬っちゃいましたけど、もしかして、知り合いでしたか?」

「ん? ああ、いや。違うよ。多分、顔くらいは見たことあるんだろうけど、覚えてない」


それに、知り合いだったとしてもどっちみちもうゾンビだったわけだしね。他にどうしようもない。

私がかぶりを振ると、つーさんは安心した様子で、言う。


「そうですか。良かったです……なら、行きましょう。この階はもう他に誰もいないようですから」

「うん、そうだね」



          ◇◆◇◆◇◆◇



幸い、七階にある私の部屋も特に荒らされた様子はなかったよ。

二ヶ月前に、私が部屋を出たときそのままの状態だ。


それはいいんだけど、カーペットの上を土足で歩くと、違和感がすごいね。

最初私は、玄関でいつも通りに靴を脱ごうとしたんだけど、つーさんに止められたのだ。


「栞子さん、靴はなにかあったときのために履いておいてください」


そう言われれば、確かにその通りだと納得するしかない。だけど、やはり自分の部屋を土足で歩き回るのは変な感じがする。


「つーさん、悪いけどダンボールに本を詰めるのを手伝ってくれる?」

「わかりました」


一通り安全を確認し終えてからつーさんに頼むと、すぐに頷いてくれた。

つーさんは優しいよね。


「いや、つーさんが来てくれて良かったよ。一人だと本当に大変だった」

「ですよね? だから言ったんです。私も一緒に行ったほうがいいって」


最初一人で用事を済ませるつもりだった私に、つーさんはそう言ってついて来てくれたのだ。

一人でも大丈夫だと思ったんだけど、全然違った。完全に彼女のほうが正しかった。


だからつーさんがここでドヤ顔をするのは、当然の権利だね。つーか、可愛い。


「はいはい、私が間違えてました……私は服とかを先に片付けるから、つーさんは本をお願い。大量にあるから大変だと思うけど。こっちが終わったら私も一緒にやるから」

「了解です。でも、本当に本がたくさんありますね。これって、適当にどんどん詰めていけばいいんですか?」

「うん。ただ、つめすぎると重過ぎて持てないかもしれないから、ほどほどにね」

「はい」


それからしばらくの間、二人とも作業に集中した。

『要塞』に持って行きたい荷物を詰め終わるまで、一時間半ほどかかった。

まだここに引っ越してきてからさほど時間が経っていなかったせいで、段ボール箱がまだ捨てずに残っていたのが幸運だった。

さもなければ、先にスーパーかどこかに行って、ダンボール箱を回収する必要があっただろう。


私は買い置きしてあったジュースを開けて、コップに注いでつーさんに手渡した。


「お疲れ様。つーさんのおかげで助かったよ」

「どういたしまして。役に立てたなら良かったです」

「役に立ったよ。すっごくね」


ゾンビだって、あっさり倒してくれたしね。

私一人なら、絶対につーさんのようにはできなかった。

というか、実は私のほうがつーさんの足手纏いになってたよね。


私は壁に寄りかかりつつ、ジュースを一口飲む。

疲れた身体に甘いジュースが染み込んでいく。これで冷えていれば完璧だけど、さすがに贅沢だよね。

そのとき偶然目に入った、段ボールの中の本を一冊、私は手に取る。


アーサー・C・クラークの『渇きの海』だ。

ああ、これね。面白いと聞いて買ったはいいけど、しばらくの間読まずに積んでいた本だ。

誰かから借りるとか、もしくは図書館で借りるとかした本はすぐに読むのに、買った本はこうして、しばらく読まないことがあるんだよね。特にSFだとその傾向が強い。

SFは決して嫌いじゃない。むしろ好きなんだけど、いざ読むとなるとどうしても敷居が高くなるんだよね。


この本を読んだのは、多分買ってから数年してからのことだ。

確か、少し遠くに行く用事があったときに、電車の中で読む用に持っていって、移動中に読了した。


難しいと思い込んで敬遠していたのが嘘のように、いざ読んでみればとっても読みやすかったよ。


「ねぇ、つーさん」

「はい?」

「つーさんは、この本読んだことある?」


私は『渇きの海』の表紙を、つーさんに見せた。


「えっと、『渇きの海』……いえ、読んだことないですね」

「なら貸してあげるから、後で読んでみなよ」

「面白いんですか?」

「うん、超面白い」

「へー、栞子さんのお墨付きですか。なら、読まないわけにはいきませんね。少し時間がかかるかもしれませんが、いいですか?」

「別にいいよ。どれだけかかっても大丈夫」


手渡すと、つーさんはそれを自分のリュックの中に大事そうに収めた。


「どんな小説なんですか? アーサー・C・クラークなんだから、SFなのはもちろんわかるんですが」

「うーんとね、簡単に言うと、月に観光船があるんだよ。それが事故を起こして、乗客を救出しなくちゃいけなくなるっていう話」

「あ、それ聞いただけでも面白そうですね。普段あまりSFは読まないんですけど、ちょっと楽しみになりました」

「うん、これすごい面白いよ。別に小難しい感じのSFじゃないし」


「宇宙船が故障して乗員を救助するって、『アポロ13』みたいですね」というつーさんに、私は「うーん、宇宙船とは少し違う気がするけど、……でも月の上を走る船も宇宙船でいいのかな?」と首を捻った。


「月の地上を走るんですか? それって船じゃなくて車ですよね?」

「それが、船なんだよね。えっと、船と言っても、水の上を走るわけじゃないんだよ」

「月に水はないですもんね」

「うん。でも、渇きの海とか呼ばれている場所はある、らしいよ? この本によると、それは細かいちりが溜まった海なんだよ」

「その上を船が走るんですか?」

「そう。それが観光船」

「そして、事故を起こす、と」


原因は、月の地下にたまっていたガスで、そのせいで地震が起こった。そんな設定だったはずだ。

月の観光船は、塵の海の中に沈没してしまったのだ。

塵の海は船を飲み込んでもほとんど事故の痕跡を残さず、したがって救助は遅れ、乗客は困難を強いられる……


熱の問題とか、酸素の問題とか、次々に起こる問題にひとつひとつ対処して、なんとか乗客を助けようとする。

読みやすいライトなSFで、途中で手を止めて、これはどういう意味かと悩むようなこともなかった。


最初から最後まで、ほぼ悪人らしい悪人もいなかったしね。

素直に、みんな助かって欲しいと思えるところも良かった。


悪人が混じっていたら、「こいつだけは死んでいい」とか思っちゃうもんね。


これがスパイ小説なら、乗客に悪人がいて、それを追う工作員がいて、事故も当然人災で……って感じになりそうだ。

そういう小説も、私は嫌いじゃないけどね。


「ところで栞子さん、このディック・フランシスって人の小説、たくさんありますけど、好きなんですか?」

「うん、好き」


緑色の背表紙の本を取り出して見せるつーさんに、私は頷いて答えた。


「それも良ければ読んでみてよ。面白いよ」

「えっと。なんか、表紙の絵が馬ばっかりですね?」

「そう。作者が元競馬の騎手で、本の内容も、いつも馬が関わってくるんだよ」

「ジャンル的には、どんな感じですか?」

「うーん。犯罪を扱ったものばかりだけど、ミステリでいいのかな、これも。密室トリックとか、そういうのはないけど」

「なるほど。クライムサスペンス的なやつですね」

「あ、うん。そうかも」

「これだけ大量にあると、しばらくは読む本に困らなそうですね」

「でしょ? 好きに読んでいいからね」

「はい、ありがとうございます」


まだ読んでいない、面白そうな本が大量にある。これ以上の幸せはないよね!


それから私とつーさんは、本を全部と、衣類、それにノートパソコンなんかを回収して、何度もアパートと車を往復した。

全て終わったときには、私は疲れ切っていた。ちなみに、つーさんは平気な顔していた。くそう、JKめ。若いっていいよなぁ!


「栞子さんは少し運動不足だと思いますよ。私と一緒に運動しませんか? せっかくトレーニングルームとか、体育館とかもあるんですから」


車を発進させると、助手席からつーさんがそんなことを言ってくる。


「えー、やる気がしない……本を読んでるほうがいい」

「そんなんじゃ、ゾンビに追っかけられたら逃げ切れませんよ?」

「いいよ。外に出ないから」

「そんなこと言って、栞子さんは読む本がなくなったら絶対外に探しに行くじゃないですか」

「た、確かに! 行かないとは言えないっ!」


というか、絶対行くと思う。本がないのだけは、多分私は我慢できない。

そうじゃなくても、近くの市民図書館にいつ本を回収に行こうかと、ずっと考えているくらいだ。


丹歌山の麓に着くと、車はすぐに山道に入る。つづら折りのヘアピンカーブを四回曲がれば、『要塞』に着く。


近所には、まばらに民家がある以外は、どこかの企業の研修施設とか、水道局の、どういう目的で建てられたのかよくわからない建物なんかがあるだけだ。

案外大きな建物があるのは、多分、山の中は地価が安いとかで、建てやすいんだろうね。


そして、それらの施設に負けないくらいに、私の『要塞』もでかい。

まだあそこが我が家だとまでは思えないけど、でもあそこには確かに安心・・がある。


こうして車で走っていても、早くあの塀の中に入りたいって思うもんね。


木漏れ日で斑になったアスファルトの上を、灰色のSUVがゆっくりと走っている。

他に動いている車は一台もない。車の中に、セミの合唱が入り込んでくる。木々の間から、親子連れの鹿が、こちらを見ていた。


「……今日の夕食、なににしよっか?」

「もしかして、栞子さん、鹿を見てお腹が減ったんですか?」

「…………鹿って、美味しいのかな?」

「知りません……肉には少し癖があるって聞いたことがありますけど」


知りませんと言いつつ、ちゃんと答えてくれるつーさん、可愛い。


灰色ののっぺりとした味も素っ気もない建物が、見えてくる。

見た目は地味な、イマイチ用途のわからない施設だけど、中は長期間の籠城を考えて作られた、文字通りの『要塞』だ。


「お家に帰ってくると、ホッとしますね」

「……うん、そうだね」


無垢な顔でニッコリ笑うつーさんに、私もつられて笑顔になった。


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