#04. Zデイから五日目 『正しい魔女のつくりかた』
いったい世界はどうなってしまんだろう?
日常が壊れたのはたった五日前のことだ。ってことは、一週間も経ってないんだよ。
それなのに、世界はそれまでとはまったく別のものに変わってしまった。
どうやら世界を作り変えるのには、その程度の期間で十分らしい。びっくりだね。
――――グゥアアアァァァァ…………
外からは、人間の悲鳴とも、動物の鳴き声ともつかぬ異様な声が、アパートの七階にあるこの部屋にまで聞こえてくる。
もし窓を開けて下を見れば、きっと地獄絵図のような光景が目に入るんだ。そうに決まってる。
嫌な現実からは目を背けてテレビをつけたのに、そこにもまた異常な光景が映っていた。
繁華街の中。
車が数台を巻き込んで事故を起こしている。
レポーター(身だしなみを整える余裕もなかったらしく、髪があっちこっちに跳ねている)が、今目の前で起こった事故について興奮気味にまくし立てている。
「たった今、目の前で人が、……人が乗用車に撥ねられました! 避けようとした乗用車はさらに他の車を巻き込んで、ああ、今火が……も、燃えています!」
轟音、悲鳴、そして真っ赤な炎。
けれど、本当に異様な光景は、まだこれからだった。
最初に乗用車に撥ねられた男のもとに、何人かの通行人が駆け寄る。感心にも、怪我人を救助しようとして。
だけど、助け起こそうとした相手の首筋に、さっきまで倒れていた男が噛みついた。恩知らずにも。
血が恐ろしい勢いで吹き出し、やがて頸椎が折れる音がして、哀れな犠牲者の目から光が消える。
私はそんな光景を、目を逸らすことも忘れて、ジッとただ見つめていた。
ゾンビは次に犠牲者の腹に食らいつき、臓器を貪り始める。
待って待って。これって放送事故じゃないの?
そして死んだはずの犠牲者は、腸を喰われながらも動き出す。
誰もが知っている通り、ゾンビが怖いのは、犠牲者もまたゾンビになるところだ。
「う、うわあああ!」
「ぎゃああ! 誰か、誰か助けてくれ!」
「で、出やがった! こいつ、ゾンビだぁ!」
たちまちパニックは伝染し、野次馬たちが散り散りに逃げ出す。
その過程で、ぶつかり合い、突き飛ばし、踏みつけ合いながら。
「…………! ………………! ……!!」
やがてプロ根性で必死に叫んでいたレポーターとカメラマンも群衆に飲まれ、カメラが地面に落ち、そこで映像は止まる。
「ひ、酷いね……」
テレビのチャンネルをあちこちに変えてみるが、どの局も似たようなものだった。
放送自体が止まってしまっている放送局もある。
「!!」
いきなり玄関のドアの向こうから、なにか大きな物音が聞こえてきて、私は震え上がった。まるで背筋に氷塊を差し込まれたみたいに。
そっと立ち上がり、物音がしないように忍び足で玄関のドアに近づいた。
ドアレンズから外を覗くと、隣の部屋の住人が、大きな荷物を持って出て行くところだった。
どこかに避難するつもりなのだろう。
……羨ましいね。避難する場所のある人は。
私なんか、家族は姉しかいないし、その姉は海外にいて、連絡もつかないときた。
ここを出ても、どこにも行く当てなんかない。
私はノロノロとした足取りで部屋の中に戻り、ベッドに倒れ込んだ。
外界のノイズを全てシャットアウトしてしまいたい。
現実逃避こそが今、私にもっとも必要なことだ。
耳栓代わりに布切れを耳に詰め、布団を頭から被り、聞きたくない音を物理的に遮断する。
偶然に、読みかけの本に手が触れる。
子供の頃に姉に買って貰った、アンナ・デイルの、『正しい魔女のつくりかた』という児童書だ。
昨夜から、少しでも気分を明るくしたくて途中まで読み直した、ファンタジー小説。
現実逃避には丁度良い。
本に没頭してしまえば、ゾンビのことなんか気にならなくなるはずだ。きっと。
震える手で、ページをめくった。
◇◆◇◆◇◆◇
小説の主人公は、ごく普通の少年、ジョーだ。
ひょんなことから魔女と知り合うことになり、その魔女の世界を揺るがす大事件に巻き込まれる。
とはいえ、読んでいてあまり深刻な印象は受けない。
妹が攫われたり、父親が行方不明になったり、ジョーは結構大変な目に遭うんだけど。
ジョー少年は、知り合った魔女の少女、トゥイギーと共に事件の解決に駆け回るのだけど、あまり大活躍という感じでもないよね。
恋愛っぽい要素も、あんまりない。
児童書だけに、読者として考えている年齢は結構低めだよね。
私としては、主人公にはもう少し活躍して欲しかったけど。
でもジョーは、性格も能力も、本当に特別なところのない、普通の少年なんだよね。
あと、一巻完結の話にしては、登場人物が多い。
ちょっと多過ぎないかな? と思ってしまうほど。
だって、ネズミとか猫なんかも含めたら、登場するキャラは二〇を超えるもんね。
とにかく、伏線がきれいに回収されて、最後にはハッピーエンドになってくれるのが、この小説の良いところだ。
大団円って感じで、安心して読める。
子供の頃、一緒に読んだ姉は案の定、「ちょっと子供っぽ過ぎるかなぁ」と言っていたが、私は面白かったのだから、問題ない。
姉的にはやっぱり、もう少しアクションシーンなんかで盛り上げて欲しかったようだ。
いやいや、これは児童書ですから。
◇◆◇◆◇◆◇
本を読み終えると、忘れていた空腹を思い出した。
嫌々ベッドから身体を起こして、キッチンに行く。動きたくなくても、生きている以上は食べなくてはならない。
買い置きの即席麺に沸かしたお湯を注いだ。
こうしてガスが使えるのは、後どのくらいの間だろうね?
食料自体も、節約してもせいぜい一週間ってところだ。
そうなれば、嫌でも外に出て、なんとかして食糧を手に入れなければ、餓死しちゃう。
それまでにこのゾンビ騒ぎが収まってくれればいいんだけど、多分望み薄だろうなぁ。
なにしろ、状況はどう見てもどんどん酷くなる一方だから。
それがわかっているのなら、こうして現実逃避してないで、今の内に動くべきだと思うよね? 私だってそう思う。
……なのに、それができないんだ。
ギリギリまで動かなければ、それだけ後できつくなる。
そんなことは百も承知だけど、それでもどうしても、外になんか出たくない。
多分私は、食料がなくなり、どうしようもなくなるまできっとこの部屋から出ないだろう。
追い詰められ、外に出るか餓死するか二つに一つとなるまで、現実逃避を続ける。
愚かなのはわかってるけどね。
でも、それが私だ。
やりたくないことは、とことん避ける。そういう性格なのだ。
「多分、私はあまり長くは生きられないよねー」
外に出た途端、ゾンビに食い殺される。そんな未来がありありと思い浮かぶ。
でも、それをどうにかしようとは、あまり思わないんだよね。
それよりも、死ぬまでの短い間だけでも、本でも読んで楽しく過ごしたい。そのほうが自分らしい気がする。
「明日はどの本を読もうかな? いや、それよりも映画のほうがいいかな? いつ電気が止まるかわからないし、映画を見れるのなんて今の内だけだよね」
しかし、残念ながらあまりお気楽な映画は、持っていなかった気がするんだよなぁ。
私って結構、映画はホラーとかサスペンスとかをよく見るからね。
ああそういえば、ジブリのアニメくらいならあったっけ?
今でも外からは、争っている物音や、怒鳴り声、悲鳴などが断続的に聞こえてくる。
それらを意識から無理矢理追い出すことで、全力で現実から目を背けた。




