#21. Zデイから十六日目 『森の奥へ』
――『要塞』での生活。今日で四日目。
空は曇天模様。私の心象をそのまま写し取ったように、灰色の雲に覆われている。
本降りにはなっていないけど、時折ポツポツと、細かい滴が降ってくる。
私は今、『要塞』の屋上にいる。
なにか特別な理由があって、出てきたわけではないけどね。
ただなんとなく、一日一回はこうして、屋上から外に出るってだけだ。
いくらひきこもり上等の私だって、たまには日光を浴びたくなるもんね。今日は曇りだけどさ。
午前十一時。
ついさっき、朝食と昼食を合わせた食事を摂った。
といっても、単に軍隊食みたいな固形携帯食を食べただけなんだけどね。
肉や魚、野菜なんかもたくさん、冷凍庫の中にあるけれど、一番備蓄のあるのは、この携帯食なんだよね。
この手の食糧は倉庫に大量にあった。
それこそ、食べ尽くすには百年以上もかかるのではないかって思えるくらいにさ。
そりゃまぁ、その気になれば、もっと豪華な食事だってできるけどね。
例えば、子牛のステーキをメインとした豪華な料理と、赤ワインで優雅にディナー、みたいな?
料理は自分でやらなきゃだけど、少なくとも食材は十分にあるからね。
ただ、できるとしてもやる気になるかどうかはまた別問題。
今のところは、食事にそこまで手間をかける気には、あまりならないんだよね――
「そういや、あそこの家、どうなったかな……」
私は屋上から、一軒の民家に目を向けた。
もうこのあたりの家は、ほとんどが空き家状態だ。
昨日も、近くの家からある家族が、ピックアップトラックに大量の荷物を積み込んでどこかに去って行ったよ。
どこに向かったのかはわからないけれどね。
なんにしろ、あまりこの山の中に留まろうという人はいないんだろう。不便だからね。
けれど唯一、その家にだけはまだ、住人がいるみたいなんだよね。
その証拠に、青い瓦屋根のその家からは、昨夜もまだ、カーテンの隙間から明かりが漏れていた。
そんなのはその家だけだから、最後に残ったそのご近所さんのことが、私はなんとなく気になってる。
なんとか、頑張って生き延びて欲しいね。
もちろん簡単じゃないだろうけどさ。
だってまだ外には、ゾンビがフラフラと徘徊しているからね。
それにこの山の中じゃ、近くに食料を回収できそうな店もない。ここは結構、住むには条件が厳しいとは思う。
このあたりに数十体ほどいる、邪魔なゾンビを全部片付けてしまえば、むしろ条件は良くなる気もするんだけどね。
だってスーパーなんかにある缶詰とかの食料も、いずれはなくなってしまうもんね。持続可能じゃない。
その点山の中なら、食料は山菜が採れるし、肉が欲しければ鹿なんかの野生動物を狩ればいい。畑を作って作物を育ててもいい。
そう考えると、もしかしたら街中よりも、ここのほうが長く生存できるかもしれない。
ただそれにはある程度、協力する人間の数も必要だし、道具や知識も要る。
過疎化の進んだ現状では、やっぱり無理っぽいかな?
「あ、誰か出てきた」
私はみつからないように身を低くして、様子をうかがう。
青い瓦屋根の家から出てきたのは、四〇歳前後の男だ。
男はしきりに首を振って周囲を見回しながら、忍び足で歩いている。
多分食料かなにかを探しに出たんだろうけど、車を使うつもりはないみたいだね。ってことは、多分近所の民家で家探しでもするつもりなんだろう。
案の定、男は隣の家の窓を割り、そこから中に侵入していく。
「危ないことしてるなぁ……ゾンビがいるかもしれないってのにさ。でも他にどうしようもないのか……」
食料がないと生きていけないからね。
切羽詰まれば、ある程度危険には目をつぶるしかないんだろう。
それから十分ほどして。
男が玄関からドアを開けて出てくるが、腕を押さえている。着ていたシャツは裂けて、その下から血が流れていた。
男は後ろを気にしながら走って逃げる。するとその男を追って、家から一体のゾンビが出てきた。
どうやら、家の中にいたゾンビに襲われたらしい。
「ああ、やっぱりか……言わんこっちゃない……」
男が自宅に戻り、「おい、開けてくれ!」怒鳴りながらドアを叩くと、すぐにドアは開く。
家の中から中年女性が顔を出し、男を中に迎え入れた。多分、夫婦なんだろうね。
……取りあえずはゾンビから逃げられたようだけど、
「あれはまずいよねぇ……」
悲惨な結末しか思い浮かばずに、私は憂鬱な気分になる。
さっきの男性がゾンビに噛まれていたとしたら……
家の中にゾンビを招き入れたようなものだ。
◇◆◇◆◇◆◇
それから雨脚が強くなったので、私は一度、『要塞』の中に戻った。
午後はしばらくの間、落ち着かない気分のまま、ベッドに寝ころんで本を読んでたんだけど。
やがてまた、ゾンビの騒ぐ声が聞こえてくる。
ヴァオオオアアアァ……
ウァァァアアアアアオオオオォォ……
グォォオオアアアア……
「ああ、畜生……またゾンビの合唱が始まりやがった……」
普段は勝手気ままに呻くだけのゾンビたちだけど、たまにこうして、お互いが呼応するように叫び始めるときがある。
こうなるともう、うるさくてたまらない。
まるで頭のおかしい音楽家が、壊れた楽器で交響曲を演奏しているようだ。
不快指数がうなぎのぼり。
「くっそ……!」
私は毛布を頭から被り、ベッドの上に蹲った。
耳を押さえて、ひたすら騒音が止むのを待った。
だが今日に限って全然ゾンビどもの合唱は収まる様子がない。
一時間もすると、私の忍耐はすぐに限界を突破した。あんまり忍耐強いほうじゃないのだ、私は。
ここ数日、ゾンビ騒音を我慢してきたせいで、鬱憤がたまっているしね。
「栞子さんを本気で怒らせたらどうなるか……腐れゾンビどもめ、思い知らせてやるからな……!」
私は駆け出した。
目指すは、指令室だ。
同じフロアにある指令室に駆け込むと、コンソールを操作する。
指令室にある管理用クライアントPCの中には、この『要塞』に確保されている物資の目録や、その使い方を解説する書類などのデータが大量にある。
私は備品のリストの中から、まず武器の項目を探した。
大量にある武器の中から、ライフルをピックアップし、その説明書を読んだ。
扱いやすそうなのは……ティッカT3xとかっていうやつかな?
「えっと、ぼるとあくしょん? とかいうので、性能も、割と良さそう?」
なにより、軽いのが良い。私の体格だと、あまりごつい銃は扱えそうもないからね。
さらに、使用法を解説した動画もじっくり見て、これならなんとか使えそうだという感触を得た。
ちゃんと目標に当てるのはきっと難しいんだろうけど、単に構えて撃つだけならば、銃というのは別段難しいことはないみたいだね。
一言で言うならば、弾を込め、銃口を目標に向けて引き金を引くだけでいいみたい。基本的には。
「……うん、いいじゃないか。これなら私でもなんとかなりそう」
数年前、『森の奥へ』という小説を読んだ。
ベンジャミン・パーシーというアメリカ人の作家が書いた本だ。
主人公のジャスティンは高校教師で、息子が一人いる。
あるとき、ジャスティンの父であるポールと、ジャスティン、それにジャスティンの息子のグレアムが共に、森に狩猟キャンプに行くのである。
祖父、父、息子の三世代の男たちは、ライフルを担ぎ、獲物を探して森に入る。
「グレアムは十二歳なのに、普通にライフルを撃ってたもんね」
「男らしさ」について古臭い考えを持っている祖父からライフルを与えられたグレアムは、大喜びで何度も引き金を引いた。
銃の才能があったグレアムは、鹿も撃ったし、熊にも命中させた。
「小学生の男の子にできるんなら、私にできないはずがないもんね」
私は二階にある武器、弾薬庫の中から目的のライフルと、マガジン、それに弾丸を探し出した。
ライフルを肩にかけ、弾丸を箱ごと手に持って、私はエレベーターに乗った。
「あの小説は面白かったんだけどさ、やたらと糞だとか勃起だとか、その他セックスに関連した言葉が出て来て、そこはどうかと思ったよね」
例えば鹿を撃つときに、「勃起に似た感覚」を覚えたとか書いてあっても、それがどういうものか、私にはわからない。
これは、例えば「生理のときのような痛み」と言っても、男性には理解できないのと同じことだ。
作者は、自分の小説を女性が読むことを、まったく考慮しなかったに違いない。
あの本は面白かったし、読みやすかったけど、小学生の読書感想文の課題図書に選ばれることはないと断言できるね。
だって教育に悪いもんね。
ほんの十秒足らずで屋上に着くはずなのに、気持ちが急いて、なんだか今日に限ってエレベーターが遅いような気がした。
ドアが開くのももどかしく、私は屋上に駆け出した。
既に雨は止んでいる。屋上にはいくつか、小さな水溜りができていた。
その水を跳ね飛ばしながら柵のところまで走り、地上を見下ろす。
すぐに、それが目に入った。
あの青い瓦屋根の家。その玄関のドアが開け放たれている。
そしてドアから数メートル先。そこに、倒れた女性がいて、五、六体のゾンビがその倒れた女性に喰らいついているのだ。
――しかも、だ。
「さっきの中年男性もいるじゃん……」
それも、ゾンビに喰われているのではない。男性は他のゾンビと共に、女性に喰らいついている側なのである。
「ああ、もう……!」
予想できたことではあるけど。それにしても悲惨だ。
やはりあの男性は、ゾンビに噛まれていて、自分もゾンビになってしまったのだ。
ヴァオオオアアアァ……
ウァァァアアアアアオオオオォォ……
グォォオオアアアア……
ゾンビの合唱は、久し振りの新鮮な獲物にありつけた、喜びの声だったらしいね。
「ほんっとうに、悍ましいったら……!」
私はぎりっと歯軋りして、ライフルにマガジン叩きつけるように装着した。
ボルトハンドルを跳ね上げ、一番後ろまで一気に引く。
それからもう一度、素早く前に押し込む。
ガチャッと音がして、これで弾が薬室に押し込まれたはずだ。
銃床を肩にのせ、頬と左手で銃をホールドする。
スコープを覗いて、狙いをつけた。
このときの私は、初めて強力な武器を手にして、結構ハイになってたんだよね。
だから興奮に任せて、引き金を、容赦なく引いた。
ガオオオオオオオォォォン…………!!
その瞬間、ゾンビの唸り声すら圧倒する銃声が、響き渡る。
発射の反動で、私の身体が後ろにドンッと押された。
「ヒッ」
私は首を竦めた。
そのあまりにでかい銃声は、どうやら血が昇っていた私の頭を、冷却する効果があったようだ。
私は屋上の、コンクリートの地面に身体を伏せた。
まるで悪戯を先生にみつかりそうになった、中学生のように、決まりの悪い気分で身を隠した。
あたりをキョロキョロ見回しても、私を叱りに来る先生なんていないってのにね。
ちなみに私が初めて撃った銃弾は、どこかおかしな方向に飛んでったみたいだよ。
少なくともゾンビに命中したりはしなかった。
そして、結局その日私がライフルを撃ったのは、その一発だけだった。
ってか、あの轟音を聞いてから、それでも次弾を撃つ勇気なんて、私にはなかった。
……いや、だってアレはちょっとビビるよ。
なんとなく情けない思いをしながら、私はすごすごと『要塞』の中に退却したのである。




