#22. Zデイから一〇四日目 『交渉人・籠城』《前編》
※あまりに長くなったので二つに分けました。
『交渉人・籠城』は、『交渉人』『交渉人・爆弾魔』に続く、交渉人シリーズの三作目である。
そして、二日前に私とつーさんが図書館から回収した本の中の、一冊でもある。
なぜか図書館に一作目と二作目がなくて、三作目の『交渉人・籠城』だけがあったんだよね。
つーさんからは、「一巻、二巻が無くて、三巻だけ図書館が収蔵するってことがあるんでしょうか?」と訊かれたけど、多分、これは特に不思議ではない。
「絶対にないってこともないかも。例えば、一巻、二巻は、近くの他の図書館にならあるとかさ」
近くの図書館とは連携してるから、本を相互にやり取りできる仕組みが、あるはずだ。
「だから例えば、利用者から三巻を入れてくれって言われたら、一、二巻はわざわざ買わずに、三巻だけ所蔵することがあるかも」
「ああ、なるほど。そういうこともあるんですね」
「いや、ただの私の想像だよ。本当のところはわからないから……それに、この場合は多分そういうのでもなくて、単に一巻と二巻が貸し出し中だったんだと思うよ」
一巻と二巻は貸し出し中で、三巻だけ残ってたってだけ。その可能性が一番高いよね。
まぁ理由はともかく、私は昨日、一、二巻を読まずに、いきなりシリーズの三巻目を読んだのだ。ないものは仕方ないからね。
でも、シリーズとはいえ、一巻ごとにそれぞれ別の話だから、特に問題はなかったよ。
前作の知識がなくても、普通に読めた。
話は、喫茶店の店長が、自分の店に来た客をナイフで脅し、監禁したことから始まる。
そして犯人の店長は、わざわざ自分から警察に電話して、その事実を告げるのである。
そこからは、交渉人相手に様々なやり取りが始まるんだけどね。
――まさかそんな本を読んだ翌日に、私自身が似たような状況に出くわすとは、夢にも思わなかったよ。
◇◆◇◆◇◆◇
「今回は何事もなくて良かったですね」
「本当にね」
今日は二回目の、本を狙った図書館への襲撃日だ。
まぁ、図書館は無人だったんだけどね。
首尾よく前回よりも多い数の本を手に入れて、私とつーさんは今、トラックを運転して帰途についたところだ。
大量の金品を強奪した、幸運な盗賊みたいな気分だね。
あ、みたいじゃなくて、そのものだったか。
「でもやっぱり、ダンボール箱がもっと欲しいね。十分な数のダンボールがあれば、もっと効率的に本を回収できるもんね」
「そうですね……なら、『要塞』に帰る前についでにどこかに寄って、ダンボール箱も回収しておきましょうか?」
こちらを見て、「どうせまた、これから何度も図書館に本を回収に行くんですよね?」と尋ねてくるつーさんに、私は「もちろん」と答えた。
本がまだそこにある限り、私は何度でも取りに行く覚悟だよ。
さらに言えば、図書館だけじゃなく、書店にも行きたい。
「ダンボールを回収するのに、良さそうな店が近くにあるかい?」
「ちょっと待ってください……」
つーさんは地図を見て、近くにある手ごろな店の場所を調べた。
「……近くに大きめのスーパーがありますよ。ダンボールもあるでしょうし、ついでに食料も手に入るかもしれません」
「そりゃいいね。じゃあ、案内よろしく」
「了解です」
◇◆◇◆◇◆◇
そのスーパーは街の中心部から少し外れた位置にあり、広い店舗と、それ以上にやたらと広い駐車場を持っていた。
「駐車場が結構酷いことになってますね」
「うん」
つーさんの言う通りだった。
広い駐車場には、一〇〇台近くの車があったんだけどね。それがまるで、子供がミニカーで遊んだ後、そのまま放置したような有様になっている。
あちこちで車同士が衝突したままになっているし、燃えて焦げたような車もいくつもある。
無事な車はほとんどなくて、大体はウィンドウが割られ、ボディーは大きく凹んでいる。
中には完全にひっくり返り、空に底を向けて転がっているような車すらある。
「ゾンビが現れて、店のお客さんがパニックになって逃げだした、とかかなぁ」
そして慌てて発車しようとした車同士が激突したとか、そんな感じだろうか。けどそれにしても、車の数が多過ぎる気がするけどね。
「わかりませんけど、この分だと食料にはあまり期待できないかもしれませんね」
「そうかもしれないけど、だとしてもダンボールくらいはあるでしょ、きっと」
一番の目的はダンボールだからね。食料はついでだ。
あれば嬉しいけど、なければ困るというほどではない。
私の運転するトラックは、ゆっくりと放置された車の間を縫うようにして進む。
スーパーの入り口に近づいたとき、それが見えた。
「……なにあれ?」
「ゾンビ、みたいですけど……なんであんなところに繋がれているんでしょう?」
「さあ……?」
意味の分からない光景だった。
店の入り口のドアは閉ざされ、その取っ手の部分には鎖が絡まっている。
そしてその鎖の先には、ゾンビが繋がれているのだ。
ゾンビは四体。まるで犬のように、入り口の前を、首輪に繋がれた鎖の許す範囲で、行ったり来たりしている。
「わざわざ誰かが、ゾンビを連れて来て繋いだんだろうね」
他に考えようがない。
問題は、なんためにそんなことをしたのか、だ。
「……なんか嫌な予感がするね」
「私もです。じゃあ、ここでダンボールの回収するのは、諦めますか?」
「多分、そのほうがいいね」
せっかくここまで来たけどね。『君子危うきに近寄らず』だ。
関係ないけど、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』とも言うんだから、諺なんかいい加減なもんだよね。なんの指針にもならないよ。
私が後ろを振り返り、車をバックさせようとしたとき、どこからか車のエンジン音が聞こえてきた。
「栞子さん、ストップ!」
「わかってる」
つーさんに言われるまでもなく、私はブレーキを踏み直して停車させ、ついでにエンジンも止めた。
お尻の位置を前にずらし、身を低くしてフロントガラスから見えないように隠れる。
「……初めてだね。『要塞』の外で他の誰かに遭遇するのは」
「まだ、ここに向かって来ているとは…………いえ、やっぱりここに向かって来てますね。音が近づいています」
「弱ったね。相手がどういう人間かわからない内は、あまりみつかりたくはないんだけど」
「それならまずは、動かずに様子を見ましょうか」
「うん、そうしようか」
しばらく動かずに、ジッと待っていると、二台の車が駐車場に入ってくる。
二台ともが、見分けがつかないくらいそっくりの白いワンボックスカーだ。
車は店の正面すぐ前まできて停まる。
すぐに中からぞろぞろと人が下りてきた。
幸い、私たちがここにいることには気づかれなかったようだ。
「一、二、三、四、……全部で八人ですか」
全体的に若い男女だ。
上は三〇代くらい。下はまだ中学生にしか見えない者もいる。
「それでも、栞子さんよりは年上に見えますけど」
「いやいや! さすがにそれは冗談だろぉ? いくらなんでも中学生より下に見えるってことはないはずだし!」
「……」
「……冗談だよね?」
「あ、入り口のゾンビを倒すことにしたみたいですよ」
「……」
つーさんが、私の肩を叩いてゾンビを指差した。
それで誤魔化せたと思うなよ?
一人の男が金属バッドを手にゾンビに近づく。
気づいたゾンビが歯をむき出しにして男に掴みかかろうとするけど、鎖に阻まれて足踏みする。
男が、バッドを振りかぶった。
私は、グシャッとか、ビシャッみたいな、腐肉の潰れる嫌な音が響くのを予期して身体を縮め、耳を塞いだ。
……けれど、その必要はなかった。
なぜなら、新たな闖入者の乗る、バイクの音のほうがよほど大きかったからね。
エンジン音に掻き消されて、ゾンビの潰れる音なんか聞こえなかったよ。
「栞子さん、また別のお客様のようですよ」
「……このスーパーは、随分と繁盛してるみたいだね」
突然現れた一〇台以上ものバイクが、次々に駐車場に入ってくる。
それを見て慌て出したのが、最初にやって来たグループの八人だ。
一人が車に戻ろうと促すが、他の者たちは迷っているのか、動きが鈍い。……それに、どっちにしろもう遅かった。
やって来たバイカーたちは、最初のグループの乗ってきた白いワンボックスカーを囲むようにバイクを停める。
逃がさないという意思表示だろうね。
「なんか、ヤバい雰囲気になってきたね」
「こんな世の中でも、人間同士で争うんでしょうか?」
理解できないとでもいうように、つーさんは小さく首を振った。
◇◆◇◆◇◆◇
「てめぇら、ここでなにしてやがる? ここは俺たちの縄張りだぜ」
バイカーたちの中から一人が、進み出て言った。黒い革ジャンの下に、やはり黒いタンクトップを着ている。
口調は汚いが、案外声色は落ち着いている。
「……我々には食料が必要なんだ」
最初にここに来たグループの中から、一番年上らしい男が、答えて言う。
「そりゃそうだろうさ。人間には食料が必要だ。なけりゃ、生きちゃいけねぇ。そうだよな?」
最後の言葉は、仲間に対して言った言葉だった。
革ジャンの男の言葉に、仲間たちがゲラゲラと笑って「そうだ、その通りだ!」と囃し立てる。
「だが、腹が減ったからって人の食糧を奪うのはまずいよな? だってそれじゃあ、強盗だ!」
男が言うと、なにがおかしいのか仲間たちが爆笑する。
「なにがアンタたちの物だ! 縄張りだとかなんとか、アンタらが勝手に言い張ってるだけだろうが! そんなもの誰も認めてねぇ!」
「杏奈!」
「だって、誠司さん。こいつらが……!」
「いいから、お前は下がってるんだ」
中学生か、せいぜい高校生の少女が、我慢できずに口を挟み、それを誠司と呼ばれた年上の男が制止した。
「はっ、認めるとか認めねぇとか関係ねぇ。ここは俺たちが、中にいたゾンビどもを片づけて、安全な倉庫として使えるようにしたんだ。それを後から来たよそ者に荒らされたんじゃたまらねぇ。そうだろうが?」
皮ジャンの男は、あくまでここが自分たちのものだと譲らないようだね。
まぁ彼の言うとおり、本当に彼らが中を掃除したのなら、そう主張したくなるのも、まったく理解できないわけじゃないけどさ。
「……ってことは、あのバイカーたちが、店の入り口にゾンビを繋いだ犯人みたいですね」
私と同じように、隠れながらこっそり様子を窺っているつーさんが、私に耳打ちした。
「らしいねぇ。ああやって他の人が入れないようにして、中の物資を独り占めしているみたいだね」
別に珍しくはない。縄張り意識の強い野生動物のようなものだ。カバとかね。
違いといえば、カバが糞を撒き散らして縄張りを主張するのに対して、彼らはゾンビを使うってだけだ。
どちらのやり方がより汚いかは、微妙なところだ。
「……つーさん、腹が立っても、出て行っちゃダメだからね」
「わかってます。ちゃんとおとなしくしてますよ」
つーさんはそう言うけどね。
いざとなったら飛び出して行っちゃいそうなんだよね、つーさんは。正義感が強いからさ。
心配だから、私はつーさんの手を握っておくことにした。
つーさんは私が握った手を見て、ちょっとだけ困ったみたいに苦笑いをしたけど、特になにも言わずに握り返してくれたよ。
そして対立する二つのグループはというと。
誠司と呼ばれていた男性が、どうやら決定的な対立は避けると決断を下したようだった。
「……わかった。なら俺たちはこのまま立ち去る。それでいいな?」
「誠司さん! なんでこんなやつらの言うことを聞かなくちゃならないんだ!?」
「杏奈!」
「だって……」
不貞腐れる杏奈という少女を制して、「バイクをどけてくれ。でなきゃ、ここを離れることもできない」と交渉するが、バイカーの男は「それじゃダメだ」と言って嗤った。
「お前らが殺しちまったゾンビな。アレをここに繋ぐのには苦労したんだぜ。その落とし前はつけて貰わないとな」
「知るかよ! ゾンビなんか入り口に繋ぎやがって! お前らのすることは、なにからなにまで迷惑なんだよ!」
黒の革ジャン男に詰め寄ろうとする、杏奈って子は、勇気があると思う。
けどさ、もう少し冷静になる必要があるよね。
……あ、ホラね。やっぱり捕まった。
革ジャンの男は、杏奈の腕を掴んで引き寄せた。
「キャッ、な、なにしやがる、放しやがれ!」
「お断りだ。お前らが殺しちまったゾンビの代わりだ。こいつを貰うことにするぜ。クククッ。口は生意気だが、よく見たらなかなか可愛い面してやがるじゃねぇか。後で味見をしてやるからなぁ! 楽しみにしとけよ?」
そう言って少女の頬を、舌で下から上へと舐め上げた。
うわぁ……まるで絵に描いたような悪役だね、アレ。
ステレオタイプってやつ。悪代官かな?
没個性なんだけど、そういうのに限って、自分では個性的な人間だと思ってんだよね。
「杏奈を放して!」
そう叫んで飛び出したのは、杏奈って子と同じくらいの年頃の少女だ。やっぱり中学生か、それともギリギリ高校生、くらい?
多分、友達なんだろうね。
「はっ、いいところなんだから邪魔すんじゃねぇよ!」
必死に杏奈という少女に向かって手を伸ばすけど、それが届く前に革ジャンの男に払い除けられて、さらに胸を突き飛ばされた。
「渚沙!」
杏奈が、悲鳴をあげる。
渚沙と呼ばれた少女は、突き飛ばされた勢いで、ゾンビのいるほうに向かって倒れ込む。
ヴァアアアアア!
ゾンビの腕が、少女の背中に伸びる。
「キャアア!」
血しぶきが舞った。
少女は背中を、ゾンビの爪で引っかかれたようだった。
「このぉっ!」
誠司っていう男性が、仲間を助けようと、ゾンビを金属バットで殴り倒す。
「あー、またやっちまいやがったな。これで、こいつ一人じゃ落とし前には足りなくなったぜ?」
バイカーたちはニヤニヤ笑いながら、物色するように獲物を見やる。
「渚沙、渚沙!」
男の腕の中で、泣きながら杏奈という少女がもがく。
友人に向かって必死に手を伸ばすが、男の腕からは逃れられない。
「栞子さん……!」
今にも飛び出していきたそうな様子で、つーさんが私を見た。
「……やっぱり助けに行きたいの?」
「だってあれはいくらなんでも、やり過ぎですよ。ただの食糧を巡っての小競り合いならともかく、女の子を人質に取ったり、ゾンビに向かって突き飛ばしたり……」
まぁ、やり過ぎだってのは、私も同感だけどね。
「中学生くらいの女の子が、あいつらに連れて行かれても、栞子さんはいいんですか?」
少し不貞腐れたような表情で、つーさんが訊いてくる。
これで、「私は別に気にしない」なんて答えたら、きっとつーさんに軽蔑されちゃうんだろうな。
「……はぁ、わかったよ」
なんとなく、こうなるような予感はしてたんだよね。
私は諦めのため息をついた。




