#02. Zデイから九〇日目 『殺人方程式 切断された死体の問題』
「つーさん、暑い」
私はすぐ隣で寝転がっているつーさんに文句を言った。
ベッドはこんなに広いんだから、なにもこんなに近くで寝る必要はないじゃんね?
でもつーさんは、まるで聞こえていないかのように、スルーする。
……おいこら、急に耳でも遠くなったのか?
「こぉら、つーさん! 暑いってばぁ!」
こんな真夏にピッタリとひっつかれたら、体温が伝わって暑いに決まってる。
「仕方ないじゃないですか、栞子さん。こうしないと、本が読めませんよ」
言いながら、なおもつーさんは私にくっついて、私が読んでいる本を横から覗き込んでくる。
「なにも私が読んでいる本を一緒に読まなくてもいいだろ! 別の本を読めよぉ!」
「嫌です。私もその本が読みたいんです」
絶対嘘だ!
どうせつーさんは、なんとなく私にじゃれつきたい気分になっただけだ。
普段きりっと凛々しいつーさんなのに、なぜか時々こうして甘えてくるんだよね。
つーさんがこうなるのは大抵、夜、寝る前に私が本を読んでいるときだ。
私が本にばかり集中しているのがつまらないらしく、こうして構ってくれーって、寄ってくる。
気紛れなところはまるで猫だ。
メスネコつーさんだ。
俯せになって本を読んでいる私の横に、つーさんがピッタリとくっついている。
手とか足があちこち触れていて、その肌と肌が触れ合ったところから体温が伝わってくる。つーか、滅茶苦茶暑い!
「暑いなら、エアコンをつけましょうよ。たまにはいいでしょう?」
そんなことを言ってくる。
いや、ただつーさんが離れてくれればいいだけなんですけど!?
ジトッとした目で睨んでも、つーさんはどこ吹く風でニコニコしてる。
「……もー! 今日だけだからね! 電気がもったいないのに!」
文句を言いながら、エアコンのスイッチを入れる。
節約のために、いくら暑くても我慢しているのにさあ!
「どれだけ節約しても、こんな世の中ですから、なにが原因で使えなくなるかわからないですよ。それなら使えるうちに使ったほうがいいかもしれませんし?」
「確かにそれも一理あるけどさぁ!」
電気がどうして今使えているのかすら、私はわかっていない。このあたりの他の建物では全部停電しているのに、なぜかここだけは電気が普通に使えるのだ。
しかも、別に自家発電機がこの『要塞』の中にあるわけでもない。
地下に専用の電線が通っていて、どこかの発電機(多分、水車とか風車とかだ)に繋がっているのではないかというのが、私の予想だ。
とにかく、仕組みがわからないから、いざなにか設備が故障でもしたら、直しようがない。一巻の終わりだ。
そしてそれは、いつ起こってもおかしくないし、いつかは必ず起こる。
だからつーさんが言うように、使えるうちに使っておかないと損だという意見にも、確かに一理はあるのだ。
だが。だからといって、夏に自ら暑くなるようなことをしてエアコンを使うのは、なにか違うと思うんだけど!?
贅沢が過ぎる!
まぁ、もうエアコンつけちゃったから、これ以上は言わないけどね。
つーさんは、エアコンから来る涼しい風を受けて、気持ちよさそうに目を細めている。
その表情を見たら、まぁいいかと思ってしまうんだから、私もつーさんには甘い。
「この本って、ミステリですよね?」
つーさんが、私の読んでいる本を指差して訊いてくる。
「うん、よくわかったね」
「そりゃあ、バラバラ殺人事件が起きてますからね」
ただ私にくっついていたいだけで、小説はただの口実かと思ったら、一応つーさんはちゃんと小説も読んではいたようだ。
今読んでいるのは、綾辻行人の、『殺人方程式 切断された死体の問題』というミステリ小説だ。
綾辻行人の本では、『十角館の殺人』など今までにも何冊かは読んだことはある。これが多分、四冊目か五冊目くらいだ。
でも、彼の書いた小説を読むのは随分と久し振りだ。
「これも、元からここの本棚にあった本ですか?」
つーさんのその質問に、私は首を横に振る。
「いや、違うよ。これは、人から食料と交換で貰った本だよ」
「ええ? 誰からですか?」
「金村比奈って人だけど、つーさんは会ったことないよ」
彼女がここに来たのは、つーさんが来る前だ。
しかも、来たのはその一回きりで、以後は一度も顔を見せていないから、つーさんは彼女のことを知らないはずだ。
「えーと、その金村って人は、どうしてこんな山の中に来たんでしょう?」
「それはつーさんと同じ理由だよ。ゾンビに追っかけられて逃げて来たの」
「やっぱりそうなんですね。それで、栞子さんが助けたと」
「うーん」
別に助けたと言えるようなことはしてないんだよね。私がしたことといえば、ただ門を開けて、彼女を一時的にゾンビから避難させてあげただけだ。
……でも一応、彼女を追いかけて来たゾンビは銃でやっつけたか。
「それでまぁ、多少食料を提供して、代わりに向こうは、たまたま持っていた本をくれたと、そういうこと」
「なるほど。物々交換で手に入れた本だったんですね」
「そうだね。私は本が欲しかったし、向こうは食料が必要だったから、ウィンウィンの良い取引だったよ」
「その人はしばらくここに滞在していたんですか?」
「いいや。金村さんはすぐに出て行っちゃったんだ。家族とか、友達が心配だから行かないと、って言ってさ」
多分、彼女がここにいたのは、ほんの数時間くらいの間だ。
その間に私は、ゾンビをライフルで片付けて、彼女はそれに感謝して去って行った。
今彼女がどうしているかはわからないけど、できれば元気にしていて欲しいものだ。
◇◆◇◆◇◆◇
「ばっかもーん! そいつがルパンだ!」
「な、なんですか、急に?」
つーさんと仲良く寝転がって一冊の本を読書中。突然叫んだ私に、当然だけどつーさんが驚いて抗議する。
「ゴメンゴメン。いやついね、主人公が犯人を前にしているのに、全然気づいていないからさ……」
私はえへへと、笑って誤魔化した。
「ええ? この人が犯人なんですか? まだ小説の半分も読んでないのに、もう犯人がわかったんです?」
「うん、間違いないね! 名探偵、栞子さんの推理では、この人が犯人だよ!」
「えー、本当かなぁ?」
いかにも疑わしげに、つーさんは眉をひそめる。
失敬な。
『要塞』の寝室。
既に陽は落ちている。
薄暗いスタンドライトの明かりの下で、私とつーさんは、ベッドの上に並んで寝転がり、一冊のミステリを読んでいるのだ。
本を読むことが嫌いではないにしても、特に好きでもないつーさんは、普段あまり読書をしない。
それなのに就寝前、ベッドの上で私が本を読んでいるときだけは、こうして私の読む本を覗きこんでくる。
今日読んでいる本は推理小説で、犯人がわかった私は思わず声をあげたのだ。だがそれをつーさんはあまり信用してくれない。
「絶対だって! 信じろよお!」
「だって、栞子さん犯人当てるの下手だって自分でこの前言ってましたよ?」
「それは確かにそうなんだけど。でも今回は自信があるんだってば!」
「じゃあ、どんなトリックで殺したんですか?」
「それはわからない!」
「えー? なんだかなぁ。トリックがわからないのに犯人はわかるって、それはただの勘じゃないですか」
「勘のなにが悪いか!?」
「悪いかって…………じゃあ、賭けませんか? その人が犯人かどうかで」
「いいぜ! 絶対に私が勝つからさあ!」
「じゃあ、負けたほうがひとつ、勝ったほうの言うことを聞くってことで。いいですね?」
「ふふん。そっちのほうこそ、負けても泣くなよ!」
「いえいえ。栞子さんのほうこそ、覚悟してください」
私たちは、ウフフ、アハハと不敵に笑い合う。
確かに私の推理は見当違いのことが多いけど、今回ばかりは自信がある。後で吠え面かかせてやるからな! 覚悟しろ!
◇◆◇◆◇◆◇
――賭けの結果が出たのは、それから二時間後だ。
結論を言えば、賭けの勝者はこの私! ……ではなかった。
「わっかんねぇよ! こんなトリック、わかるはずなくない、ねぇ!」
「いやあ、見事に外れましたね、栞子さん……クスッ」
「……クスッじゃないから! こんな結末、一ミリも考えなかったわ!」
「随分自信あったみたいなのに、やっぱり外れてましたね。ご愁傷様です」
「っかーっ! ない、ないわー! 納得できないーっ!」
「負けは負けですよ。潔く認めましょうよ」
したり顔のつーさんを、私はギロリと睨んだ。
「つーさんだって、絶対予想できてなかったでしょ!?」
「そうですけど。でも賭けは、栞子さんの予想が当たってるかどうかですから」
「……っ、…………っっ!」
あまりに悔しくて、握り拳を固めてベッドに振り下ろす。
だけど、ぽすっ、ぽすっと、頼りない音が鳴るだけだった。
「畜生! 畜生っ!」
「さて、じゃあ栞子さんにはなにをやって貰いましょうかね?」
人の悪い笑みを浮かべるつーさん。
小悪魔かっ!
「あ、そうだ。プール掃除をお願いします。最近暑いし、せっかくプールがあるんだから、入りたかったんですよ」
「……ま、まさかあのでかいプールを、私一人で掃除しろと?」
「はい、お願いしますね」
「お、鬼! さすがにそれはないよ! あれは一人で掃除できる広さじゃないから!」
「負けたのは栞子さんですよね? 負けたら、なんでもひとつ、言うことを聞く約束ですよ?」
「で、でも、いくらなんでも……」
「往生際が悪いですよ?」
「……!」
私は拳を握り、ベッドに振り下ろす。
ぽすっ、ぽすっと、情けない音が鳴る。
「くそうっ、くそうっ!」
「そろそろ寝ましょう。電気消しますね」
一気に暗くなった寝室に、ぽすっ、ぽすっという音だけがいつまでも響いていた。




