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終末世界で本を読む  作者: 三山とんぼ
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#01. Zデイから八二日目 『獄門島』

七月の空は青く、どこかのっぺりと平坦に見えた。

あまり奥行きが感じられなくて、まるで書き割りの空のようだ。

遠くには三角形の積雲が、書き割りの青をバックにプカリプカリと呑気そうに浮いている。


気持ちの良い陽気だ。

私は寝っ転がりながら、背をらせて伸びをした。


「ん、んんーっ」


暑いことは暑いけど、空気が乾燥しているおかげで随分と過ごしやすい。

ひとつ問題があるとすれば、下から聞こえてくる「ヴァァアアアァァ」とか、「ヴォォオオォ」だとかいう唸り声だけど、まぁ文句を言っても仕方がないよね。

このご時世では、なにもかもが完璧なのを望むのは、贅沢ぜいたくというものだから。


今の私はとっても寛容な気分だから、見逃してあげることにしよう。

――とは言ってもそれは今だけのこと。気が変われば、私の残虐な人差し指が(ハードボイルド調)やつらに引導を渡すことになるんだけど。


私は、読んでいた文庫本の、丁度真ん中あたりに運転免許証を挟んだ。

運転免許証には私の顔写真と、『雨森栞子あめもりしおりこ』という名前がプリントされている。

もう使うこともないこの薄い長方形のカードを、私は栞代わりに使っているのである。


世の中がこんな風になるまでは、私はこの免許証は必ず持ち歩き、なにかあればすぐに出せるようにしてあった。

なぜかというと、私が童顔の上に、背も低いからだ。

そのせいで、十九歳の大学生だというのに、よく中学生に間違えられた。

……いや、見栄を張るのを止めて正直に言えば、小学生に間違えられて、警官に補導されかけたことすらある。

そのたびにいちいち同じ問答をするのが面倒なので、最近では無言で免許証を見せることにしていた。


そうすれば警官は、ジッと免許証を見つめてから苦笑いして、「いやぁ、若く見えますねぇ」なんてさらに余計なことを言うのだ。

自らの間違いを認めて謝るような、殊勝な警察官は、まずいない。

警察官に限らず公務員ってのは、どうしてああも自分の間違いを認めようとしないんだろうね?

まぁ今となっては、警察自体が消えてしまったわけだけどさ。


本を閉じ、それをサイドテーブルの上に載せると、横になっていた白いデッキチェアから身を起こした。

私は今、屋上にこの椅子とパラソルを持ちこみ、寝っ転がって優雅に読書と洒落込んでいたのだ。


白いデッキチェアは、プールサイドにあるのが相応しい、涼し気なものだ。

それもそのはずで、実はこの屋上にはちゃんと、プールもあるのだ。

とは言え、今は残念ながらプールに水は入っていない。

今はただの、底に落ち葉が積もったでっかい四角の穴だ。


四階建ての、私が『要塞』と呼ぶこの建物の周辺は、背後にある丹歌山にかやまに遮られてあまり風が通らない。

七月も下旬のこの頃、日除けのパラソルがなければ快適に読書とはいかなかっただろう。

試しに裸足の足を、パラソルの影から外に出してみれば、直射日光がすぐに肌を焼こうとする。


「あつっ」


あまりに当然のことを呟いた後、足を引っこめ、首を右、左と捻る。

首の骨がコキコキッと小さな音を立てた。

セミロングの黒髪が、肩のところで揺れる。


「栞子さん、読書はいったん休憩ですか? それなら、そろそろ昼食にしますか?」


私の隣で、やはり同じようにデッキチェアで寝ていた美少女が、顔の上に乗せていた麦わら帽子を手にとって、ゆっくりと身を起こした。

背中まである長い黒髪を、ポニーテールにしている。

もう学校なんかないというのに、なぜか着ているのは黒いセーラー服だ。襟元に白いラインが一本入っている。

私は彼女のことを、つーさんと呼んでいる。


つーさんは少し古風な、美しい少女だ。大和撫子って感じ?

涼やかな目元に、通った鼻筋。口は小さめで唇は薄い。

可愛いというタイプではないが、凛々しく、美しい。

どのくらいの美人かと言うと、すれ違う人が一〇人中九・五人が振り返るくらい。


――やつらなら一〇匹中一〇匹だけど、あれは少しばかり意味が違うからね。あいつらは見境なしだから、サンプルとしては不適格だ。


彼女の名前は、風早紬かざはやつむぎ


顔自体も美しいけど、所作や姿勢も美しい。聞いたことはないけれど、多分結構良いところのお嬢様なんじゃないかな? いかにもそんな感じなんだよね。

今読んだばかりの小説の表現を借りるなら、『ろうたきばかりの』美しさってやつだね。

完全に、芸能人レベル。いや、それ以上かな?


彼女と私が並んで歩いたら、一体何人が私を年上だと思ってくれるだろう。

……いや、よそう。私に自虐の趣味はない。


「今日はなんの本を読んでるんですか?」


つーさんは私がサイドテーブルの上に載せた、文庫本の表紙に目を止める。

黒地に、灰色で『獄』の字が浮かんでいる、それだけの至極シンプルな表紙だ。


「古い小説だけど、つーさんは知ってる? 横溝正史の、『獄門島』」

「いえ、わかりません。どんな小説なんですか?」

「ミステリだよ。人が殺されて、それを名探偵が捜査するやつ」

「ああ、金田一少年の事件簿とか、名探偵コナンみたいな」


わかりましたと、嬉しそうにポンと手を叩く(可愛い)けど、ちょっと違うんだな、これが。ニアピン賞(古い)だ。


「惜しい。少年じゃなくて、そのじいちゃんのほうだね。金田一耕助」

「というと、『ジッチャンの名にかけて』の、そのジッチャンですか?」

「そうそう。わかってるじゃん。そのジッチャンが活躍する小説がこれだよ」

「でも栞子さん、朝は確か、外国人作家の小説を読んでましたよね。今日だけでも二冊目? 読むスピード速くないですか?」

「うーん、どうだろう。本を読むのは慣れてるから、多少は速いかも?」


もともと私は、割と読書は好きなほうだったけど、最近はそれがさらにパワーアップしている。

なにしろ他にすることがないので、毎日起きている時間のほとんどを読書に費やしていた。


「つーさんのほうこそ、剣の訓練ばっかりしてないで、たまには本を読んだらいいのに」


つーさんは実は、家に道場があるくらいの、根っからの剣術少女なのである。

学校でも剣道部で、高校は入ったばかりで大会などはまだ出ていないけど、中学の頃は日本一になったこともあるそうだ。


「せっかく本がいっぱいあるのに、読まないともったいないよ」


幸いこの『要塞』には、前の持ち主が残してくれた本が、本棚三つ分もある。

それに、この前つーさんと一緒にアパートから回収してきたばかりの、私個人の蔵書だって結構ある。

読もうと思えば本はあるのだ。ジャンルは少しばかり偏っているけどね。


だから私はそう勧めるのだけど、あまり気が進まないらしく、つーさんは気だるげに目を細める。


「ちょっと今日は日差しが強過ぎますよ。栞子さんこそ、パラソルがあるとはいえ、よくこんな日に外で読書なんかできますよね」

「確かに日差しは強いけどね。でも今日なんかまだ涼しいほうだよ? 今日の天気で音を上げていたら、来月はどうするのさ?」

「建物の中で過ごせばいいだけですよね?」


可愛らしく小首を傾げて、つーさんはにっこりと笑う。それが当然だとでも言いたそうに。

だが、そうではないのだ。私が言いたいのはそういうことじゃない。


「軟弱っ! 軟弱だぞ、つーさん! 言っとくけど、電気は節約しなくちゃダメなんだから、冷房なんか使わせないからね?」

「えー? それはちょっとキツイですよ。私って暑がりなんですよね……なんとかなりませんか?」

「ならないよ! どうしても耐えられないなら、水風呂に入るとか、薄着で過ごすとか自分で工夫するんだね」

「そんなぁ。冷房なしじゃ、きっと素っ裸になっても、まだ暑いですよ」


素っ裸で過ごすつーさんを見てみたい気もするけど、さすがにそういうわけにもいかないかなぁ。

ここには私とつーさんの二人しかいないとはいえ、最低限守るべき尊厳ってのがあるからね。


「うーん。確かに熱中症なんかになるよりは冷房使ったほうがマシだけど、でもなんとか工夫して、よっぽど暑い日以外は冷房なしで耐えないとね」


無駄遣いして電気が使えなくなってしまえば、それこそキツイことになるんだから。


「せめてプールに水があればまだいいんですけどね。脚だけでも水に入れられたら、きっと涼しいですし」

「そう思うなら、つーさんがプールの掃除をしてくれてもいいんだよ?」

「いや、さすがにこの広さを一人で掃除するのは、ちょっと……」


うんうん。私もその気持ちはよくわかるよ。

だからこそ、このプールは今の状態で放置されているんだからね。


「……ってそんなことより、そろそろお腹が空いたよ。ご飯にしよっか?」

「それはこっちの台詞ですけど。……確かにお腹は空いています。最近は少し料理をサボってましたから、今日はちゃんと作りましょう」

「そうだねぇ……確かに毎日毎食、軍隊の携行糧食みたいなのばっかりじゃ味気ないもんね」

「はい」


話はすぐにまとまり、私とつーさんは一緒に立ち上がり、屋内へと通じるドアに向かう。


ヴォアアアアア!


そのとき、ひと際大きく、耳障りな唸り声が響き渡る。

私とつーさんは、耳を手で押さえ、その後にしかめた顔を見合わせた。


「……うるさいですね、アレ」

「ほんっとうにね! ……いいさ、見てろよ! 後であいつらに鉛玉を食らわせてやるから!」

「はい、是非お願いします。あいつらを黙らせてくれないと、夜ゆっくり眠られませんからね」

「このスナイパー、栞子さんに任せといて!」


私はそう言って、引き金を引く真似をして見せた。



          ◇◆◇◆◇◆◇



この建物は四階建てだ。しかしそれぞれのフロアの天井は結構高いんだよね。だから普通の四階建ての建物よりも、ずっと屋上までの高さは高いと思う。

そしてそのせいなのか、エレベーターが一基、設置されている。

エレベーターが止まるのは、二階から屋上までの四つの階だ。一階にはエレベーターは止まらない。

そんなこと、普通の建物ならまずあり得ないよね。

せっかくエレベーターがあるというのに、一階には止まらないなんて、どう考えてもおかしいもの。


けど、この建物は『要塞』だ。外からの侵入者を非常に警戒して防御を固めている。

それは偏執的と表現したくなるほどで、正面の入り口は実はダミーで、なんと真の入り口は慎重に、隠し扉で隠されている。

そんなわけで、エレベーターも一階には止まらないのだ。


先にエレベーターに乗ったつーさんが、②のボタンを押す。エレベーターはスムーズに動き出した。

昨今では、こうして普通に電気が使えるだけでも、非常に恵まれているのだ。

大抵の人は、電気もガスもない、時代が一世紀以上逆行したような生活をしているはずだ。

もちろん、今でもなんとか生き残っている人は、という意味だけど。


まもなく二階に着き、エレベーターを降りると、そこは飾り気のない無機質な白い壁と、緑色の床だけの殺風景な廊下だ。

この階には窓さえない。

これもまた、防衛を考慮してのことだろう。


暗闇の中で、近くの壁にある電灯のスイッチがオレンジ色にぼんやり光っている。

私がそのスイッチを押すと、LEDライトが点灯し、青白い光が周囲を照らす。


「私は用事を済ませてから行きますから、栞子さんは先に、食材の用意をして貰えますか」

「それはいいけど、メニューはどうする? つーさんはなにか食べたいものはある?」

「そうですね……パスタはどうですか? 作るの楽ですし」

「りょうかーい」


つーさんに軽く手を振って別れてから、まず向かったのは食糧倉庫だ。

棚からニンニクに鷹の爪、それにベーコンとパスタを取り出した。ついでに冷蔵室からいくつか野菜も持ち出す。

こうして新鮮な野菜を口にできるのも、今のうちだけかもね。

しかしだからといって、もったいながって食べないでいても腐らせるだけだ。食べれるうちにどんどん食べてしまうのが多分正解。

袋に入れたそれらの食材を手に、倉庫を出る。


階段で三階に上り、広いキッチンで料理を始める。

鍋に湯を沸かし、塩を加えてスパゲティを茹でる。

用事を済ませたつーさんが合流して、私と並んで野菜を包丁でカットする。


「そう言えばあの本、『獄門島』ですけど、どのくらいまで読みました?」

「えっとね、二人、人が殺されたところだね。この分だと、後もう一人か二人は死ぬかも?」

「……まさか死体の数で返答されるとは思わなかったです」


視線は包丁と、まな板の上の野菜から動かさずに、つーさんは小さく苦笑した。


うん、エプロン姿のつーさんもいいね。まだ高校生なのに、なんだか若奥様の風格があるよ!

つーさんはまるで旅館の女将おかみのような空気感(色気?)を、この若さで身に着けているのである。


「でも、『獄門島』でしたか。栞子さんはそういう探偵が出てくる本が好きなんですか?」

「うん、そうだね。他のジャンルの本も読むけど、一番好きなのはミステリ小説かな」

「恋愛小説とかはどうですか?」

「恋愛かぁ……いや、読まないわけじゃないよ。読まないわけじゃないんだけど、……でもやっぱりミステリのほうが面白いなぁ」


横溝正史の『獄門島』。昭和二二年から二三年に、雑誌で連載された古いミステリ小説らしい。

幸い今この『要塞』には結構たくさんミステリ小説があるから、他にも読みたい本は色々ある。

特にこれを選んだことにたいした理由はないんだけど、なんとなく古いほうから順に手に取っただけだ。


そんなことを説明すると、つーさんは「うーん」と唸って、微妙な表情を浮かべる。


「なに? 微妙な顔しているけど、なにか言いたいことでもある?」

「いえ、別に大したことじゃないんですけど……」

「なにさ。そんな絶対言いたいことありそうな顔をしておいて、『別に大したことじゃない』ってどういう意味かな? うん?」

「ちょ、ちょっと! 栞子さん、今包丁使ってるんだから、危ないですってば!」


嫌がるつーさんに、私は調子に乗ってさらに絡んでみた。


「つーさんが、はっきり言わないからいけないんだよ? 言いたいことあるなら、言えってば!」

「いや、ただちょっと、なんていうかこの状況で、わざわざ人が死ぬ本を読まなくてもいいんじゃないかなーって思っただけですってば! もー、栞子さん! ステイ!!」

「私は犬か!?」


などと、私とつーさんはいちゃつきながら料理を進める。


フライパンではオリーブオイルでニンニクと鷹の爪を炒め、次いで野菜とベーコンも加える。

茹で上がったスパゲティと、少しの煮汁をフライパンに移し――


やがて完成したペペロンチーノスパゲティを器に盛りつけ、再びエレベーターで屋上に上がる。

パラソルの下でサイドテーブルにスパゲティの皿を置き、箸で一口食べる。

私はスパゲティを食べるとき、フォークではなく、いつも箸を使う。

スパゲティを食べるならフォークでないと違和感があるという人もいるだろうけど、私は気にしない。

日本人にとって食べやすいのはどう考えてもフォークより箸なのだから、なにも食べ難いほうを選ぶ必要はないと思う。


最初はフォークを使っていたつーさんも、今ではすっかり私に毒されて、箸を使うようになった。


「……まぁ、悪くはないかな。少なくとも失敗じゃないよね。もうちょっとからくても良かったけど」

「私はこのくらいで丁度良いですよ。あんまり辛過ぎないほうが好みです」


決して不味くはないが、手放しに美味いとも言い難い。

まぁ、得てして家庭料理とはそういうものだから、私とつーさんの料理の腕は、なんとか及第点はありそうだ。


そこそこの味のスパゲティをもぐもぐと咀嚼そしゃくしながら、クーラーボックスを開けて、中からビールを取り出す。

缶にそのまま口を付けてグビッと呷る。


「っぷっはー! つーさんも飲む?」


しかしつーさんは、かぶりを振って答える。


「私はいいです。……というか、栞子さんも十九歳でしたよね? なんだかおっさんみたいですよ?」

「失礼だなぁ! 誰がおっさんか! 大体、もう誰も成人年齢なんて気にする人はいないだろお!」

「まぁ、それはそうですけど……でも栞子さんがお酒飲んでるのを見ると、ちょっとぎょっとしちゃうんですよね。小学生がビール飲んでるみたいに見えて」

「なんだとお! 失礼過ぎる! 十九歳の大学生を捕まえて小学生とはなんだ!」

「わっ、ごめんなさい! 栞子さん、叩かないでください!」

「大体、つーさんは年上を敬う気持ちが足りないんだ!」

「ごめんなさいってば!」


私が振り上げた拳から、つーさんが逃げ回る。

まぁこのくらいで許してあげるか。私は優しいからな。感謝しろよ!


もう一口スパゲティを食べると、なんとなく満足してしまって皿を置く。

実のところ、空腹だったはずなのに、料理が完成する頃にはその空腹もおさまってしまっていたのだ。

これは今日に限らず、普通によくあることだ。


かなり腹が減っていたはずなのに、料理をして味見がてらに一口食べるともう、ある程度空腹が満たされてしまうのは不思議だと思う。

多分、料理している間にずっと、油の匂いを嗅いでいるせいではないかと思うのだけど。


「さて、続き続き」


せっかく作ったスパゲティをテーブルの上に放置して、私は再びデッキチェアの上に横になり、文庫本を開いた。

栞を挟んだページから文字を追い始めると、すぐに私は本の世界に没入した。



          ◇◆◇◆◇◆◇



「なるほどー、そうきたかー」


言いながら、テーブルの上のビールに手を伸ばす。

視線は文庫本から動かさずに、手探りでビール缶を探し当てて口に運んだ。


「そういう展開は考えなかったなー。でもそうだよねー」


テーブルの上に缶ビールを戻そうとして、せっかく作ったペペロンチーノが、ほとんど手つかずのままだったことを思い出した。


「あーあ、せっかくのできたてが、もう冷めちゃってる。もったいな……」


本に集中してしまったせいで、完全に頭の中から昼食のことが抜け落ちてしまっていた。

箸でスパゲティを一口食べるが、やはり冷めているうえに、少し硬くなってしまっている。

美味しさはできたてと比べると、四割ダウンといったところだ。


隣のデッキチェアの上にいたはずのつーさんは、いつの間にかどこかに行ってしまっている。

読書に集中し過ぎたせいで、つーさんが立ち去るのさえ気づかなかった。


冷えていて、油だけがギトギトしているスパゲティを眉をひそめて飲み込む。箸を置くと、取りあえず本を読み切ってしまおうと決めた。

今は最後の解決編に既に入っている。あと少しで読了できるだろう。


「やっぱ少し前の本だから、文章表現とか、あまり見慣れないのがあって多少読みづらさはあるけど、でもやっぱり面白いな……」


推理小説ミステリは、好きな小説のジャンルのひとつだ。

といっても私は、割と乱読派で、面白ければファンタジーだろうとSFだろうとホラーだろうとなんでもござれなんだけどね。


「誰かが言っていたけど、少なくとも、ミステリって不可思議な謎と、それに対する鮮やかな回答がセットで保証されているのが良いところだよねぇ。一定ラインのクオリティは保証されているというか……」


偉そうにそんなことを呟きながら、ウンウンと頷く。

やがてエピローグまで読破すると、「ふうううぅ」と大きく息を吐き出して、本を閉じた。


「金田一耕助が主人公の小説を読むのがこれが初めてだけど、案外人間味があるキャラだったんだね」


なんとなく、探偵と言えばシャーロックホームズのような、超人的な能力を持った変人を想像してしまうけど、少なくとも金田一耕助はそこまで突飛な人格の持ち主ではなかった。


「どこかでまた金田一耕助のシリーズをみつけたらまた読みたいな。……さて、と。せっかく作ったスパゲティを食べなくちゃね」


二時間ほど放っておいたせいで、麺と麺がひっついてしまったスパゲティを、恨めし気に見つつ箸で持ち上げる。


気は進まなかったけど、食料を無駄にするわけにはいかない。このご時世にそんなことをすれば、覿面てきめんに天罰が下ってしまうだろう。

こうしてごく普通の食事ができることだけでも、随分と恵まれているのだから。


もそもそと、乾いてしまったスパゲティを口に運んで咀嚼そしゃくする。

あまり満足とは言えない食事を終えて箸を置くと、ティッシュで唇に付いた油を拭う。


ティッシュは灰皿の上に捨て、ライターで火をつけた。すぐにティッシュは真っ黒に炭化する。それを屋上からばら撒いた。

ゴミをまとめて収集所に置いておいても、もう回収してくれる収集車は来ない。

焼却炉もあるのだが、どうせ灰にして捨てるのは変わらないのだから、構うことはないだろう。


そのとき、建物の中に続くドアが開き、つーさんが屋上に出てくる。

前髪を掻き上げるしぐさがやけに決まっている。

まるでバックに花を背負っているようだ。うーん、美少女。


「あ、栞子さん、『獄門島』読み終わったんですか?」

「うん、ついさっきね」

「どうでした?」

「面白かったよ。犯人は意外だったしね」

「やっぱり、ミステリって犯人が意外な人じゃないと面白くないものですか?」

「まぁ、そうかな? 上手く騙されたら、やられたーって気分になるよね」

「なるほど。そういうのが面白いんですね」


ヴォオオオアアアアアアウゥ!


そのとき、またしても下から不気味な唸り声のようなものが聞こえてくる。

その声はひと際大きくて、思わず驚いて、ビクッと身体が跳ねた。


「チッ」


舌打ちして屋上から見下ろしてみると、二体のゾンビが、塀の前をウロウロと動いている。

生前は夫婦か、あるいは恋人だったのだろうか? 男女の二人組のゾンビだ。


「ああもう! あんの、腐れゾンビめ! うるっさいんだよなあ! 死体の癖に!」

「本当にそうです。死体はおとなしく墓にでも入っていればいいのに」


私が毒づくと、つーさんも私に同意する。


「……それでも、真夜中にいきなり騒がれるよりはマシか。仕方ない。今のうちに、一仕事するしかないね!」

「そうですね。栞子さん、お願いします」

「……別に、つーさんが刀で斬り倒してくれてもいいんだけどね」


つーさんは、虫も殺さないような外見に反して、刀でバッサリとゾンビを切り裂く、女子高生剣士なのだ。


「いやー、わざわざ下に降りるのが面倒……じゃなくて、危険ですから。ここはスナイパー栞子さんにお任せします」

「はいはい。しゃーないなぁ」


私はサイドテーブルに立てかけていたライフルを手に取り、屋上の端からゾンビを見下ろした。

そして身を伏せ、ライフルの銃身を二脚バイポッドに乗せて固定する。

こうして私が銃を撃つようになったのは、当然だけどゾンビが現れてからのことだ。

最初はおっかなびっくりだったけど、段々このライフルの扱いにも慣れてきた。


スコープを覗いてゾンビの頭部に照準を合わせる。


「…………っ」


引き金を絞ると、破裂音が重く空気を震わせる。

男のゾンビの頭部が弾けて、よろめき、次いで倒れた。


「一発で命中! どんなもんだ!」

「おー、上手くなりましたね、栞子さん。この調子でもう一体お願いします」

「まっかせなさい!」


さらに私は、意気揚々と女のゾンビの頭部に照準を合わせ直し、また引き金を絞った。

だが、さすがに続けての幸運には恵まれなかった。


「チェッ、外れた……」


この一ヶ月で大分銃の腕は上達したけど、当然ながら百発百中とはいかない。

女のゾンビは、狙われていることを理解しているわけではないだろうが、それでもなにかを感じたようで、忙しなく首を振り、よろめきながら歩く。


もう一度スコープを覗き、照準を合わせ――


やがて二体のゾンビがアスファルトの上に横たわった。頭部にひとつずつ黒い穴をあけて。


「今日は一発しか外さなかったですね。かなり慣れてきたんじゃないですか?」

「さすがに毎日やっていればね! よし、今日のお仕事は終了……っと!」


ライフルを肩に担ぎ、文庫本とスパゲティの空き皿を手に取った。

太陽は中天を通り、少しだけ傾きかけたところだ。日が落ちるまではまだ、数時間はある。

世の中がおかしくなる前から変わらない、美しい空だ。

太陽とか、地球とか、そういう大きなものは、ゾンビが出てこようと、そのせいで人間が絶滅しようと、気にしないもんね。


「栞子さん、どうかしましたか?」


立ち止まった私を、不思議そうにつーさんが振り返る。


「ううん、なんでもない」


私は小走りで、つーさんの隣に並んだ。

これから皿を洗って、ライフルも軽く手入れをしなきゃね。


夕食までにもう一冊くらい、本を読めるだろうか。

この『要塞』では普通に電気を使えるが、さすがにあまり無駄にはできない。

といっても本当のところはどうなのか、私にはわからないんだけどね。

いくら使っても問題ないのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

わからないだけに、できるだけ無駄に使わないようにしている。

いくら節約したところでいつかは使えなくなるだろうけど、それは少しでも後になって欲しい。


だから夕食後はあまり夜更かしせずに、早めに寝てしまうことにしている。

そうでなければ、夜中もずっと本を読んでいられるんだけど。


「さて、と。次はなんの本を読もうかな?」


今日はミステリだったから、明日は他のジャンルがいいかもしれない。

SFか、ファンタジーか、サスペンスか、……ホラーもありかな?


「栞子さんは本当に本が好きですね」

「だって他にやることないもの」


私はひょいっと肩を竦めてみせる。

どうせ時間はたっぷりある。

今のところ、本を読むくらいしか時間を潰す当てなどないのだ。


世界は既に壊れてしまった。

テレビも、ネットも、もう使えない。

この数十日間、私がやったことといえば、食事と銃の練習、それにPCで情報収集をする以外はほぼ読書だ。


そんな生活を、意外と私は、気に入っていた。

このままつーさんと二人、こうして本を読みながらここで過ごせたら、それはそれで悪くないような気がする。

いつまでこんな生活が続けられるのか、なんの保証もないけれど。


※不定期更新です。

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