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終末世界で本を読む  作者: 三山とんぼ
16/19

#16. Zデイから一一八日目 『雨の塔』

「百合だったかぁ」

「は? なんて言いました?」


ミネストローネがたっぷり入った赤い鍋をかき回していた渚沙なぎさが、私の独り言を聞き咎めた。

私はといえば、ついさっきまで、渚沙が料理をしているかたわらでのんびり読書をしていたんだよね。


そしてついさっき本を読み終え、開いていた本を閉じたところだ。


「……読んでいた本。裏表紙にそれっぽいことは書いてあったけど、……でもそっか。百合小説だったとはなぁ」


この著者の本は、前にも読んだことあったと思ったんだけど。

あれはどうだったっけ? 百合ではなかったはずだけどな。

まぁ百合小説を書くからって、全ての著作が百合ってわけじゃないか。


「百合小説っていうと、アレですよね? 女の子と女の子の恋愛小説。ガールミーツガールの世界」

「そうそう。それ」

「お姉さま、ごきげんよう! みたいなやつ。マリア様は見てるんですよね?」

「それとはすこーし、違うかな。これも主人公は学生だけど」


あっちは女子高生で、今読んだこれは、女子大生の話だった。

読んでみるとあんまり、学校が舞台の小説って感じはしなかったけどね。なんとなく、サナトリウム文学っぽい雰囲気があった。

私は別にサナトリウム文学に詳しくはないから、勝手なイメージだけど。


「ふむ? というと、栞子しおりこさんってば、誰の小説を読んでたんですか?」

「宮木あや子。著作の中では、『花宵道中』ってのが有名なのかな?」

「なんか、聞いたことあるような? たしか、映画になってませんでしたっけ?」

「なってるみたいだね。残念ながら、私はまだ読んでないけど……で、今読んでたのは、『雨の塔』っていう本」

「『雨の塔』、ですか。うーん、想像しづらいタイトルですね。なにかの比喩でしょうか?」


首を捻りながらも、鍋の中のスープに塩コショウと、オレガノを振りかけ、渚沙は小皿にとったスープをペロリと舐めた。


「ん、いいかな? 栞子さんも味見どうぞー」


手渡された小皿には、トマト色のスープが湯気をあげている。

唇をつけると、旨味と酸味が口の中に広がる。


「美味しいよ。渚沙の料理は、いつもながら」

「へへっ、でしょ? 料理だけは自信がありますから!」


本当ならこれに加えてもう一品、なにか肉料理か魚料理も作りたいところなんだと、渚沙は言う。


「さすがにそれは贅沢ですかね。ミネストローネにパスタを入れて、最後にチーズでもかければ、栄養的にはかなり優秀な食事になりますしね」

「うん、これだけでも十分だよ。さらにもう一品つけたりしたら、太っちゃいそう」

「このご時世に太る心配ができるってすごいですよねぇ。前いた避難所じゃ、食事は缶詰一個とか、普通でしたから」


渚沙のいた避難所は、全部で五〇人くらいの避難者がいて、全員分の食料を確保するのも一苦労、だったらしい。


「じゃあ大体完成なんで、栞子さんはつむぎさんを呼んできて貰えますか?」

「それでもいいけど……」


私は少し考えて、別の案を渚沙に提案する。


「つーさんは今、屋上にいるはずだから、ここに呼ぶより向こうに鍋を持って行こうぜ。そのほうが早いよ」


ミネストローネの鍋をひとつ、運べばいいだけだからね。

それに、外で食べる食事は美味しいし。



          ◇◆◇◆◇◆◇



『要塞』の屋上。ベンチに三人並んで腰かけた。

夏の盛りを超えたとはいえ、まだまだ暑さの残る中、私たちは、熱いミネストローネをスプーンで口に運ぶ。

ふうふう息を吐きかけ、汗を拭いつつ、スープを飲んだ。


「ごちそうさま。美味しかったけど、さすがにちょっと、冷たい物が欲しくなりますね」


最初に食べ終わったつーさんが『要塞』の中に戻って、飲み物を取りに行った。

そして私と渚沙が食事を終えた頃に丁度、それが届く。


氷入りの冷たいコーヒーを一口飲んだ渚沙が、ため息をついた。


「いやぁ、本当にこの『要塞』ってば、別世界ですねぇ。ゾンビのことなんか忘れちゃいそうになります」

「渚沙はそう思うでしょうね。ここの外では、ゾンビって脅威そのものですし」


つーさんも、渚沙の言葉に頷いた。


まぁね。

避難所に逃れた人は、外に出ればゾンビに襲われるとわかっていても、食料を探しに外に出ざるを得ないもんね。

食料は大抵、屋内にあるわけだし、その屋内はゾンビに襲われる危険が高い場所でもある。

気をつけていても、ときには被害が出ることも、あるだろうね。


それに比べて、間違いなくこの『要塞』で暮らす私たちは恵まれている。

この『要塞』は防壁に囲まれていてゾンビは近づけないし、食料もわざわざ探しにいかなくても、ここに十分備蓄があるもんね。

ここにいる限り、ゾンビはうるさいだけで、実害はないに等しい。


「普通に料理をして、食後にはアイスコーヒーなんて……ああ、このかぐわしいコーヒー豆の香り。これこそが失われつつある文明の香りってもんですよ!」

「また、渚沙はそうやって、大袈裟なんだからさ」


たかがアイスコーヒーくらいで、文明がどうのとか、言うことが極端すぎるよね。

私がヤレヤレと肩をすくめると、渚沙はぷくっと頬を膨らませた。


「栞子さんはずっとこの『要塞』に引き籠っているから、外の悲惨な状況を知らないんですよ!」


そう言われると、返す言葉がないね。確かに私は、幸運にもあまり外の状況に関係のない場所で生活してこれたからね。

渚沙がどれだけ外で苦労してきたのか、想像できない。


「それは確かにそうだね……気を悪くしたんなら謝るよ」

「わかればいいんですけど!」


ツンとして渚沙は言うと、食べ終わった皿をベンチに置いて、立ち上がる。

その足首、くるぶしのあたりには湿布が貼られている。

二週間前にくじいた脚は、今はもうだいぶ良くなってはいるようだ。不自然に脚を引きずっているような様子は、もうない。


渚沙は北西の方角を指差した。


「私のいた避難所って、あっちの方角なんですよ。ここからだと、車で三〇分くらいかな? もしかしたら、もう少しかかるかもしれませんけど……」

「学校なんだっけ?」

「そう、高校です。校舎を囲んで割と高い柵があったんで、それでゾンビを防いでいる感じですね」

「やっぱり心配?」

「もちろんですよ。当たり前じゃないですか」

「そっか……そうだね」


仲間たちの様子を見に行きたいんだろうね。

理解はできるけどさ、慎重になるべきだと思うんだよね。


「気持ちはわかるけど、焦っても良いことはないよ。もう少しゆっくりしていけばいいんじゃない? ここには食料もあるし、本もたくさんある。せめて怪我が回復するまでは、のんびりしていきなよ」

「……栞子さんはいっつも本を読んでますよね。今日も確か、百合小説を読んでいたんでしたっけ?」

「百合小説?」


つーさんが、キョトンとした顔で口を挟んだ。


「えっとですね、女の子同士の恋愛を描いた小説のことです」

「ふうん、そういうのを百合小説っていうんだ? ……栞子さんは、そういうのも好きなんですか?」

「別に嫌いではないよ。ただ、今回はたまたま読んだのが百合小説だったってだけなんだけど」


それは図書館から略奪してきた本ではない。

覚えてないんだけど、以前に私自身が買った本なんだよね。私の家から持ってきた本の中にあったわけだし。

買っておいて、読まないまま忘れてしまっていた本だ。私の場合、本棚を探せば、そういう本が大抵何冊かみつかる。

なんでこの本を買ったのかすら、完全に忘れてしまっているような本だ。百合小説を読もうと思って買ったんじゃ、ないと思うけどね。


「どんなお話だったんですか?」

「私もちょっと気になります」


珍しく、渚沙も興味があるみたいだね。普段の彼女は、ミステリ以外の本にはあまり興味を示さないのにね。


「じゃあ、教えてあげよう。『雨の塔』ってタイトルで、主人公は女子大生なんだよ。大学に入ったばかりだから、つーさんのみっつ上だね」


主人公は四人もいて、全員が女の子だ。名前は矢咲実やざきみのる小津おづひまわり、都岡百合子つおかゆりこ三島敦子みしまあつこ

世界の果てみたいな、岬にある大学に通う四人の女の子は、みんな繊細で、みんな心が傷ついている。


「主人公が四人で、登場人物も四人だけって感じだったなぁ」

「他には登場人物なし? 四人だけで話が進むんですか?」

「うん。もちろん、話の筋に関係しないモブ的な登場人物はいるけどね。描写されているのは、女の子同士の微妙な関係? 間合いを取って相手の出方を窺うみたいな」


渚沙は「ふむ」と、しかつめらしい表情を作った。


「四人登場人物がいて、百合ってことは、カップルが二組できる感じですよね?」

「んー、カップル? ねぇ……」

「え、そこも微妙な感じなんですか?」

「うん、まぁね……ネタバレはしたくないから、詳しいことは言わない。自分で読んでみてよ。小説の雰囲気が肌に合えば、楽しめると思うからさ」

「栞子さんはどうだったんですか? 楽しめました?」


そう訊いてきたのは、つーさんだ。


「私かぁ。そうだね、面白いことは面白かったよ。ただ、ちょっと登場人物が繊細過ぎたね。ピンと張りつめてる感じ?」


真面目で繊細で、なにか事が起これば、全部真正面から受け止めずにはいられないような。

そういうところが、自分の性格とは全然違ってたんだよね。

少し離れたところから見ていたい、綺麗な女の子たちって感じだったね。


「ああ、なるほど。栞子さんは結構ガサツですもんね」


渚沙が得心いったとばかりに大きく頷いた。


「まぁね」


私は苦笑して、おとなしくその評価を受け入れた。

実際、ガサツなのは認めざるを得ないからね。

私が反論せずにあっさり認めたことで、渚沙は肩透かしを食ったような顔をした。

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