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終末世界で本を読む  作者: 三山とんぼ
15/15

#15. Zデイから一〇二日目 『図書館の死体』

燃えた家、壊れた車、倒れた電柱。

窓の外を流れる風景は、大体そんな感じだ。


破壊の跡がそのまま残ったまるで廃墟みたいな景色なんだけど、でもなぜかある種の穏やかさも感じる。

もちろんこの場所でも、ほんの数ヶ月前にはきっと、目を背けたくなるような凄惨な光景が広がっていたはずだ。

それはわかってるんだけどね。


「なんか、ゾンビが溢れたあの日が、随分前みたいな気がするね」

「あ、わかります。私もそんな感じがします……まぁ、あれから色んなことが変わっちゃいましたからね」


運転しながら呟いた私の声に、助手席のつーさんが頷いて答えた。

今日のつーさんは、最初会ったときに着ていたセーラー服に、下だけジャージのズボンを履いている。

そして膝の上には、いつものように鞘に収まった日本刀を大事そうに抱えている。


今日、私とつーさんは、この街で一番大きな図書館に、本を回収しに行くつもりなのだ。

もちろん、どうしてもと主張したのは私で、つーさんはその私に付き合ってくれているんだけど。


このご時世、普通は食糧や燃料なんかならともかく、本をわざわざ回収しに行く人間なんて滅多にいないだろうね。

でも私の場合、衣食住は問題ないからね。大事なのは娯楽なんだよね。


「そうだねぇ。ほんの数ヶ月前には普通に大学通ってたなんて、なんか信じられないよ」


ゾンビば突然、世界中に溢れたあの日から、三ヶ月余りが過ぎた。

今だってゾンビはあちこちにいて、生きた人間を餌にしようと徘徊している。

でもそれも、もう当たり前の光景になっちゃったんだよね。


変な言い方だけど、あのゾンビすらも既に日常の一部になってしまったっていうかね。

最初の頃は毎日聞こえていた悲鳴やらガラスの割れる音やらも、最近はあまり聞こえてこない。

こうして街中を車でゆっくり徐行していてもね。

なにか、奇妙な平穏さすら感じられるくらいだよ。


「まるで、古代遺跡の中を走ってるみたいな気がします」

「遥か昔にゾンビによって滅ぼされた遺跡? ……うん、その気持ちもわからなくはないな」


人気ひとけのない、無人のような街。

といっても、ゾンビはちゃんといるんだけどね。街角から消えてしまったのは人間だ。


大部分はゾンビになったか、死んでしまったんだろうし、生き残った人間も、きっとどこかに息を潜めているはずだ。

それが、この新しい日常の中で人が生き抜く方法だからね。

なにせ今は、人間にとっての捕食者が、街中をうろついているんだからさ。


「栞子さん、図書館に本の回収に行くのはいいんですけど、この車でも全部の本は持って来れないですよね?」

「うん、そりゃね。この車だと、大体ダンボールで一〇〇箱くらいまでなら積めるはずだから、そのくらいを目安にするつもりだよ」


今日乗ってきた車は、いつもの灰色のSUVではなく、よく引っ越しで使われるような、小型のトラックだ。

さすがにあの『要塞』の車庫にも、これよりも大きなトラックはなかったんだよね。

ダンボール一〇〇箱では、図書館にあるあの巨大な本棚を、三つか、せいぜい四つくらいしか空にできないんじゃないかな?


十分な人手と、何台もの巨大なトラックがあれば一日で全ての本を運び出すこともできるのかもしれないけど、今の状況では何回にも分けてやるしかない。


「そのダンボール箱はどうします?」

「うん。図書館にあるんじゃないかと期待してる。新しく本を収蔵するときとかにも、きっとダンボール箱に入れた状態で運び込むだろうし、そういうダンボールが図書館のどこかにきっとあると思うんだよね」

「なるほど。言われて見れば確かに可能性はありますね。一〇〇箱分となると、さすがに難しいかもしれませんが」

「どうしてもみつからなければ、今回は手で運ぼう。本を傷つけるかもだけど、この際仕方ないと諦めるよ」

「わかりました」


一応、『要塞』にあった段ボール箱を持ってはきたけれど。

でも全部で一〇個くらいで、全然数が足りないからね。


「まず最初に、図書館の中を見て回って、安全を確保する必要がありますね」

「うん。作業中にゾンビに襲われたくはないもんね」

「はい。それはいいんですが、ゾンビじゃなくて人がいた場合はどうします?」

「ああ、そのパターンもあるか……」


避難者が、図書館を避難所として使っていたら、どうするか……

正直、嫌だな。そのケースはちょっと面倒くさそうだ。

でも、どうしても本は欲しいからね。なんとか頑張ってみるしかないか。


「その場合、話が通じそうな相手なら、なんとか交渉してみようか」

「本と、食料かなにかを交換する感じでしょうか?」

「うん。私的には、一食分の食糧に対して本一冊くらいのレートなら、交換してもいいかな? つーさんはどう思う?」

「栞子さんがそれでいいなら、私は構いません」


『要塞』にはそれこそ、一〇〇人の人間が一〇年くらい飢えずに済みそうなくらいの食糧があった。

当面のことを考えれば十分な量だけどね。でも無尽蔵ってわけじゃない。

今じゃ食料は、お金なんかよりもよっぽど価値があるし、こういうときには交渉材料として上手に使いたいところだね。



          ◇◆◇◆◇◆◇



キキッと音を立てて、図書館正面入り口の近く、ただしあまり目立たない位置に小型トラックを停めた。

図書館の窓は――恐らくは採光のためだと思うけど――やたらとデカい。壁のほぼ全面がガラス、みたいな状態で、見通しが良い。


だからまず、車の中からしばらくの間、図書館の中に動くものがないかを窓の外から観察してみた……うん、取りあえず動くものは見えないね。

つーさんと顔を見合わせて頷き合うと、同時にドアを開けて車の外に出る。


少し腰を屈めてソロソロと正面入り口に近づく。

自動ドアの五メートル手前で、つーさんは手で、私にそこで立ち止まるように指示した。


私を待たせて、つーさんは一人で図書館の中に入って行く(ドアは最初から、半開きになっていた)。

ドアも、その近くの壁も全面強化ガラス製で、簡単に中を覗けたので、私はゆっくり進むつーさんを、ずっと目で追っていた。

どうやら取りあえずは危険がなさそうだと判断したらしいつーさんが、私を手招きした。


私はそそくさとつーさんの後を追って図書館の中に入る。

といっても、入り口を入ってすぐのところは、まだ書架が置かれてたりは、しないんだけどね。


閲覧室に入るまでには、まだもうひとつの自動ドアと、盗難防止用のゲートがある。

だから今私とつーさんがいるのは、その手前のエントランスホールだ。

ベンチがあって、トイレの入り口が近くにあって、飲み物と軽食を売る小さなカウンターがある。


壁際には自動販売機もあったけど、それは無残に破壊されていた上に、横倒しにされている。

小さな軽食のカウンターの中も、誰かが食糧を奪って行ったらしく、しっちゃかめっちゃかに壊されていた。


椅子は転がり、カウンター自体も傾いている。

カーペットの床には、黒っぽいなにかが至る所に染みを作っていた。


「誰かがここに、略奪に来たんだろうね」

「はい。略奪されたのが食料だけならいいんですけど」

「うん、そうだね。だって、ここにある本を略奪するのは、私たちだもんね」


私がそう言うと、つーさんは楽しそうに笑って頷いた。可愛い。


それから私たちは、館内の一階と二階を見て回ることにした。

結論から言えば、人はいなかった。少なくとも、生きている人間は。

いたのは、死んだ人間だ。



          ◇◆◇◆◇◆◇



一階の、盗難防止用のゲートをくぐってすぐのところにある新刊の書架は、前のめりに倒されていた。

当然ながら中にあった本は、カーペットの上にぶちまけられている。

そしてその本の下からは、なんとも言えない悪臭が漂ってくる。


「栞子さん、これってもしかして……」

「うん、多分ね」


嫌だったけど、それでも予想が正しいことを確かめるために恐る恐る本を持ち上げると、本にはねばつく液体がべっとりと付いている。

そしてその下からは、半ば腐って溶けたような死体が現れた。

図書館の係員だったらしく、紺色のエプロンを身に着けている。


予想はしていた。だから驚きはしなかったけど、酷い臭いと、飛び回る蠅には心底うんざりした。

思わず手に取った本を放り出して、私はその場を跳び退いた。


「ぺっぺっ! うええ……吐き気がする……」

「さすがにここの本はもう、諦めるしかないですね」

「うん。もったいないけど、どうしようもないね」


畜生! せっかくの本が……


「でも問題は、この死体がゾンビにやられたのか、それとも略奪に来た暴徒に殺されたのか、だね」

「もしゾンビに殺されたとしたら、図書館の中にゾンビがいる可能性が高いってことですよね」

「そう。そうなんだけど……でも、この状態じゃあ、死因なんかサッパリわからないよ」


体組織がぐずぐずになっていて、どこかにゾンビの噛み跡があったとしても、私にはまったく判別できない。


「取りあえずこの死体は放置して、館内をひと回りしてみましょうか」

「うん、そうだね。そうしよう」


酷い悪臭のする死体からはなるべく離れて、書架の間を歩いて奥まで行ってみると、幸いどこも、入り口近くのあの書架ほど酷い有様にはなっていない。

本が棚から落ちて散らばっていたりはするけど、それだけだ。

図書館の中はシンと静まり返っている。

よしよし、これならほとんどの本は、無事に略奪できそうだ。


私は、近くの本棚から一冊、本を抜き出してパラパラとめくり、読むのにまったく問題がないことを確かめて安心した。


「しかし、『図書館の死体』、かぁ」

「なにか気になることでもありましたか、栞子さん?」

「いや、そういうタイトルの本があったなぁって思ってさ」


私がそう言うと、つーさんはホラきたとばかりに、「ああ、いつもの、本に関するウンチクのコーナーですね」と訳知り顔で言う。


「なんだよ、つーさん、その言い方は。まさか、本の話なんか聞きたくないって言うのかよぅ?」


思わず、恨めし気な声が出た。


「いいえ、そんなことはないですよ。私は栞子さんの話を聞くのは好きですから」

「……ふん、ならいいんだ」

「で、その本はどんな本なんですか? タイトルからして、ミステリっぽいですけど」

「うん、ミステリだよ。ジェフ・アボットって人の書いた本でね……」


『図書館の死体』は、一九九四年に発表された。

原題は Do Unto Others で、元のタイトルには図書館も死体も出てこないんだけどね。


主人公はジョーダン・ポティート。元は編集者で、今は故郷の街で図書館の館長をしている。

話の冒頭、その図書館の中で、ジョーダンは死体を発見してしまう。

しかも、ジョーダンにとって不利な事実がいくつかみつかり、警察から容疑者にされてしまうのだ。


「それで、その館長さんが犯人を捜すんですか? 自分の容疑を晴らすために?」

「うん、そうだね……まぁありがちな展開と言えばそうなんだけどさ」


でも、刑事でも探偵でもないジョーダンが、足で捜査を進めて犯人を捜し出す展開は面白かった。

気の毒なことにジョーダンには、ワトソンのような優秀な補佐役がいなかったから、何事も一人でやるしかなかったんだよね。


「栞子さんはまた、いつものように犯人を予想しながら読んでたんですか?」

「まぁね。結構早いうちに、私の中では容疑者が二人に絞られたよ」

「それで、当たりましたか?」

「……」

「二人とも? ハズレですか?」

「……」

「栞子さん、たまには当たることもあるんですか?」

「あるよ!」


失礼な!

『図書館の死体』は、ミステリとして面白かったけど、犯人当てに向いてる本ではなかったんだ!

少なくとも、論理的に考えれば一人の犯人が浮かび上がるとか、そういう感じじゃなかったからね!

だから、当たらなくても仕方ないんだよ! 本当に!


「いずれつーさんとは、本格ミステリで、また犯人当ての勝負しないと、だね。今度こそぎゃふんと言わせてあげるよ」

「いいでしょう。受けて立ちますよ」


つーさんは不敵に笑う。

……どうも舐められている感じがあるからね。一度つーさんには、私の実力を思い知らせてあげる必要がありそうだ。


とにかくこの『図書館の死体』って小説は、密室トリックだとか、アリバイトリックだとか、そういうのがウリの小説ではない。

この小説には、魅力的で個性的なキャラがたくさんいた。それがこの本の面白さだったね。


ただ、文句なしに面白いんだけど、難点があるとしたら、主人公が自惚れ屋のイケメンだってことだ。

だってさ、一人称視点のモノローグで、高校時代には綺麗な女の子に不自由しなかった、なんて言っちゃうんだよね。

実際、作中でも可愛い女の子にモテモテだったしさ。


陰キャ的観点から見ると、いけ好かないところはあった。

悪い人間じゃないんだけどさ。もちろん。

でも、図書館で助手をしている可愛い、キャンディス・タリーが可哀想なんだよ。主人公に振り回されてさ。


それでも最後、全ての伏線が回収されて、綺麗にまとまってくれたから、読後感は良かったね。

人に自信もってお勧めできる小説だったよ。



          ◇◆◇◆◇◆◇



結局、一階の閲覧室にはゾンビも、最初のやつ以外の死体も転がってはいなかった。

続いてバックヤードも調べようと、カウンターから中に入って、事務室や作業室なんかを順番に見ていったんだけどね。

異変がみつかったのは、事務室だった。


「これは絶対なにかありましたね」

「うん、多分ここで、ゾンビに襲われたんだと思う」


明らかに事務室には、人が揉み合ったような跡がある。

机は押されて位置が変わり、椅子は床の上に転がっている。

壁や天井に血痕のようなものまで飛び散っている。

中には、ゾンビの物らしき腐った肉片のようなものもあるから、ここにゾンビがいたのは間違いないはずだ。

けれどなぜか、死体もないし、ゾンビもいないんだよね。


「机の中とか、物色したみたいな跡もありますから、多分ゾンビに襲われたけど、撃退したんじゃないですかね。そして、部屋の中を物色して使えそうな物を持ち去った、そんな風に見えます」


だとしたら、ここでゾンビと戦ったのは、図書館の係員とかじゃなくて、私たちと同じ侵入者だ。


「うん、確かにそんな感じだね。ただ、それなら倒されたゾンビがここに転がっていそうなもんだけど、いないんだよね」

「言われてみれば、変ですね。ゾンビなんか、わざわざどこかに運ぶとも思えませんし……」


無理矢理辻褄を合わせるなら、あの入り口にあった死体、アレがその倒されたゾンビだと考えることはできる。

最初ゾンビはこの事務室にいて、侵入者はここでゾンビに襲われたけど一度逃げ、あの場所まで誘き出して、ゾンビを倒した、そう考えることもできるよね、一応。

それもなんとなく、腑に落ちないんだけどさ。


「ま、考えてもわからないか。とにかく、今私たちに危険がないなら、それでいいとしようか」

「はい。じゃあ、次は二階を調べますか? 地下もあるみたいですけど」

「先に二階に行こう」

「わかりました」


一度閲覧室に戻り、階段を上って二階に行く。

二階の書架に収めされているのは、洋書に郷土資料、それに貸出禁止の書籍などだ。


「こっちは全然荒らされてないですね」

「うん、略奪された感じもないね」


二階のバックヤードも見てみたけど、そちらも綺麗なものだった。

あるのは筆記用具くらいで、回収したいような物資は、見当たらなかったけどね。


「残りは地下だね。地下には書庫があるはずなんだけど」

「そうなんですか。ダンボール箱もあるといいですね。今まで見た場所にはなかったですから」

「うん、あるとしたら地下だと思う。搬入口なんかも地下にあるからさ」

「搬入口って、荷物を運び込む場所ですよね? それが地下にあるんですか?」

「うん。ここって正面よりも裏口のほうが、地面が低くなっているんだよ。だから、裏口のほうは地下にそのまま車をつけられるんだ。地下一階が、裏口から見たら一階になるっていうか」

「ああ、そういうことですか……って、栞子さん詳しいですね」

「ここにはときどき来ていたからね」


この図書館は、割と家から近かったからね。

だからここはそれなりに、馴染みがあるのだ。

もちろん、地下の書庫も搬入口も、関係者以外立ち入り禁止だったから、場所を知っているだけで、実際に行ったことはないけどね。


書庫に下りる階段は、バックヤードにあった。

図書館の一般利用者が使うものではないからだろうね。コンクリートが剥き出しの素っ気ない階段だ。

刀の柄に手をかけた、つーさんが警戒しつつ、先に階段を下りる。もちろん、私もすぐ後に続いたよ。


ほぼ真っ暗だったけど、辛うじて書架の一部が見えたから、階段を下りてすぐのところがもう、すぐ書庫になっているのがわかった。


「ちょっと待って。今懐中電灯を点けるから」


そうつーさんに断って、私は取り出した懐中電灯を点けた。


「広いですね」

「うん」


つーさんの言う通り、地下の書庫は思ったよりもずっと広かった。

並んでいる鉄製の本棚には、大量の本が収められている。


「これは、ちょっと危険そうだね」


暗がりの中、――たくさんの本棚があるせいで――ただでさえ見通しの利かない書庫を歩くのは、危な過ぎる気がする。

耳を澄ませてもまったく物音がしないから、多分ここにゾンビはいないとは思うけど、確証はないからね。


「栞子さん、ここから懐中電灯で照らしておいて貰えますか?」

「え、もしかしてつーさん、行く気? 危ないから止めときなよ」

「大丈夫です。ほら、向こうにドアが見えるじゃないですか」


確かにつーさんが指差す先には、ドアが見える。

けれど、そこに行くまでには立ち並ぶ書架の間を結構な距離、歩かなくちゃならない。


「問題ありません。ドアが開くかどうか確かめるだけです。開いても開かなくても、一度戻って来ますから待っててください」


相変わらず思い切りの良いつーさんは、止める間もなく動き出した。

私がハラハラして見守る中、つーさんは素早く動いて、すぐにドアに取り付いた。

つーさんがドアノブを捻ると、「キィ……」と音を立ててドアが開く。


ドアの奥にある部屋には、太陽の光が差し込んでいるらしく、ドアの向こうから光が漏れてくる。

つーさんの影が、私のいるほうに向かって長く伸びている。

けれど、そこでつーさんがピタリと動きを止めた。

そしてすぐに、走り出した。ドアの向こうへと。

ドアを開けっぱなしのままにして。


「つ、つーさん……!?」


思わず呼びかけたけど、返事はない。もうつーさんの姿は見えない。

こ、こらっ! すぐに戻って来るんじゃなかったのかよ! 嘘つき!


急に恐くなってきて、私は思わずキョロキョロと周囲を見回した。


「~~~~~~っ!」


恐怖に耐えられなくなって、私は駆け出した。つーさんが消えたドアの向こうへと。

暗がりの中、左右の書架の間を走り抜けるのは、生きた心地がしなかったよ。


「ハァ、ハァ…………ッハァ…………」


ドアを通って、先にある部屋に入った。

そこはどうやら搬入口だったようで、奥には車を乗り入れるためのシャッターと、大きなガラス窓がある。

後ろ手にドアを閉めて、私はつーさんを捜す。


つーさんは、壁の前にいた。

幸い、この搬入口は広いけど、見通しは良い。

隠れるような場所もないから、ここにいるのが、私とつーさんだけなのは一目でわかった。

取りあえず目に見えるような危険はない。

私はつーさんに駆け寄った。


「つーさん、ねぇ、どうしたのさ、つーさん!」


つーさんの腕を引っ張るが、反応がない。

顔を見上げると、……つーさんの表情は、怒りに満ちていた。


嫌な予感はしたけど、つーさんの視線の方向に、私も目を向けた。

最初はそれがなにか、わからなかった。

そこの壁には木製の巨大なボードが張り付けてあった。恐らく、なにか予定表とか、シフト表なんかが掲示されるものだろうね。

けれど今そのボードには、見慣れない物体が、張り付けられているのだ。


――そこにあったのは、死体だった。それも、無残に切り刻まれた。


「……ヒッ」


喉の奥が、痙攣したみたいな音を立てた。

窓から差し込む光に照らされて、壁に貼り付けられているのは、人間の頭部、腕、脚。パーツに分解された人体が、壁に釘で打ち付けられていた。

それも一体じゃない。全部で一〇体分くらいはありそうだ。


……こ、これは、つーさんが固まっちゃうのも無理はないね。

こんなものを不意打ちで見せられたら、そりゃ平常心じゃいられないよ。

もちろん、私だってそうだ。私も、すごく動揺している。今の私は、とても平静とは言えない。


よく見ると、磔にされているパーツだけではなく、足元にもいくつもの死体のパーツが転がっていたのに気づく。


全部で、何人いるんだ、これは!?

一〇人以上、二〇人未満ってところか?


喉の奥から、酸っぱいものがこみ上げてきて、私はうずくまって吐いた。

何度か嘔吐えずいていると、背中にそっと手が当てられた。


「大丈夫ですか、栞子さん」

「…………ううっ…………うぇぇえええっ………………っはぁ、はぁ。……うん、もう大丈夫。胃の中がもう空っぽになったら、少し落ち着いたよ」


涙を拭きながら、私はヨロヨロと立ち上がる。

今更ゾンビが死体をムシャムシャしてるくらいじゃ、さすがにもうこうはならないんだけどね。


「……さすがにこういう、猟奇殺人の現場はちょっと、新鮮な気色悪さがあるよ……」

「猟奇殺人……被害者はゾンビでも、確かにそう言えないこともない、かも?」

「…………えっ、ゾンビ?」


慌ててもう一度磔にされた死体を見てみると、確かにそこには、見慣れてしまった、灰色の肌がある。

そして、ある意味嗅ぎ慣れてしまった、人体が腐る悪臭。


ということは――


「ホントだ……これ、ゾンビだ」


ちゃんと見てみれば、死体はどれも半ば腐った灰色の肌をしていて、ただの死体ではなく、元はゾンビだったのがわかる。

つまり、これをしでかした人間は、ゾンビを倒してここに運び、わざわざ分解して壁に貼り付けたと、そういうことらしいね。

変態かな?


でもさっきまでの吐き気は、かなり治まった。やっぱり、切り刻まれていたのが生きた人間ではなく、ゾンビだったのが大きいね。

それならまだ、少しは冷静に見れる気がするよ。


「……それでも、許せません。いくらゾンビになったといっても、元は人間です。なのに、こんな風に玩具みたいに……」


つーさんは本気で怒っているね。ここまで怒ってる姿を見るのは初めてだよ。


「……上でゾンビを見かけなかったのは、誰かが倒してから、ここに運んだからってことか」

「趣味が悪い……死体で遊ぶなんて……」


ゾンビを平気な顔で斬り倒せるつーさんも、人体を物のように扱う所業には酷く忌避感を覚えるようだね。無理もないけどさ。


はりつけになっている頭部には、いくつも釘が打ち込まれている。額に、眉間、両目、こめかみ……頭頂部や、側頭部にも。

身体にも釘が打ち込まれているものがあるけど、頭部が特に多いね。


中には、顔面の皮を剥がされて、肉が丸見えになっているおぞましいものまであったよ。


関係ないけど、あの小説、『図書館の死体』でも、顔を散弾銃で撃たれて、顔面が『濡れた肉塊』になってしまった被害者がいたね。

元が美人だっただけに、あれも結構衝撃的なシーンだったよ。

……もちろん、実物の迫力には負けるけどさ。


口と鼻を手で押さえ、悪臭に耐えながら、私はさらに、張り付けられた死体を見ていく。


頭部以外で傷つけられているのは、胴体だね。心臓、肝臓、後は、股間にも。腕や足なんかは、ほとんど釘を打たれていない。

……釘で打ちつけているのは、人体の急所とされる場所が多い気がするね。

とすると、もしかすると――


「……これって多分、実験してるね」

「実験?」

「うん。急所に釘を打ち込んで、死ぬかどうか試している感じがする。身体を分解したのも、どの程度やればゾンビが動かなくなるかとか、確かめたんじゃないかな?」

「ゾンビの急所を探すために?」

「多分ね。趣味が悪いのは間違いないけど、必要もないのにただ遊んだってことではないのかも」

「でも、……だとしてもこんな風に……」

「うん。確かに普通じゃないよね、これ」


口ではそう言ったけどね。でも正直、私にはこの異常な行為を、理解できる気がした。

ゾンビという脅威のことを知るためなら、こういうことをするのも、アリ(・・)ではないだろうか、と。


ショックを受けているつーさんには、とても言えないけどね。


この実験をやった誰かは、まずゾンビを上の階から捕まえてきて、釘とハンマーで(もしくは釘打ち機を使って)、手足を壁に打ち付けて動けなくさせ、それからじっくり調べたんだろう。

手足を切り取ってもまだ生きているか、心臓はどうか、股間を潰すとダメージになるか……

十数体の被験者ゾンビを使って、存分に調べてから、その痕跡を隠そうともせずに、ここから去って行った――


「うん。ここはもういいよ。ゾンビもいないし、さっさと行こうか。ダンボールだけ持ってさ」


ここの壁際には、たたまれたダンボール箱が、いくつかまとめて置いてあった。

私はそのダンボール箱を手にして、つーさんを促す。

これ以上、もう見るものもないからね。


「さ、行こうよ、つーさん」

「……わかりました」


それから私たちは一階の閲覧室に戻って、組み立てたダンボールの中に本を詰めていった。

全部のダンボール箱に本を詰めると、それをひとつずつ、トラックまで運ぶ。

結局その日運んだダンボールは五〇個ほど。

予定の半分だけど、それでも色々あって、かなり疲れていたからね。それ以上は無理せずに帰ることにしたよ。


本当は帰りはつーさんに車を運転して貰おうと思ってたんだけど、明らかに元気がなかったからね。

帰りも私が運転することにしたよ。

無言のつーさんを助手席に乗せて、『要塞』に着いたのは午後四時を回っていた。

回収した本を『要塞』の中に運び込んだあたりで、私ももう体力の限界だった。


そういや今日は昼食も食べてなかったね。

お腹は空いているはずなのに、まったく食欲がない。


ベッドに横になって目を瞑ると、あのバラバラ死体の光景が目に浮かんでくる。

猟奇的とも言えるああいうことをやったのは、どういう人間だろうか?


「医者なら、やるかな?」


多分、医者なら死体を解剖した経験くらいあるだろうしね。あのくらいのことはやりそうだ。


「ゾンビに対する憎しみとかじゃなかったもんね、アレ」


憎しみから傷つけずにいられなかったっていう感じではなかった。

冷静に、淡々と、秩序を持って人間をバラバラにしていた……そんなことをできるのは、やっぱり普通じゃないよね。


「ホント、一体誰がやったんだか」


この近くに、ああいうことができる人間がいるってことだよね。


つーさんは今、屋上に刀を振りに行っている。多分気持ちを切り替えるためだろうね。

つーさんにとってアレは、気色の悪い、異常で許せない行動なんだろうけど、私にとっては少し違う。


もちろん私だって気色が悪いと思うけど、それ以上に気が滅入るような光景だった。

あんなことまでしなくちゃならないなんて、本当に嫌な世の中だと思う。

でも、――アレを喜んでやったというのでもない限り――つーさんが感じるような反感は、私は感じない。

嫌々やったとするならば、むしろ同情したくなるくらいだね。


私なら、必要に迫られれば、アレをできるだろうか?

無理な気もするし、案外やればできそうな気もする。

そして、そう思えてしまう自分が、嫌だった。人でなしっぽくてさ。


「……やっぱ外に出ると碌なことがないね。もうこの『要塞』にずっと閉じ籠っていたいよ」


そうすれば、気が滅入るようなことに向き合わずに済むからね。

なんとかして早く、とても読み切れないくらいの量の本を回収してきたいね。

それが上手くいけば、後は一切この『要塞』を出ずに、ただ本だけを読んで暮らすのだ。


うん、それがいいね。安全な場所と、本。それだけあれば、私は十分幸せに生きていける。


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