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コアワルツ・リィンカーネーション  作者: 彷徨南無
幽玄、或いは無限

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8/12

Set you free

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 十二年前。


 エリィがセカンドアースに降り立って、少し経った頃。


 小学校の近くにある、小さな山の見晴らし台にエリィは一人で佇んでいる。街を標榜しながら喧噪を遠くに感じていたが、やがて子供の声が近づいてきた。見晴らし台の階段を降りた所にある公園に、幼い子と父親が来ている。


 小さな男の子がブランコに乗ると、父親が背中を押した。遊具が空中に浮かびあがる度に、子は歓声をあげている。


「ねえ」


 エリィは口を開いてはいない。


「みんないなくなっちゃえばいいって、思わない?」


 エリィに語りかけるのはエリィのなかに在る生命だった。かつて融合した有脳体は当時より少し幼い―――四、五歳頃のエリィの姿と声の幻影を纏って、彼女に語りかける。


 日が暮れようとしていた。


「あなたは私なの?」


「私はあなたじゃないよ。だから存在できる」


 エリィは幻影とは顔を合わせないまま険しい顔をしている。


「それなら、私の身体で私の考えを話すのはやめて」


 幻影は浮かびあがり、エリィの視線の先、崖の先にある空中に静止した。両手を広げ、滔々と話し始める。


「私……私達は魂だけの存在。でも、意思と名前を剥奪された存在。そしてあなたは有脳体より高次の存在。あなたは私達を支配できるように造られた。だから私達はあなたに点頭する。あなたが寂しがっていたら語りかける。あなたの命令に従う」


「そういうふうに造られたから?」


 エリィに融けてしまった思念体は微笑む。エリィは虚無を握りしめて苦しみを露わにした。


「私は、あなた達のこと、覚えてる。みんな名前があった。私がつけたの。私が会った時にはみんな有脳体になっていたけれど、みんな……違う存在だった。あなた達は全部忘れたの?本当に私になってしまったの?」


「あなたの記憶を参照することはできるよ。私達はあなたになれないけど、最も近い存在なの」


 久方ぶりに吐露した本音は受け取られることなく、すべて零れただけだった。


「……そう」


「悲しいね」


 それが当たり前のように宣う幻をエリィは目を見開いて睨みつける。幻はエリィが哀しみ、怒っていることは分かっても、その理由までは理解できない。微笑んだまま首を傾げている。


 風が少女の髪を靡かせる。下方で子供が笑っている。幻が言った。


「私達に、身体を預けてみる?静かにできるよ」


 エリィはもう黙っていたかったが、言葉にしなければ何も伝わらないことに業を煮やしつつ吐き捨てる。


「エレナとカムリが、駄目って言ったんだよ」


「もういない人達だよ」


「今は、アリカ姐がいる……消えて」


 その一声で、憐憫も軽蔑も滲むことのないまっさらな幻は霧散した。




 ただ、夕暮れの見晴らし台に少女が一人佇んでいるだけだった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――






 2282・サードアース・アメリカ・ミネソタ・セントクラウド




 十八年前。


 そこは鉄鉱石の産地だった。広大なモノクロームの採石場の隣には、これまた巨大な湖畔を湛えている。鉱石の成分が溶けだし、美しい青磁色を醸し出していた。


 水源に恵まれ緑豊かでありつつ、街として栄えている。中心地には大学や植物園が立ち並び、人通りが絶えなかった。




 侵略者の気配があった。以前までの傾向から、採石場を中心に攻撃が行われると予想されており、迎撃態勢もそこに集中していた。しかし、ミサイルによって軌道の逸れた拉致型有脳体の一閃が、偶然地下の天然ガスパイプを貫通した。


 被害は甚大なものとなった。








「おい」


 裾の破けたコートを着た女性の軍人が、幼い声に呼び止められ足を止めた。


「そのコートと、食いもんよこせ。食いもんは、あるだけぜんぶだ」


 軍人が振り向くと、やはり小さい男児だった。ニット帽と萎んだダウンコートを着ているが、ガタガタ震えている。震えている手で、ナイフをこちらに突きつけていた。


 軍人はコートを脱ぎ、跪いた。腰に付けたナイフと銃が露わになる。


「それを置いてくれるかい。服が破けてしまう」


 男児は寒さに顔を赤らめたまま、足元にナイフを置いた。


「いい子だ」


 軍人は素早く男児をコートでくるみ、身動きできないように袖で縛った。そのまま楽々と抱き上げる。彼女の力は強く、暴れられそうもない。


「なっ、おい、なにすんだ!」


「あったかいとこに行くんだ。君、それじゃ手も何も凍傷でまともに使えなくなるぞ」


 そう言う軍人も、手袋はしているが最も暖かいコートを失い寒風に曝されている。


「あったかいとこってどこだよ!ほんとに食いもんあるんだろうな?」


 雪が瓦礫を白く染め、街に物音は無く、美しい。男児の声と軍人の足音だけがあった。


「少し歩けば薪が残ってる家がある。そこに食べ物もあった。……ほら、あれ。煙突が見えるだろう」


 抱き上げられて、いつもよりほんの少し高い目線から煉瓦の煙突が見えた。軍人の胴にぴったりくっつけられていたせいか、いつの間にか身体の震えは止まっている。








「この家、やねないじゃん!」


 地面に降ろされた男児が叫ぶ。完全に屋根を失っているわけではないがやはり半壊しており、一部屋ほどを残してあとは潰れていた。


「ここが一番マシさ。屋根があるとこは電気が死んでる。さあ、火をつけよう」


 軍人は何の躊躇いもなく扉を開け、土足で入っていく。この家には何度も出入りしているらしく、慣れた手つきであっという間に火をつけてしまった。男児に言葉を残して廊下に向かう。


「服を脱いで背中から火に当てろ。そのほうがすぐ温まる」


 男児は言われるがままに暖炉に背を向けた。芯から熱が高まっていくのを感じる。ずいぶん久しぶりの感覚だった。身体が温まるごとに、居たたまれずに周囲を見回す。


 突然棒状の何かを投げられて、男児は慌ててキャッチした。チョコバーだった。見るや否や、悴んだ手で包装を破く。




「君、何日食べてない?」


 男児は食べるのに夢中になって、軍人の言葉など聞いていなかった。彼女は微笑んで彼の隣に座り、手を炎に当てた。抑揚は無いが温かみのある声である。


「私はマトラ・スゾウという。この街を守るために配属された軍人だが、この有様だ。君が生き残っていて良かったよ」


「おれはハリア。ハリア・ハクトウ。おまえはしんらいすることにする」


 ハリアは唇についたチョコを舐めながら言った。


「助かるよ。君はずいぶん強いね。今日までどうしてたんだい」


 ハリアは褒められたことが嬉しく、堰を切ったように張り切って喋り出す。


「孤児院が全部燃えたから、色んな人が落としてった食いもん食べてた!てきとーに入った家はさむかったけど、ずっとうごき回ってたらあつかった!」


「そうかい。君にはサバイバルの才能があるな」


 暫くしてハリアははっとした後、分かりやすくばつの悪そうな顔になった。


「……マトラはしからないのか?」


「君のどこを叱るって?」


 マトラはブーツを脱ぎ、こびり付いた氷をナイフで削り落とす。


「だっておれ、人の物食べた。人の家にもかってに入ってる」


 マトラは彼を愛おしく見つめた。


「それぐらい、どうってことないさ。もちろん泥棒は駄目だ。でも泥棒しなきゃ死んでたんだ。私も今ここにいるし、なんなら私の方がもっと悪いことをしている」


「マトラが?」


 ハリアは目を丸くする。


「私の隊員、みんな死んじゃったんだ。私が隊長だったんだけど、逃げて来た。それで今、ここでごはんを食べてる」


 炎の揺らぎを見つめながら、マトラもチョコバーを齧った。


「いつでも食えるのは才能だ。忘れるなよ」








 アリカ一行はナターシャの身体のあったカマクラを経由し、ニッコウに到着した。そこは瓦礫ばかりで一本の樹も残っていない。が、復旧の進む基地でアリカはようやくプラスチックの義足を調整してもらうことができた。以前ウスバから貰ったものよりかなり軽く、歩き慣れない。それでもアリカは懐にナターシャを忍ばせ、待機を命じられた部屋を抜け出した。


 ナターシャは再度ネックレスに戻っている。もう記憶を失うことは無かったが、彼女は少し、ほんの少し変わった。それは人間なら誰しも通過する成長痛のようなもので、ロボットの上書きとは違った。


 アリカとナターシャは、同じ目的を共有し同じ道を進んでいる。足音が鳴らないよう苦心しながら、アリカは非常灯のみが光る廊下を進んで行った。左右に分かれた道にさしかかり、ナターシャに囁く。


「気配はどうだ?」


「あ、誰か来る、はや……」


 言い切らないうちに、アリカは背後から衝撃を受け前に倒れ、押さえつけられる。


「なーんだアリカかあ、ビビったよ」


 鈍色のガジェットがアリカに重くのしかかる。フサマキだった。拘束を解くと、アリカはふらつきながら立ち上がる。フサマキは困り顔で腰に手を当てた。


「というか、部屋で待ってろって話だったと思うんだけど……まあいいよ、君は呼び出されたんだ。逃げ出したいなら止めない。コアは置いてってもらうけど」


 非常灯が明滅する。ナターシャが緊張感を持った声で聞いた。


「呼び出し、って」


「サードアース陸軍大将から。流石に君から話を聞かないわけにはいかないからね」


 フサマキは口を動かしながら脚に全神経を集中させる。気取られることのないよう、顔は柔らかいままで。


 しかし、アリカは逃げも隠れもしなかった。壁に体重を預け、表情を緩める。


「ちょうどアタシも話がしたかったんだ。助かるよ、フサマキ」


「は?君、そんなに想像力無いわけ」


 フサマキは眉をひそめて苦笑し、戸惑う。アリカはぎこちなく、一歩前に出た。フサマキに向き合う。


「心配しなくていい。案内してくれ」


 彼女は視線を合わせようとしない。


「フサマキ」


 アリカが呼ぶと、彼女は黙って右側の道に進み始めた。意識してゆっくり歩いている。


 アリカは礼を言って、彼女を頼りに暗い道を歩いた。








 先に入室していたマダラが扉を開け、アリカとフサマキを招き入れた。カーテンの閉められた会議室にホログラムが浮かんでいる。


「連れて参りました」


 雑ではあるがフサマキも上官に敬意を示している。彼女こそがサードアース陸軍大将、パシェ・ホーランドであった。アメリカの本部基地からこの会議室へ映像が転送されており、左目があったであろう場所に広がる大きな傷跡が目立つ。


「ご苦労、フサマキ軍曹。早速だが、そちらはアリカ・バンジョウで相違ないな?」


 キビキビと発言し、鋭い碧眼がアリカに向けられる。


「はい。アタシがアリカ・バンジョウです」


「査問では迷惑をかけたな。今更栓無き事だが、もっと早くこの場を設けるべきだった。申し訳ない」


 パシェは軍帽を取り、頭を下げる。


「いえ、そんな」


 予想外の言葉にアリカは言葉を詰まらせる。すぐにパシェは軍帽を被り直し、きっぱりと芯の通った声を出す。


「我々には貴様の情報が肝要だ。罪だの何だの言っている暇は無い。実際、貴様の持ち帰った義足からは有益な情報が齎されている。何も気に掛けることは無い。セカンドアースで経験した全てを話してくれ」


 アリカも奮い起こされるように粛々と語る。


「わかりました。ただ、アタシの経験だけじゃなく……あなたに提案したいことがあるんです」


 フサマキが目を見開きアリカを見やった。


「ふむ。何だ」


「この戦争を終わらせる方法です」








 パシェは一連のアリカの話を聞き、現地の部下に取らせた記録を見、こう判断を下した。


「一考の価値はある。が、そんなものを作る余裕はこちらには無い。ニッポン軍でなんとかしたまえ。ただ……一人、貴様の作戦に打ってつけの人間とそのコアが思い当たる。今度そちらに向かわせよう。あとは貴様次第だ。私は貴様に期待しない。我々の邪魔にならないのであれば、好きに足掻け。では」






 ホログラムが消え、小さな会議室に静寂が戻る。


「何を言い出すかと思えば……できるわけないね」


 フサマキはアリカの肩をぐっと小突く。アリカは簡単にバランスを崩して後ろに倒れた。


「ちょっと!何すんのよ」


 ナターシャが声を荒げる。フサマキはアリカを見下ろしたまま腰に手をやる。


「パシェ大将は分かってないみたいだけど、君、もうそんな動ける身体じゃないでしょ」


 アリカは険しい顔の彼女を見て、困ったように微笑んだ。


「アタシ、一人だけで立ってるわけじゃない。こいつもいる」


「こいつって、まさかその石ころのこと?」


 嘲るように言うフサマキをよそに、右膝を立て、机の脚を掴み、重心をゆっくりと左側に移しながらアリカは立ち上がった。その胸元にはコアが輝いている。凛とした表情でフサマキに向き合った。


「決戦の日までアタシはもっと動けるようになる。必ず。だから、二人にも協力してほしいんだ」


 フサマキはその赤い宝石にすら見据えられている気がして顔を逸らす。


コアをアテにする作戦は到底受け入れられないね。君は?」


「あぁ、私ですか……」


 マダラは随分考え込んでいたようで、フサマキに声をかけられてはっとした。


 彼は想起していた。アリカがニッコウで戦ったあの日を。




 ニッコウ基地の地下シェルターには市井の人々が逃げ込んでいた。地上で対処のしようが無くなった基地職員達もそれに合流する。広い空間に細かく仕切りが設けられ、怪我人は一方に集められていた。


 そこには迫撃機巧のパイロットに命を救われたという子供がいた。基地の隊服を着ている私に、彼女は無事かと問いかけて来た。


 私は無力だった。包帯と薬を運びながらも恐らく既に潰れているジン隊長のことばかり考えていたから、曖昧に濁すことすら上手く出来なかった。


 アリカ・バンジョウ、それとナターシャ。彼女等は侵略者を打ち倒し、裏切り者の迫撃機巧さえ破壊した。最も操作精度の高かったであろう第三號機を、である。


 そして、つい先日彗星のように発現した、ナターシャというコアの新たな可能性。








「私は少し、技術部に掛け合ってみます」


 マダラは顔を上げアリカにそう言った。既に作戦について思考を巡らせているようで、彼にしては珍しく一礼せずに部屋を去って行った。




 マダラは少し時間をもらうと言い、アリカ達には本部から軍人とコアが送られてくるまでほんの少し静養する時間が生まれた。アリカは病み上がりだというのにここ数日殆ど休んでいなかった。


 基地の一室、アリカが眠る部屋に来訪者が現れる。明かりのついていない部屋に入り、そっと扉を閉めた。ベッドに近づき、安定した寝息を立てているアリカを見つめている。


「やっと眠れたのよ」


 来訪者にナターシャが声をかけた。ナターシャだけは彼女の表情が見える。来訪者、フサマキは小さく低い声を出す。


「あぁ、そこに居たの」


 ナターシャは彼女から放たれる敵意をひしひしと感じ警戒心を抱いた。


「私に用があるのかしら?」


「まあね。外で話をしようか」








 また悪夢を見て、アリカは早朝に目覚めた。シーツの柔らかさ、白い壁、部屋に入り始めた恒星の光を感じ、今いる場所が安全であることを確認する。深く息を吐いた。


「ナターシャ、おはよう」


 アリカがいつものように声をかけるも、返事が無い。机には昨日と同じように赤い玉石のネックレスが置いてある。


「ナターシャ……?」








 発声器官になにか故障が起きたのだろうか。ネックレスに宝石を固定する留め金の周縁に取り付けられているそれは、一見なんの変わりもない。


 マダラも技術者達も忙しく駆け回っており取り付く島もなかった。アリカは基地の廊下で玉石を持ち上げる。窓にかざしてその反射を見つめた。








 フサマキは飢えていた。




 三年前。


「新人研修、ですか」


「あぁ。徴兵組だが叩き上げでここまで来た。しっかり叩き込んでやれ。……くれぐれも上官にもらい煙草するような奴にはするなよ」


 以前フサマキに軍隊の規律を叩きこんだ上官はそう言って彼女の背中を叩いた。相変わらず力の強い人だ。フサマキは怯みつつも真っ直ぐに上官を見つめる。


「あなたにはもう返しましたでしょう」


 上官は大きく無骨な手を顎に当てる。悪い顔をして笑った。


「どうだったかな。あと一箱くらい返せてないんじゃないか?」


「部下に煙草をせびる上官にならないよう気を付けます、では」


 フサマキも微笑みながら敬礼する。踵を返した彼女の背中に上官は言葉を残す。


「忘れるなよ。俺達の倫理と名誉を」








 フサマキが訓導することになった若き軍人、オラン。フサマキより三つ年下の女性で、金髪を三つ編みでまとめている。幼さの残る朴訥とした顔立ちで、過酷な任務にはどうも耐えきれそうにない。


 しかし、彼女は規格外だった。


 武器管理、射撃、サバイバル、体術、どれをとっても正規軍人と変わりない。特に射撃の腕は飛び抜けていた。




 食堂で二人は夕餉を共にする。オランはかなり過酷なトレーニングをこなしたにも関わらずけろりとしていた。隣り合った席でフサマキは彼女を労う。


「君、すごいじゃん。なかなかいないよ~最初からこんだけ出来てる子。なんかやってたの?」


 オランは持ち上げたスプーンを止め、少し考えた。


「入隊して最初に入る学校で色々習いました」


 それだけ言って彼女はトレーに乗せた料理を黙々と食べ始めた。要は徴兵された人間が一律に受ける指導だけでここまでの技術を身に着けたということだろう。フサマキは野菜ばかり乗せた自身のプレートには手をつけずに椅子の背に深くもたれた。


「……君は友達いるの?」


「いたことないですね」


「やっぱり。協調性が無いってぶん殴られたでしょ?」


「はい。やっぱり、すぐにお分かりになるんですね」


「ま、一日隣にいりゃあなんとなくねー。君は噂にも疎そうだ」


 フサマキは椅子を机に寄せ、スプーンでケミカルスープをかき混ぜる。


「何か流れてるんです?」


「ミネソタのフライングマン、くらいは聞いたことあるでしょ?あの人工翼刃は不思議な鉱物の力で動いてる。今まで一般に鉱物の存在は秘匿されてたけど、フライングマンが余りにも目立つもんだからそのうち公表するんだってさ。噂だけど」


「あの鉱物の存在を、ですか」


「そ」


 フサマキが根菜を咀嚼する隣でオランは考え込む。


「でも、あれって奇妙ですよね。電気を溜め込む性質の鉱物が見つかったってだけで、あれほど高精度の新兵器が大活躍する理由付けにはなり得ないと思います。もっと根本的な技術革新でも起こらないと、んも」


 オランはフサマキのスプーンで口を塞がれる。いっぱいに掬われたスプーンを引き抜かれ、口内を満たされたオランは驚きつつも黙ってひき肉を咀嚼した。フサマキがぐっと彼女に顔を寄せる。


「みんなそう思ってるけど言わないようにしてるんだよ!上層部の考えなんて分かりっこないし、下手に詮索したら何されるか」


 小声でフサマキは捲し立てた。オランは食事を飲み込んで眉一つ動かさないままこう言う。


「そうなんですか。フサマキ伍長と離されるようなことになれば困りますね。この件に関しては黙ります」


 フサマキは息を吐いて頬杖を付いた。


「君は、なんというか……いけ好かないような、可愛いような……取り合えず君は私の元から離れる前に反省の顔を覚えなさい」


「いけ好かないとはよく言われます」


「いや、それそれ!注意されてるなって思ったら取り合えずで謝んの!フリでいいから!」


「……すみません」


 オランは少し俯いて見せる。無表情なのが幸いしてなるほど落ち込んでいるように見えた。フサマキは喜色を滲ませる。


「できるじゃーん。これからは怒られたら毎回この感じで」


「あの、もう食べていいですか?」


「だからあ!」


 フサマキは叱ろうとして彼女の顔を見たがあまりに腹の減ってたまらない顔をしていたのでそんな気も失せてしまった。








 二人は軍本部のあるバージニアからカリフォルニア、サンホアキンバレーに移動していた。二つの山脈に囲まれ孤立した、広大な平原である。南部は石油の埋蔵地であり、かつては労働者で賑わっていたが、侵略者による攻撃や地場産業として長年行われてきた酪農の衰退から人口流出に歯止めがきかず、数年前に複数の群が財政破綻している。


 彼女らは乾燥した丘陵地を登っていた。なだらかだが獣道に近いほど草が生い茂っており楽な道ではない。


「フサマキ伍長」


 早足で進むフサマキにオランは少しだけ遅れてついて行った。汗を拭いながら上官に声をかける。


「本軍に配属されるとチームの訓練を積むと伺っていたのですが、今回は完全に我々のみの任務ですか」


 フサマキは下方の彼女を一瞥する。このペースで進んでいるのに話をする余裕があるのは予想外だった。歩くのに邪魔な枝を左右に放りながら話す。


「そうだね。本来はもっと大人数で連携する経験を積むべきなんだけど、各地で戦闘が起こってるから訓練に割ける人員が少ない。大人数で行うような過酷な任務は君にはまだ早いから、こうした雑談を挟めるような調査をやってる訳だ」


 細長い草葉や種がズボンを擦る。オランは任務、と言ったが今回の仕事は調査に近かった。ここに駐屯していた唯一の軍人がある地点で音信不通となったので、何があったのか確かめるのだ。


 二千二百九十年の同時多発的大規模侵攻でこの地に攻めて来た侵略者はその一年後に撲滅宣言がなされた。しかし、撲滅が宣言された他の都市で密やかに潜伏していた侵略者による民間人の殺傷が起きたこともある。その事件以降、大規模侵攻の発生した都市には必ず軍人が駐屯する決まりになった。とはいえ、この地には守るべき民間人も殆どいないため人員削減の煽りを食らっていた。


 オランの疑問に戻る。


「教官は不足していても私のような新人は多いのではないですか?フサマキ伍長のような方がもっと新人を抱えれば良いのでは?」


 傾斜が徐々にきつくなりオランの息も上がり始めている。


「それはもっと上の人がやることだね。それに、いきなりここまで昇進して前線近くに配備されるような新人は君ぐらいだ。よっぽど成績良かったんじゃないの?」


 オランは照れも謙遜もせずに話す。


「はい、良かったです。体技も座学も……あと、脳波?のテストも高得点でした。何回説明を受けてもよく分からないテストでしたが」


「脳波?」


「ええ、コードがこんがらがるくらい沢山付いたヘルメットを被って行うものです。伍長は経験なさらなかったですか?」


「私はやってないね。新兵器の適性診断かな……あ、あれだ」


 フサマキが立ち止まる。坂の上にいきなり年季の入った家屋が現れた。失踪した軍人の最後の通信があった地点である。




 まず、この家屋に住んでいた老夫婦から倉庫に一体の口腔型侵略者が侵入していると通報があった。軍人―――ソルティという―――はすぐにライフルを持って駆けつけた。彼の報告は次の通りである。


「老夫婦は倉庫の中で既に身体を喰い破られており息は無かった。一体口腔型を処理したが、丘の下方にあと三体反応がある」


 軍司令部は彼の報告を受け、最も近い支部から増援を送るので待機するよう告げた。


「いや……私一人で片付ける」


 これが彼の最期の言葉だ。






「ほんとに一人でぶっ殺したみたいだ」


 フサマキはオランとレーダーを覗く。熱源反応は見受けられない。となると、彼等の死体を探し、埋葬することが目的となる。


 倉庫のシャッターはぐしゃぐしゃに折れ曲がっている。腰を屈めて中に入りライトを点けると、激臭が鼻を刺した。血痕と弾倉、木箱の破片がそこかしこに見られた。奥には老爺の死体が横たわっている。老婆は恐らく喰われてしまって死体が残っていないのだろう。


 ソルティの死体もすぐに見つかった。倉庫の左方、藪の中に横たわっている。彼の右肩には半分引き千切れた口腔型が牙を立て喰らいついたままになっていた。


 早くに駆けつけることが出来たのでまだ腐敗の進んでいない死体を発見することができた。フサマキはソルティのドッグタグをバックパックにしまった。




 司令部への報告を終え遺体を埋め終わると、オランは地面を見つめて考え込んでいた。風が吹き下方に広がる草原がさわさわと鳴るのを聴いて、顔を上げる。


「フサマキ伍長。分からないことがあるのですが」


 フサマキが振り返ると、オランは初めて見る表情をしていた。彼女は苦悶している。


「……彼が一人で戦った理由?」


 フサマキが柔らかな口調で言うと、オランはただ頷いた。


 一人で戦わずに増援を待てば彼は死ななかっただろう。この土地の家には地下シェルターを作ることが義務付けられている。守るべき民間人は既に死んでいて、すぐに倒す必要性は無かった。


 フサマキは黙ったまま踵を返し歩き出した。倉庫の奥、丘の上へ登っていく。そこは整地され草が生えておらず、確かに道だった。オランは慌ててついて行く。






「……ああ、これだ」


 フサマキ達の眼前には丁寧に管理された果樹林が広がっていた。くすんだ草原に鶸色の葉が輝いている。三、四十本はあるだろうか、萼の残った球形の果実をつけた立派な木々が立ち並んでいた。血の匂いが流されるように爽やかな風が吹く。


「君は馬鹿げていると思う?」


 茫然としていたオランにそう声をかける。彼女は頭を振った。そしてフサマキを見やり、また木々を見た。


「フサマキ伍長。私は……この方々のようには、なれないと思うのです」


 木の葉による疎らな影がオランの顔に落ちる。


「私は自分が生存することで手一杯で……他のことを考えられないんです。その、多分、私は……うまく言えないのですが……戦士になることができない」


 言葉を詰まらせながらも彼女はそう言い切った。


 フサマキは彼女の顔を見て、低い位置になっている果実を二つ、丁寧に摘み取った。


「食べながら話そう」


 微笑む上官にオランは戸惑う。


「……任務中、ですが」


「これも任務さ」


 そう言ってフサマキは丘を見下ろす頂点に腰かけ、オランを隣に座るよう促した。








 フサマキは果実にナイフで切り込みを入れ、二つに割った。赤く透き通った果肉が秋の恒星に照らされる。


「これ、このまま齧るんです?」


「ああ……君、初めて?」


「はい、任務地で食糧を自給自足するのも、これを食べるのも」


 オランは手袋を外して果実を受け取り、まじまじと見る。フサマキは先に果物を齧って見せた。オランも少しだけ歯を果物に当てる。


 彼女の目が輝いたのが分かった。


「あまい……甘いのに、ずっと食べられそうです」


 フサマキは舌鼓を打つ彼女を見て満足げに話し出す。


「おいしいでしょ?これ、ファーストアースから持って来れた希少種なんだよ。何年も何年も何年も改良され続けたから、吃驚するくらい甘い。サードアース原産の、遺伝子操作で出来たなんちゃって果物とはわけが違う」


 そう言ってフサマキも音を立てて果実を齧る。それは柘榴と言った。大規模侵攻で供給網が絶たれてから都市部で新鮮な果実を食すことは難しくなっている。


 オランの表情も少し柔らかくなった。


「フサマキ伍長は農家なんです?詳しいですね」


「田舎から出て来たから、これくらいはね。本部の食堂には良い食材が来ないから、味付けで全部誤魔化してて嫌になるよ」


 そう言ってフサマキは柘榴を光に透かして目を細める。少し思案して声を出した。


「で、君の話に戻ろうか」


 オランは柘榴を脇に置いて神妙な面持ちに戻る。




「例えば君は、三人チームで何日も戦場にいるとして……自分と行動を共にする二人ともが病に倒れたとする。そこは侵略者が今まさに攻撃を行っている激戦区。急いで瓦礫の影で看病するけど、片方は重症でもう助かりそうにない。片方は二、三日持ちこたえそうだけど薬が無ければ回復しそうにない。そして、今自分は一人分の薬しか持ってない」


 ゆっくりと話して、フサマキは言葉を切りオランの顔を見た。


「そうなった時、君はどうする?」


 オランは険しい顔で考え込み、こちらもゆっくりと言葉を紡ぐ。


「私は……より重い方の仲間に薬を飲ませ、私自身は新しい薬と衛生兵を探しに行きます。これなら、二人とも助かる可能性が出て来ます」


「そうだね。きっとその選択は最善に近い。でも、君が成果を得られなければ、残して来た二人は死ぬ」


 木々が冷え始めた風にざわつく。


「では、どうすれば」


「私は重症の兵を見捨てる。その時持ち合わせてる食糧や薬を全部、もう片方の兵に使うんだ。こうすると生存者が残る可能性が高い」


 オランは彼女の言葉を咀嚼し、飲み込みかねて声を出す。


「でも……しかし、それだと仲間を手にかけた罪を負い、生き残った兵も生涯に渡る罪悪感を抱くことになります」


「うん。死ぬまで後悔し続けるだろうね。君の選択をしても、私の選択をしても……状況は悪くなるばかりかもしれない。私達は正解のない選択を常に強いられる。でも、その選択を背負わなきゃいけないんだ。ファーストアースの、アメリカ軍の系譜を抱く我々―――その戦士の、倫理と名誉として」


 オランはそう語る彼女の横顔に見惚れ―――少し、気後れした。


「フサマキ伍長は……その倫理と名誉に潰れてしまいそうにならないのです?」


「君も私も、この大地を守るために戦う戦士だ。誇りを持ってる。その誇りを持つ限りは。」


 フサマキの言葉に、眼差しに、一つのブレも無い。凛とした顔が夕暮れに染まっている。




「んじゃ、これ全部摘んで持ち帰ろっか!」


 声色を百八十度変えてフサマキは勢い良く立ち上がった。


「も、持ち帰るんです……?」


「食堂に持ってってやろう。どうせデカい車で来たんだからさ。ほら、日が暮れる前に急げ!」


 オランはここまでの道程と果実の数を想って目眩がしそうだった。上官は慣れているのか目にも止まらぬ速さで果実をひとところに集めていく。その動きに疲れの一つも感じさせない。




 私も、フサマキ伍長のようになれるだろうか。いや、なろう。必ず。


 淡い希望を含んだ風が二人の間を吹き抜けていった。










「フサマキ」


 寒風の吹く曇天のもと、フサマキはニッコウ基地周辺、崩れた建物ばかりで人気のない眺望のなかで一本だけ残った枯れ木の上に座っている。下方に足をかけられるような枝は無く、飛翔でもしなければ登れそうにない、かなり高い場所の幹にもたれかかって遠くを見ていた。アリカの呼びかける声を聞いてもそっぽを向いたままである。


「……アリカかあ。なーに、わざわざここまで来て」


 素っ気ないフサマキに対して、アリカは赤いコアのついたネックレスを手に持ち、下方からにこやかに声をかける。


「これ、アンタとペアのコアだろ?どっかでナターシャと入れ替わったみたいなんだ」


「ふぅん。取り返しに来たっての?」


「それもそうだけど、フサマキと組んでるコアの名前、聞いてなかったなって思って。いい機会だし、四人で話さないか?」


 作戦から降りる、と言っていたフサマキだが、アリカの監視役としての任務のためまだ基地に残っている。尤も、いつもこのように外で黄昏れており監視役とは名ばかりだったが。


 アリカはそんな彼女と、彼女と組むコアを仲間にしたいと思っている。


「……私の持ってるのは自分の(コア)だよ?入れ替わってなんかないと思うけど」


 フサマキの脚に装備された無骨なブーツに、赤い宝石が光る。その装置には発声器官が付けられていないのか、取り付けられたコアは何も発することは無い。それでもアリカはそのコアの名を信じて疑わなかった。


「それ、ナターシャじゃ」


 嘲るようにフサマキは悠々と脚を組む。


「アリカ。君は何の証左があってこの核がナターシャだって言うの?どっちもただの赤い宝石じゃん」


 アリカは自分の感覚を伝える言葉を選ぶのに少々手間取った。考えつつ、詰まらせつつもフサマキに言葉を送る。


「それは……持った時に、なんというか、ビシッとした感じがしないというか、ふわっとした、淡い感じがして……上手く言えないけど、ナターシャとは違うんだ。それに、フサマキといるコアって無口だったな、って思って」


「無口、ねえ。もともと兵器にお喋り機能なんていらないでしょ」


 フサマキは息を漏らすように小さく嗤った。そして初めてアリカの方に顔を向ける。


「君の核、何にも喋りたくなくなっちゃったんじゃないの?ほら、前に自分の生前の記憶を見てさ、戦うとか、全部嫌になっちゃったとか?」


 二人の纏う空気が張り詰める。アリカは慄然と即答した。


「それはない」


「強情だなあ。君のためを思ってかもしれないよ?あの作戦も核と連携がとれなきゃ不可能だし、君を戦場から引き離したいのかも」


 芝居がかっているほど大袈裟に抑揚をつけてフサマキは言った。


「たとえナターシャがそう思ってたとしても、あいつはアタシにはっきり伝える。黙って反抗の意思を示すようなやつじゃないんだ。それより」


 言葉を切り、アリカは拳を握りしめ、口元を歪めるフサマキを鋭く見据える。


「アンタはコアをただの兵器だと思ってるのか」


 アリカの言葉は諦念の滲んだ嘲笑に暈される。


「私にはね、君達の方が変に見えるよ。あの化け物もそうだし……人間の形をしてないものになんでそんなに感情移入できるわけ?」


「アンタはよく分かってるはずだ。コアの中に人間の心が入ってるって。……これだけ自分のコアの装置を使いこなしておいて、分かるはずだろ。アンタはコアと何も話を交わさないのか?アンタも、アンタのコアもそれでいいと思ってるのか?」


「無理なこと言うねえ。この核壊れてるからさ、なんにも喋れないんだよ。外付けの発声器官とかの問題じゃないんだー」


 フサマキは俄かに立ち上がり樹を飛び降りた。アリカには顔を合わせないまま基地に向かって歩き出す。


「おい!」


 アリカはそう叫び、彼女を追いかけようとするが、瓦礫に躓き前に倒れる。膝を付いて顔を上げると、フサマキは立ち止まっていた。




 彼女は振り返らない。躓いたアリカを助けようともしない。背中を向けたまま吐き捨てた。


「そんなに言うなら、証明してみせてよ。その核が私の核だって」


 放たれたその声はすぐに風に掻き消えていった。
























 三年前。




 フサマキ達兵士はある要塞に集められていた。遥か上空、成層圏に空挺型侵略者が確認されている。衝突は秒読みだった。


 各地から集められ胸にそれぞれの隊証をつけた兵士が一堂に会し、白髪、中老の大佐が命を下す。


「諸君等の任務は要塞の守護である。この要塞が破られれば新兵器、コアギアの材となる鉱物の採掘地を敵の手に渡すことになる。多事多端ではあるが、このチームで一丸となり、必ずここを守り切る。皆、力を貸してくれ」


 大佐が口を閉じるとその場にいた全員が脚を揃え敬礼した。








 作戦準備に兵達が奔走する中、フサマキは一人、大佐の部屋を訪ねていた。


「第六小隊副隊長フサマキ伍長、入ります」


 大佐は左半身をこちらに向ける。彼は幾度も死線を潜った過程で右耳の聴力を失っていた。


「して、何用だ」


 互いにきっぱりと声を張る。


「この任務、我が隊の兵卒には重いかと。せめて後方部隊に回してやることは出来ないでしょうか」


「無理だな、兵が足りん。貴様等の隊にはコアギアを装備したガル軍曹が配属されている。最も前に出るのは彼だ。百人力と言っていいが敵の数はそれを凌駕するだろう。軍曹の援護に徹すること」


「しかし、」


 大佐に睨まれ気圧されたフサマキは閉口する。本来、彼はこの忙しい時に伍長の意見を聴くような階級ではない。フサマキは気を取り直し、何度も頭の中で繰り返した質問を投げかける。


「一つだけ質問することをお許しください。貴方がた上層部がそれほどまでに重要視し、我々がその守護に身命を賭すコアなる鉱物とはいったい何なのですか」


 大佐は扉の前に立つフサマキを押しのけ、部屋の外へ出る。彼と彼女がすれ違うその刹那、囁いた。




「身体の頸木を解放するもの。」








 殺風景な立方体ばかりで構成された要塞に寒風が吹き荒れている。


「ダラアァァッ」


 獣のように雄叫びをあげながら両腕に巨大な鋼鉄の拳そのものを装備した男、ガル軍曹が拉致型有脳体を地面に殴りつける。拉致型から細く伸びた触手が引き千切れた。


「クイン、やれ!」


「はい!」


 フサマキの指示を受けた第六小隊兵卒、クイン・ミツチが地面にめりこんだ拉致型の目玉の部分を散弾銃で撃つ。


 再生能力を持つ侵略者達を駆逐する際、サードアース軍は徹底して侵略者の身体の両断を行っていた。侵略者は肉体を失えば失うほどその再生能力も減衰していく。人間のような急所は存在しない。


 ガルが大打撃を与え気絶した侵略者をフサマキ達が両断する。それが彼等の泥臭く苛烈な戦術である。


 第六小隊はガル・トストー軍曹、フサマキ・クロ伍長、オラン・モリ兵卒、クイン・ミツチ兵卒、ドロン・ミツチ兵卒の五人から成る前線部隊だ。




 既に光線と銃弾の応酬が始まって数時間が過ぎようとしている。ミツチ兄妹は肩で息をして動きに精彩を欠いていた。フサマキとオランも疲弊しているが、ガルは次々と半死半生になった侵略者をこちらに投げ飛ばしてくる。


 拉致型の放つ光線の射線を避けつつガル以外の兵は侵略者を刺し、撃ち、蹴り、殴り、殺した。軍服が侵略者の体液で真っ黒に濡れる。




 最初に限界が来たのはドロンだった。


 崩れ始めたコンクリートの建造物の向こうで三体の拉致型が集結し、目玉の前に光を集束させている。瓦礫の影からフサマキは叫ぶ。


「おい、チャージ終わるぞ!早く戻れ!」


 ドロンはライフルを地面に突き立て、滝のように汗を流しながらこちらを見やる。目を見開いていた。


 身体にどれだけ力を入れても足が動かない。遮蔽物から飛び出そうとするクインをフサマキは体で止めた。


 叫ぶ。


「兄さ」


 逃げ遅れたドロンの身体全てが、クインが彼に向かって伸ばした右手ごと光線に焼き尽くされた。




 血が流れる。とびきり紅いのと、黒いのが混ざる。


「うっ……ぐ、ぁ」


 兄を失った悲しみと、痛みと、怒りに悶えながらも、恐怖による悲鳴などあげまいとクインは歯を食いしばる。汗なのか涙なのか鼻水なのか血なのか分からないがとにかくクインの顔がぐしゃぐしゃに濡れた。フサマキは彼女を瓦礫の奥へ引っ張りこみ、叱る。


「馬鹿野郎!」


 オランをガルの援護に回し、フサマキはクインの手当てを行った。右手を完全に失っており、座らせ、腕に布を当て強く圧迫し続けるも血は止まりそうにない。衛生兵は既に他の重体兵士にあたっておりこちらまで来る余裕がなかった。


 布に血が染み込んでいく間にも、銃声や爆発音などの轟音が止む気配は無い。


「フサマキ、援護に加われるか!二人では捌ききれんぞ!」


 ガルからの通信が鳴る。


「もう、いいですよ。ありがとうございます、伍長」


 轟音に消えてしまいそうなクインの声をフサマキは聞く。葛藤に顔を歪めながらもフサマキはクインの左手を彼女の患部に当てる。


「左手で傷口を抑えてろ、できるな」


 クインは胡乱な瞳でフサマキを見つめ、頷いた。








 走りこんできたフサマキを見てオランが叫ぶ。


「伍長、拉致型二体落ちて来ます!」


「私は十時の方をやる!お前は三時の方を!」


 そう言ったそばからまた新たな口腔型侵略者がガルのもとへ襲い掛かる。


 三人は目まぐるしく戦場を進む。この状況で全てに気を配ることは不可能だった。だから気づかなかった。




 クインは血を垂らしながら、密かに場を離れていた。裏から回り込み、あろうことか隊の最前、拉致型の目の前に飛び出す。最も彼女に近かったガルは面食らって一瞬硬直した。


「人間、舐めるなよ」


 彼女の言葉は無線に乗っていて、後方のオランにも届いていた。


 そうして彼女は拉致型の胎内に飲み込まれた。






 拉致型侵略者は目玉と触手で構成されている。一本の太い触手から肋骨のように複数の短い触手が伸びており、人間をその内部に含むと触手が薄く伸びて袋状になる。そして人間を飲み込んだ拉致型は空挺型侵略者のもとに戻るようにプログラムされている。




 従って、クインを飲み込んだ拉致型も上昇した。空に向かって重くなった身体を徐々に浮上させ、三階ほどの高さまで到達したとき、




 爆散した。




 クインの血肉か、それとも拉致型のそれか、液体とぐちゃぐちゃした固体に近いものが辺り一面に飛び散る。




 おそらく手榴弾を拉致型の胎内で炸裂させたのだろう。










 これが、戦士の死に様?


 これが、人間の死に方?




 私、なんでここにいるんだろう。








 オランには友人どころか家族の一人もいなかった。彼女は大規模侵攻で家族を失った子供達のための政府による保護施設で育った。


 だから十八歳で彼女が徴兵に応じると決めた時、彼女を引き止める者はいなかった。ただ一人、幼少の頃に彼女の世話にあたっていた偏屈な老婆を除いて。


 施設を出立する日、オランは久しぶりにその老婆に会った。普段は挨拶をしても「はい」とか「ああ」しか言わない彼女だったが、その日は違った。


「兵隊になんのかい」


 オランが頷くと、老婆はしわくちゃな顔をさらに不景気そうに歪ませて嘆息した。


「お前、向いてないね。この街で靴磨きでもやるのがお似合いだよ」


 ぶっきらぼうな物言いにオランはむっとして言い返す。


「私、向いてると思うけど」


 自分が死んでも悲しむ者はいない。戦争だけど相手は人間じゃない。運動には自信がある。活躍すれば大金がもらえるし、大怪我をすれば補償金がもらえる。その頃のオランは自分より兵士に向いている人間はいないとさえ思っていた。


 老婆はいかにも老練した老婆らしく、必要な言葉以外の全てを省き、その時のオランに必要な無駄のない言葉を吐いた。


「お前は戦場で死んだって英雄にはなれない」


 もともと抽象的な他人の言葉を理解するのが苦手なオランは、その率直で少し飛躍した言葉に戸惑った。


「……なんで」


「英雄になりたくて堪らないって、ウズウズしてるからだよ」


 言いたいことを言うだけ言って、老婆は室内へと去ってしまった。
















「オラン!オラン!おい!」


 どれだけ叫んでも茫然とへたり込んでいるので、フサマキはオランに近づき、その頭を殴った。オランはやっと気づいたのか、開きすぎて閉じられなくなったのではないかと錯覚するほどの大きな目でフサマキを見た。


 フサマキにはすぐにわかった。こいつはもう使い物にならない。


「オラン、いいか。今の窮状を要塞本部に戻って知らせろ。道中で戦闘に出くわしても参加するな。一直線に戻れ」


 オランは何か言いかけて口を開けた。


「二人死んでんだ!お前が動くんだよ!」


 フサマキは無理のある命令を剣幕で押し通す。


「行け」


 オランは表情を硬直させたまま踵を返した。それを確認してフサマキはまた戦闘に戻る。敵の数は減ってきていた。




 左の拳が破損してガルはひび割れた赤い玉石のはめ込まれた右の拳だけで戦っている。後ろに戻って来たフサマキを一瞥して、歯を剥き出して笑った。


「残ったのはお前だけか?」


「すみません。一人返しました」


「お前らしいよ」


 殴る。引き千切る。切り裂く。


「まだ、ですかねえ」


 血飛沫。鈍痛。疲労。


「もう手榴弾使っていいぞ。ぶち当たる味方もいねえ」


 閃光。爆音。


「煙草が吸いてえなあ。フサマキ、お前は何だ?食いもんか?」


 リロード。血を拭う。


「ガル軍曹は知らないでしょうけど……柘榴」


「んだそれは。俺にも食わせろ」


「ええ、生きてたら」
















 戦闘が終わり、フサマキとガルは互いに支え合いながら要塞本部へと辿り着いた。急遽張られた大きなテントの下は怪我人で溢れかえっている。


 より重症だったガル軍曹が担架に乗せられた。装備の取り外された生の両拳からは骨が突き出ている。その拳が握っていた細かく赤い結晶の欠片が零れて、床に落ちた。


 横たわったガルは血が染みた目のままでフサマキを見つめ、言った。


「お前は俺みたいになるなよ。んじゃ、またな」


 何が彼の顔を切なくさせるのか、何が一番彼を悔やませたのかフサマキには分からなかったが、分からないままに答えた。


「ええ、また」














 比較的軽傷だったフサマキはテントでぼんやりとしながら治療の順番を待っていた。座っていると極度の緊張状態から解放されたせいか、血を流しすぎたせいか、ゆっくりと意識が遠のき始めた。


 そんな彼女の肩を揺する者がいる。何度も、何度も。血と泥の匂いがして、フサマキは眉間に皺を寄せつつ目を開けた。


 目の前にいたのはオランだった。額に切り傷を作って血が流れているせいで、右目が開いていない。全身が砂塵にまみれている。フサマキの血の気が引いた。


「オラン……お前、なんで私より後に戻って来てんだよ!」


 テントにフサマキの怒号が響くのも構わず、オランはフサマキの手を取った。その掌に何かを押し付ける。


 原形をとどめないほどに折れ曲がった一枚の小さな金属プレート―――クインのドッグタグだった。


「これを、探してたのか……?」


 上官の苦しそうな顔を見て、オランは困ったように微笑んだ。クインのタグだけでも見つけ出し渡すことができた安堵で、彼女の背筋を伸ばしていた気力が尽きた。前に倒れて、フサマキに寄りかってしまう。フサマキが彼女の腰に触れると、手にべっとりと血が付いた。急いで彼女を寝かせ、外套を脱がせた。衛生兵も騒ぎを聞きつけ、担架を持ってくる。腹部にコンクリートの破片が刺さっていたが、応急処置の段階で血は止まった。処置が行われる横でフサマキが彼女の顔を清潔な布でぬぐってやると、心地よさそうに表情が緩んだ。窮地は脱したように感じてフサマキも少し平静を取り戻す。担架を持ち上げた衛生兵の方を向いた。


「意識はあるけど、喉をやられたのか声が出ないみたいだ。よろしく頼む」


「分かりました。お名前は」


 フサマキがオランの名を伝えると、衛生兵の顔が一瞬曇る。


「……なにか、あるのか」


「いえ、ご協力ありがとうございました」


 衛生兵たちはオランを運んで行った。それはガルとは別の場所であったことにフサマキが気づいていたが、その時は疲労と安堵でそれ以上何も考えられず、治療を受け、ただ眠った。










 ガル軍曹は私の目を見て、またな、と言った。だから彼は生きているだろう。そういう人だ。あの拳では回復しても前線には立てそうに無いが、軍を抜けるだろうか。


 オランはどうだろうか。未練の無さそうな顔をして、あのまま死んでしまっただろうか。


 フサマキは清潔な白いベッドの上で微睡む。あの防衛戦から数日経つがまだ腕には点滴の管が付けられていた。看護師の許可無しでは院内を自由に歩くこともできない入院生活に、彼女は虚脱感を覚えている。カーテンだけで仕切られ複数の病床が配置されている部屋は時折心拍数を測定する機械だけが音を出している時間があり、何度も耳鳴りがした。


 カーテンを引き開け朝食を配膳しに来た若い看護師を呼び止め、フサマキはオランという女性が入院していないか問う。看護師は遠慮がちに答えた。


「ここは軍人だけの病院じゃありませんから……個人情報になるので、言えない決まりなんです」


 高圧的にならないよう声を潜め、フサマキは微笑んでみせる。


「同じ隊だったんですよ。ここに入院してるかどうかだけでいいんです」


 若い看護師は逡巡して、食事の乗ったプレートを見てからフサマキの顔を見た。


「教えたら、完食してくださいね」












 翌日、目を覚ましたフサマキのベッドの脇にある机に小さく折りたたまれた紙が一枚置かれていた。開くと、綺麗な字が一文だけ紙に書かれている。




「伺った名前の方は見つけられませんでした」




 傷病者が送られるはずのこの病院に彼女はいない。あの怪我で私より先に退院することは無い。




 そうか。あいつ、死んだのか。




 何の誇張でも強がりでもなく、フサマキは清々しいほどに悲しみを感じなかった。


 身近な人の死に触れ、その人間が死んだのだと認識した時。フサマキの記憶のなかに佇むその人間の外見や、表情や、手触りや、匂いや、声が、急速に淡くぼやけていく。さっきまでそこに在ったはずのものは過去になる。かつてそこに在ったものに成り下がる。現在、今に最も重きを置くフサマキにとってそれは致命的なことだった。


 フサマキはどちらかと言えば無神論者に分類されるような人間だが、人が死んだときだけいたって無神経に、好都合に天国の存在を信じた。何か超常的な存在が死んだ者達を暖かい場所に連れて行く。それなら何も悲しむことは無い。


 もう死んだのだとしたら、オランはいっとう良い場所にいるのだろう。人のために死んだのだから。


 そういう思考に至ると、もうその人のことを思い出すことも無くなる。今を生きている内に、至極全うな脳の処理として薄れて消える。


 フサマキは誰のことも弔えなかった。だから兵士を続けていられた。その心は安息を保ち何者にも乱されることはなかった。








 また同じ訓練を繰り返す日々に立ち戻ったフサマキは今、以前訪れた部屋に立っている。大佐の部屋だった。今回は大佐から呼び出されている。


「先の戦闘、大儀であった。貴様は三等軍曹に昇進となる。それに伴って、新たな武器―――コアギアを贈る」


 こちらに正面に向いた大佐の奥の机には、ブーツの形状をした装具と鈍く光を反射する赤い宝石を包み込む箱が置かれていた。


 赤い宝石。コアギア。その材を守るため多くの血が流れた。ガル軍曹はコアギアを纏って戦い、破壊された。


 新たなコアギアが今、フサマキの眼前にある。退役したガル軍曹の後釜ということだろう。


「かつて貴様が知りたがっていたこの鉱石だが」


 フサマキの言葉を待たず、大佐は語り始めた。


「この石には生きた人間の頭脳が入っている……そう言っていい。電気を溜める性質を利用して人の脳に流れる電気信号のパターンを模写してある。これを(コア)という。核は世界を見聞きし、発声し、身体を与えれば操作することができる。これによってコアギアのような精密兵器の運用が可能となっている」




 人の脳?


 フサマキは耳を疑うが、確かに大佐はそう言っていた。まだ何も理解が及んでいないまま、眉一つ動かさない大佐にこう言う。


「……脳の模写、ですか。それは、その……オリジナルとなる実在の人間がいる、という認識で間違いないでしょうか」


「あぁ。信号パターンを人間から鉱石に移す手術を『抽出』と言う。抽出元の人間には大きな負担がかかるので、我々は重傷を負い瀕死となった兵にその役を担わせている」


 え、とフサマキの口から勝手に小さな声が漏れる。硬直しそうになる頭を必死に回転させてフサマキは声を震わせた。


「つまり核になった兵は死んでいる、と?」


「核の中にその人格は移植されている。身体を移し替えたに過ぎない」


 フサマキは目を見開き大佐の鉄のように冷たい眼を見る。何を言っても意味が無いようにも感じたが、苦言を呈さずにはいられなかった。


「……本気で、おっしゃっているのですか。……では、この核には誰が」


 そう言って、その刹那に全身が凍りつくような怖気に襲われた。平静を欠く彼女に構わず大佐は言い放つ。


「オラン・モリ兵卒だ」


 確かに、いつまで経っても彼女の訃報はフサマキに伝えられていなかった。だから……だから何だと言うのだ?


「なぜ……なぜ」


 黒い布に包まれた赤い宝石は彼女の面影など一つも残してはいない。気分の悪い汗が体中を流れる。検査。脳。兵卒。軍曹の言葉。目を見開いたままフサマキは一つの推論に至り、それが間違っていることを祈りながら大佐に問いかけた。


「彼女は……オラン・モリは、核にするために……私の元へ送られ、この前線に配属されたのですか。……脳、脳波の検査をしたと言っていました。あの前線にいた若い志願兵たちは……核になる適正が高かった、のですか」


「あぁ」


「若い志願兵を募り、脳波を測定し、優秀な者は前線に送り、怪我をして戦えなくなっても脳が残れば核を抽出し兵器として利用する……大佐はそういったシステムに協同していると言うのですか」


「その通りだ」


 鷹揚と宣う大佐につかつかと迫り、その襟元をフサマキは乱暴に掴んだ。


「これが……これが我が軍の倫理ですか。オランは……オランは、核になるために死んだと?……抽出をしなければ、兵士には戻れずとも、風前の灯火だとしても、人間のまま死ねたでしょう!」


 皺の刻まれた顔で大佐は彼女の決死の義憤をただ正面から―――正確には左耳で受け止める。


「私を奸知の徒だと罵って貴様の溜飲が下がるならいくらでも罵詈雑言を浴びせるといい」


 フサマキは口を開きかけて、歯を食いしばってそれを堪えた。彼女には何も言えることが無かった。大佐を掴んだ手を離し引き下がる。


 大佐は振り返り核を見下ろしながら言った。


「我々の勝利は常に犠牲を伴う。オラン兵卒はその肉体と声を犠牲に強大な戦力そのものとなった。だから、このコアギアは貴様が使う」


 また新たな事実を叩きつけられてフサマキは目眩がしそうになる。


「……声?先ほどは発話すると」


 大佐はフサマキに背を向けたまま心なしか先ほどよりいくらか細い声で言った。


「……この核は発話することが出来ない。本来は装置に取り付けることによって声を得るが……この核に発話能力が無いのは、抽出時に脳に障害が起こっていたからだ。心因性の発声障害は核にそのまま引き継がれてしまった」








 心因性。


 そういえば、最後に彼女の声を聞いたのはいつだろう。担架に乗せられる前……ああ。


 なぜ気付かなかったのだろう。茫然として動かなくなった彼女に後退を命じたとき、彼女は何も言わなかった。言えなかったのだ。喉が枯れたわけでもない。恐怖と悪寒と失意が彼女から声を奪っていたのだ。








 煙草ばかり置いてあるフサマキの部屋の机。今は、そこに似つかわしくない、深い赤色の宝石がある。それはかつての部下の成れの果ての姿らしい。この石の中で生きているらしい。




 道徳なぞ説かなければ良かった。ただお前は軍の部品に過ぎないのだと、上官の命令を聞くロボットであればいいのだと、無駄口を叩く彼女を殴れば良かった。そうしていたら、彼女はただ生涯にわたるトラウマを抱えながらも軍を辞め平凡な生活を送れたかもしれない。








「ごめんな」


 返事は無い。そういえば、あいつは煙草にハマらなかった。吸っていた煙草の火を灰皿に押し付けて消す。


「私のせいだ」


 返事は無い。そもそも問いかけてもいないから、あるはずが無い。


「最悪だよな」


 返事は無い。


「死にたい?」


 返事は無い。


 フサマキは初めて布や箱を介さずに核に触れる。冷たい。当たり前だ。当たり前だろ。何で、食らってんだ。


「っう……ぐっ、う、ぁ……」


 その夜フサマキは、初めて仲間を喪った夜よりも、自分をかばって上官が大怪我を負った夜よりも、ある部下を見捨てる選択をした夜よりも、故郷が侵略者に破壊しつくされた夜よりも、自分を育てた祖父を喪った夜よりも、声を上げて泣いた。子供のように泣いた。




 フサマキは核を壊すことが出来なかった。装備した時だけ彼女を近くに感じた。彼女の核で侵略者は殺せなかった。それでも前線に送られ、怪我を負いながら戦い続けるうちにフサマキに任される任務は減っていった。








 フサマキは飢えている。自分を呼ぶ声に。



「フサマキ!」

 夜更けにノックも無く、雪崩れ込むようにアリカはフサマキの部屋に入る。松葉杖をついて息を切らしていた。


「また君か」


 フサマキは寝具以外何も無い部屋の窓辺に立ち、コアを握っていた。アリカを振り返りもしない。アリカは汗を拭いながら彼女の背中に向かって話す。


「名前、本人から、聞いてきた……オラン、って」


 コアを握る手がピクリと動く。


「誰に聞いたの」


「だから……」


「いいよ、アリカ。私の口から出まかせに出た言葉に付き合わなくったってさ。この石ころの区別なんて付きっこない。……ま、確かにこのコアはオランじゃないよ。君が寝てる間に盗んだんだー」




 まだ肩で息をしているアリカを振り返って、フサマキは意地悪に笑って見せる。その右手には何も取り付けられていない、裸のコアがあった。




「……本当に、盗んでたのか」




 開いていた窓から冷たい夜風が吹く。




「あのさあ。バケモノも、人間も、生きても、死んでも、ずっと苦しーことばっかだよ?アリカはさ、ただお父さんとのんびりしてればいいんだよ。こんな石ころのことなんて忘れてさ」


 フサマキはわざとらしくコアを持ち上げて、アリカを見、それを握る手に力を入れる。


「やめろ!」


 アリカが叫ぶと、背後でより大きな物音がした。振り返ると、古びた人型ロボットが前に倒れて手をついている。




 ナターシャ、またはエレナが昔使っていた身体だった。アリカは最も早く移動するために使っていた松葉杖を脇に置いて、そのロボットを助け起こす。依然としてナターシャはフサマキの手の中にあるが、もう彼女への心配は無かった。




「それ……」




 それほどにフサマキは狼狽していた。




「オランが入ってるの」




 フサマキの声が震える。無論オランのコアがその身体に入ったとしても声を出すことはできない。それでもひどく怖かった。彼女から面と向かって怨み言を言われることが。




「言っただろ、本人から聞いたって。ほら」


 アリカが支え起こし、ぎこちなく膝を付いたそのロボットの胸には赤い宝石が灯っている。フサマキはあくまで自分が平静を保っているかのように、そう思い込むように、つらつらと棘のある言葉を並べる。


「わかんないなあ……こんなことして何の意味があるわけ?私の妄言に付き合って、なんでこんなことすんの?足掻くなよ。……こんな……馬鹿みたいなロボットが、人間の身体の代わりになんか」


 言葉の切れ目を待たずに、ロボットはいきなり立ち上がった。そして、持っていたタブレット端末の画面をフサマキに向ける。



「もう やめてください


 ナターシャ さん を はなしてください」



 その液晶画面には、確かに文字が表示されていた。音声は伴っていないがオランの思考が素早く文字として表示されている。



 それは迫撃機巧の技術だった。迫撃機巧を機動する際、コアの電気信号を素早く動作に変換する過程で、その思考の明文化も行われていた。アリカはフサマキの言葉を受け、ユーニが口を持たずともタブレット端末でコミュニケーションを取っていたことを思い出し、同じようなことができないかメカニックに掛け合っていた。


 ナターシャのものだった身体をオランが動かせるようになるまで少し時間がかかってしまったが、オランがタブレットに最初に表示した文言はこうだった。



「オラン・モリ です


 ナターシャ さんが あぶない」


 そうして、アリカは全速力でフサマキのもとへ駆けつけた。






 凛として立つ、ロボットの身体のオランを前にしてフサマキは化石して動かない。動けなかった。オランは彼女らしくじっくりと、重く言葉を紡ぐ。



「あなたに 言ってるんです」



 静かな部屋の中でフサマキだけが乱心し、叫んでいた。


「うるさい……うるさい!今更、いまさら、何を」



「フサマキ軍曹」



 その蒼い瞳に見据えられた気がして、フサマキは息を呑む。彼女の瞳などもうどこにも在りはしないのに。


「アリカさん に やすんでほしいなら そう 言えばいいんです」


「どうして そんな 不器用 に なってしまったんです」


「……」


「私 生きてるのに なんで ずっと そんな顔 してるんです」


「……」


「私のこと 勝手に 決めつけないで ください」


「……っ……だって、全部、私が、私が」


 オランはアリカに肩を借りて、フサマキに歩み寄る。オランはナターシャを持ったままのフサマキの右手をゆっくりと取った。


















 風が吹いた。森を吹き抜けてきたかのような爽やかな風だった。ここには瓦礫しか残っていないはずだった。




「フサマキ軍曹」




 声が聞こえた。懐かしい声だった。何度も聞いた声だった。忘れようとした声だった。諦めた声だった。


 フサマキの前には怪我の一つも無い、三つ編みの金髪を靡かせる軍人が一人立っている。柘榴を食べたあの日のような高原に立っている。


 幻、だろうか?都合の良い夢だろうか?


「私、生きたくて、今生きてます」


 オランは靡く髪を耳にかけてそう言った。


「あの時、とても怖かったんですけど。軍曹のそばでなら、戦えます。私はこれからも軍曹のそばで戦いたいです」


 何度も繰り返した言葉のように、力と滑らかさを持ってその声は響いた。堂々とした彼女に、フサマキは気後れする。


「私のこと……憎く、ないの」


 その声はまだ震えている。自分が救われたくて、ただそのための言葉を吐いてしまったような気がして俯く。


「それ、ずっと分からなかったんです。なぜ私が軍曹を憎む理屈があるんです?」


 オランは本当に分かっていないような顔で上官の顔を覗き込む。


「言ってもらえないと分からないです、私」


「……いいよ、ごめん……もう、良いんだ、ただの思い込みなんだから」


「……泣いてます?」


「馬鹿、こういうときは、っ、何も言わないんだよ」




 嗚咽を押し込めて、フサマキはオランの肩を強く掴み、泣いている顔が見えないようにその鎖骨に頭を押し付けた。オランは上官の言葉に反抗するように、言葉を並べ立てる。


「もう、ぼーっとしないでください。私のこと、ちゃんと使ってください。何回も、避けられたような攻撃で怪我しないでください」


 オランは肩を震わせるフサマキをぎこちなく抱く。


「軍曹には私がいるんですから」


 人肌の温もりを際立たせる寒風が全てを攫っていった。














 カチリ、と音がしてナターシャのコアがいつものネックレスに戻る。その途端にナターシャは不満げに話し出した。


「全く、酷い目にあったわ」


 バツの悪そうにフサマキは頭を下げる。


「悪かったよ……」


 人型としては小さな身体に入ったオランも彼女を叱る。


「軍曹 良くなかったです」


「まあまあ…」




 ナターシャ、フサマキ、オラン、アリカの四人はフサマキの部屋で話を交わしていた。








 小さく鼻を啜ったフサマキが本題に触れる。


「さっきの幻か夢みたいな……あの、現実じゃない空間。私とアリカは一度体験して、これが二度目になるけど……あれってナターシャがやったの?というかアリカは見えてた?」


 うーん、と少し考えてアリカから話し始める。


「アタシは遠くからぼんやり見えたって感じだ。鳥みたいな視点だったからアタシは何が起こったかよく分かんなかった」


 フサマキは取り敢えず自分の泣き顔が、少なくともアリカには晒されていなかったことに胸を撫で下ろす。


「そうね。私も草原の果てから箱庭を見下ろしてる感じだったし、身体も人間の時のものに戻ってたわ」


「あの女の子、ナターシャだったのか」


 近くに長髪の少女の姿を見ていたアリカはその正体に驚く。オランはナターシャの方を向いた。


「あの空間 私と軍曹 だけじゃなくて ナターシャさんと 作った 感じが しました」


 誰もその感覚を上手く説明することは出来ないが、誰もがその実感を抱いていた。アリカは満足気にナターシャに笑いかける。


「やっぱり、ナターシャはコアとしての経験が多い分、特別な力があるんだ」


「やめてよ、おばあちゃんみたいじゃない」


 ナターシャはアリカを窘めるように言うが、それこそ老いた人間のような響きを持ってしまい、苦笑した。


 そんな彼女らを見て、フサマキとオランは顔を見合わせる。




「……オラン、いいんだな」


「もちろん です」




 フサマキは改めてアリカ達に向き直った。同じ高さの、同じ目線で、真っ直ぐに。


「私達は、アリカとナターシャに賭けてみる」






「……あぁ!」


 アリカは目を輝かせフサマキ、オランと固く握手を交わした。




 しかし、勢いよく開かれた扉によって暖かな室内に冷えた外気が雪崩れ込む。扉を開けたのはマダラだった。彼も肩で息をしている。


「皆さん、こちらに……おられますね……色々、まとまったので、別室にて……ご説明します」


「喧しい日だなあ……」












 三日三晩研究の指揮を行ったせいでマダラの目元には分かりやすい隈が出来ている。物で溢れた会議室で椅子に座った全員に資料を配り終えると、咳払いをしてホワイトボードの前に立った。


「技術班と協議を重ね、行き着いた(コア)についての仮説を一つ」








 それは、「核は肉体に惹かれる」ということ。


 迫撃機巧に用いられていた核技術は、搭乗者の脳と核を接続するものだ。これにより巨大兵器の迅速かつ精密な操作が可能となっていたが、搭乗者の肉体感覚の段階的な喪失が課題だった。


 これは核と搭乗者の内的世界が混じり合うことによる弊害だ。核は外界を認識することができるが、それはカメラのファインダーを覗くようなもので、現実感―――今、自分がここにいるという感覚を伴わない。 


 そんな核が迫撃機巧の一部となり、搭乗者とそれを動かすことは終わりの無い離人感から抜け出す一つの手段になり得る。搭乗者の脳と鋼鉄の器があれば、核は疑似的に自らの躰を手にすることができた。


 つまり、核はその意思に関わらず、搭乗者の肉体感覚を段階的に侵食し、乗っ取っていた。


 実際、かつて搭乗者の消えた第四號機も、自身に喰らいついてきた口腔型侵略者を吸着し、その脳を利用することで、核のみで第四號機を自律的に作動させた。


 ニッポン以外のサードアースで用いられているコアギアについては、迫撃機巧よりも装備した人間との内的な同調が起こりにくいため同様の現象は起こらないものの、兵器としてのスケールの違いから火力に欠ける。


 しかし、セカンドアースでは全く別のアプローチで開発が進んでいた。アリカの持ち帰ったデータやナターシャのかつての身体から分かったことだが、彼星ではそもそも核を人間の肉体を必要としない存在として技術革新が行われていた。核に多大な負担を強い、かつ機動の成功率の低いものだが、人間を模した形のロボット―――コアロボットの開発。


 これは我々の星より発達した脳科学によって齎されている。そして今、その科学の一端が明らかになった。








 マダラは書類から目を離し、爛爛とした目で力強く言った。


「アリカさん。出来ますよ。誰も犠牲にならない―――新しい迫撃機巧が!」
















「王、そろそろお休みになられては」


 グソクは心配げに言うハナガサの顔も見ずに書き仕事をしている。その顔には隈が浮き出ていた。


「まだシャクルトンの治水工事の件が片付いていない。有能体人材の提供を行った諸侯への論功行賞も迅速に行わねば……」


 そう言いながら手を動かし続ける。セカンドアースが星として統一されたのは大昔のことではなかった。荒廃したままの街や、働くことのできない傷痍軍人から構成されるスラムなど、内戦の傷跡がまだ色濃く残っている。それらを根本的に解決するための資源の大量採掘、エネルギー変換の技術は未熟である。星全体の万全なインフラの構築には数十年かかる。他の星から奪わなければ、の話だが。


 何時間も部屋を照らし続けた蛍光灯がハナガサを照らす。


「……試すような真似をしてしまい申し訳ないのですが……私は今、王子のことを王、と呼びました」


 グソクの手が止まる。


「……フッ。そうだったな。私が正式に王になるのはもう少し先だ」


 微笑が漏れて、ペンが机に置かれた。疲労がハナガサによって証明されたグソクが席を立つ。


「少し休む。四時間後に起こせ」


「はい」


 普段より少し緩慢な動きで王子が部屋を立ち去る。ハナガサはその背中を見て誰もいなくなった部屋の電気を消した。




 五時間後に起こしに行ったら叱られるだろうか。……確実に叱られるうえに信頼を失いそうだ。やめておこう。








 ハナガサは足早に廊下を進み、次の仕事のため聖遣ダーリアのいる地下へ向かう。




 鈍重な扉を開けると、真っ白な部屋を区切る硝子の向こうに透明な触手が満ち満ちていた。その中で目を閉じていた聖遣がこちらに気づく。ハナガサは硝子に近づき、跪いた。


「平服で拝謁することをお許しください、聖遣様。私、グソク王子側近のハナガサと申します。最終侵略戦争の日程が迫っておりますので、ご挨拶に参りました」


 触手が蠢き、重力を反転させた聖遣が上方からハナガサを覗く。


「あなたがグソクの代わり?ねえ、少しお話しよう?」


「……烏滸がましいことですが、私に務まるのであれば」


 にこやかに語りかける聖遣の頼みにハナガサは逆らうことはできない。引きずりこまれそうな深く昏い瞳がハナガサを捉えていた。


「この前ね、私、グソクをびしょびしょにしたんだよ。だから、あなたと私の間にはぶ厚い硝子がある。こんなの、意味ないのにね」


 聖遣は嬉しそうにクスクス笑い、大きな触手を硝子に沿わせる。それらの太さも大きさもこの部屋を破り滅茶苦茶に破壊するのに申し分ない力を証明しているようだった。気圧されないようハナガサは聖遣から目を逸らさない。


「……グソク王子に何をなさったんでしょうか」


「つまらない話ばかりで退屈だったから、この触手で顔を覆ったの」


 聖遣は液体に近い触手をハナガサの目の前に伸ばす。


「グソク、それで息が出来なくなっちゃって、すごくもがいて……フフッ。おもしろかったなあ」


 あどけない少女のような純粋な笑い声が漏れる。対してハナガサは険しい顔をして、重く口を開いた。


「……申し訳ありません。たとえ聖遣様と雖も、私は……王子を侮辱するような対話を行うことはできません」


 聖遣から笑みが消える。ハナガサは自分の身体を冷や汗が伝っているのを感じた。自分の命令一つで簡単に操ることのできるはずの彼女に、ハナガサは体を強張らせている。


「あなたはカムリの代わりなんだね」


 緊張を緩めるような柔らかい声色だった。予想外の言葉にハナガサは驚く。


「なぜ、そう思うのですか」


 聖遣は悠然と空中を一回転し、触手の上に座り直した。そしてハナガサに微笑む。


「グソクに気に入られそうなひと。グソクを放っとけなそうなひと。それがあなた。ねえ、私気になることがあるのだけれど」


 放っとけない、という言い草に部下の身分であるハナガサは引っ掛かりつつも、彼女を見上げる。


「なんでしょうか」


「あなたはどうして戦争をするの」


 好きな食べ物を聞くかのように、軽く聖遣は言った。ハナガサは顎に手をやって考え込む。


「……私達の次の世代が豊かに生きられるように。そのために私はここにいます」


「それで、今を生きるあなたは辛くならない?」


 憐憫を受けているようでむずがゆくなり、眉尻を下げてハナガサは微笑んだ。


「軍人に、非業では無い死などありませんから。過去を生きた者達のためでもあるのです」


 ぼんやりとした蛍光灯に照らされて頬杖をついた聖遣は目を細める。


「あなたも可哀想なひと。大義に絡め捕られて、自分が今どんな顔してるのかも分からない」


 え、と思わず声が漏れた。聖遣は構わず欠伸をして触手の山からふわりと下りる。


「私、もう眠るね。またね、ハナガサ」


 聖遣は自らを触手で包み込んでいく。白い部屋を照らしていた灯りが消え、ハナガサの困惑した顔が暗い硝子に映った。








 やはり、聖遣には人格が強く残っている。あれだけの脳を一つの身体に接続し溶かしこんでいるにも関わらず、記憶にも混濁が見られない。理知的な会話を行うことができる。本来、計画の上で聖遣は与えられた命令を忠実に実行するだけのロボットと化すはずだった。


 聖遣が命令に反発したことは無いが、あれだけ意識が明瞭である以上、警戒するべきだろう。こちら側の情報を不用意に漏らすことも避けたい。となると、私はもう彼女と言葉を交わすべきではない。空将と同じ道を辿るわけにはいかない。


 ハナガサは死んでいった仲間達を思い浮かべながら、硬い廊下を踏みしめるように進む。


 その胸に聖遣の言葉が小さな棘の如く刺さったことには気づかないまま。












 アリカ達が陸軍大将と連絡をとってから三日後。




 アリカとナターシャ、フサマキとオランの四人が基地の一室に入ると、軍服を着た男が木箱に座っていた。


「あ!私のリンゴ!」


 関節の太い、土色の髪の男はフサマキに見つかってなお豪快にリンゴを齧る。三口ほどで綺麗に平らげてしまった。フサマキを見てだらしなく笑う。


「悪い、一個だけ残してあるから許してくれよな」


 大きな木箱に座った男は反省のポーズをとってみせるが、誰が見てもそれは上辺だけのものだった。フサマキは笑みを崩さないまま単刀直入に言う。


「返せよ」


 おう、と言って男は左手で奥の木箱に入っていた最後のリンゴを取り出し、フサマキに差し出した。


 彼女がそれを奪い取ろうとした瞬間、彼はそれを握り潰す。指の形に果肉がめり込み、滅茶苦茶に割れて幾つかに分断されたリンゴがぼてっと地面に落ちた。フサマキの顔に少しの果汁がかかる。


「わり、ちょーっと力加減ミスっちまったぜ。俺ってばドジっ子なんだ」


 左手に付いた汁を振り払い、ハリアはわざとらしく口角を歪ませた。


「そーんな握力が強けりゃ普段の生活も大変だろうねえ~」


 フサマキは笑顔を張り付けたまま、汁を拭いもせずに男に相対する。


「そーそー。俺この通りムキムキなんだけど、左手は余計に、な」


 男が立ち上がり腰に手を当てると、袖を通さずに肩にかけていた上着が木箱の上に落ちた。半袖から覗く右腕の、二の腕とその先には明確な境界線がある。素肌のはずの右手は布のようなもので覆われ、左手よりも薄い橙色だった。


 男は短髪の女性―――アリカを見やる。


「片方が義手になると、もう片方の腕がよりムキムキになっちまうよなあ、アリカさんよう。アンタも義足だって聞いたぜ」


 アリカは男に近づく。その足音には金属音が混ざっている。アリカが男を見上げる眼光は鋭い。


「アンタ、本部から来たハリア・ハクトウで合ってるよな」


 アリカの低い声にも気圧されずに男はニヤついたまま話す。


「ああ!俺こそがコアギア使いの第一人者、ハリア・ハクトウだぜ」


「ふ、聞いたことないけど」


 ぼそっとフサマキが呟いて、ハリアは目くじらを立てる。彼がフサマキに向かって口を開く前に、アリカはきっぱりと言った。


「それ、アンタが片付けてくれるよな?」


 白い床にはリンゴの欠片と果汁が散乱している。ハリアは大げさに肩をすくめた。


「お掃除なんて軍曹のやることじゃあねえな」


 すかさずフサマキがタブレットを正面に掲げる。


「人として おわってます」


「……なんだこのタブレット」


 困惑するハリアをよそにナターシャも喋り出す。


「うーん……本部はほんとにこの作戦にあなたを選んだのかしら。人違いじゃない?」


「うるせえなあ石ころ!」


「ナターシャよ」


 ハリアは舌打ちして、ずいとアリカに迫る。


「知るか。なぁアリカ、お前の作戦をざっと見たけどよお、例の人型をどう攻略するか、それしか書いてねえ。それで、勘の良い俺にはなんとなーく分かった。実際お前のツラを見て確信した」


 アリカはその敵対的な軽侮の視線を浴びる。


「お前、侵略者ぶっ殺す気、無いだろ」


 場が静まり返る。


「ああ。アタシは誰も殺さない」


 一切怯まずに綺麗事を抜かすアリカにハリアは嘆息した。


「ケッ。ヒーロー気取りの脱走兵が。お前がそんな体たらくじゃ、俺ぁとても命張る気にはなんねえな。金がもらえる程度にテキトーに戦うぜ、俺は」


 そう吐き捨ててハリアはアリカを押しのけて部屋を出て行ってしまった。








「あれ、ハリア軍曹はどこに……」


 背嚢型の機械を抱えたマダラが扉を開けるなりきょとんとした。本部から作戦に参加するために派遣されたハリアとアリカ達の顔合わせのはずが、部屋に彼の姿は無く、アリカとフサマキは二人で床を拭いている。フサマキが立ち上がりあきれ顔で言った。


「今しがた出てったよー」


「あぁ、やっぱり……」


 マダラの抱える、見るからに重そうな機械からどんよりとした若い男性の声が聞こえた。アリカは驚いて目を見開く。


「もしかして、ハリアのコア……」


「そうです。私はジャケット・イエローといいます。あの、それ、あいつがやりましたよね……。すみません、本当に」


 アリカの前に現れた新たなコアは申し訳なさそうにそう言ったのだった。








 五人全員の紹介が終わって、皆の来歴に驚きつつもイエローは改めて問いかける。


「あの、ハリアが何か失礼なこと言いませんでしたか」


 アリカはフサマキと目配せしてから話し始める。


「これは失礼ってわけじゃないんだが……アタシに侵略者を殺す気が無いって気づいて、呆れて出てったんだ」


「そう、ですか」


 彼はそう言って、俯いたような気がしてナターシャは彼の格納されているコアギアを見つめる。


「イエローもこの方針には反対かしら?」


「いえ、あの……理由を伺ってもよろしいですか」


 アリカは胸元に下げたナターシャを掌に乗せ、彼女から勇気を借りるようにして声を出した。


「ここでナターシャと戦っているうちに、色々あって……侵略者が元人間だったって分かったからだ」


 コアとその使い手、一定以上の階級の者、一部のメカニック、オペレーター等には、セカンドアースからの宣戦布告があってから軍より通達があった。侵略者は人間を改造して産まれた存在であると。歪められ兵器となったその魂を解放するのが我々の使命であると。


 元々、命を奪っていることは分かっていた。それでもこの真実に苦悩した者は多く、実際に幾らかの人員が戦争に携わることを辞めた。緘口令が敷かれてはいるが、噂としていずれ広まるだろう。


 今この基地に残っている者の殆どはその事実を知ってなお、働き続けている。


「……強いんですね、アリカさんは」


 イエローの声色は柔らかく、そして羨望も感じさせるようなものだった。


「敵星の強大な兵器を無力化しようという作戦の中心にいながら、侵略者を殺さないという意思を示しておられるんですね。私は、侵略者は殺すべきだと思っています。彼等はもう人間ではありませんから。でも、あなたのような人間がいてもいいと思います。これは標的の絞られた作戦ですし。……すみません、上から言うようで」


 アリカの緊張が緩み、少し顔がほころぶ。


「いや、とんでもない。……ありがとう、イエロー」


「あとは、ハリアがこの作戦に乗ってくれるかどうかね」


 アリカはため息交じりに言うナターシャに目を落とすと、ズボンの裾からプラスチックの義足が視界に入った。聞かなければならない要件を思い出す。


「あ、あと聞きたいことがあるんだけど、アタシの義足の所在って聞いてないか?パシェ大将にハリアに持たせるって言われてたんだけど」


 イエローはまた申し訳なさそうな声に戻る。


「あー……多分ハリアが知っていますけど、私ではまともに口を利いてもらえないので……でも、アリカさんにも敵対心を抱いているなら教えてもらえないかもしれません……すみません……」


 ナターシャが訝しげな声を上げた。


「……あなた、彼と一緒に戦ってきたのよね?口を利かずに連携はとれてたの?」


 会議室の机に置かれた黒いコアギアに視線が集まる。


「最初は違ったんです。私はコアギアの精密操作や立体的な状況把握といったコアとしての能力に乏しかったため、ハリアに導いてもらいながら戦っていました。ですが……その、ある出来事があってからあいつは私に何も話さなくなり、私は完全にあいつに操られるような形になってしまって……勿論連携も何もあったものではないので、味方を省みない大規模な攻撃や無駄な被弾も多く……ここに来るまでは前線から外されていました」


 思わず小さな驚きの声がアリカから漏れた。


「人間がコアを操ってたのか」


 それにマダラが反応する。


「迫撃機巧に乗ってきたアリカさん達には意外かもしれませんが、コアギアの性能は核より使い手のほうに依存するんです。……それにしてもこのような例は少ないですが」


 椅子に深くもたれながらフサマキは黒のコアギアを注視する。


「味方が危いくらい大規模な攻撃、って……そんな力持っときながら外されるなんて相当だね。君はどんなコアギアなの?」


「飛翔のコアギアです。ミサイル等の銃火器も積めるような構造になってます」


 はにかむように答えたイエローの声を聞いて、フサマキの胴に立てかけていたタブレットに文字が灯る。


「もしかして フライングマン ですか !」


 文字を見てフサマキも目を見開く。アリカとナターシャは何のことだか分からない。イエローは過去に想いを馳せて少し笑う。


「あぁ、懐かしいですね。そう呼ばれていた時期もありました」


「有名だったのか……」


 俄かにオランが色めき立ち、アリカ達に彼等について伝えた。


「最初 の コアギア です


 噂になる くらい 大活躍 してました」


 ナターシャは床に少し残ったシミを見ながら言った。


「それなら増々気になるわね。ハリアがなぜああなったのか」


 黒のコアギアには、メンテナンスしても残る歴戦の傷跡が刻まれている。


「さっきも言ったんですけど、最初はあんなじゃなかったんです。粗野な所は相変わらずですけど、落ち込んでいる私を激励してくれたこともありました。あいつが変わったのは、六月……あいつの恩人とその息子が私達の目の前で殺されてしまってからです」


 部屋が静寂に包まれる。


「……やさぐれるには十分すぎる理由ね」


 同情するようなナターシャの言葉にイエローは前のめりになる。


「でも、あいつはただ悲しみに暮れているわけではないんです。今も兵を続けていますし。もっと、別の事に原因があるような気がして……私はなんとかそれを聞き出したいのですが、任務が終わればすぐに私から離れてしまうんです」


「このからだ 不自由 ですよね」


 イエローに強く共感するようなオランの言葉にフサマキは胸が痛くなった。


「でも、話してどうにかなることかしら……」


 アリカは考え込んだあと、前を向く。


「確かに、アタシ達が何を語っても意味が無いかもしれないけど……せめてイエローとは話してほしいな。いつまで生きられるかなんて分からないのに、一番近い人と何も言葉を交わさないのは……ずるい。ずるいよ」


「そのとおり です」


 フサマキはタブレットを手に支えながら困ったように微笑む。


「言えてるね」


 窓から入った光がコアギアを照らしていた。装甲の一部が透けて赤い光が覗く。


「そうですね……そうかもしれません。あいつはずるいです」


 ナターシャも少し笑った。


「そうね。とにかく話さないわけにはいかないわね。義足も返してもらわないといけないし」




 柔らかな日差しの入り込む彼女等の部屋に突然非常ブザーが鳴る。侵略者が現れたのだ。フサマキはすぐさまオランをタブレットの背面からブーツ型コアギアに付け替え、部屋を出る。


「マダラ、ここの車使うぞ!」


 イエローのコアギアを抱えてマダラも叫んだ。


「鍵は倉庫にあります!私は指令室へ」


 六人は二手に分かれて廊下を走る。フサマキはアリカが付いてくるのを見て声を荒げた。


「アリカ、君はここにいろ!」


「もう走れる!包帯巻くくらいはできるさ」


 ほんの少しの時間葛藤して、フサマキは脚を止めアリカを振り返った。そして彼女を抱き上げ、目的地へ向けて飛ぶように駆け抜ける。フサマキのコアギアが熱を帯びていた。個別で走ってアリカを待つよりこの方が遥かに速い。


「前には絶対出ないでよ!」


 アリカは流れるような動作でフサマキの腕から降り、倉庫の壁に掛けられた鍵をフサマキに投げた。


「了解!」




 七年前。


 ミネソタの基地を春の光が包んでいた。息を吐いて、新品の軍服を着た若い男は基地の中、とある部屋の扉をノックする。どうぞ、と声が聞こえて扉を開けると、懐かしい顔があった。年相応に顔の皺は増えているが、茶髪を短めに切りそろえた髪型は変わっていない。入隊したての男は溌剌と声を張る。


「マトラ大佐、お久しぶりです。ハリア・ハクトウです。覚えていらっしゃいますか」


 恰幅の良い青年にいつか出会った少年の面影を見出し、マトラは目を見開く。


「君、あの時の……セントクラウドの少年、か。大きくなったな。動向は気になっていたんだが、まさかここで再会するとは思わなかったよ」


 マトラは懐かしい記憶に触れて微笑んだ。そして握手を交わす。


「大佐のお陰です。俺……私はあの時碌に礼も述べてませんでしたので、こうして伝えたかったんです。ありがとうございました」


 ハリアは慣れていない敬語でそう告げる。


「ふふ。なんだか君に畏まられるとこそばゆいな。出会った頃はあんなに小さかったのに」


 マトラの瞳に青年が映る。ハリアはしたり顔で胸を張った。


「そうやって子供扱いなさってるうちに大佐の階級を追い抜いてみせますよ」


 不遜なハリアにマトラはまた口角を上げて、肩をすくめる。


「心根は変わってないな。期待しているよ」








「所帯持ち?」


 ハリアが大きな声を出すと、対面に座る同年の男、アカゲ・リトカが口に運びかけたスプーンを下ろした。


「そんな驚くことか?子持ちの軍人なんて別に珍しいことじゃないだろ」


「いや、まあそうか……」


 腑落ちしないままのハリアにアカゲも困惑する。


「何だ、恋でもしたのか?」


「おい、どんだけ年の差あると思ってんだよ。マトラ大佐はあれだ。命の恩人ってヤツ」


「ふーん……え、まじで?」


 アカゲは目を丸くする。ハリアはパンを頬張りながら答えた。


「ああ。ガキの頃にな。そん時はなんつーか、孤高っつーか、寄せ付けない感じがあったんだよ」


 夜の食堂は訓練を終えた軍人で賑わっている。アカゲは普段プライベートを知ることのない上官の話に興味津々だった。


「ガキのお前を救ったんだろ?そんなに冷淡だったのか?」


「いや、優しかったぜ。でも影があんだ。そんで表情がぎこちない。ロボットが人間演じてるみてえだった」


 そう言うハリアをアカゲはまじまじと見つめる。


「……お前って自分のことしか考えてないように見えて結構人のこと見てるよな」


「それは褒めてんのか?喧嘩売ってんのか?」


 話しながらも早々に夕飯を平らげたハリアは不敵に笑いながら手の骨を鳴らして見せる。アカゲも食器を置いてニヤっと笑った。


「褒めてんだよ。飯と酒と女のことしか考えてないけど人を見る目はあるな、って」


「褒めにしては前振りが酷えんだよ。ぶん殴るぞ」


 まあまあ、と笑ってアカゲは眉を逆立てるハリアをいなして席を立った。








 それから半年が経って、新人であるハリア達も過酷な任務に配属されるようになった。ハリアもアカゲも侵略者と苦闘しながらも、任務が終わればくだらない話ばかりして盛り上がった。


 二人が袂を別つことになったのは、八年前の冬―――人型侵略者を退ける任務の終わった夜だった。三隻の空挺と初めて観測された人型侵略者を完全に撃滅するのに五日かかった。苛烈な消耗戦となり負傷者の集められた基地の一室には安堵と疲弊が広がっていた。広い部屋の隅に座り込むアカゲを見つけて、ハリアは彼に向かって歩む。


「お前、今日何にも食ってないだろ。持ってきてやったぜ」


 片手に食べかけの携帯食を持ちながら、同じものを彼に差し出した。アカゲは悍ましいものを見るような目でただ彼を見つめる。


「頭おかしいんじゃないのか、お前」


 憔悴しきった瞳が震えていた。ハリアは差し出した手を下ろす。


「今日どれだけ民間人の死体を見たと思ってる?それに……今日の侵略者は人の形だったんだぞ?こんなの……人間を殺したのとさして変わらねえ」


 ハリアや大半の軍人はアカゲのような繊細な感情を排し、あれは確実に化け物だと断定していた。人型と呼称しているとはいえ、上半身以外は触手が蠢くばかりで人の形をしていない。人だろうが何だろうが、市井の人間に仇なす敵を排除して金を貰う。それがハリア達のやっている仕事だ。


「覚悟の上だろ。食わなきゃ明日から戦えねえ。戦争は今日終わったわけじゃねえ」


 今まで共に戦ってきたアカゲが弱音を吐いていることに苛立ちを感じながら、そう吐き捨てて棒状の携帯食をアカゲの手元に投げ落とす。アカゲはそれを掴み、ハリアの胸に投げつけた。黙っているハリアの顔も見ずによろよろと立ち上がり、


「おかしいのはお前らだ」


 そう呟いてハリアの元から足を引きずりながら去って行った。




 それから暫くして、アカゲは軍を辞めた。




 いつでも食べられるのは才能。才能を欠いた者はここでは生きられない。正しい。正しい言説だ。俺は命を賭けて働いているから大金を貰える。大金で旨い飯を山ほど食える。俺は強いから死なない。俺はどんな敵を殺しても、どんな死体を見ても、周りの奴が死んでも、戦いが終わったら飯が食える。戦い続けられる。こういうのを天職って言うんだろう。




 ハリアはその頑強さと観察眼、冷静な判断力から多くの戦果を挙げ、順調に昇進していった。








 三年前。


 事前に説明された通りの新兵器がハリアの眼前に輝いていた。マトラが抑揚のない声で彼を祝う。


「昇進おめでとう、ハリア軍曹。君の新しい武器とバディだ」


 兵器の中に透けて見える赤い宝石から緊張の感じられる若い男の声が発せられた。


「イエロー・ジャケットと申します。よろしくお願いします」


 ハリアは黒い背嚢型の兵器を見下ろして、低い声で呟いた。


「ホントに人が入ってんだな。どうせなら女が良かったぜ」


「なっ……」


 絶句するイエローの入ったコアギアを抱え、ハリアは早々に部屋を出て行った。








 重いコアギアを小脇に抱えながら、ハリアは暗い廊下を大股で進む。イエローは周囲に人がいないことを確認して、ハリアを咎めた。


「あなたどういう神経なんですか?私はいいとして大佐の前でなんてことを」


「あぁ悪かった。悪かったよ。よろしく、イエロー」


 意に反してすぐに非を認めたハリアに、はぁ、とイエローの気の抜けた声が漏れた。ハリアは幅の狭い階段をずんずん登っていく。


「それより、マトラ大佐、またやつれたと思わねえか」


「え、あぁ……確かに少し疲れが見えたかもしれません、が……ずっとあのようなご様子なのですか?」


 若くしてコアになったイエローにはマトラ大佐のような上官との接触も少ない。狭い空間に声と足音が反響する。


「旦那さんを亡くしてからずっとだ。今じゃ、喧しい部下に何の苦言も呈さねえ」


 ハリアは悔しそうにそう吐き捨てた。


「そう、だったんですね」


 階段を登り切った末に扉を開けると、強い日差しがハリア達を照らした。ゴーグルを着け、斜めになっているベルトを装着し兵器を背負う。


 淡い空の下、背中に格納されていた鉄の翼が勢いよく広がった。


「まだ誰もやったことの無い試みだ。他人は頼れねえ。俺とお前で強くなるぞ」


「はい!」


 大きく返事をした瞬間、エンジンがうねる。赤い輝きと白く塗られた鋼鉄の翼によって、彼等は力強く羽ばたいた。








 二人は数々の戦場に羽ばたき、数多の侵略者を撃墜した。出撃を重ねるごとにコアギアの性能も上がり、新たなコアギアも作られるようになってきている。それでも最も侵略者に対して強い破壊力を持つのは彼等だった。




 いつものように街から侵略者を退けたある晩、ハリアは自室に入るなり机にコアギアを置いて、その上面に胡坐をかいて座った。険しい顔で腕を組む。


「お前、今日上の空だったろ。何考えてた」


 その日はイエローの細かい連携のミスや判断の遅れが目立った。イエローにもその自覚があり、恥じるように答えた。


「すみません。……その、同じ年に軍に入った友人が死んだと、知って……」


 嘆息して、ハリアは棚のブロック状の携帯食を取った。


「どいつもこいつも……イエロー。お前、神は信じてるか」


 そう言って硬い携帯食を貪るハリアをイエローは少しの間見つめる。戸惑いを感じながら声を発した。


「……軍に属する人間が信教を明かすのは禁じられています」


 肩に食い込んだベルトの痕を掻きながらハリアは呆れた。あっという間に携帯食は食べ終わっている。


「ホントに堅物だな、お前は。誰も守ってる奴いねえよ、そのルール。別に、何教か聞いてるわけじゃねえ。信じてるか、信じてねえか、だ」


 逡巡しながらも有無を言わせぬ圧と負い目からイエローはその質問に答えた。


「……私には、信じる神がいます。この身体では祈ることも叶いませんが」


 ハリアは右腕で携帯食の空箱をグシャっと握り潰し、ニタリと笑った。


「じゃ、お前の戦友が死んだのはその神のせいにすりゃいい。人間の生死は全部その神が決めてて、そいつのシナリオ通りに事が進んだだけだってな」


 その言葉にイエローは憤慨し、語気を荒げる。


「私の信じる神が、善人にこんな理不尽で不条理な死を与えるなどありえません」


「なら、お前も人間の生死を変えられるってことだ」


 先ほどまでとはまるで違う彼の声色にイエローはハッとした。真剣な眼差しに刺されるようだった。


「死者に囚われてクヨクヨしてんじゃねえ。お前が軍人ならな。目の前の人間を取りこぼすことになる」


 自分が肉体を失いコアになったのは自分が弱かったせいだった。コアにならずに戦友のいた基地で戦い続けられていたら、戦友は死ななかったかもしれない。コアになっても自分は優秀な上官の脚を引っ張るばかりだ。そう思っていたイエローは視界が開けていくようだった。


「お前に話したかったのはこんだけだ。俺は飯食って寝る」


 ハリアは食堂に行くため、そしてメカニックにコアギアを預けるためそれを抱えて部屋を出ようとする。コアの存在が機密であるために、イエローが彼と会話できる空間は限られていた。イエローは慌てて彼を引き留める。


「あの、」


 ハリアを立ち止まらせることには成功したが、うまく言葉が出ない。もっといい言葉があるように感じつつも、妥協して、声色だけでも精いっぱいの誠実さを滲ませた。


「ありがとうございます」


 彼は黙ってコアギアを背中に引っ提げ、扉を閉めた。自分の少し安堵した顔を見られるのが気恥ずかしくてそうしたが、コアが千里眼であることを思い出して、諦めてただ黙って歩いた。背中に少しの熱を感じながら。








 2300年・6月


 それは撤退戦だった。前例の無いほどの大軍を人型侵略者が理知的に率いており、ミネソタの軍は辛くも人型を打ち倒したが極限の消耗の末、基地を放棄することを選択した。殿を務めるのは、いや、務められるのはハリアとイエローしかいなかった。


 火薬と血とコンクリートの粉の匂いが戦場を包んでいる。全身に防具を纏い滞空するハリアは数百の侵略者を切り裂き、潰し、爆破してきたが次々に援軍がやって来た。地上の戦車部隊も殆どが撤退するか破壊されており、孤軍奮闘と言っても過言ではなかった。


 顔全体を覆うヘルメットは割れ、コアギアに積んだ弾薬はほぼ底を尽き、基地の内部は侵略者に征服されつつある。


「後ろ!」


 切迫したイエローの声に反応し、ハリアは身を翻し後方に羽の一片を鋭く飛ばした。口腔型侵略者が真後ろで両断され、黒い体液と共に地に墜ちる。


「すみません、反応遅れました」


 肉体を持たないコアであるイエローも多数の敵を観測し撃墜することに疲れ切っている。ハリアは壁の無くなった基地跡に舞い降り、息を整えながら周囲を見渡す。瓦礫に砂埃が舞う中、銃声や爆発音は少なく、遠くなっていた。


「俺達も、撤退するか」


「えぇ……拉致型は少なくとも周辺に三体います。射線を避けつつ進みましょう」


 全身が鉛のように重く、重厚な防具で防ぎきれずにできた多種多様な傷がひどくハリアを摩耗させたが、まだ止まるわけにいはいかなかった。


 崖のようになった基地跡の床の端に立ち、背中から地面に身を投じる。刹那、重力に従う爽快感に酔い、力強い羽ばたきによって地面と水平になる。低空、基地の瓦礫と死体と薬莢と死体と燃える戦車とひしゃげた装甲車と誰かの身体の一部と瓦礫と死体の間隙を縫い、飛ぶ。


「拉致型に気づかれました!」


「クソッ」


 ギシギシ鉄が唸るほど急激に横に旋回すると、羽の端を光線が掠めた。残っている建物の影に隠れる。


「このチャージのスピードからして……あの有脳体の標的は別の人間だったかもしれません」


「より目立った奴に標的を移したってことか……まだ、誰かいるのか」


 精神を研ぎ澄まし、イエローは拉致型の周辺に意識を飛ばす。


「……あ。っ子供、子供がいます!二時方向、五号棟三階です!」


「嘘だろ!」


 すぐさまハリアは影から飛び出し子供の元へ全速で進む。向かい風で身体が千切れそうだった。まだここは基地の敷地内であり、兵ですら撤退しているのに子供がいるはずがないが、理由を考える暇は無い。


 砂塵のなかを滑空し、再度飛んできた光線を紙一重で避けた。そのまま光の根本へ突き進んで、羽を拉致型の目に深く突き刺す。黒い体液がハリアの顔にかかり、彼は一瞬目を閉じた。その時一際強い風が吹いて、土煙や塵を連れ去る。


 ハリアが目を開けると、視線の先には死体があった。壁の崩れた基地の一室で、女性が頭から血を流して倒れている。その骸に縋って小さな子供が泣きじゃくっていた。




 なぜ?


 なんであいつは、自分の子供をこんな場所に連れて来た?なんで逃げなかった?今更罪悪感とやらに敗けたのか?ならなぜ子供を安全な場所に置いてこなかった?




「ハリア!!」




 イエローの咆哮によって硬直していたハリアは現実に引き戻される。もう一体の拉致型が子供に向かって光を溜め込んでいる。


 ハリアは子供へ向かって右手を伸ばした。イエローは翼を躍動させた。


 間に合わなかった。




 凄まじい熱光線を至近距離に浴び、射線上にあった物は消し炭になった。何も残っていない。誰の骨も血も床も無い。


 ハリアは地に墜ちた。何とかイエローが羽で受け身を取ったが、それが小手先の技術に思えるほどの重傷を負っていた。右腕の先が熱い。赤黒い血が瓦礫を染めていく。


「ハリア、止血してください!ハリア!」


 ハリアは残った方の腕に体重をかけ、震えながら頭を上げ、眼前の光景を確かめた。


「なあ」


 何も残ってはいない。


「あれ、マトラ大佐だった、よな」


 茫然とした覇気の無い声にイエローは焦燥し、左翼を動かして胸部の防具の収納をこじ開ける。止血用の布が入れられていた。


「早く縛ってください!手伝いますから」


「分かってる……クッソ……クソ痛え、ハハ」




 イエローは最初から理解していて言わなかった。女性の遺体がマトラ大佐のものであったことを。




 今はそれを強く悔いている。





 複数の軍用車両が対向車の無い道路を疾走する。アリカ達はトウキョウの旧市街地へ向かっていた。兵が通信装備などを身に着けていると、車が衝撃波のような暴風に煽られ一瞬車輪が浮いた。兵も重力によって車の片側に張り付けられる。


 先頭を走っていたフサマキの目がその風の源を捉えていた。


「ハリアの奴、後から出発して私達を追い抜いた……」


 フサマキの声を聞き慌ててアリカが窓から顔を出すと、遥か先に黒い鳥のようなシルエットが見えた。驚嘆の声が漏れる。


「あれがハリア達なのか……あんなに速いなんて」


 車についている無線機からマダラの声が聞こえた。


「コアギアの性能ギリギリです。少しでも今の速度を超えればエンジンがやられますから、控えるように言ってあったのですが……」


 アクセルを踏み込みフサマキは小さく息を吐く。


「あれだけスカしといて戦場には一番乗りか。必要以上に暴れなきゃいいけど」


 戦場まではまだ少し距離がある。が、近づくにつれナターシャは不気味な気配を感じ取っていた。


「それで、侵略者の数は?」


 緊張感の走る基地の指令室にて、侵略者の観測機と過去のデータを見ながらマダラが答える。


「トウキョウ旧市街には拉致型と口腔型、内訳は不明ですが六十ほど確認。……それと……はい……人型。人型が一体確認されたそうです」


 アリカ達の車内も空気が変わった。アリカは汗ばむ両手を握る。マダラが続けて情報を加えた。


「一か月前トウキョウ、シンジュクに降下、現地軍が応戦するも取り逃がした個体。……下肢となる触手が回復するまで潜伏していた模様です」


 トウキョウ軍は迫撃機巧を有しておらず戦車やミサイル等を用いて戦っていた。先の戦いでほとんど弾薬が尽きている。


「フサマキ」


 アリカがそれだけ言うと、不安を看破したのかフサマキは不敵に笑ってみせた。


「無力化からの拘束が最優先、でしょ?ま、私が死なない程度にやってみるよ。殺すしかなくなったら殺すけど」


 サイドブレーキを持ち上げ車の鍵を引き抜き、フサマキはコアギアのベルトをきつく締め直した。アリカもヘッドホン型の機械にナターシャをはめ込む。


「ありがとう。頼んだ」


 フサマキは一瞬微笑み、すぐに背中を向け戦場へ跳躍して行った。








 少し重い機械を頭に装着し目を閉じると、車内に座るアリカの脳に戦場の様相が流れ込んでくる。


「アリカ、平気?」


 ナターシャが心配そうに言うが、アリカは自分が思ったよりも落ち着いていることに少し驚いた。これは迫撃機巧の技術を応用した機械だが、迫撃機巧に乗っていた時よりナターシャの存在に安心感を覚える。不安定だったナターシャの影に輪郭がついたようだった。それは恐らくアリカの気の持ちようで、きっと迫撃機巧に共に乗っていた頃もナターシャはアリカを守ろうとしていたのだろう。今やっと視野が広がってきたことに安堵と後悔を感じる。


「あぁ……人型を探そう」


 迫撃機巧やコアギアが無いとはいえ、どのコアよりも空間認識に長けたナターシャは戦闘において大いに役立つ。アリカの脳とこの機械を用いることで、ナターシャが一人でいるより広範囲を正確に観測することができた。








 暴風が吹き荒れている。乾いた晴天の元、ビル街の廃墟が侵略者の体液で黒く染まっていく。襲い掛かってきた三体の口腔型を蹴破り、以前より破壊力が増していることを感じながらフサマキはイヤホンのついた耳を押さえ、無線を繋ぐ。


「イエロー!私達も到着した!」


「フサマキさん!こちらは今人型を追跡してます!」


 余裕の無いイエローの声が帰ってきた途端、フサマキの正面の道を高速でハリア達が通過した。遅れて弾薬が炸裂し、動線上の侵略者を一掃する。フサマキは凄まじい爆風に咄嗟に防御の姿勢を取った。とても彼の近くでは戦えそうにない。


「加勢には行けなそうだけど、いけるか?」


 フサマキがそう言うと、ヘルメットの中で籠った怒号が飛んできた。


「舐めんじゃねえよ!あいつは俺が殺す!」


 爆発音と建物が崩れる音は鳴りやまない。フサマキは無線のマイクを切り、呟く。


「あいつ、戦闘狂タイプか……面倒だな」


 オランが何か言いたげにしているように感じて、フサマキは腰に手を当てて爪先で地面を叩く。ハリア達が二十体ほど始末したようだが、まだ敵は残っている。


「……わかってるよ。まずは目の前の侵略者だね」


 眼前に次々と押し寄せる拉致型達が見失うほどに、彼女等は高く跳躍した。








 人型は右手の袖口から一本の触手を伸ばし、ターザンのようにビルのジャングルを縦横無尽に移動する。追跡するハリアを拉致型と口腔型に攻撃させたが、彼は自分も巻き込まれかねない至近距離でミサイルや手榴弾を炸裂させることでこれらを相殺するため、じわじわと人型は劣勢に立たされていた。


 市民もおらず、人型が他の侵略者を統率していることから人型本体を撃つことさえできればこの戦いは勝ったも同然だった。しかし、ミサイルを飛ばしても口腔型を盾にされ中々人型を撃墜できないことにハリアは苛立ちを感じ始めている。


「ハリア、ここはフサマキさん達と挟み撃ちを」


「同じこと二回も言わせんな」


 また自分を苛立たせる言葉が降りかかってきて、ハリアはそれをエンジンにするように加速していく。人型を守っていた侵略者の壁に穴が空いた。


「もうバレてんだよっ!」


 ハリアは旋回しようとした人型に真横から力強く突進した。共々大きく吹っ飛び、三階建てほどの廃ビルの一室に墜ちた。人型は右の袖のみから触手を出し推進や旋回を行っていたため、いかに込み入った旧市街であろうと追跡し続ければある程度進行方向の推測がつく。




 四面の壁のうち二面が無くなったコンクリートの部屋で人型はよろめきながら下肢となっている触手を使って立ち上がる。華奢な左肩と左腕―――触手は生えていない―――は露出しており服は破れた跡があった。胴と右腕の長い袖、ロングスカートの部分は辛うじて残っている。額には瓦礫が刺さったような大きな傷跡があり、癖のある短髪はそれを隠すに至らない。








「同じ……」


 墜落した人型を認識したナターシャの声が震える。直後に強い悪寒がアリカにも流れ込んで来た。


「ナターシャ?」








 人型は瞼を失くしたかのように目を見開き、敵軍の男に怨讐の視線を突き刺す。


「……ずがないんだ」


 ハリアは人型の擦れた声など気にも留めず、赤外線銃に切り替えた右の義手を相手に向ける。


聖遣ダーリアでも無いお前が、空を飛んでいいはずがないんだ!聖遣はこの私一人だけだっ!」


 そう叫び聖遣を自称する人型は右袖から男の喉元へ触手を伸ばす。ハリアは完全にそれを見切り、左手で白い触手を掴んだ。それを壁に押し当て、即座に右腕の赤外線銃が光る。触手は断絶され、黒い血液と共に落ちた触手が跳ねた。元来、赤外線銃はそれを視認できるウスバが発明したものであるので人間はその射線は視ることができない。サードアース軍が実用化するにあたって赤い光を同時に照射する仕組みとなった。


 ハリアは間髪入れずに人型の右肩を撃つ。高速移動の末コンクリートの壁に強く打ち付けられた人型は下肢の触手を使うことも少し遠くの拉致型を呼び出すことも間に合わなかった。人型は蹲って左手で右肩を押さえる。薄汚れた灰色の服が血で黒く染まっていく。


 機動力は封じた。残る攻撃手段は下肢の触手と手下の操作。近辺にいた手下は倒した。トウキョウ軍の戦車隊とフサマキ達が残党を狩っている。ではもう翼は使わなくとも良い。全ての羽をナイフとして用いれば右腕から生えているそれに比べて緩慢な下肢の触手はどうとでもなるだろう。


 真上から注ぐ恒星の光が影を一層濃いものにする。


「この銃で撃った触手は再生しない」


 ハリアは翼を大きく広げ、左手で背中の鋭い羽を一枚引き抜いた。


「お前の首を掻き切ったら再生するか?」




「ハリア、待ってくれ!近づくな!そいつはまだ」


 無線機から流れ、途切れたアリカの声が踏み出そうとしたハリアの脚を留める。


「アリカ?」


 答えは無く、イヤホンからはナターシャと思われる少女の涙声が聞こえた。


「嫌……いや……おかあさん……こわい、こわいよ」


「何だ?何が起こってる」


 敵に動揺を気取られないよう声を潜め構えを保つが、人型も何か見えないものを恐怖するように片手で頭を抱えている。こちらのことなど見えていないようだった。ハリアの背負うコアも何かに苦しみ始める。


「……っ……ハリア、私との接続を切って、ください」


「は?」


 その瞬間、ハリアにも強烈な悪寒と吐き気が流れ込んだ。








 アリカは掌にざらついた砂を感じた。目を開くと、空鯨が黒い大空を悠然と泳いでいる。慌てて立ち上がり周囲を見渡すと、ゴシック建築の立派な城や無骨なプレハブ小屋、トタン屋根のみすぼらしい建物が無節操に乱立していた。何もかもちぐはぐだが、どれも廃墟であることは同じだ。地面には見たことの無い模様の旗が何枚も落ちている。踏みつけられたのか、どれも破れて砂に塗れていた。


「セカンドアース、なのか……?」


 奇天烈な光景に思わず声が漏れた。恐らく今はあの侵略者の深層心理と繋がっている。今までナターシャが起こしたこのような現象では、自分の記憶から再現された舞台に他人が立ち入っていた。あの侵略者の記憶に、本当にこんな状況があったのだろうか。


 不気味なほど人気を感じない。傾いた建物を覗いたり空を見上げたりしてナターシャを探す。


「ナターシャ、どこだ?ナターシャ!」


 アリカの声に反応したのか、咆哮のような、悲鳴のような複数の声が遠くから響いた。振り向いてその姿を視認すると、あまりの恐怖に身体が硬直する。


「憎い憎い憎い憎い憎い」「たすけて……たすけて……」「あああぁああぁ」「ふ……ふふふっ」「おかあさん」「あー」「ここから出して」「痛いっ痛いっ」「はははは」


 誰が見ても化け物と称するような、巨大で醜い化け物だった。皮も毛も無い深紅の肉塊に複数の人間の上半身や首や腕や脚が生えている。幾つもの口がそれぞれ好き勝手に動き、意味を失った単純な言葉を繰り返していた。


 ナターシャが危ない。


 その一心でアリカは猛烈に地面を蹴った。狭い路地を走りながら叫ぶ。


「ナターシャ!ナターシャ!」


 化け物はアリカを追跡し始めた。轟音と共に建物を破壊しながら直線的にアリカに向かって進んでくる。化け物は大きな掌を癇癪のように地面に向かって叩きつけた。衝撃波のような風がアリカの元まで届き、建物の密集地から吹っ飛ばされる。路地の果ては茫洋とした白い砂漠が広がっていた。逃げ隠れできる場所は無い。


「こっちだ!」


 突然、正気を保った人間の声が聞こえた。化け物は尚もこちらへ向かっている。アリカは迷いながらも砂漠に向かって走り出した。


「誰だ!どこにいる!」


「正面、地下への階段だ!」


 破裂しそうな心臓を抱えて砂を蹴り上げ真っ直ぐに走ると、声の主を見つけた。白衣の男が鉄板を持ち上げて地下に続く階段からこちらに手を伸ばしている。化け物の喚き声がアリカのすぐ背後まで迫っていた。虫を潰すように化け物がアリカに向かって手を振り下ろす。


 男は階段から飛び出しアリカの手を強く引っ張った。振り下ろされた化け物の手が僅かに逸れ、二人は階段の方へ吹き飛ばされる。男はすぐにアリカを地下に入れ、入口を隠す鉄板を閉めた。








 飢餓感と吐き気がないまぜになって腹を掻き毟りたくなる。限界を迎えてフルフェイスのヘルメットを投げ捨てた。腹の中にあった物が口から全部外に流れ出て、やっとハリアは周囲を確かめる余裕を取り戻した。 


 立てなくなるほどの目眩と吐き気に襲われて動けなかったのは十分、いや、十五分くらいだろうか。目の前にはまだ人型侵略者がいる。人型も頭を抱え呻きながら何かに苦しんでいる。これだけ異形に変化しているのにまだ人間のフリをしているように感じられて、ハリアの全身は怒りに支配されそうになった。


 まだだ。まだ何も終わってない。クソ侵略者も苦しんでるんだから、この状況は(コア)による何かしらの不具合で生まれたんだろう。多分人と人の脳を繋げられるナターシャって奴も関わってる。最低な気分だが、最高のチャンスだ。


 ハリアはゆらりと立ち上がって、首筋に突き立てるのにちょうど良い黒い刃を握り人型に向かって一歩ずつ歩んだ。








 階段を降りると手術室のような部屋が唐突に現れた。酸素カプセルのような物が中央に鎮座している。部屋の隅に目をやると、白いガウンを着た金髪の少女が蹲っていた。アリカは自らの息も整えないまますぐに駆け寄り、跪いた。


「ナターシャ!」


 びくりと身体を震わせて、少女が涙に濡れた顔を上げる。茫然とした瞳でアリカを見て、自分の身体を見て、自分で自分を落ち着けられない子供のようにアリカの胸に縋りついた。大きな瞳を開いたまま浅い呼吸を繰り返している。


「ありか……?わたし、私……ナターシャ、よね」


 震える少女の背中を撫で、少し落ち着いたのを確認してアリカは彼女の顔を真っ直ぐに見据えた。


「保証するよ」


 アリカの瞳に人間の自分が映っているのを見て、ナターシャの頬をまた涙が伝う。アリカは彼女の頬をそっと拭った。


 突然扉が閉まる音がして、二人は咄嗟に部屋の入口を振り返った。


「すまない、驚かせたね」


 皺の目立つ中年の男は柔らかい声色で来訪者達にそう言った。アリカはナターシャを庇う位置に立ち上がった。


「あ、いや……ごめんなさい。さっきは助けてくれてありがとう。えっと、アタシ達以外にはこの空間に来た人はいなかったか」


 白衣を着た中年の男は二人と距離を詰めることはなく、部屋の対角の隅にある椅子に座って壁にもたれた。敵意は感じないがあるべき感情が摩耗したかのような平坦な声が発せられる。


「君達だけだよ。ところで、君達は有脳体ではないみたいだね。どうやってここに来たのか聞いてもいいかい」


 二人で顔を見合わせてからナターシャが話し始めた。


「私……現実ではコアなの。ええと、あなたがどれだけ現実の状況を把握しているかによって話が変わるのだけれど」


「今、サードアースで現地の軍と戦っているあの子―――改造体七号の目に映っているものは僕にも見える。大体の状況は分かっているよ」


 男は人型侵略者のことを改造体七号、またはあの子と呼んだ。その時の彼の瞳から彼女―――声も体格も中世的なため推測に過ぎないが―――に対する何らかの想いを感じてアリカは少し胸が苦しくなる。ナターシャは記憶を辿りながら、険しい顔で話す。


「私はサードアースのコアとして、アリカと戦場に来ていて……空間認識能力の増幅装置を使っていたの。そうしてこの侵略者のことを視ていたら、いつの間にかここにいたわ。多分、アリカは巻き込まれただけ」


 顎に手を当て男はアリカを珍しそうに見た。


「そうか。君はコアを抽出していないんだね。抽出を経験し、七号と融合した有脳体達はみんなここで目覚めるんだ。……でも皆ここから逃げ出してしまう。怖い場所だからね」


 アリカは目を見開き、さっき自分を追いかけて来た怪物を想起しながら彼に問う。


「その有脳体達は……ここに、人間の姿で……」


 男は頷く。


「そして、地上に出た者は皆あの子に食べられてしまった。もっとも、消化できずに混ざり合ってしまっているから捕食とは言えないかもね。中途半端に自我の残った有脳体達と融合してしまったせいで、彼女は聖遣ダーリアになれなかった」


 男の芯の無い声がつらつらと残酷な事実を列挙する。男は絶句している少女を見た。


「核の君も、聖遣候補だったりするのかな」


 ナターシャははっとして早口に男を詰める。


「そんな事はいいの。アリカの身体が戦場にそのまま残ってる。他のコアも巻き込んでるかもしれないわ。早くここを出る方法を教えて」


 フサマキ達と過去の空間を体験した時とは違って、この空間は時間経過によって自然に消滅しない。いつかウスバがアリカに行ったような、他人の脳へのダイブに近かった。


「あぁ、すまないね。長く一人でいたから無駄話をしてしまった。何、難しいことじゃない」


 男はそう言って立ち上がり、壁に向かって手を伸ばした。何もなかった白い壁に線と影が生まれ、重そうな扉が出来上がった。


「僕も一応あの子の一部だから、これくらいはできるんだ。扉を抜けて真っ直ぐに走ると良い」


 ナターシャが恐る恐る扉を押すと、真っ暗な廊下の果てに光が見えた。アリカはその光を見て、ぱっと男を振り返る。


「待ってくれ。アタシはこの、七号の人と戦わない方法を知りたいんだ。あの地表の怪物をどうにかしたら、この戦いを終わらせられるんじゃないか」


 男は地表に続く方の扉に手をかけて、アリカに微笑みかけた。


「あの子の望みは、静かに眠ることだけだ。君はあれこれ考える必要は無い。解放するのだと思えばいい。僕の事も、怪物のことも忘れてくれ」


 少し安堵したように言って男は部屋を出て、扉を閉めないまま階段を上っていく。


「待って」


「アリカ!」


 男を引き留めようとしたアリカの手を掴み、ナターシャは懇願するようにそう叫んだ。アリカは一瞬葛藤し、叫ぶ。


「アンタと、七号の名前は」


 階段を上る足音が止まる。


「僕はたくさんの名前を奪ってきたから、今更名乗ることはできない。あの子の名前は」


 地表への壁が開いたのか、冷たい風がアリカ達の場所まで流れ込む。


「レナ。レナ・コウ」


 それきり、何の声も聞こえなくなった。










 灰色のコンクリートに黒い血が流れ落ちる。


「あぁ、なんだ……」


 項垂れたままの人型は左手を盾に首を守った。掌から黒い血が溢れる。それでも尚刃を首に押し付けようと体重を乗せるハリアの重力が、急激に反転した。空に向かって放り出され、コンクリートの部屋から瓦礫の中に背中から落ちる。コアギアのエアバッグが作動したがハリアの肉体への衝撃は大きい。


「お父さん、そこにいたんだ」


 刺さった刃を抜き、人型は血の流れる左手で眩い恒星を透かしてそう呟いた。そして瓦礫の中で動かなくなった、羽を纏った男を見下ろす。


「ハリア!こちらはもう万全です、飛んでください!」


 接続が復活し骨伝導イヤホンからイエローの声がハリアに届いた。上階から人型がこちらに降りてくるが、ハリアは瓦礫の山に埋もれたまま動かない。先ほどの衝撃で脳が揺れていた。視界が二重に重なり身体に力が入らない。結果論だがヘルメットを外したまま人型に挑んだのは致命的なミスだった。


「私は聖遣……お前は何だ」


 人型は下肢の触手を蠢かせながら男に迫る。


「何の大義がある」


 ハリアの身体は指一本も動かない。耳元で続くイエローの呼びかけも遠くに聞こえるほど朦朧としているが、なぜか攻撃もせずに距離を詰めてくる人型に心底侮蔑の視線を向けた。逃げ惑っていた時とは別人のように人型は不敵に微笑む。


「試してやろう。お前が本物の戦士か否か」


 ハリアの額に向かって伸ばした人型の左手が俄かに発光した。驚くほど冷たい指が彼の肌に触れる。


「っぐあああっ」


 光が発散した瞬間、脳から焼けるような鋭い痛みがハリアの全身を駆け巡った。身体が痛みによって叩き起こされたように動き出し、彼は残った右腕の端を握りしめて苦悶する。


「血が……血が、止まらねえ」


「ハリア!落ち着いてください、腕は平気です!」


「クソッ……ぐ、う……」


 滝のように汗を流すハリアを人型は憐れむ。


「その程度の痛みで我を失うか。お前は随分と脆く弱い……」


「黙れッ!」


 咆哮と共に黒翼が一気に開き勢いよく羽ばたいた。


「うっ、ぐ……あああぁあああっ!」


 空中、前傾姿勢で右腕を抑えたまま羽と弾薬が一斉に発射される。爆炎ですぐに地上は何も見えなくなった。それでも尚ハリアは攻撃を続ける。


「やめてください!ハリア!正気に戻って!」


 イエローは必死に叫ぶが分厚い硝子の壁に隔たれているように彼の意識とコアギアの操作に介入することが叶わない。痛みに悶絶するバディに向かって彼は壁を叩き続ける。


「ハリア!ハリア!」


 うるせえ。


「ハリア、お前」


 黙れ。


「頭おかしいんじゃないのか」


 悪いかよ。遊びでやってんじゃねえんだ。戦える奴しか勝てねえ。


「私の隊員、みんな死んじゃったんだ」


 マトラ。


「才能だ」


 俺はあんたに憧れたんだ。俺と同じあんたに。だから、もう人が死んだくらいでそんな顔するなよ。変わるなよ。冷淡でいろよ。何事もなかったみたいに食えよ。


 俺にはあんたしかいなかった。人から奪って生きて来た俺のロールモデルだった。これじゃ、これじゃ、俺だけバケモノみたいじゃねえか。俺が兵器みたいじゃねえか。何も救えねえくせに。


 あり得ねえくらい腕が痛むのも、俺が頭おかしいのも、大佐が死んだのも、全部侵略者のせいだ。死ね。死ねよ。クソ侵略者。気色悪い。死ね。死ねよ。死ね。全員死ね。人だろうが何だろうがバケモノは全員死ね。














「ハリア」


 基地の廃墟には短い草が生え始めている。イエローは崩れた壁を背に胡坐をかく大男の背中を見つけた。


「ずっと……そこにいたんですね」


「……イエローか。ここがナターシャの亜空間って奴かよ。俺達は、何で……戦場から隔離されてる?」


 二人は崩れた壁を挟んだまま話す。


「覚えてないですか。電撃を喰らってからのこと」


「……今思い出した。早く戦闘に戻らねえと」


 立ち上がろうとするハリアをイエローは静かに諭した。


「もう弾は使い切りましたよ。人型以外は殆ど倒しました」


 それきりハリアは黙ってしまった。イエローは自らの躊躇いをかき消し、ハリアの方へ歩む。


 壁を回り込むと、右腕から血を流したままのハリアが座っていた。右腕を握りしめる左手は血塗れになっており、地面は赤黒く染まっている。


「腕、怪我して……」


 慌てて跪きイエローは彼の傷口に手を伸ばす。


「触んな!」


 ハリアは彼の手を振り払った。細い手だった。顔を上げると思っていたよりも若い青年に声を荒げたことを理解して、居たたまれなくなってイエローから目を逸らす。


「関係無えんだろ、ここでどうこうしたって。痛むわけでもねえ」


 記憶の中から構成されるこの世界は魂を覆う形貌も記憶次第だった。イエローは包帯を取り出して無理やり応急処置にかかる。


「いいわけないでしょう、こんな血が流れてるんですよ」


「だから、現実には影響しねえ……は?」


 きつく包帯を巻くイエローの顔を見てハリアは困惑した。


「お前泣いてんのか?」


 潤んだ瞳のままイエローは眉間に皺を寄せる。


「泣いてません。私は、ただ……悔しいだけです。あなたにこれほどの怪我を負わせたことが。……私の判断ミスでした。私があなたの右手を光線の中に導いてしまったんです。どう考えてもあれは間に合いませんでした。逃げるべきでした」


 ハリアは本当に悔やんでいる彼の顔を見て二の句が継げない。包帯を巻き終えて、イエローは両手を膝に乗せ重く言葉を絞り出した。


「ずっと……あなたにこうして、謝りたかった」


 穏やかな風に項垂れたイエローの髪が揺れる。ハリアは彼を見ていられなかった。


「俺は……お前に謝られるような人間じゃねえ。俺はお前が思ってるような奴じゃない。真逆だ。お前の過失は何も無かった」


 瞠目してイエローが顔を上げる。


「全部俺がバカみてえに生きて来たツケだ」

 

 きまり悪そうに顔を逸らしたまま、そう吐き捨てた。巻いてすぐの包帯が徐々に赤黒く染まる。ハリアはもうこれ以上己を語る言葉を持ち合わせていないようだった。


「全部、なんて、それこそ馬鹿みたいですよ」


 頑なに目を合わせないハリアをイエローは真っ直ぐに見続ける。


「あなたが何を抱えているのか……あなたは何も語らないので私には知りようもありません。ですが、あなたが戦うことで沢山の人を守ってきたことは知っています。今までの全てを否定しないでください。共に戦ってきた身として、腹が立ちます」


 知らない声色にハリアは思わず顔を上げた。涙の残り香が青年の瞳を一層凛々しいものにしている。


「分かったよ。もう……言わねえ」


 ハリアがそう応えると、イエローは安堵したように微笑んだ。ハリアは曇天を仰ぎ、息を吐く。


「さっさとこのしみったれた空間から出ようぜ。……今戻っても痛てえままか?」


「それについてなんですが……核との共鳴によって正常な感覚を取り戻せるかもしれません」


「共鳴?」


「マダラさんから伺ったのですが、核と使い手の精神が共鳴することで双方の能力が飛躍的に向上することがあるそうです。今はハリアだけが痛覚に異常が起きている状態ですので、私と共鳴することでこれを打ち消すことができるのではないかと……。きっと、共鳴そのものはずっと前からできていたはずなんです」


 少し間をおいて、イエローはハリアに手を差し伸べる。コアとその相棒として、この星で最も長く戦ってきた。技術も、連携も、経験も、最も累積されているはずだ。ただ、互いに壁を張っていた。


 ハリアは左腕を伸ばす。ハリアより一回り小さい手が彼の手を取り、引っ張り上げようとするが―――


「重っ⁉」


 重心は移動することなく、むしろイエローがよろけてしまった。一瞬目を見開いて呆然としたのち、ハッ、とハリアの短い笑い声が漏れる。


「細せえなあ、お前……」


 ハリアは左手を地につけ勢いよく立ち上がる。イエローも苦笑しながら言った。


「あなたが重すぎるだけです」


 伸びをして、左肩を回す。ため息を吐く。戦闘前のルーティンである。


「そうさ。俺じゃ重くてとても飛べやしねえ」


 二人は目を合わせ、ニヤっと笑った。


「イエロー、お前の翼を借りる」




 コアとの共鳴で得られる効果。アリカとナターシャであれば、認識を拡大し周辺の他者と深く共感すること。フサマキとオランであれば―――


 爆発による土煙が立ち込める中、人型は一方的に攻撃を受けていた。痛みに悶え半狂乱の敵兵が撃つ弾は出鱈目な軌道を描く。これだけ何度も撃ち込んでいるのだから長くは続かないだろう。弾速に優れているわけでもない。脅威は別にあった。


 何者から斬られている。いや、蹴られているのか。鎌鼬のように空を裂く音の聞こえたのちに、打撃と共に触手に切り傷が生まれ黒い血が噴き出す。傷の治りが悪いが、あの男の持っていたような完全に再生を封じる銃は使っていない。恐らく温存されている。コストが高いのかもしれない。人型は敵の捕捉を一旦取りやめ球体を作るように触手を伸ばし防御を固める。


 風が吹いた。土煙が晴れる。背後を取ると予測した人型が振り向き、空中に向かって触手を伸ばした。が、捕らえることは出来ない。予想したように背後から、しかし予想したより速く、武装した女性の敵兵が空から突き刺さるように跳び蹴りを放った。ブーツ型のコアギアの底面から放たれる不可視の光が触手を縦に両断し、根本に迫る。


「がっ……」


 強い衝撃。触手の包囲網を突破され上半身を地面に押さえつけられる。敵の上半身に触手を巻き付け締め上げるが、下肢の触手の根本を強く踏みつけられる。肉が溶ける匂いがして、次々と触手が断裂されていくのが分かった。




 無音の高速機動。それがフサマキ達の能力である。


 まだこの周辺に二体の有脳体の反応が残っている。合流される前に出来るだけ人型の力は削いでおきたい。フサマキはこの時のために温存していた、ブーツと一体になった赤外線銃を白い肉に何度も撃ち込む。


 フサマキの耳にアラートが鳴った。瓦礫の奥から拉致型の光が見えると同時に跳躍する。伏した人型と跳んだフサマキの間を細い光線が迸り、消えた。着地した隙を刈り取るように新手、口腔型が背後から突撃してくる。フサマキは振り返らない。


 爆裂したかのように口腔型が大きく二つに裂け黒い血が噴き出した。フサマキの背に黒い液体が降りかかる。地面には黒い鉄羽の刃が二つ突き刺さっていた。



 切断された触手の浮かぶ黒い血だまりの中、人型がよろめきながら立ち上がる。血で染まったロングスカートから覗く触手は二本のみになっていた。残った片腕も折れたか脱臼したのかだらりと下がっている。フサマキは間合いを保ったまま言い放つ。


「君の仲間は全員死んだ」


 人型の傷跡を上塗りするように頭から流血し白目を黒く染めている。表情を探りながらフサマキは静かに言う。


「こういうことを言うと、君は怒るかもしれないけど……」


 血を拭うこともせず人型は眉一つ動かさない。


「言ってみろ」


 血に塗れた人型の瞳の凄みは、フサマキに彼女がまだ起死回生の奥の手を隠し持っているのではないかと思わせるほどだった。


「私達は君に投降してほしいと思ってる。もう君に勝ち目は無い」


 その言葉を鼻で笑う。


「私の生け捕りでも命じられたか?」


「まぁね。まあ、それにしても、疲れない?もう次の決戦まで君の援軍は来ない。君がここで死ぬまで戦ってもさ、大した影響なんて無いよ」


 フサマキは軽薄に演じて見せる。しかし、俄かに人型から奇妙な音がして一歩後退した。


「一理あるな。だが」


 それは肉が捩じ切れる音。


「お前ほどの戦士を殺せば、この世に生まれ落ちた甲斐があるというものだ!」


 下肢を覆っていた布の隙間から捩じ切られた触手がフサマキに向かって投擲された。


 赤外線銃で切断された触手とも刃によって切断された触手とも何か違う。エネルギーを溜め込んだように太くはち切れそうだ。


 閃光。刹那ののちに爆発。火炎ではない凄まじい爆風を伴う種の爆発だった。軽い瓦礫が吹き飛び周囲の建造物が少し崩れる。




 まだ風の残る中、敵を注視していた人型の唯一残った下肢の触手を一枚の黒刃が切り裂いた。前へ倒れ、地べたから顔を上げると、歯牙にもかけなかったあの敵兵が空中から己を見下ろしている。


 爆発の瞬間、ハリア達はフサマキの前に急降下しその翼で爆発から守った。ヘルメットを着けて戻ったが服は所々焼け焦げ酷使した翼は末端からヒビが入り欠片を落としている。それでも背筋を伸ばし、冷徹に言い放った。


「終わりだ。投降しろ。自爆は効かない」


 人型は男に向かって不敵に笑う。


「待て。交渉トリアージだ」


 はっとしてハリアはフサマキを見やる。いつの間にかフサマキの右脚、コアギアのコアが格納されている部分に細い触手が巻き付いていた。その触手は人型の左腕の服の切れ間から伸びている。正真正銘、最後の一本を隠し持っていた。フサマキは息を吐いて、少しだけ笑う。


「君の細い方の触手じゃ、こいつにはヒビも入らないよ」


「そうだな。だがコアとは電気によって自我を保つ代物。お前の魂に強力な電流を流してやればそいつは死ぬ。お前自身を焦がし尽くすほどの電気は持ち合わせていないがな」


 ハリア達に視線を送るが両人から訂正が無いので、彼女に放電能力があるのは事実だろう。縛られた右脚はピクリとも動かない。左足の爪先で地面を叩きながら、平静を装う。


「君は放電まで出来るってわけか」


「その前に触手をぶった切れば終わる話だろ」


 空中からハリアが水を差した。


「ハッタリの上手い奴だな。お前はもう俊敏な武器を使い果たした、そうだろう?サイコパワーで刃を宙に浮かべているわけでもあるまい」


 嘲笑う人型にハリアはヘルメットの下で奥歯を噛む。実際推進剤の搭載された投擲用の羽は先ほど使い果たしていた。今飛んでいる翼を離散させ武器にすることはできない。


コアを人質に取って、帰りの船でも要求するつもり?」


 瓦礫に覆われた地べたにて、人型は叫ぶ。


「まさか。聖遣の偽物に帰る地は無い。私がお前に要求するのは自害だ。魂を破壊されたくなくば、自害しろ。己の命が惜しければ、魂を差し出せ」


 ハリア、フサマキの動きが止まる。ハリア達には手の出しようが無い。フサマキは目を閉じ、深く息を吐いた。腰につけていた拳銃を引き抜き、上部を手前にスライドさせる。弾の切れたマガジンが地面の上に落ちた。ポケットから弾の入ったマガジンを取り出し、持ち手から取り付ける。小気味良い音だった。目を開く。


「私が死んだら、核は助けてもらえるかな?」


 死を前にしたフサマキも、自らの存在意義を果たす瞬間に肉薄した人型も、声色は変わらなかった。終わりが近いことへの安堵。


「あぁ。尤も、お前が死ぬが否やそっちの男が私を殺すだろう。私も選択肢は限られている」


 空から全身の細胞が震えるような鋭い殺気を人型は浴びせられている。


 フサマキが結った茶髪を解くと風がそれを靡かせた。何の悲哀も寂寥も感じさせないように彼女は呟く。


「煙草、持ってくるんだったな」


 手入れの行き届いた銃を自身のこめかみに当てた。


「そこ」


 人型が少し遠くに向かって声を出す。


「誰か隠れているな。姿を現せ」


 やや後方、剥き出しになった鉄柱の後ろに人影があった。出て来ない。人型は何十秒も待っていられずに、叫ぶ。


「急―――」


 


 


 


 何かが弾ける音がした。赤い閃光と、黒い血が散逸する。断裂した細い触手は流れる血すらも少なく、ピクリとも動かなくなった。


「なっ……なぜ、なぜ撃った」


 人型は赤外線銃を持ったアリカを動揺した目で睨みつけた。瞬時にハリアが人型の身体を押さえつける。アリカも疲労と緊張から一瞬茫然としたが、ハリアを見て叫んだ。


「そいつの掌を地面に着けてくれ!そしたら感電しない!」


「分かったからそう切迫した顔すんな。はあ、ヘルメットがあって良かったぜ」


 ハリアは人型を言われた通りに押さえつけるが、もう彼女からは気力を感じられなかった。フサマキはやれやれといった雰囲気を大袈裟に出して銃をしまう。人型は目を見開き敵兵たちに問う。


「分からない……撃つのがあと数秒遅ければコアが死んでいた。なぜ撃てた」


 アリカは人型に近寄って跪き、血に塗れた身体に胸を痛めながら語った。


聖遣ダーリア、は……掌からしか放電しなかった。だからアンタも触手からは放電できないんじゃないかって思ったんだ。無線で皆にそれを伝えて、アタシが赤外線銃を当てられる距離に到達するまで時間を稼いでもらった。まあ……分の悪い賭けには違いなかった」


 人型はまじまじとアリカの顔を見て、無意識のように声を出す。


「私の頭に入ってきたのもお前か。そうか。お前、堕蛇(ラッセル)か。フフ。ああ、納得がいった」


「ラッセル?」


 ハリアは片手でヘルメットを外し、人型にかける体重を少し緩めてそう聞いた。それでも人型は横たわったまま口だけを動かす。


「母星でそういう名で指名手配されていたのだ。聖遣に近しい、聖遣を脅かす存在だと。本物を知っている奴に、私は……フフ、惨めだな」


 誰の顔からも目を逸らし口だけで乾いた笑い声を出す人型に、アリカは向き合う。


「レナ……アタシはアリカっていうんだ」


 レナという名は随分久しぶりに呼ばれた気もする。ずっと誰かに呼ばれ続けていた気もした。


「アタシはアンタを殺したくない。アタシが人を殺すのが嫌だから。だから、投降してほしい」


 馬鹿正直に自分勝手な理想を言う割に、その顔と声は必死だった。レナの自嘲は剥がれ落ち、顔を背ける。


「そんな……そんな顔しなくたって、私はもう死ぬ。抵抗しようと思っても不可能さ」


「え……再生、しない、のか」


 触手の大半は赤外線銃ではなく爆発と刃と銃弾によって失われていた。上半身の残ったレナであればじきに再生できるはずだった。


「私みたいな出来損ないはお前たちの特効兵器が無くたって、二、三回の再生が限度だ」


 イエローに促され、ハリアはレナから手を引く。横向きにして身体を見ると、どこの切れ目からも黒い血が滲んでいた。再生の気配は無い。


「血を……血さえ止められたら、まだ」


「アリカ」


 必死に包帯を巻こうとするアリカを首元のナターシャが静止した。誰が見ても、もう助からない。アリカは死にゆく人に何と声をかければ良いか分からない。レナは包帯を落としたアリカを見て微笑む。


「結局、誰も殺せなかった……」


 レナは仰向けに転がった。雲の少ない、抜けるような青い空が視界いっぱいに広がる。


「随分、遠い所に来てしまった」


 茫然と呟いた後、突然苦しみの呻き声を上げて身体を痙攣させた。アリカは何度か必死にその名前を呼んだが、その身体はゆっくりと冷えていった。














「なあ、この星ではどうやって死者を悼むんだ?」


 ぼんやりした灯りが照らすコンクリートの檻の中の、黒い血溜まり。赤外線銃を受け動かなくなった小さな有脳体を抱え、アリカはウスバに問うた。


「んに。セカンドアースのやり方で祈りたいのか」


 しめやかに頷くアリカを見てウスバとユーニは顔を見合わせる。


「科学者のボクが言うのも何だが、君の国の神に怒られるんじゃないか?」


「まあ……仏様はそんなに狭量じゃないけど、アタシの地獄行きはもう決まってる」


 ウスバは嬉々として悄然としているアリカの背中を叩く。


「んに!ならキミに伝授しよう。セカンドアース式の弔いというやつを!」


 


 有脳体を収容していた地下研究所の隠れ蓑となっている、今や管理する者のいない教会をウスバは物色している。


「あったあった。アリカ、来てみろ」


 ウスバが蒼い布に覆われた小箱を持ってアリカを呼び寄せた。ユーニと一緒に箱の中身を覗き込む。


 それは複数の鏡だった。掌に収まる小さな円形で、縁には銀の装飾があれど持ち手や蓋は付いていない。ユーニが細い触手を伸ばしてそのうちの一枚を取った。ウスバも一枚手に取り、アリカも促されるままに一枚をそっと手に乗せる。


 空魚の描かれたステンドグラスが飾られている廊下を歩きながら、ウスバは普段通りの嘘くさい笑みを保ったまま語り始めた。


「元を正すと、この星の宗教はボク達の船で作られたんだ」


 明滅する蛍光灯がベニクラゲの絵画を浮かび上がらせている。


「え……ファーストアースの宗教の延長じゃなかったのか」


「んに。アサギが先遣隊の生活を比喩たっぷりに書いた小説的手記があったんだ。それがのちのセカンドアース王府に没収、検閲され―――英語以外読めなかった軍は、思想調査のためにボクに翻訳させた。その中身が存外良かったので王府はこれに手を加えて道徳の教本として世に出したんだ。何年も読み継がれるうちにこれは聖典(セラヴィ)と呼ばれるようになった」


 平然と言うウスバに対してアリカは顔を歪める。


「そんな……」


「んに~そんな顔するな!確かに無理筋な意訳や軍人育成への利用にはムカつくが、これはボクら先遣隊の唯一の生きた証なんだ。準備するから、ちょっと待ってろ」


 大仰に振舞ってウスバは有脳体を抱え教会の外に出た。アリカが立ち尽くしていると、ユーニがやってきてアリカの顔を覗き込む。入口に置いていたタブレットを取り出して文字を打ち始めた。


「アリカ かがみ きらい?」


 唐突で、かつ見透かされた問いを受けてアリカは少し戸惑う。それほど暗い顔をしていただろうか。


「え、あぁ……。鏡に自分が映るのが、嫌なんだ」


「アリカは アリカが きらい?」


 タブレットに表示されるユーニの言葉にアリカは何故だか居たたまれない気分になる。ユーニもそれを察したのか、


「ぼくは アリカ すきだよ」


 そう表示したタブレットをアリカの身体に押し付けた。


「……ありがとう。ユーニ」


 


 すり鉢状に掘られた砂の中に死んだ有能体が横たえられている。ウスバは自らの脚で有脳体を中心にアリカ達を囲う円を描いた。


「んに、アリカ。右手に鏡を乗せたまえ。こんなふうに」


 暗闇の中でアリカはウスバと同じように右手を有能体の方へ伸ばし、地面と水平に鏡を乗せた。にこにこしながらウスバがアリカに語りかける。


「何が映っている?」


「空……星空だ。あ……あれ、空鯨も、魚もいる」


 アリカは目を輝かせ、手を少しずつ傾けて鏡越しに広い宇宙(そら)を観る。空鯨が映ると鏡面は一際眩い。


「んじゃ、これを宇宙に向けたまま有能体の傍に置いてくれ」


 ウスバとユーニは有脳体の傍らに鏡を置くが、アリカは鏡面と有能体を交互に見て言った。


「埋めてしまうのか?」


 砂の下では鏡は砂を映すことしかできない。


「んに。そうだ」


「それは、どうして……」


「この星は砂で出来てるだろ。砂は風に攫われて一所に留まらない。どんなに地中深くに埋めたとしても、いずれ墓は墓でなくなってしまう。遺体が分解され、忘れ去られても、鏡は残り、時間をかけて地表に出る。そして誰かの灯した光を反射する」


 いつか、エリィは「覚えていてね」と言って笑った。アリカは不意にそれを思い出し、言葉が漏れる。


「忘れない、ために……」


 微風が不安定なアリカの身体を撫でる。二つ並んだ鏡の隣に、もう一つ鏡が置かれた。


「本当は鏡の裏に遺体の名前を彫るんだ。今は名も無き有能体のために。」


 跪き、ウスバは右の拳の第一関節を心臓の位置にぴったり当てる。ユーニも尻尾をその根元に当て頭を伏せる。アリカも、そうして祈った。












 強い西日に目を細めながら小高い丘を登って行くと、ハリアの目に誰かの背中が映った。


「アリカ!」


 ハリアが呼びかけると、跪いていたアリカが振り返り、驚く。


「ハリア?怪我はもういいのか?」


 ハリアは血と土に汚れた服も着替えないままで、頭には包帯が巻かれている。そのほかにも色々怪我をしていたはずだが安静にしなくてよいのだろうか。小脇に抱えていた縦長の箱を置いて、ぶっきらぼうに答える。


「ツバつけときゃ治る。お前は何だってこんなとこにいんだ?随分探したぜ」


 アリカは言い淀み、視線を逸らす。その先には、浅めに掘られた穴と手鏡があった。彼女の手に乾いた土が付いている。


「……墓を作ってたんだ」


「あいつの身体は軍が回収したろ。その鏡はなんなんだ?」


「あっちでは遺体と一緒に鏡を埋めるんだ。……何か、遺体の代わりになるものがないかって、考えてたんだけど……」


 ためらいがちに言い終えて、恐る恐るアリカはハリアの表情を窺う。彼はアリカの言葉を聞くと両手でそこかしこのポケットを探り、最終的に膝近くのポケットから黒い刃の欠片を取り出した。それを左手に持ち、右腕の袖を豪快に引き裂き、目を丸くしているアリカに差し出した。青朽葉の布がレナの血で黒く染まっている。


「あいつの血が付いてる。これじゃ駄目か?」


 


 


 


 トウキョウ軍第三基地の救護室はニッコウ基地のそれより遥かに広い。が、トウキョウが壊滅してから人員は殆どカマクラに移されたためがらんとしている。フサマキは大した怪我はしていないが綺麗なベッドに寝転んでいた。机上にはオランのタブレットが置いてあるが、彼女はなんと声をかけても「ええ」とか「そうですね」としか返さない。ベッドに沈み込んで窓を見るとそろそろ日が暮れようとしている。


「オラン、悪かったからさあ……そろそろ機嫌直してくんない?」


 演技でも自分を犠牲にしたのがいただけなかったのだろうと思い、身体を起こしてオランに向き合うとしばらくぶりに長い文が表示された。


「軍曹 アリカさん から 無線が 来る前から 死ぬ気 でしたよね」


 虚を突かれてフサマキは目を逸らし、へらへら笑って見せる。


「そりゃ、ああするしかなかったらああするしかないじゃん」


「速すぎるんです もっと 足掻いて ください」


 オランが珍しくムッとした顔をしているように感じて、作り笑いが消えた。


「あんな 死に方 嫌です」


 恒星が雲に隠れて無機質な部屋に影が落ちる。赤い宝石に疲労した顔が映る。


「あなたの 自己満足の 犠牲には なりません」


 膝を抱えて、息を吐いた。


「厳しいこと言うねえ……」


「お互い 生きてますから」


 


 


 


 アリカとハリアは弱まった西日を背に受けて枯草の丘を下る。


「その……服、本当に良かったのか」


「代えくらいある」


「それもそうだけど……あれは敵の墓だから」


 ハリアは黙って何も答えない。ただ前を見つめるその瞳に込み入った相克を感じて、アリカもただ前を向いて歩く。


「あ、ハリア、アタシに何か用事があるんだよな」


 彼が自分を探していたことを思い出してアリカは慌てて訊いた。


「あぁ、コイツを渡しに来たんだよ。鏡探して回ってるって聞いたからてっきり基地の中かと思って、結局ここまで持ち出しちまった」


 なんてことはないように答えてハリアは縦長の黒い箱を持ち上げる。ちょうど脚の半分ほどの長さだった。その中身に思い至ってアリカは驚く。


「義足か⁉重いだろ、それ。アタシが持つ―――」


「いい、いい。筋トレだ」


 受け取ろうとするアリカを宥めてハリアは軽そうに箱を抱え直した。


「これ、骨直結じゃねえよな。痛むし重えだろ。なんでわざわざ取り寄せたんだ?」


 ハリアは箱の中身を一度見ていた。骨直結型の義肢は骨と神経と接続することができ、高価で成功率もまちまちだが闊達に動く手足と幻肢痛の軽減が得られる。対してアリカの着けていた義足は大半が鉄でできており骨と連動する仕組みは無い。


「これが良いんだ。恩人……みたいな人が作ってくれたから」


 遠くを見るアリカを一瞥して、ハリアは静かに問う。


「そいつは、(コア)と赤外線銃を発明した奴か?」


 アリカはふっと笑って肯定を示した。


「もう、生きちゃいないだろうけど」


 恒星は沈みかかり枯草が昏い影に染まっていく。


「お前は……そいつに、その……ガッカリしなかったのか」


 悩みながら彼が出力したのは、アリカには突飛に思える言葉だった。


「ガッカリ?」


「『恩人みてえな人』って恩人には言わねえだろ」


 あぁ、とアリカは腑落ちして少し笑う。


「今もちょっと嫌いさ。自分勝手でさ。でも……憎みきるなんてとてもできない」


「そうか」


 訊くだけ訊いて、ハリアはその三文字だけを返した。ほんの少し安堵と嫉妬が滲み出ているような気もした。アリカも彼に質問する。


「イエローとは話せたか?」


 少し肩の力が抜けて、ハリアは苦笑しながら答える。


「あぁ、お陰様でな。しかし、もう敵さんと一緒にゲロ吐くのは御免だぜ。本物(聖遣)との戦いまでにはどうにかしてくれよ」


「え……次も一緒に戦ってくれるのか」


 子供のように輝いた瞳で見つめられてハリアはたじろぐ。


「まあ……死にそうになったら逃げだすぜ」


 喜色をほころばせてアリカは元気に言った。


「あぁ。死なないのが一番だ」








 セカンドアース王都メ・プリビュス。王宮の前にある円形の広場には何万もの民が押し寄せ、新しい王を待っていた。儀礼は既に始まっており、宰相が王の即位を祝う言葉を述べている。


「グソク様、登壇の直前に申し訳ありません。ご報告が」


 暗い舞台袖で藍色の重々しい正装に身を包んだグソクに、ハナガサが耳打ちする。


「……分かった。注視を続けてくれ。急激な変化が起こる前に知らせろ」


「承知致しました、王」


 厳かに敬礼したハナガサを見て須臾の間微笑み、彼は長髪を靡かせて踵を返した。


 


 常人なら目を細めたくなるほどの照明が悠然と壇上へ歩むグソクを包む。彼の発案から、論説の舞台は民の立つ広場とできるだけ近くに設置されていた。対して聖遣の座は王宮の三階、街一帯を見下ろせる外の踊り場に在る。

 


 誰もが壇上に立ったグソクを見ていた。台からマイクを取り外し、彼は大観衆を見渡す。


[この会場に立つ民よ。暗闇に我の声を聴く民よ。今も聖地にて戦う民よ。道半ばで非業の死を遂げた民よ。このグソク・ナリスの、ただ一つの望みを聴いてほしい。]


 重く真摯な声が万里に響く。数万の群衆が水を打ったように静まり返る。


[二百年前、この深海の地に勇敢な先祖は降り立った。歴史にもしもは無く、後世の我々が審判を下すことは傲慢だが―――これは蛮勇だった。飢餓と烈寒、その根本を克服するには未だに遠い。]


[では―――我々、セカンドアースに生きた人間の努力は足りなかったのだろうか?]


「違います!」


 広場の観衆の誰か、若い者が叫ぶ。グソクは舞台袖に視線を送った。


「あいつらが私達の邪魔を、ずっと辞めなかったからであります!」


 人混みを掻き分けグソクの配下が渡したマイクが若者の悲壮なまでの叫びを皆に届ける。


[そうだ。あろうことか我々を聖地に呼びつけては法外な額で資源を売り捌き、搾り取り、利用する価値も無いと断ずれば外交さえ断ち切った。]


 広場に立つ群集も、中継映像を見る人々も、苦しみの歴史を想起した。ここぞとグソクは苦々しく叫ぶ。


[我々は二百年もの間煮え湯を飲まされ続けて来た!しかし煮え湯を飲まねば生きられなかった!これほどの理不尽、かつ人為的な悲劇は無い!]


 割れるような拍手の渦が瞬く間に広がった。それが収まるのを待って、また静かに語り始める。


[彼の星に住む賤民はそんな我々を透明化し、何食わぬ顔でパンを食べている。]


 舞台袖で彼を見守るハナガサの手にも力が入った。


[だが。先王によりこの星が一つになった時、一つの光明が現れた。それは賤民の打ち立てた邪悪なる文明を破壊し、我々の存在を強く知らしめた!]


 グソクが右の拳を握る。


[我々も、我々の力で立ち上がることが出来る―――そう、信じることができた。]


 言葉を切り、視線を上に向ける。その先には幽玄に微笑みどこか遠くを見る聖遣が座していた。その泰然さに民は改めて圧倒される。グソクは正面に向き直り低い声を出した。


[今こそ、彼奴等に思い知らせよう。我々こそが真の地球人であると。]


 厳粛な空気が一帯に張り詰める。涙している者も少なくない。


[私のただ一つの望みは―――眩い太陽の元で、我々選ばれし民が自由に生きることだ。]


 






 二千三千年の暮れ。最後の侵略が始まる。

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