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コアワルツ・リィンカーネーション  作者: 彷徨南無
幽玄、或いは無限

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7/12

Night or day

 花は嫌いだ。


 造花ならまだ良い。「生きている」と呼ばれる花は気味が悪いのだ。 一度、祝いの折に本物の花束を貰ったことがあった。陽光の色を模した様な花々で、美しく、ゾッとした。


 その花弁に。雄蕊に。雌蕊に。種に。蕾に。実に。


 それらの花々は成熟していながら、時間をかけて枯れていった。根から切り離した時点で、もう命は終わっているらしい。であれば、我々は腐る前の死体を飾って楽しんでいるのではないか。


 何度水を取り替えても花束はゆっくりと灰色になった。ゆっくりと死に、生との境界も曖昧だった。


 地球には、一晩しか咲かない花があるらしい。花の部分全体が、がっくりと零れ落ちて散る花があるらしい。


 枯れた花々は、人間の死体のようだった。魂の抜け落ちた、抜け殻。花はいつから抜け殻なのだろう。飾るために切った時か、葉が枯れた時か。


 それらは私を見つめているようで、すぐに捨てさせた。





 セカンドアース。


「死んだ?」


 グソクは目を見開いた。カムリの死を、その部下の報告から知ったのである。


幽霊ウスバと敵の有脳体を破壊し、宇宙船の中で亡くなっていました。堕蛇ラッセルは取り逃がしました。これは空佐……いえ、空将だけではなく、我々の責任です」


 カムリの部下の女性、ハナガサが悔しさを噛み殺すように話した。


 グソクはその言葉をゆっくり咀嚼した。カムリが事を仕損じたことに驚きを隠せない。そして、命を下した自分にも腹が立った。


 目を閉じ、壁を拳の横側で殴った。掌の肉から伝わる痛みが、グソクを前に向かせた。


「我々はここでは止まれん。今から貴様がカムリの代わりだ。やれるな」


 ハナガサは潤んだ瞳でキビキビと敬礼し、返事をした。その声に迷いは無い。


 二人は王宮へ戻り、歩きながら話す。


「サードアースに宣戦布告を行う。二ヶ月後、我々はセカンドアースとして聖遣と共に大軍勢を送る。これが最後の侵略だ。次であの星を我々のものにする」


 グソクははっきりと言った。ハナガサは戦々恐々として拳を握りしめた。


「カムリや、死んでいった者の意思を継ぐのだ。我々で、事を為そう」


「かわいそう……」


 女性の嗄れ声を聞いて、グソクは立ち止まって声の方向を見た。

 そこは父親の部屋だった。


「王子?」


 ハナガサが不思議そうにグソクの顔を伺う。彼は、今は誰も寄り付かない部屋を見つめていた。その瞳には怒りが宿っている。


「いや……何でもない」


 グソクはさっさと歩き出し、ハナガサは駆け足で彼を追った。






 たくさんの罪を重ねてきた。戦争を止められなかった。愛する人を護れなかった。兵器を造った。人を兵器にした。嘘をついて人を戦場に立たせた。裏切り者を見抜けなかった。部下を己の判断の間違いで死なせた。


 私は地獄に行かなければならない。……それなのに。


 ジン・カンナギはかつての自分の家の前にいた。売られたはずのその家は、妻と住んでいた頃から何も変わっていない。表札も、庭先にあった兎の置物も、扉の色も、である。


「私は救われてはいけない」


 ジンは震えた声を出す。自分に聞かせるように。


「早くここから立ち去らねば。地獄へ行かねば。私のミスで死んだ兵士はどうなる。死んだ兵士の家族はどうなる。早く去らねば」


 その話す内容とは相反するように、脚は使い物にならなかった。力が抜けて、膝をつく。


「いいんじゃない?別に。ジンちゃんすごく頑張ったし。ここに来たってさあ」


 女性の声にジンは素早く振り向く。妻―――ユズだった。あの頃と何一つ変わらない姿、声でジンの隣に立つ。


「そんな……私は……駄目です、こんな、救われてしまっては」


 ジンは涙を流しながら首を横に振った。


「まあ、確かにここに来るのはちょっと早いかもね」


 ユズが屈んで、老いた夫の頬を拭った。そして、えい、と言って彼を家の反対方向へ押した。

 ジンの身体はふわりと浮かんだ。そしてユズと家以外何も無い空間から、引っ張られるように離れていく。


「次敬語使ったら家入れないからね。あ、罰ゲームしたいってんなら止めないけど」


 離れていく彼にユズは笑いながら言う。


「またねーーーー!!」


 ユズは手を拡声器の形にして声を送った。


「ユズ!」


 急速に世界が遠くなっていく。ジンも叫びながら手を伸ばした。


「護れなくて、ごめんなさい」




「馬鹿」


 少女の声と共に、ジンは飛び起きた。皮膚が引っ張られて、寝床に押し戻される。


「色んな管が付いてんだから、暴れるんじゃないわよ。アリカみたいに謝って、馬鹿じゃないの」


「ナターシャ」


 どうやら病院に寝ていたようだった。机を見ると、紅玉が置かれている。そこから放たれる少女、ナターシャの声には怒りが感じられた。


「あなた達大馬鹿よ。アリカなんて、全部私がやった事なのに、錯乱して私から降りたわ。そんなことしたら死んじゃうのに。拉致型に飲まれて、今頃あの子も化け物よ。私から出なければそんなことにはならなかったのに」


 少女は捲し立てる。


「ジンもジンよ。私、聞いてたのよ。私がまだ外に残ってるですって?そんな理由で地上に残るんじゃないわよ。あなたは人間なのよ?私は、あなたが頑丈に造ったのよ?あなたが死んでどうするの?私が来なかったら死んでたんだから」


 息継ぎの必要のない宝石は早口で話し、恐らく泣いていた。ジンは彼女をそっと手に取り、両手で包む。


「すみません」


 彼は彼女を正面に見つめながら言った。


「……謝ってほしかったんじゃないの。違うの……一番馬鹿なのは私なの」


 ジンはただ彼女の泣き言を聞いていた。


「私達、皆に真実を伝えないまま兵器に乗せて……間違ってたわ」


「そうですね。上層部と、あの時交渉に関わっていた者だけが全てを知っていました。それでいいと思っていた」


「これから、どうなるか分からないけど……私達、進むしかないわ」


 ジンは己の脚を見やった。右脚の先のシーツが窪んでいる。目を閉じて静かに息を吐いた。もうここにいない者達に想いを馳せる。


「アリカを見習わなければ」


「ほどほどにするのよ、馬鹿」




「左遷!?」


 前のめりにナターシャは驚いた。個室の病室に声が響くが、ジンも、それを伝えに来た軍の関係者も落ち着いている。


「それよりも驚くべき所は、まだ私達が軍に求められている点にあると思いますが……」


「まあ、確かにそうね。セカンドアースで同じことやったら、私は破壊されてるわね」


 ナターシャも落ち着きを取り戻す。彼女はボロボロになった彼に何の労いも無く異動が告げられたことに声を荒げたのだ。


「ええと、ナターシャさんの処遇はいったん保留です。もう迫撃機巧自体殆ど残っていないので。それで、ジンさんにはあなたにしか頼めない仕事が残っているんです」


 軍の人間は平静のまま話す。


「それ、さっきまで眠りこけてたお爺さんにこなせるような事なの」


「もう、時間に猶予がないんです。こちらとしても心苦しいですが、多少は無理していただくことになりますね」


 特に心苦しそうな表情もせず、軍の男は言った。しかし切迫しているのは本当のようで、疲労は見て取れた。


「そうやって貴方達は人の命を使い潰して来たんでしょ」


「それは私達の台詞ではありませんよ、ナターシャ」


 ジンが静かに諭すと、ナターシャはため息を吐くように、ごめんなさい、と言った。


「私に出来ることがあれば、やります。たとえそれが晩節を汚すような事だったとしても……もう、決めたのです。戦い続けると」


 ジンは伝令役の男を見据えた。


「帰ってくるのが仕事よ、馬鹿」




 セカンドアースによる宣戦布告から、二日が経っていた。




 その少し後。






 アリカはベッドの中、父親に支えられて起き上がる。


「お前に渡すものがある」


 そう言って、病室の中で父親は一通の手紙を渡した。


「お前達の家の掃除をしていて見つけた。エリィさんの部屋からだ。見つけてくれと言わんばかりに、棚の一番上に置かれていた」


 父親は亡くなったと思ったとはいえ年頃の女性の部屋に入った罪悪感を感じているようで、困ったような顔をして話す。その手紙には彼女らしい、可愛らしい草花の模様があしらわれていた。


 アリカの心臓の鼓動が高鳴る。アリカは住み込みで軍に入るとき、一度自宅に帰った。が、エリィの部屋には一切立ち入らなかった。必ず帰ってくると思っていたからである。


 それでも、日持ちしないものや、残ったゴミは処分しなければならなかったが、アリカは見ないふりをした。彼女がいない現実を受け入れるのが怖かったのだ。


 手紙は封をされておらず、簡単に開いた。病院の個室は静まり返っている。アリカの顔は強張り、険しい。父親が心配そうにアリカを見つめて言う。


「……無理して読むものでもない」


 父の、珍しく彼女を案じる言葉だった。アリカはゆっくりと父の顔を見つめた。


「手を……握っててほしい」


 父の目は一瞬見開かれ、すぐに緩んだ。

 アリカは父の大きな、そして嗄れた手の温もりを感じながら、折り曲げられた手紙を開いた。






 アリカ姐へ


 アリカ姐は、こんな棚漁らないでしょうね。でも、きっと誰かが見つけてくれることを期待して、そしてアリカ姐に届くことを期待して、この手紙を書きます。

 私が筆を執るのは、貴女に思い出してほしいことがあるからです。今から、それをここに綴ります。




 アタシは、便箋の走り書きを追うごとに、母を失った頃の記憶の輪郭を取り戻していった。




 ―――――――――――――――――――― 

 西暦二千二百九十年――――アタシは十一歳だった。その日は参観日であり、放課後は保護者の懇談会も設けられ、子供達はそれが終わるのを待っている。その大半は周辺で遊んでいた。


 アタシは近くの小さな山の見晴らし台に立っていた。周囲には誰も居らず、柵にもたれて夕暮れの街並みをぼんやりと見下ろすと、足元が覚束なくなるような気がした。


 隣に誰かが来る。軽い足音。エリィだった。


 アタシもエリィも黙ったまま、並んで街を眺める。喧噪が遠い。吹いていた風が止んで、アタシはぽつぽつと語り始めた。


「お母さんがいなくなったんだ」


 エリィはただこちらを見ている。


「みんな、お母さんは死んだって言うけど、嘘だ。だってアタシは見てない。それに、お母さんはアタシを置いていなくなったりしない」


 アタシは視線を落としたまま話す。錆びた柵を握りしめた。


「お母さんはきっと拉致型に飲まれたんだ。それで、遠くに行っただけ……」


 アタシの声は風にかき消されそうだった。アタシはそのとき、いっぱいいっぱいだった。誰しも急に別れなければならない時があるということを、この年で理解させられた。みんなが消えていってしまいそうで怖かった。自分が世界に一人だけのように感じた。


 エリィはアタシの話を否定も肯定も慰めもせず、普段の静かな調子でこう言った。


「アリカちゃん。お母さん、なんて最初からいないよ。みんな、名前があるもの」


「……名前?」


 近々の大規模侵略で家族が行方知れずになったアタシは、クラスの友人達からたくさんの慰めの言葉をもらった。どうしていいかわからなくて、その度に曖昧に笑っていた。

 エリィだけは、違う視点を持っている。


「おかあさん、じゃない、ひとりの名前。だからみんな、ひとりなの。家族なんて偽物。ひとりがあつまっても、ひとり」


 何度も自分の中で繰り返したのだろうか、エリィは街を見たまま滔々と語る。アタシは彼女の理論を図りかねて、しばらく彼女の顔を見ていた。そして、彼女の両親のことを考える。


「エリィは……お母さんとお父さんがいるのに、ひとりなの?」


 アタシの言葉にエリィははっとしたようで、少し瞳が揺れた。


「エリィは、ひとりで、寂しいの?」


 エリィは黙っている。アタシは彼女に向き合った。


「言ってよ、寂しいって。そうじゃなきゃ……アタシ……エリィまでいなくなったら……」


 アタシは目をぎゅっと瞑る。


「エリィは、いなくならないで。エリィが一人で寂しいなら……アタシがエリィのお姉さんになる。偽物じゃない、本物のお姉さんに」


 エリィは目を見開いて、下を向いて肩を震わせた。


「ふ……フフ……素敵!」


 エリィは両手を広げて、駆け足で柵から数歩離れた。そのまま回って、柵に向かって走る。

 柵の手前で跳んだ。その勢いのまま足の裏で柵を蹴る。


 エリィは空中、崖の先に浮かんでいた。空中をゆっくり一回転する。アタシは彼女を見上げてただ茫然としていた。


 エリィの大きな瞳のなかに、アタシがいる。


「私、《《アリカ姐》》のお母さんの居場所、知ってるよ」


 風がエリィのツインテールを揺らしている。彼女の声は明るかった。


「でも、そこに行くには、いま持ってるものを棄てなきゃいけないの」


「いま、持ってるもの……」


 ただ復唱するアタシに、エリィは頷く。


「地面とか。お家とか」


 彼女は沈んでいく恒星の最後の光を一身に受けていた。地面に足をつけていたら届かない場所にいる。高い空中からアタシに向かって手を伸ばした。


「アリカ姐、来て」


 エリィの瞳が期待に輝く。

 その時のアタシは、本当にどうかしていて、どうして飛べるの、とか、どうしてお母さんの居場所を知ってるの、とか、全く気にならなかった。母親が消えた現実が一番の空想ファンタジーだった。そしてあろうことか、丸い柵に登って、浮かぶ彼女に向かって手を伸ばしたのだ。




「アリカ!」


「父さ……うわっ!」


 父さんの声がした。アタシは振り返ってバランスを崩し、地面に倒れた。


「探したぞ。危ない遊びをするな。もう帰るぞ」


 階段を上がって来た父がしゃがんで、地面に手をついて座るアタシが怪我をしていないか見る。アタシはエリィを見る。彼女は柵の上にしゃがんでこちらを見下ろしていた。すぐに地面に飛び降りて、スカートがはためく。


「飛ん、でた……」


 アタシはまだ茫然としている。


「飛んだ?」


 父が怪訝な顔でエリィを振り返る。地面の上の彼女は夕暮れの光に包まれてよく表情が読み取れない。


「アリカ姐、いつまで地べたに座ってるの」


 エリィはもう一度アタシに向かって、平然と手を差し出す。風の中で、アタシがおずおずと手を伸ばすと、暖かい掌がアタシを勢いよく引き上げた。そのまま、エリィはアタシの耳元に口を寄せて、囁いた。


「アリカ姐の、本物の家族は私だけ」


 じゃあね、と言ってエリィは階段を降りていく。父が声をかける。


「親御さん来てないなら、送ろうか」


 一瞬立ち止まり、静かに答える。


「ひとりで帰れるよ」


 強く握られた手のひらに、少しだけ痛みが残っていた。





 ――――――――――――――――――――

 これが、幼い私達の、幼い記憶。貴女はあの頃辛いことばっかりで、きっと忘れてしまったんでしょうね。高校の時、崖で貴女と踊った時に貴女が何も覚えていないことを確信しました。

 だから、私は貴女と遠くに行くことを諦めました。そして、貴女の傷口になることにしました。


 貴女は私と遠くに行く覚悟も、変わっていく私を引き留めることもできないように見えましたから。貴女は、そんな自分を責めることはないんです。当たり前のことだから。


 この手紙がいつ読まれているか分かりませんが、貴女の知らない遠くで、私は気持ちの悪い姿に変身しようと思います。私はその為にセカンドアースで生まれた生物兵器だからです。もしかしたら、変身するところがテレビに映るかもしれません。あんまり見てほしくないな。その悍ましい姿の私は人をいっぱい殺す侵略者の司令塔になります。

 貴女がもし全て覚えていたらきっと私は貴女と


 いや、この話をするのはよします。


 とにかく、私はこの星を目茶苦茶にした後、セカンドアースに行きます。貴女の手の届かない所です。セカンドアースに行ったあとのことは私には分かりません。でも、人の心を持たない化け物になることは確かです。元々、人ではありませんでしたけどね。いっぱい隠し事をしていてごめんなさい。


 本当に酷いことだけど、貴女には生きていて欲しいと思っています。他の人は殺してしまっても、貴女は生きてて欲しいです。だから、できるだけ安全な場所にいてください。私のいない場所で、貴女らしく生きてください。

 そして、貴女と過ごした私のことを覚えていてください。綺麗なところも、汚いところもです。傷口が塞がっても、貴女の身体に痕が遺り続けることを祈っています。


 私本位の手紙でごめんなさい。私のことが嫌いになったら、この手紙は捨ててください。今までありがとう。さようなら。




「っだよ……なんだよ、これ……」


 アリカが声にならない声を漏らす。手紙が膝の上にふわりと落ちて、シーツと父親の手がきつく握られた。


 読んでいる最中から涙が止まらず、便箋の上に垂らさないように苦心した。


「ずるいだろ、こんなの……置き手紙なんて、こっちはなにも答えられないじゃないか。こんな、こんなの……言ってくれたら、アタシだって……さよならの一言くらい、言えたのに」


 泣きじゃくって縮こまるアリカの背中を、父はぎこちなくさすった。


「さよなら、か」


 呟いて考え込む父を、アリカは顔を上げて見つめる。


 アリカの退院日は近づいていた。


「さよならを言いに行こう」








 松葉杖をつくアリカを注視しながら父も歩く。アリカは久しぶりの運動に肉体が軋むのを強く感じた。新しい義足をつけてはいるが、まだ自力で歩くには至っていない。


「あなたは今まで気力で立っていたようなものです。侵略者と融合する前からね。普通は脚を失って、こんな短期で歩き、ましてや踊るなぞ考えられませんよ」


 医者の言葉がアリカの頭に浮かぶ。気力。それがアリカの動力の源だった。詳しく言えば、エリィを取り戻そうとする、気力。


 アリカの腕は殆ど元通りになっていた。顔の右半分の白くなっていた部分も、日に焼けるように染まってきている。


 エレベーターの前で、アリカは止まった。


「アリカ?」


 父が声をかける。


「アタシ、自分で降りられるから……階段、使うよ」


 アリカが冷や汗をかきながら笑う。松葉杖を強く握っていた。


「虚勢を張るな。震えているぞ」


 アリカは言われて初めて、自分が震えていることに気がついた。父の顔を見ると、もうあの時の目をしていなかった。


「階段で行こう。私がおぶさる」


 そう行って父は近くの階段を見やった。アリカは驚きから少し笑う。


「な、何言って」


「何のために鍛えていると思っている?」


 目を丸くしているアリカに、家族を守るためだ、とは気恥ずかしくて、都合が良くて言えなかった。






 アリカは閉所に恐怖を感じるようになっていた。迫撃機巧のコクピット。セカンドアースから帰る際のカプセル。この二つがアリカに強烈なトラウマを植え付けた。


 だから、父の車の前でもアリカは硬直している。そんなアリカを見て、父はどこかに電話をした。




「少し待っていろ」


 それだけ言い残して、父は一人車に乗ってどこかへ行ってしまった。アリカはベンチに座ってぽかんとしている。




 これから何をして生きていけば良いのだろう。右脚は嘘のように上手く動かない。自分の空虚さに怖気がしてアリカは身震いした。




 彼女の前に、一台の車が停まる。


 その車に屋根は付いていなかった。二人乗りのオープンカーである。車高は低く、フロントガラスは鋭角に取り付けられている。


「これなら乗れそうか?」


 青い車体が朝陽に、アリカの瞳に輝く。車名をロードスター。


 道を往く者。




 空を見ながら、アリカは自分の中身について想いを馳せる。








 エリィに見据えられると、肋骨の裏側をなぞられた気分になる。


 アタシ達には秘密があった。








 ダンスが始まる直前。暗いダンスフロアに審査員達が座っている。ダンスフロアに繋がる広い廊下にはまだ誰もいない。そこに人が集まる一瞬の間、アタシ達はそこに集まった。


 煌々としたドレスも非常灯だけでは上手く輝かない。アタシは俯いたまま、小さく声を出す。


「……お願い」


 エリィはアタシを恥じ入らせてしまうようにゆっくり振り返る。何も言わないまま、ずいと正面に迫り、壁際にまでアタシを後退させた。


 腰から手を回して、エリィはアタシをきつく抱きしめる。エリィはアタシより少し背が高いが、アタシの方が高いヒールを履いていた。だからアタシの目線の方が高かった。


 アタシは彼女をそっと抱きしめ返して、目を閉じる。それでいつも、自分の空洞がエリィで満たされるように感じた。








「平気か」


「うん」


 アリカは傷付いた身体を抱えながら風に吹かれている。この車に首を絞めつけるような閉塞感を感じることは無かった。車体と共に地面が流れていく。久しぶりに視る光が眩しく、美しく感じてアリカは少し冷たい空気を吸った。








 アリカは父の肩を借りつつ、地面に降りた。そこは墓場だった。平原に大きく広がっており、ファーストアースの日本風の墓石が並んでいる。数本、大きな樹が枝を伸ばしていた。


「ここって……」


 寒風に吹かれながらアリカは辺りを眺めた。


「お前は一度だけ来たことがある」


 父は墓守から車椅子を借りてきて、アリカを乗せた。アリカは入院生活の中ですっかり車椅子に慣れている。


 父が足を止め、車椅子を切り返す。アリカの低い視線の正面には、彼女の母の名が刻まれた墓石があった。父は静かに言う。


「前も二人でここに来た。お前はすぐに帰ってしまったがな」


 アリカは父を見上げて目を見開く。何も覚えていなかった。墓石に改めて向き合う。


 母との思い出は少ない。


「楽しいこともあったはずなんだ」


 アリカは小さく言う。


「忘れたくなかった。忘れたくなかったんだ……」


 活けられた花が風に揺れる。アリカは頭を垂れて、車椅子の手すりを握りしめ、肩を震わせる。涙が義足に落ちて流れた。


「あぁ……」


 父はただそれだけ言った。忘れることは生きることだった。生きるためにアリカは忘れなければならなかった。


 涙を拭い、アリカは手を合わせた。


「さよなら、母さん」








 墓石を洗う父の背中にアリカはぽつぽつと話しかける。


「たくさん人を殺したんだ」


 父は手を止める。


「アタシはどう償えばいいかな」


 父は振り返る。


「お前の往く道を往くしかない」


 皺の奥にある父の瞳は鋭い。しかし、それがアリカを怖がらせることは無かった。


「アタシの道……」


 父はきっぱりと言う。


「アリカだけの道がある。出来ることがある」


 その道の果て。


 アタシは、みんなに言えるだろうか。さよなら、と。






 車の駆動音がした。丘の上にある墓から見下ろすと、その車にはニッポン軍のマークがついていた。


「もう嗅ぎ付けられたか」


 父はバケツに掃除道具を入れ、脚で車椅子のロックを外した。


「誰か来たのか」


 アリカは立ち上がることができないので状況がつかめない。


「軍だ。一旦隠れるぞ」


 墓場は開けていて隠れる場所が無い。墓守の小さな小屋に匿ってもらおうと父は車椅子のグリップを握った。


 その手に水滴が落ちる。正確には果汁。


「にょ~っす、アリカ・バンジョウ。それと親父さん」


 次いで、声と一口だけ齧られた果実が一つ落ちてきた。軽薄な女性の声。アリカと父は頭上を見上げる。


 樹の上に、中肉中背の若い女性が寝そべっていた。


「速いっしょ。これが新時代のコアのワザ」


 アリカを見下ろして女は笑う。脚には鈍色に光るガジェットが着いていた。父はアリカの前に立ち、庇う。強い口調で言った。


「何をしに来たんです」


 彼の顔が険しくなるほど、女は嘲るように軽く話す。


「軍があなたの娘さんにお話しを聞きたいみたいなんで~、そのお迎えに来ましたあ」


 父は軍という単語に怒りを滲ませる。


「アリカはもう戦争には関わらない。兵器にも乗らせない」


「父さん」


 父は娘に袖を引かれ我に返る。アリカは父の顔を見て言う。


「アタシはあっちで経験した事を話さなきゃいけない。それに……」


 言葉を切って、女の方を見上げた。


「もう迫撃機巧には乗れない。閉所恐怖症になったから」


 女は身体を起こす。


「エ!そりゃ大変。まー、上の人達もそこはあんまり期待してなかったと思うけど」


 無音で女は樹から跳び、地面に降り立った。


「私はフサマキ・クロだよ。てことで、アリカ連れてくね」


 フサマキは右に流した前髪を揺らして車椅子の元へ駆け寄る。父はグリップを握ろうとするフサマキの手を遮った。


「せめてもっと回復してから」


 フサマキは笑わずに言う。


「その頃にはこの星は滅んでるかもよ?」


 父は葛藤に顔を歪ませる。アリカはしゃがれた父の手に自分の手を被せた。


「大丈夫、帰ってくるから」


 もうその声に迷いは無かった。








 軍の用意した車の後部座席にアリカとフサマキが座る。開いた窓の傍に座り、風を感じると不安は少し和らいだ。アリカは眠そうにしているフサマキに声をかける。


「さっき言ってたけど、そんなに切迫してるのに軍はアタシの回復を待ってくれてたのか?」


 フサマキはこれまでの道程を思い出して面倒くさそうな顔をした。


「あ~それはね、君の親父さんがねー」


 フサマキは欠伸をしてから話し始めた。


「病院と結託してて、軍の人間が電話しても、君の状態を全然教えてくれなかったんだよ。一週間くらい経って、そろそろ意識は回復したかな~と思って病院に訪ねてみたらいないわけ。色々巡ってなんとかここに辿り着いたわけよ。愛されてんね~」


 フサマキは茶化して笑う。アリカは少し驚いた。父はそんな素振りは見せなかったのだ。


「……そうだな。愛されてるんだ」


 アリカはしみじみと言う。フサマキは分かりやすくへそを曲げた。アリカを指差して迫る。


「しんみりすんな。もっと笑え。この星終わるかもしんないんだぞ。宣戦布告もされちゃったんだし」


 アリカは声を荒げる。


「宣戦布告?」


「メディアも制限されてたのかあ……。数日前、セカンドアースからされたんだよー。大軍勢連れて来るんだって。そんな折に君って奴が落ちてきたんだから軍は慌ててるんだ」


 車は瓦礫の街を通り過ぎていく。フサマキは自分の席に座り直した。


「アタシの義足は……」


「軍が持ってるよ。中身も無事」


 フサマキの言葉にアリカは安堵した。今、アリカの右脚にはプラスチックの義足が取り付けられている。それはサードアース製で、ウスバからもらった義足の行方が分からなかった。宇宙船のカプセルとして落ちた時に軍に押収されたらしい。


 車が停まる。コンクリートの飾りのない建物がそびえ立っていた。


「はい、着いたよ。ま、楽にしなー」


 フサマキの案内で、車椅子に乗ったアリカは広い部屋に通された。奥は一段高くなっており、そこに立っているスーツを着た人がアリカを見た。彼女はその対となる後方の中央に連れられ、車椅子にロックをかけられる。壁に沿って椅子と机があり、多くの大人が座っていた。それでいて静まっている。


 アリカは既に感じ取っていた。この視線は己が恐れてきたものである。


 フサマキはやれやれといった顔でアリカから離れ、空席に座った。








「アリカ・バンジョウ。貴様を査問にかける」


 アリカの正面に位置する男が言った。


「査問……」


 アリカはフサマキの方を見やる。彼女は舌を出して笑ってみせた。


 いかにも話すだけという風に案内した彼女に少し腹が立ったが、アリカは自分が脱走兵だったことを思い出して己を律し、正面に向き直った。




 この軍法会議の議長はカマクラ軍の陸軍大佐であった。年をとっているが厚みのある身体が潜ってきた死線を物語っている。


 コンクリートの殺風景な一室で、詰問が始まった。


「貴様はなぜ、敵を前にして命令を放棄し逃亡を図った?」


 アリカは奥歯を噛む。震えそうな声を無理やり出した。


「もう誰も殺したくなかったからだ」


「呆れたな……しかし、これに比べれば敵前逃亡など些末な事だ」


 アリカの正面に座る議長は書類を手の甲で叩く。


「貴様の義足の内部から小型の記憶媒体が見つかった。内容は未知の革新的核コア技術。また、侵略者に壊滅的被害を与える光線銃について。如何にしてこれらを手に入れ、持ち帰った?」


 議場の視線がアリカに集まる。アリカは唾を飲む。


「セカンドアースで、そこに住む科学者に助けられた。彼女は反体制派で、アタシにそれを託したんだ」


「その半身はセカンドアースで改造されたものではないのか。なぜ反体制派の科学者と出会えた」


「この、身体は……」


 アリカは白くなった右腕を握った。顔の右半分は殻が剥がれるように、徐々に白い部分が落ちてきていた。


「有脳体と融合したのは、奇跡的に起こったことで……誰も予期していなかった」


 議場がざわめく。


「拉致型侵略者と融合して人間の形を保っていると?」


「侵略者と何が違うというのだ」


「意思は人間なのか」


 議長が乾いた音を鳴らす。


「今この場で……貴様の自我を問い直すような無益なことはしない。身体検査では貴様に侵略者の能力は認められなかった。問われるべきは、貴様が我々の敵かどうかということだ。よもや、土産を手にこちらに潜り込もうという思案ではあるまいな」


 議長が語勢を強める。アリカも正面から彼を見据えた。


「アタシはアンタらの敵じゃないし、誰とも戦う気は無い。そもそも、何の力も持ってない。……逃げた罰は受ける。でも、それは少し待ってほしいんだ。まだやらなきゃいけないことがあるから」


 その目は決意に燃えている。


「自分が何を言っているのか理解できているのか?」


「無茶を言っているのは分かってる。今のアタシの状況も。……アタシは敵の情報も持ってる。アンタらにとっても使いようがあるはずだ」


 アリカがそう言うと、四方から野次が飛んだ。


「化け物風情が」


「誰が信用すると?」




「アリカは信用に足る人間よ」


 それは何度も聞いた、気の強く、愛する者が傷つくのを誰よりも恐れる、少女の声だった。アリカは驚いて左右にその声の主を探す。


 議長は声の主を問いただす。


「子供を入れた覚えは無い。他ぞ、名を名乗れ」


「ナターシャ・カンナギ。迫撃機巧四號機のコアよ」


 芯のある声でナターシャはきっぱりと言い放った。議場が静まる。


「ナターシャ!?」


 アリカは目を見開く。議場の窓辺に座っていた男性が宝石を机に置いた。光を受けて赤く光っている。男はニッコウの隊服を着ていた。


「アリカ・バンジョウのペアか。持ち出したのは貴様だな」


 議長はナターシャのコアを携えた男を睨む。男は堂々と起立した。


「特別侵略者掃討隊オペレーターのマダラ・リカオンと申します。この場から当事者の一人である彼女を締め出すのは不条理であると判じ、帯同させた次第です」


「……貴様等が何を宣ったところで結果は変わらない。アリカ・バンジョウはカマクラの牢に入れる」


「いえ、あなた方のお手を煩わせるようなことは致しません。元々、我々の身から出た錆であります。アリカ・バンジョウの身柄はこちらで拘束致します」


「ニッコウは壊滅状態だろう。務まるとは思えんな」


「どこも同じようなものです。……あなた方こそ、敵星の情報を持つ彼女で何かを企んでいるのではありませんか?」


 席につく軍人達がざわつき、議長は眉をひそめる。カマクラも先の侵略で被害を受けていたが、軍の施設は動いている。そして、カマクラは迫撃機巧を真っ先に導入した軍としてしばしば誹りを受けることがあった。非人道的であると。


 議長が口角泡を飛ばす。


「カマクラ軍にそのような意図は無い。我々は軍事法に則り公平な会議を」


「うっさいわね!あなた達の面倒事を一つ肩代わりしてやるって言ってんのよ!」


 ナターシャが我慢できずに大声を出す。




 議場の視線が議長に集まった。



 セカンドアース王府では侵略の為に誰もが奔走する。が、聖遣だけは安定した状態が続き、大きな部屋で平静にしている。


 それは真っ白い部屋で、白い肉となった触手と、内部が殆ど液体のままの透明な触手がみっちりと詰まっていた。その中央に聖遣の本体がある。触手にもたれかかって、安寧とした表情をしていた。


 足音が近づいてきた。扉が開く。タブレットを持ったグソクだった。


「聖遣。貴様に作戦内容を伝えに来―――」


 彼が口を開いた瞬間、まだ固まりきっていない、液状の触手がグソクの頭に覆いかぶさった。


 手で払いのけようとするが、離れない。彼の口が開き空気が漏れる。その口が何かの形をとった時、周囲の液体が弾けた。透明の触手だった液体が辺りに散らばる。


 解放されたグソクは四つ足になって咳き込んだ。聖遣は抑えられない狂喜に身をよじる。部屋に笑い声が響いた。


 グソクは眼光鋭く、声の主を睨む。長い髪は濡れ、部屋に雫が滴った。その瞳は怒りに震えている。聖遣は目尻に滲んだ涙を触手の先で拭った。


「怒ってるの?顔でも、殴ってみる?」


 嘲りながら、触手で自らの頬を指す。


「ほざけ」


 グソクは自らの頬を拭いつつ吐き捨てた。


「撫でで窒息させるのは、暴力に含まれないみたい」


 安らかに笑って、また彼に向かって触手を伸ばす。グソクはそれを手で弾いた。


「穢れている……貴様の血が、本性が、本当は醜いことを、俺は知ってる」


 そう言ったグソクを、聖遣はクスクスと笑う。グソクは彼女がなぜ笑うのか分からず、眉を顰めた。彼女は彼を見下ろす。


「『私』じゃないの?」














「私がやったことよ」


 ナターシャは重く言い放つ。


「私が殺した。私が憎んだ。私が騙した。あなたを利用した。あなたに罪なんて、あるはずない」


 曇天を映した川面は滑らかに海に続く。川べりでアリカはナターシャを握っていた。


「それでも……」


 アリカは杖を使ってなんとか跪き、浅い水面を見下ろす。自らの形貌が揺らぐ。


「アタシは目を開けたまま眠っていたんだ」


 首から下げられたナターシャの光が水流に交じり合い乱反射する。


「エリィのために死ぬことができるならそれでいいと思ってた。あの子の残影を追いかけて、現実の光から目を逸らしてた。だから、悪者に暴力を振るって人を救えると錯覚した。ヒーローの夢から醒めることは、いつだってできたはずなんだ」


 噛み締めるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。ナターシャも言葉を選ぶ。


「アリカは……何も間違ってなかったわ。だから、もう私達と関わってはいけない。軍はあなたを監視するだろうけど、長くは続かないわ。だから、アリカ、お願いだから……」


「ナターシャ」


 アリカはナターシャを持ち上げて、正面から語りかける。


「言ったろ?まだやることがあるって。それは軍や戦争やエリィから離れて生きることじゃない。アタシ、ナターシャとやりたいことがあるんだ」


 赤い宝石に、アリカの顔が映った。


「ナターシャ。アタシの脚になんかならなくていい。ただ、同じ方向についてきてほしいんだ」


 どうかな、とアリカは少し不安げに微笑みかけた。せせらぎが響いている。


「私、お別れをしに来たのよ……二度と会わないべきだって、そう、思ってたのに」


 雲が割れ、コアに強い光が差し込んだ。サードアースを照らす星の光は、宝石の中に散らばる。直に視れば網膜を焼くそれは、コアを通して柔らかくアリカを照らした。アリカはナターシャが泣き止むのを待つ。


 少し経って、ナターシャは静かに口を開いた。


「私、アリカにずっと言えなかったことがあるの」


 アリカはそれを聞いて、一度強く目を閉じて、また開いた。


「教えて」


 それは、何も怖いことではなかった。


「私に、名前をくれてありがとう。好きなの、この名前。私だけの、名前……」








「私が言うのも何ですが、もっと近くで監視なされないのです?」


 フサマキはアリカ達の後方、林の中に佇んでいる。彼女はマダラを鼻で笑った。


「君には私がそんなに真面目な軍人に見えんのかい?」


 そう言ってフサマキは一口齧った果実を背後へ放った。そよいだ木々の葉の形になった影が、二人の軍人へ落ちる。


「そうですね。私はあなたが怒っているように見えます」


「私が?……君ってば変な奴だな~」


 彼女の傍には積まれた果実の山があった。その中からまた一つ果実を取って、齧る。


 その脚にはコアとその力を増幅させるブーツが万全に装備されている。








「にょーっす、アリカ。君ってばなんで戦ってたの?」


 翌日、出立する前に小川で顔を洗っていると、突然フサマキが樹上から問いかけてきた。


「……なんだ、藪から棒に」


「こういうこともしないといけないんだよ。ま、思想チェック?」


 フサマキは飛沫をあげて着地し、アリカの顔を少し濡らす。アリカは顔をしかめるが、視線を落とし少し考える。そうしてフサマキに向き合った。


「最初は、パートナーを取り戻す為」


「あぁ。あのバケモノね」


 目を見開いたアリカを見てフサマキは嗤う。


「本部の人間は知ってるよ~?そんなコワい顔すんな。どーせバケモノには違いないし」


 アリカは視線を外さないまま松葉杖でフサマキに詰め寄る。不安定な川底に無理やり杖を突き刺した。


「あの子は人間だ」


「ええ、まじで言ってんの?よっぽど長い間騙されてたんだねえ」


 フサマキはアリカを見下して哀れっぽく言う。


「身体の話じゃないんだ。あの子には人間の心がある」


「君が熱血夢見がちお馬鹿さんってことが分かったよ、ありがと、調査終わり」


 面倒になったのか、一方的にフサマキは話を終え去っていく。アリカはこれから歩もうとする道の険しさを見据えるようにその背中を見つめていた。








「私があなたに別れを告げようとしてたのは、これが理由」


 ナターシャはアリカに向けてそう言う。コンクリートの殺風景な部屋に、少女の形をしたロボットが鎮座していた。素体が剥き出しの鉄の身体。繋ぎ目も分かりやすく、急ごしらえであることが一目で分かる。


「なーに、これ。ボロボロじゃん」


 フサマキがロボットに近寄り、肩の辺りをコンコンと手の甲で鳴らしてみせる。古く、削れてしまったのか軽い音がした。


「不用意に触れないでください、やっと復元した所なんです」


 マダラがあくまで冷静にフサマキに言う。フサマキはわざとらしく肩をすくめて後ろに下がる。


 アリカはナターシャの緊張を感じ取り、その言葉を待った。ナターシャは意を決したようにゆっくりと口を開く。


「これが、私の最初の身体よ。……あぁ、正確には二番目ね。人間の肉体を棄てて、次に手に入れた身体。一度ぐちゃぐちゃに破壊されたのだけれど……破片をジンが回収してたの。そして、今になって完成した。この中に私の知らない私の記憶がある。私がこのコアロボットに入れば……」


 言葉が切れる。


「私がセカンドアースにいた頃の記憶が分かる。私がセカンドアースの姫だった頃の記憶」


 全員の顔が強張る。


「……は?何言ってんの」


 フサマキから低い声が漏れた。


「あなたがここにいる理由でもあるわ。私から知ったセカンドアースの情報を本部に伝えるの」


「あーそう、って納得するとでも?」


 フサマキはつかつかと車椅子のアリカに詰め寄り、その胸に下げられていた赤い宝石を乱暴に持ち上げた。


「それはお前をここでぶっ壊したら後悔するような情報なんだろうな」


 ナターシャを掴むフサマキの右手に力が籠る。


「やめろ!」


 殺気に晒されたアリカは咄嗟に腕の力でフサマキを振り払った。反動で車椅子が後退し、その間にマダラが割って入る。常に平静を保っていたかつての上官のように、淡々と言った。


「今は、ナターシャさんの話を聞きましょう」


 ナターシャという存在は、ジンによって担保されていた。


 マダラはニッコウのオペレーターだが、ジンの元で働いたことがある。長く時間を共にした訳ではないが、その手腕に憧憬を抱かずにはいられなかった。マダラには、彼が個人のためにセカンドアースを脅かすような選択を行う男だとは思えなかった。


 マダラに遮られたフサマキは動きこそしないが、強くコアを睨みつける。


「……ごめんなさい、もう少しだけ。私が最後にアリカに会おうと思ったのは、私が変わってしまうかもしれないから。全く未知の過去の記憶を手に入れて、ナターシャという連続性は失われてしまうかもしれない」


 ナターシャは眼前のロボットに刻まれた胸の窪みを見つめる。コアの形の窪みだった。


「本当に、あなたには酷い事ばかり強いているわね。アリカ」


 アリカは手のひらに宝石を乗せて、少し無理をして笑った。


「いいんだ。それがナターシャの選ぶ道なら。それに、ナターシャが消えるわけじゃない」


 マダラとフサマキが核を見つめている。アリカはネックレスからコアを取り外し、傷口に絆創膏を貼るようにそれを窪みへ押し当てた。


 その時、超新星爆発のような凄まじい光が全てを飲み込んだ。








 砂の感触。灯りの無い朽ちた小屋。腐った肉のざらついた舌触り。擦りすぎて痛くなった目元。大人の暖かい手。色鮮やかな生地の厚いスカート。柔らかく煮込まれた魚料理。求めれば応える声。手術台のライト。腕に縫い付けられた肉塊。縫い目から漏れる黄色い液体。合うことのない大人の視線。骸骨と変わらないほどに細くなった四肢。手袋をした大人の手。厚いガラスのカプセル。何かが摩耗していく感覚。大人の手。ガラクタの身体から抜け出したような解放感。複雑に微笑む女性の研究員。思うようには動かない金属の身体。歩くにはまず右脚の太ももにあたる部分を前に、ふくらはぎの部分は収縮させて、足首の関節を上に、着地は踵から、指で地面を掴み、左足は、ああ、本当に難しい。


 宇宙を望む窓。点から線に変化する星々。光に包まれた惑星。鯨でなく雲の浮かぶ惑星。私を代わる代わる覗き込む期待に満ちた瞳。毎日代えられる可愛らしい衣服。初めて発した言葉。初めて撮った写真。向き合った沢山の大人。私にくれた、変な言葉。


 明かりの無い部屋。痛みの伴わない電流。少女の柔らかい手。錘を付けられた脚。クローゼットの壁。走り抜けた長い廊下。花みたいに軽い少女。砂の城のように脆い少女。私のためにいなくなった―――








 頬に熱いものを感じて、アリカは顔を上げた。フサマキは顔を真っ青にして俯き、口元を覆っている。マダラは全身に汗をかいて膝を付いていた。


 全員が彼女の圧縮された記憶を流し込まれていた。膨大な時間と厳然と進む現実の時間の勾配に目眩がする。


「あ、りか……」


 コアロボットがたどたどしく声を発する。ナターシャよりもほんの少し大人びた声。


「私、私のせいで……あの子のコアは、もう、どこにも」


 声が震えているが、これが本当の人体であれば身体も震えていただろう。それくらい彼女の声は不安定だった。


「核が無い人間……」


 フサマキが徐に言葉を漏らし、苦し気に嗤う。


「君のパートナーって奴は……ふ、はは!真正のバケモノじゃん!しかも、君が心のように信奉する核ですらぶっ壊れてる!……ク、くふ、君はさあ、存在しないものをずっと追いかけて来たんだよ、アリカ。あいつに心なんて無い」


 身をよじらせて狂喜したのち、目尻の涙を拭ってアリカの方を見た。


「なあ、もう諦めろよ。星の最後ぐらい適当に、美味いご飯食べて、寝て、海でも見て過ごせばいい。無駄な努力を繰り返すよか、よっぽどマシだね!」


 アリカは真っ直ぐに彼女を見上げる。その眼差しに気圧されて笑みが剥がれた。


「それでも、アタシはあの子といたいんだ」

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