#5 分離
ビルとビルの間を飛び降り、ビルを仕切る小さな細い塀の上に足を乗せた泉佐野は、後ろの瀬庭を向く。
「ねえ、どういうこと?」
瀬庭は、相変わらず冷静な顔をしている。しかし何かがおかしいことを感じ取ったらしく、声の色は違っていた。
「瀬庭、瀬庭の命が狙われているんだよ」
「えっ?」
瀬庭は驚いた顔をしている。口をあんぐり開けている。
「どうして?」
それでも”敵”からこれを聞くということに多少の抵抗を感じているようで、顔からは少々警戒の相が読み取れた。
「どうしてなの?」
「瀬庭がその翼で、たくさんの人を殺しているからだ」
泉佐野がそう言うと、瀬庭は黙り込んでしまう。
「ねえ」
今度は泉佐野が尋ねる。
「何で瀬庭は人を殺すの?」
その問いに、瀬庭は高い高いビルとビルにはさまれて細い細い青い空を見上げる。背中の翼は閉じているようで、見えない。
「……私だけの力だから」
「えっ?」
「この世の中で翼を持っているのは私だけ。他にもいるかもしれないけど、今はとりあえず私だけ。私の周りには誰もいない。私だけが持っている力なの……。だから、この力を、なにかいいことに使おうと思っていた。他の人にはできない、なにかいいこと……」
「まさかだけど、瀬庭が今まで殺してきた人って……」
「ええ、そうよ」
瀬庭はため息をつく。
「強盗や盗みをやって、他の人と同じように能天気に過ごしている人たちよ……、私が今まで殺してきたのは」
「…………っ」
今度は泉佐野が言葉に詰まる。
「天気のいい日に空を飛んで、下を見下ろすの。すると、たまにコンビニから刃物を持って黒いかばんを持っている人が出てきて、バイクに乗るの。その人の後を追いかけて、その人が誰も見ていないところまで逃げたら降りるの。それで、その人の背中を掴んで落とす。それが私の仕事」
背中の長髪が、隙間風に揺れていた。
「……盗みと殺しと、どっちが重いんだよ」
「えっ?」
「どっちが罪として重いか聞いているんだよ!」
泉佐野が叫ぶが、瀬庭は黙って首を横に振る。
「悪いことは分かっている。でも、生きるために悪を選ぶ人がいれば、私のように悪を悪を持って罰する人もいる。そして、それがいつしか私の生きがいになっていた」
「…………」
泉佐野は、返す言葉も見つからなかった。
「け、けど、瀬庭はそのせいで今自衛隊から命を狙われていて……」
「自分の使命のために死ねるなら、本望」
瀬庭はそう言うと、背中から翼を生やす。
広げる。
白い。白かった。
今までで最高に白い翼であった。
白い。白い。でも……。
泉佐野は、ばっと瀬庭の腕をつかむ。
「こんなくだらない死に方でいいの?」
「くだらなくなんか、ない」
瀬庭はそう答える。
「自分の好きなことのために死ねるなら、嬉しいんでしょ?」
「たくさんの人を殺したせいで狂った?」
「違う」
「狂ってる人は皆、違うと言う」
「分かってる」
そう返した瀬庭は、狭いビルとビルの間に収まるくらいに翼を動かし、ふわりと、浮き上がる。
「ま、待てっ!」
瀬庭の腕を掴んでいた泉佐野が叫ぶが、瀬庭はその手を振り落とす。
上へ。上へ。上へ。
「ま、待てえええええええええええええっ!!」
泉佐野の叫び声。
瀬庭は、上へ。上へ。上へ。只管上へ。
只管、上へ。
大量の砲声。
「はぁ……」
その夜に家に帰った泉佐野は、疲れた顔をしていた。
「もう、一体どこ行っていたの。学校から電話があって……」
母の声がするが、それはもう耳には入らない。疲れた顔とは対照的に体が動き、足は居間へと走って向かっていた。
リモコン。リモコン。ソファーの上にある。
泉佐野はそれを掴み取り、テレビに向ける。
電源。赤いボタン。
どこかでニュースをやっていないか探す。
《今日の昼に起きた発砲事件ですが……》
どこからかそんな声がした。
しかし、どこの番組をあたっても、そのような話題は扱っていなかった。
「また、取材中か……」
番組の最後のほうでやるのかな、と思ってテレビを消した泉佐野は、後ろを振り向く。
「話は、最後まで聞く!」
母が立っていた。大声で怒鳴られた。
しかし、泉佐野には、そんな声などどうでもよかった。
瀬庭が、瀬庭が、気になって、気になって、仕方がなかった。
次の日。学校。
2時間目が終わった後、先生に職員室に呼び出されて、ものすごく叱られた。当たり前だ。
昨日、昼休みの途中に学校を抜け出したんだから。
しかし、泉佐野にとっては、そんなことはどうでもよかった。
当たり前だ。
瀬庭が、瀬庭が、瀬庭が……。
今も屋上にいるような気がする。
今でも、屋上にいるような気がする。
凛とした瞳。そして、長髪。
そんな瀬庭が、かわいく見えてくる。
そのかわいい顔の中に、残酷さが込められている。
でも、何だろう、この感じは……。
「こら、聞いているのか!」
先生の怒鳴り声。それはさすがに耳に入ったらしく、泉佐野は目を見開き、先生を見る。
その日の昼休み、泉佐野は屋上へと続く階段を上っていた。
なんとなく、なんとなく瀬庭がいるような気がした。
もしいなくでも、会えるような気がした。
泉佐野は屋上へのドアまで辿り着いたが、いさドアノブに手をかけると躊躇した。
会えないかもしれないよ?
そこにはいないかもしれないよ?
そこには、誰もいないかもしれないよ?
でも。
泉佐野の、ドアノブを握る手が強くなる。
会える可能性がなくだって、会いたい人には会いたいんだ。
ばっと勢いよくドアを開けた泉佐野は、屋上の光景を見て絶句する。
そこには、一人の少女がうつぶせに倒れていた。
血。怪我。そして、見慣れた長髪。
背中には、翼が生えていた。
かの真っ白な翼ではなかった。
3つか4つの穴が開いていて、その回りはこけていた。
「瀬庭…?」
泉佐野はそれを見て、最初は笑っていた。しかし、ドアを閉めてからしばらくたつと、力の限り叫びつくした。
「瀬庭ーーーーーーーーーーーーー!!」




