リティ、魂の旅立ちを見届ける
クリーバーを包み込んだ光が消えた後、甲板の上に指輪が落ちた。錆による腐食が激しいが、原型はとどめてある。
リティはそれを拾って、指で撫でた。
「婚約してたのね」
「この指輪は?」
「結婚指輪よ。将来を誓い合った二人の証として、指輪をはめる習わしがあるの」
「こういうの……素敵っていうんでしょうか」
結婚や愛などという概念に疎いリティだが、二人の絆は十分に理解できた。
自分の両親のように平和に暮らしている夫婦もいれば、離れ離れになる者達もいる。
起こってしまった悲劇は変えられないとはいえ、考えるほどリティは感情の激流に飲み込まれそうになる。
「ロマさん……。私、迷いません。思う事がたくさんありますけど、止まりません」
「それでいいのよ。糧にすればいいもの」
込み上げる感情を押し殺して、リティはミライの元へと向かった。クーファがぐったりしたミライを抱えている。
「皆さん、このままだとミライが危ないです……。慣れないのに一気に魔力を消費したせいで衰弱しています」
「この子にここまでさせてしまった私達の責任ね。早く脱出しましょう。と、言いたいところだけど……」
巨大船の周囲に変化はない。雲一つない暗黒の空に波一つ立たない海。アンデッドは確認できないが、音沙汰もない。
リティは傷ついた身体に鞭を打って、ミライを背負う。そして船内へと駆け出した。
「この指輪を医務室に持っていきます!」
「ミライちゃんはどうするの!?」
「医務室で手持ちの道具を使って応急処置します!」
「こんな船でそんなの……」
このまま呆然としても何も好転しないと各々は判断したのだ。リミットが刻々と迫る中、思いつく限りの事をやるしかない。
ロマはリティの判断を肯定した。
「クーファちゃんはアーキュラと一緒に操舵室に行って。可能ならこの船を動かしてほしい」
「はい……!」
「私は何か打開する糸口がないか探してみるわ!」
まだアンデッドが残っている可能性があっても、やるしかないのだ。
ミライも倒れて、リティやロマに魔力は残っていない。わかっていても、二人はリスクを覚悟した。
* * *
医務室に向かう途中、リティは船内の変化を感じた。元々悲惨な状態だった壁などが、更に劣化している。
木材特有の弾けるような音が鳴り、頭上の板が落ちてきた。
「まさかこの船が壊れようとしている……?」
すでに沈んだ船である。主がいなくなり、あるべき姿に戻るだけだ。
さすがのリティも焦った。明確な打開策などない。ここに来たのも完全に勘だ。
「ジュリーさん! クリーバーさんの指輪です!」
ロマに結婚指輪の概念を教えてもらわなければ、辿りつかなかった行動だ。
とはいえ、この行動で好転するかどうかはリティ自身もわかっていない。
「指輪……ここに置いておきますね」
ボロ雑巾と呼ぶ事すら憚れる状態のベッド、軋む壁。巨大船の最期が刻々と近づいている。それでもリティは自分にすべてを託したジュリーを信じた。
やがて光の線が、ベッドに腰かけている女性のシルエットを作る。
「ジュリーさん!」
光で構成された女性で、目鼻も何もわからない。ただリティには、その女性が微笑んでいるように感じた。
その時、リティの後ろで朽ちかけたドアが開く。
「あなたは……」
振り向いたリティの前にいたのは、血色のいい精悍な顔つきをした男性だ。
戦っていた時の邪悪で陰鬱な雰囲気はどこにもない。生前と変わらない姿をしたクリーバーが、リティをすり抜けて女性の元へ歩いた。
「ジュリー……すまなかった」
「いきましょう」
クリーバーもまた光となり、女性と一体化する。不定形となった光は球体へ変化して、宙に浮いた。
――すまなかった。君に遺産を託そう
「クリーバーさん……」
モーゼスエッジがキラリと光った気がして、リティは手元の武器を見た。
――願わくば君の冒険に幸あらんことを……
消え入るクリーバーの言葉と共に、光の球が天井へと昇った。リティは頭を下げて、言葉なく見送る。
クリーバーが未練を断ち切ってくれた事。愛する人と一緒になれた事。この事実の前では自分達が窮地に追いやられた事すら忘れかけてしまう。
それほどリティはクリーバーという偉大な冒険者を称えていた。
彼のような先人なくして自分の冒険はない。今一度、リティはモーゼスエッジを握りしめた。
「お疲れ様です」
心からの言葉だった。堪えていたはずの涙を流している事すら気づかない。
状況を忘れてしまうほど、二人の最期はリティの心を奪った。
「……え?」
リティは船の崩壊音が消えている事に気づく。船内がかすかに揺れた。
「これって……」
「みゃんみゃんみゃみゃん!」
医務室の窓から光が差し込んでいる。リティが急いで外を確認すると、海が波立っていた。晴天の空も見える。
「ミャン! 操舵室に行きましょう!」
「みゃん!」
怪我の具合いも忘れて、リティはミライを背負って再び駆けた。
* * *
アンデッドが徘徊していた時とは違い、船内には案内が記されている。かすれて判読が難しいものもあったが、おかげで難なく移動が出来たのだ。
この事実を踏まえると、あの現象は何だったのかとリティは考える。アンデッドの力によるものか、別の何かによるものか。スキルや魔術とも違う。
現時点で持っている知識や常識に囚われているようでは、と思考したところでロマ達が呆然として立っていた。
「ロマさん! 船、動きましたね!」
「リティ……。どうなってるのかしら」
「クリーバーさんとジュリーさんが旅立ちました」
「という事はこれって……」
「まー、後はアタシからのご褒美って感じー?」
巨大船がアーキュラの力によって加速していた。彼女がその気になれば、航海など瞬く間である。
これほどの船体が安定して、尚且つ尋常ではない速度で進む。ロマがそう認識した時、アーキュラの契約者がクーファでよかったと安堵した。
「リティさん。ミライの様子はどうですか?」
「わかりません……」
危険な状態であるミライだが、どこか安らいだ表情をして寝息を立てている。呼吸も安定しており、クーファが彼女の額に手を当てた。
「わかりませんが、さっきより安定しているようにも思えます」
「これもご褒美かしら……」
「アタシは知らないけどー?」
「あなたじゃなくてね」
安心できたところで、ミライに無茶をさせた事実は変わらない。クーファはそう自戒する。
ミライの力は想定外だったとはいえ、冒険者でもない彼女を連れ回したのだ。
覚悟だけでは足りない。ミライと今一度、向き合う必要があるクーファは決心した。
「……いつの間にか夜が明けていたのね。何日も彷徨っていた感覚さえあるわ」
「あの暗い世界は何だったのでしょうか?」
「さぁ……。アンデッドについても、もっと知らないとね。今回は運よく助かっただけだもの」
「あー、着いたっぽいねー」
遥か前方にうっすらと大陸が見える。今になって感じる潮風に、一行はたまらなくなつかしさを感じた。
「もう着いたの!?」
「アタシだからねー。あれがタハラジャルがある大陸でいいー?」
「知らないで動かしてたの!?」
「うんー」
「うんーじゃなくてっ!」
「ロマちゃん、リアクション忙しいねー」
これで間違いであればただ事ではないと、リティ達は甲板まで走る。
大陸が迫るにつれて、全容が明らかになってきた。草木がなく、浅い黄金色の大地はすべてが砂だ。
膨大な砂の上で栄える人里が海岸に隣接している。しかし一行をもっとも注目させたものは上空にあった。
「あ、あれはなんでしょう?」
「悪魔……!?」
リティとロマは驚愕するが、クーファはそれを冷静に見つめている。
魔術の勉強の傍ら、各国について可能な限り調べた彼女だ。その中で一際、異彩を放っているのがタハラジャルの真上に存在する陽炎である。
陽光が照りつける大地を睨みつけるかのようなそれは、街一帯を見下ろしていた。
「タハラジャル名物、イフリートの影です。何故ああいった現象が起こるのかは解明されていません。その昔は不吉の象徴として忌み嫌われていましたが、外敵に効果があった時代もあったそうです。今では名物として、海外から訪れる人々を驚かせています」
「クーファちゃんの解説がなかったら、上陸をためらっていたところね……」
「早く上陸しましょう!」
「モチベーションが安定しているのはこの子だけね。まったく、怪我の事も考えなさい」
「あー、この船もいよいよ終わりねー」
タハラジャルに近づくにつれて、船体が軋む。折れたマストが船体に叩きつけられて、崩壊が始まった。
「まずいわ! まだ岸までは距離が……」
「あ! あそこに誰か立ってます!」
「この距離でわかるの?」
「顔を隠した裸の人です!」
「何それ!」
巨大船が傾き、至るところの木材が剥がれ落ちる。クーファが一行を水球で包み、崩壊からの難を逃れようとした。
その直後、本格的に沈没が始まる。
「裸の人が泳いできました!」
「いやぁぁぁぁ!」
「は、速いです……」
リティが認識した時には、裸の男が宙を飛んだ。その引き締まった肉体がロマの視界に入る。
疲弊した彼女の精神はもはや限界だった。何者かに抱きかかえられたところで、ロマの意識が闇に落ちる。




