静香の訪れ
緑池へ静香がやってきます。
ⅩⅩ 静香の悲しみ
大阪にいても木曜はやって来る。いつもの魔法をかけなければ……。ということで、木曜になると緑池へテレポテーションして魔法をかけた。ある日、例によって緑池へ行くと、池には雪が降っていた。ここらの雪は、水分を多く含んでいて、パウダースノウにはほど遠い。べちゃべちゃして積もると重いのだ。
エノキの側に立って、報告を聞く。垣内や佐藤の悪意に満ちた噂が広まって、私は龍の愛人にされてしまったし、静香は霊力が三割程度まで落ちてしまったことになっている。
佐藤はともかく、垣内だって講義や試験があるのに、よっぽど自信があるのだろうか、暇なんだろうか。
霊力なんて、ないに越したことはない。気にしなけりゃいいんだけど、静香にはショックだろう。あの誇り高い美しい人が、どんな思いで毎日を過ごしているか、考えるだけでも気が重い。
エノキの報告によれば、静香は、世界的な干ばつに見舞われた地域に雨を降らせようと、魔法を使ったようだ。でも、二十歳そこそこの魔女の魔法で、地球の裏側の広い地域の干ばつが改善されるはずもない。もっと小さなことからやらないと。手に余るほどの魔法は、霊力を低下させるおそれさえあるのだ。
私は、とりあえず魔法を十四かけた。そして、毎日気をつけてフォローするように、と命ずる。これも魔法だ。大阪にいる間、留守でもちゃんと回るようにしておかないと。
無事(?)、後期入試が終わった。単位を何とかゲットして、後は気楽な春休みだ。
魔法使いは試験に魔法を使わない。せっかくこんな力があるんだから、使えばいいのに。安本先生によれば、力に頼りすぎると、一般人に魔法の存在を気付かれるからだという。魔法憲章第三条に抵触するとのことだった。ってことは、この力は、いろんな制約を受けるだけで、何の役にも立たないってことになる。本当に馬鹿馬鹿しい。
でも、これで、大っぴらにジュニアの捜索ができる。
いつものように木曜の午後、四百年前に出掛けた。小西がジュニアを探すなと言っていたっけ。あいつの言う通りかもしれない。でも、時間ができたのだ。小西がコンタクトをとってくれるのを待つだけっていうのも芸がない。生き物の健康を祈った後で一時間ほど探した。
四百年前の春から元の時代の緑池に戻ると、一面の雪景色だった。北陸の春は遅い。
池の表に雪が降って、半ば凍ったような暗い色をしていた。私の心のような色だ。大きな牡丹雪が暗い灰色の空から舞い落ちて、地面に吸い込まれて行く。高校二年のとき、この地方の冬を初めて経験した。冬に雷が鳴って――地元の人は、これを『雪起こし』と呼んでいる――暗い灰色の空から雪が降るのだ。暗い空で響く雷。もの悲しさを通り越して、怖くてたまらなかった。そうして、雪にもいろんな種類があることを知った。今降っている大きな牡丹雪がやがて粉雪に変わること、牡丹雪そのものは地面に到達すると消えることも知った。牡丹雪は、次に来る粉雪のためにその身を捧げるのだ。
雪が空から地面に次から次へと降りて行く様を見ていると、静止しているのは雪の方で、自分の体が地の底へ落ちて行くように錯覚する。
このまま、地の底に吸い込まれてしまえばいい。そうすれば、魔法使いとの付き合いも終わる。ジュニアのことも悩まなくていい。でも、それじゃあ、私が生まれて来た意味がないじゃないか。雪は余りにも美しくて、私は自分の醜さを思い知らされた。
どのくらい雪を見つめていただろう。
ふと、池の畔に大きなお椀を伏せたようなものがあるのに気が付いた。よく見ると、バリアを張って、雪が入り込まないようにした空間だった。まるで、ビニールハウスの温室みたいだ。
大きな雪片が次々にバリアに落ちて消えて行く。バリアの真ん中に、何故かダルマストーブが置いてあって、ストーブの上のやかんが湯気をたてている。ストーブの側のテーブルにティーセットとクッキーか何かのお茶菓子があった。
椅子に座っている人の美しい姿に見覚えがあった。静香だ。藤色のカーディガンを着て、クリーム色のくるぶしまである厚手のスカートをはいている。長い髪をポニーテールのように後で括り、その髪が腰まであるのだ。藤色に漆黒の髪が映えて、思わずため息が出た。
静香は、私を認めて、思い詰めたような顔で呼んだ。
「綾乃ちゃん、お茶にしましょ」
「どうしたん?」
「話があるの。ダージリンで良いわね」
そう言いながら招き入れると、紅茶を淹れてくれた。凍える寒さの中から一転して、暖かな空間に入り込んだのだ。長いこと雪の中にいたせいだろう。かじかんだ指がゆっくりとほぐれるのが分かった。張りつめた肌がほころんだ。
静香は、張りつめたような動きでお湯を入れ、お茶を淹れるタイミングを見計らっている。暖かさの中で体は緩んで行くが、気持ちは逆に緊張した。この美しい人が、何しにここへ来て、何を考えているのか、知りたいと思ったが、完璧なガードに付け入る隙がない。
ふと、とんでもないことに気が付いた。
(シズ、もしかして、あんた、紅茶に、緑池の水、使ってるんじゃないでしょうね?ちゃんと水道の水、使ってる?雪とかも、嫌だよ)
静香は、私の心を読んで口の端だけで笑った。
「大丈夫。緑池の水や雪なんか使ってないから」
超絶に美しい顔でこう言われて、思わず引いた。
「毒とか下剤とか入ってない?」
「当然でしょ?そんな簡単に足のつくようなヘマはしないわ」
得意そうに言ってから気が付いた。
「綾乃ちゃん。あなた、馬鹿じゃない?毒を入れた人に、毒が入ってないかって訊いても、入ってるって言うわけないでしょ?」と、小馬鹿にしたように笑った。
なるほど、その通りだ。思わず、手に持ったティーカップを見る。静香が、つんと顎をそらせて、先に飲んで見せた。ほら、毒なんか入ってないでしょ。と、薄く笑う。腹を括って飲んだ。熱い紅茶が体のすみずみまで行き渡り、凍えきった体にはありがたい。
紅茶を飲み終わったところで、静香が口を開いた。冷たい目をして、何気ない様子で。




