第四章 存在しない配布先 ③
そこへ、ケイトリンが小走りで近づいてきた。
「ロザンヌ様、アンナはメリーさんが用意してくださった馬車の中で待機していました。このあと、アンナを治療院へ連れていきたいのですが、よろしいですか?」
ロザンヌは顔を上げ、さりげなく門衛出入簿を閉じた。
「それがよろしいわね。でも、ケイトリン様はジェンナー様の指示どおりのメモは取りましたの?」
そう言いながら数冊の記録簿を重ね、自ら棚へ戻した。
「はい! さっきお話を聞いたエマニュエルさんたちに聞いて、必要なメモを作っておきました。私がばたばたしていたからと、代わりにまとめてくださったのです。おかげですぐにできました」
「それは頼もしい方々ですのね」
「はい!」
ケイトリンが数字を苦手としていることを、ここの人たちは把握し、それをカバーしているらしかった。
「では、まいりましょうか」
二人は倉庫の戸口へ向かって歩き始めた。
◇◇◇
馬車の中では痛みが幾分やわらいだらしいアンナが、しきりとロザンヌに恐縮していた。メリーはすぐにレマー家の馬車をまわして彼女を乗せ、背中と腰のマッサージを施していたらしい。
「侍女教育学校で学んだことが役に立ちました」
満足そうにメリーが微笑んだ。
アンナによると、ケイトリンの迎えの馬車は、いつもなかなかやって来ないということだった。
「奥様が、ケイトリン様を目一杯運動させ……いえ、好きなだけ慈善活動をさせなさいとおっしゃっていたもので」
「かまいませんわ。お体を大切になさらなくてはケイトリン様の侍女の仕事にも差し支えますでしょう?」
アンナは何とも言えない顔をして、そうですねえ、とうなずいた。
そんな話をしているうちに、治療院に着いた。メリーがまたアンナに肩を貸し、そろそろと馬車を降りていった。
メリーはアンナを治療院に預けると、馬車に戻ってきた。
「治療後はしばらく安静にした方がよいそうです。帰りにまたお迎えしましょう。ケイトリン様のお迎えについても、滞在先へ連絡を頼んでおきました」
「さすがメリーね」
「お世話になります、メリーさん」
「どういたしまして」
その後、三人でケイトリンが炊き出しに行ったという孤児院へ向かった。
迎え出てくれた院長は、白髪の美しい人だった。
ケイトリンの質問に、
「ここに長らくいますけれど、臨時救護所を設けた話は聞いたことがありませんねえ。むしろ、臨時の救護所はしょっちゅう、この孤児院が当てられています」
院長は首を傾けながら話した。
「ですよね! ここで何度も炊き出し係をしましたもの」
ケイトリンがうなずいた。
三人が孤児院を後にして馬車に乗り込んだところで、メリーがロザンヌに質問した。
「それで、なにかおわかりになりましたか?」
ロザンヌは軽くうなずいた。
「わかったというより、不審な点が浮かび上がりましたわね」
ロザンヌの横に座ったケイトリンが前のめりになった。
「どういうことですか?」
ロザンヌはノートを取り出し、ページをめくった。
「慈善会が購入したと記録している数と、実際に倉庫へ入った数が合いません。でも、配送記録簿の上では、購入した数と配布した数が一致していました」
「……わかりません」
ケイトリンが泣きそうな顔になった。
「寄付品管理台帳では、毛布を百二十枚購入したことになっています。でも、倉庫管理簿に記録された搬入数は九十六枚でした。残りの二十四枚と同じ数だけ、西区第三臨時救護所へ配布されたことになっているのです」
「つまり、倉庫にあった数字と事務室の数字は違うけれど、配布枚数は事務所の数字と一致する、と」
メリーが言うと、ロザンヌはうなずいた。
「毛布だけではないの。小麦粉の袋数も薬品の数も同じだったのです」
「え? え?」
ケイトリンが目を白黒させている。
「おそらく北区救貧院と東区孤児院に尋ねれば、それぞれ四十八枚を受け取ったという答えが返ってくるでしょう。倉庫に入った九十六枚は、その二か所へ送られた分だけでなくなります。初めから倉庫へ入っていない二十四枚だけが、番地もわからず、西区の孤児院に長らくいらっしゃる院長も知らない救護所へ送られたことになっている。もしかしたら、その配布先は架空かもしれない、という仮説ができるのです」
「そんな」
ケイトリンは両手で口元を覆った。
「毛布だけなら、記録の間違いも考えられます。でも小麦粉も薬品も、すべて五分の一ずつ足りないのです。偶然の数え間違いとは思えませんわ」
「では、どういうことになるのですか」
「おそらく、西区の番地不明の場所は最初から存在しなかったのでしょう」
「なぜそんなことを」
ケイトリンの顔が蒼ざめた。
「存在しない救護所へ配ったことにすれば、受け取っていないと訴える者がいませんもの。それに」
「まだあるのですか」
ロザンヌはケイトリンに頷いて、またノートに目を落とした。
「配送記録簿には荷馬車三台分の運搬費を支払い済みとありました。でも、倉庫管理簿と門衛出入簿には、二台しか記録されていません。つまり、実際には来ていない一台分の運搬費まで、支払われたことになっているのです」
「いったいだれが……事務室の皆さんはいい人ばかりなんです! そんなことをするような人だとは思えません! まして、倉庫係の人たちも」
ケイトリンは必死の形相で、ロザンヌの腕を掴んだ。ロザンヌはその手を片手でぽんぽん、となだめるように柔らかくたたいた。
「どこの誰がしたのかは、まだ特定できていませんもの。ケイトリン様の信じる方々に嫌疑をかけてはいませんわ。それはこれから探るのですから」
「ですよね! 私は倉庫係のみんなの潔白を証明するためにロザンヌ様に協力します!」
ケイトリンは両目を爛々と輝かせ、胸の前で拳を握った。
「ありがとう、よろしくお願いいたしますわね。ここから本腰を入れていきますわよ」
「はい!」
ロザンヌとケイトリンが目を合わせて力強くうなずいたところで、メリーが大きな咳払いをした。
ぴくり、とロザンヌの肩が跳ね、背筋がびしりと伸ばされた。ゆっくりと首を回してみると、それまで静かに控えていたメリーが、冷たく光る眼鏡越しに二人をにらみつけていた。
ケイトリンもメリーの殺気に気がついたらしく、びしりと背筋を伸ばした。
「お嬢様方、これ以上は危険でございます。まずは情報整理をされてから次の一手を検討されてはいかがでしょうか」
ロザンヌは数度うなずいた。
「ありがとう、メリー。叔父さまと検討したらいいかもしれませんわね」
「それがよろしゅうございます」
「わ、私は倉庫係の方とさり気なくお話してみます。そのくらいでやめておきます」
メリーはケイトリンにもうなずいた。
「そのほうが、アンナさんも安堵なさいます」
ケイトリンも数度うなずいた。
メリーの態度で車内の空気が冷えたところで、アンナの待つ治療院に到着した。
その後、ケイトリンを届けた際、馬車内で彼女の無謀な行動をたしなめたことをメリーが遠回しに伝えると、先方にひどく恐縮されてしまった。アンナはメリーに何度も礼を言って、
「あなたのように一言でお転婆な令嬢たちを淑女に戻せる有能な方に、ケイトリン様についていてほしいくらいです。ロザンヌ様の侍女だけに引き抜けないのが惜しい……」
とまで言われた。
「よろしければ、人材を紹介しても? 心当たりがございます」
メリーが眼鏡をくい、と上げて返すと、アンナと先方の奥様がそろって何度もうなずいた。
ロザンヌは扇子の陰で、
「この流れ、解せませんわ」
と眉をひそめた。
翌日、ロザンヌは父に言われて終日、屋敷で母とともに刺繍をして過ごした。どうもメリーが誇張して報告したに違いないとロザンヌは推測した。本人に聞いてものらりくらりとかわされるだけなのを長年のつき合いでわかっているため、問いただすことはせず、母と楽しく過ごすことにした。
夜になってケイトリンから至急と書かれた手紙がロザンヌにもたらされた。
手紙には、
『エルシー様は失踪直前まで事務所とこの倉庫を頻繁に行き来されて、複数の帳簿を熱心に見返して、手元の手帳を見ながらなにか書き込みをしていたそうです。』
と書かれていた。
ロザンヌは慌ててノートを見返した。
「もしかしたら」
ノートにメモした内容を見ながら、台帳を思い出していく。
『受取人、現れず』と書かれていた横の日付は、彼女が失踪する直前だということに気づいたとき、ロザンヌは戦慄した。
「もしかしたら、これは、エルシー様がわざと書かれた……?」
そうなると、話は変わってくる。
「エルシー様は不正に気づいて、手がかりを残したとしたら?」
ロザンヌは首を振った。
「憶測ですわ。わたくしはエルシー様の筆跡も存じ上げていないのに。……あら、確かめるすべはありますわね」
サンドラの顔が浮かんだ。
彼女なら、エルシーが書いたものを持っているに違いない。彼女からそれを借りて、倉庫で確認したらいいのだ。倉庫にはケイトリンがいるから、入ることはできるだろう。
ロザンヌはケイトリンの手紙を届けた使者に、
『明日、エルシー様がお書きになったものと倉庫の帳簿を比べたいと思います。エルシー様の書かれたものをお持ちの方からお借りして、そちらへ向かいます』
という返信を託したら、すぐにまたその使者がやってきた。疲れた顔で差し出された手紙を読んで、ロザンヌはにこりとした。
『エルシー様の筆跡と思われる箇所はどこですか? 私が先にお調べしておくといいですか?』
とあったのだ。
「頼もしいですわ」
ロザンヌは該当箇所を記した返信を使者に託し、ねぎらいの言葉と心づけを持たせた。使者は途端に顔を輝かせ、しゃきっとした。
「明日の報告が楽しみですわ」
ロザンヌはほくほくしながら、その日を終えた。
翌日の昼過ぎ、ケイトリンから報告が届いた。ロザンヌは便箋を読み、思わずそれを握りしめて頭上高く掲げた。
幾分走り書きではあったが、元気のよい筆跡で、
『横の日付はエルシー様の筆跡だと思います。削られた下に残っている文字も同じ筆跡に見えますが、こちらは確実とは言えません。ごめんなさい』
とあったのだ。ロザンヌはそれでも一歩前進したと感じた。
「削られた文字も日付もエルシー様の筆跡だと仮定したら、叔父さまのもとへ届いた情報提供書も、エルシー様が書かれた可能性が高いということですわね」
メリーがちょいちょい、と握りしめたままのロザンヌの拳に触り、少し緩んだところで便箋を抜き取った。同時に、
「淑女が手紙をしわくちゃにするものではございません」
という小言も忘れない。
「お嬢様、どの方向へ転びそうですか?」
手紙の皺を伸ばしながらメリーが問いかけた。
ロザンヌはにこりと笑ってきっぱりと言った。
「エルシー様は慈善会のお金を持って消えたという噂はきっと間違いです。彼女はおそらく消えたお金の行方を探っていたのですわ」
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