第四章 存在しない配布先 ②
案内された倉庫は、慈善会の建物の近くだった。ただ、路地裏にあるため、薄暗くて道幅が狭い。
「ケイトリン様、この道を一人で歩いて慈善会まで来られたのですか?」
ロザンヌが眉をしかめながら質問すると、
「はい! 倉庫の中にいてばかりだと気が滅入ってしまうので、このくらいの距離だったら歩いた方が早いし気分転換になっていいんですよ!」
ケイトリンはストーカー令息に怯えていたころでさえ、侍女とともに近くの公園を散歩しようとしていた。それは、いつも活動的な彼女だったからだと、ロザンヌは今更ながら納得した。
そこへ、向かい側から女性が小走りで近づいてきた。
「ケイトリン様! またおひとりで外を出歩かれたんですか! あれほど私を同伴してくださいと申しましたのに!」
四十代くらいの、髪を振り乱した女性が肩で息をしながら叫んだ。
「アンナったら、腰が痛かったんじゃないの? だから一人で行くって言ったのに」
目を丸くするケイトリンに、アンナは目を吊り上げた。
「私は承知しておりません! こんな薄暗い道を淑女が一人で歩くなど! ご当主様に知られたら、私が叱られます! あ、いたた」
丸い体を九の字に曲げ、片手を腰に当てて呻き声をあげた。
「あら大変。メリー?」
「かしこまりました」
メリーは素早くアンナの腕を肩に回して、ゆっくり立ち上がらせようとした。
「かたじけのうございます。倉庫までお願いします」
アンナは恐縮しつつ、メリーに寄りかかるようにして立ち上がった。
「ほら。だから私ひとりで行ったほうがいいと」
「いいわけございませんと、何度申し上げたらわかってくださるのですか、いたた」
キッとケイトリンをにらんで、アンナはそろそろと歩き始めた。その後に続くように、ケイトリンとロザンヌも歩き出した。
口をとがらせるケイトリンに、
「何事もなかったからよいのですが、アンナさんの言うことはもっともですわよ? 淑女が裏路地を一人で歩くのは王都といえども物騒なのです」
ロザンヌが静かに諭した。
ケイトリンは肩を落とし、しゅんとなった。
「私、またしても淑女失格なことをしたのですね」
「一つずつ理解して淑女に近づくのが、ケイトリン様の王都滞在の目的だったのでは?」
「そう、でした。お母さまに淑女らしくなってくるようにと言われたのでした」
はっと顔を上げたケイトリンは、ロザンヌに照れ笑いを見せた。
「これからはアンナさんの言うことに耳を傾けると、もっと早く淑女になれるのではないかしら」
ケイトリンはこくりとうなずいた。
「がんばります! ロザンヌ様のようになるのが夢なのです!」
「あら、嬉しいことをおっしゃるのね」
「本気ですから」
二人で笑っていると、まわりを高い塀で囲んだレンガ造りのがっしりとした建物が現れた。
「ここが倉庫ですわ」
ケイトリンは格子状の鉄柵の門を押して開けると、ロザンヌへ目を向けた。
ロザンヌが中に入り、続いてアンナとメリーが入って、最後にケイトリンが鉄柵の門をぴたりと閉じた。かしゃん、とひっかけ錠が渡された音が響いた。
ロザンヌはちらりと門を振り返った。倉庫の場所を秘匿する割には、門の安全管理はぞんざいらしい。
メリーは建物のすぐ内側にあった折りたたみ椅子を外に引っ張り出して、アンナに勧めた。
「わたしはこのまま引き返して馬車を呼んできます」
「ええ。お願いね」
メリーはロザンヌとケイトリンに、くれぐれも外に出ないでいるように言うと、足早に元来た道を帰っていった。
ケイトリンに案内されて入った倉庫は、床に石を敷き詰めた、巨大な空間だった。窓は天井近くに小さなものしかなく、壁や柱に掛けられたランタンの灯りが、かろうじて棚の間を照らしていた。
「暗くて見えにくいでしょう? ずっと見ていたら二つが一つに見えてきちゃって」
えへ、と笑いながらケイトリンは言った。
なるほど、薄暗い中で数を数えるのは神経を使いそうだ。
「それで、毛布を寄付しようと思うのだけれど、置き場はどちらかしら?」
ケイトリンは右の隅を手で示した。
「たぶん、あの右手の隅になると思います。あそこでしたら、去年と同じ枚数の九十六枚は入ると思います」
「……九十六枚? 百二十枚ではなく?」
ケイトリンはこくりとうなずいた。
「はい。去年はあそこに置いたって倉庫管理簿にありましたもの」
ロザンヌは眉を顰めながら、バッグからノートを取り出した。先ほど開いたページを見返し、毛布百二十枚、というメモを見た。
「おかしいですわね」
ノートを見ながら小声でつぶやくロザンヌに、ケイトリンはちらりとノートを覗き込んだ。
「毛布百二十枚? これはなんですか?」
「慈善会の事務室の管理台帳の写しよ」
「数が合いませんね」
「もしかしたら、残りはほかの倉庫にあるのかしら? それとも、ここの記録ミス?」
ケイトリンは指を顎に当てて目線を上げた。
「いえ。ジェンナー様に聞いた限りでは、毛布、小麦粉、医薬品はこちらの倉庫に置くことになっているとのことでした。床が石で頑丈でしょう? 裏通りですけれど、このあたりは湿気が少ないそうで、そういう面からもここの倉庫がいいのだそうです」
ロザンヌはノートから顔を上げて、ケイトリンに言った。
「ここの倉庫管理簿、見せてもらえるかしら?」
「はい。こちらです」
ケイトリンは左手の突き当りにある棚から、黒表紙の紐綴じ式の倉庫管理簿を取り出した。
倉庫に一つだけあるという机の上に広げ、そこに置かれていたランタンに火をともした。
「ご覧ください。このページが昨年度の内容ですわ」
「ありがとう」
ロザンヌはさっそく、倉庫管理簿に目を落とした。
癖の強い文字と数字が罫線からはみ出て書かれていた。
読みにくいが、読めないわけではない。
ロザンヌは難しい顔で、自分のノートを取り出した。次のページをめくり、受け渡しの記録をメモした。
『毛布九十六枚。運搬馬車二台。到着時、一梱包に破れあり』。
「毛布の配布先はこちらでわかりまして?」
「はい。配送記録簿に載っています」
ケイトリンが差し出した記録簿を開いて、ページをめくる。
『北区救貧院へ四十八枚。東区孤児院へ四十八枚。西区第三臨時救護所へ二十四枚』。
メモを取りながら合計したロザンヌがつぶやいた。
「合いませんわ」
ペンの頭を齧りながら、何度も二冊の記録簿を見返した。やがて顔を上げると、ケイトリンに質問した。
「西区第三臨時救護所について何かご存じ?」
ケイトリンは首を傾げた。
「私は倉庫の整理だけではなくて、炊き出しもしているのですが、西区にもそれで何度か行ったことがあるのです。けれど」
ううん、と唸って目をさまよわせた。
「どうしたんですか?」
「西区の第三臨時救護所など聞いたことがないのです」
「……」
ロザンヌの異様な気配にケイトリンは慌ててつけ加えた。
「あの、私が知らないだけかもしれませんし」
ちょっと待っててくださいね、と言って、ケイトリンは倉庫の中央に並ぶ棚と棚の間の迷路のような通路をするすると進み始めた。ロザンヌは彼女の後を速足でついて行った。
そこで用紙を挟んだ板を片手に品物を点検していた若い男性に、ケイトリンが声をかけた。
「第三臨時救護所? 知らないなあ」
作業着を羽織った男性が首をひねりながら答えた。
「ほかの方は?」
近くで作業していた男性に尋ねると、やはり知らないという。
「私は長年厨房もやっているけど、そんな所に行ったことはないねえ」
中年の女性が首を振りながら教えてくれた。
「エルシー様がお詳しいはずなんですけれど、ねえ」
彼女は目線を落として悲しげな顔になった。
「あの方は真摯にお仕事をされていらっしゃいましたのに」
慈善会でぽつんと売り子をしていたエルシーの姿を思い出した。物静かで真面目そうな彼女は慈善会の運営に携わっていた。彼女はこの倉庫にも出入りして、きっと指示を出したり、倉庫管理簿や配送記録簿などの整理に目を配っていただろう、とロザンヌは思った。
「そうなんですよね。エルシー様はなんでもご存じでいらっしゃったから」
ケイトリンはそう言って頬に手を当て考え込んでいたが、やがて、ぱん、と手を叩いてロザンヌに言った。
「ロザンヌ様、この倉庫のご用がお済みでしたら、このあと西区に行ってみませんか?」
思いもよらぬ提案に、ロザンヌは目を瞬いた。
「いいのですか?」
不明な点を残したまま引き上げることはできないロザンヌには願ってもない申し出だ。
「もう一度だけ、受領記録を見ておきたいのですが、その後でよろしいかしら?」
「はい! あの、その間にアンナに声をかけておきますね」
ロザンヌににこっと微笑んで、ケイトリンはまた速足で戸口へ向かった。
ロザンヌは手元の倉庫管理簿を開いて、ぱらぱらとめくり始めた。
「なにか、ある気がするのだけれど」
小麦粉の袋数と薬品の数を確認し、配送記録簿を見る。
「西区の住所だけ、番地がありませんわ」
ノートを取り出し、メモを取る。
「それに、西区だけ、受領者欄が個人名ではなく、『責任者代理』となっていますのね。ほかの救貧院では番地までの住所と、はっきり読める責任者の署名がありますのに……あら?」
ロザンヌは西区第三臨時救護所の受領欄に、不自然な削り跡があることに気がついた。
そこには一度、別の文字が書かれ、紙の表面を薄く削って消してから、受領署名が書き加えられていた。帳簿を持ち上げ、紙面を斜めから見ると、筆圧の跡が残っていた。
「完全には読めませんが……受取人、現れず……かしら」
配送記録簿の別のページにも同じような痕跡が残っていた。
「こちらは……所在、確認できず……このアルファベットの最後のハネ、どこかで見たような」
記憶をたどろうと、視線を上げた途端、一枚の紙が思い浮かんだ。
「そうですわ! 叔父さまのところで見た情報提供書にも同じ癖の文字があったのですわ!」
同一人物の手なのではないか。
ロザンヌの鼓動が早鐘を打つ。
「小麦粉の袋は……事務室で見た数字は六十袋。倉庫管理簿には四十八袋、配送記録簿では六十袋。その中の十二袋は西区第三臨時救護所へ配布」
ロザンヌは声に出し確認しつつ、慎重に数字をノートに書きこんでいく。
「薬品は事務室では三十箱購入。倉庫管理簿では二十四箱。配送記録簿では三十箱でそのうち西区第三臨時救護所に六箱配布。……つまり、それぞれ五分の一の量が第三臨時救護所に配布されているわけですのね」
場所不明の第三臨時救護所。
ロザンヌは帳簿棚に目を向けた。この際、ほかのめぼしい帳簿にも目を通したい。
「門衛の出入り記録?」
先ほど、メリーがアンナのために引っ張り出した椅子は、どうやら門衛のものらしい、とロザンヌは推測した。
「門衛も、いる日といない日があるということでしょうか」
慈善会の趣旨から考えれば、警備などの人員は最低限にして、できるだけ慈善につながるものへ資金を回そうとするのもわからなくはない。
さっそく門衛出入簿を開いて目を走らせる。
「なるほど、荷馬車の出入りの日には確実にいるということですか」
昨年のページで、ロザンヌは目を留めた。
「待って。配送記録簿の端に、『運搬用荷馬車三台分、支払済み』とありますわ。けれど、倉庫管理簿では二台でした。門衛出入簿は……」
もどかしげにページをめくり、ロザンヌは目を見開いた。
「こちらも二台。つまり、実際には来ていない一台分の運搬費まで、支払ったことになっていますのね」
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