終章 守られた秘密 ②
◇◇◇
それから数日が過ぎたころ、ロザンヌはメリーとともにロバートの社長室を訪れた。社長室にはすでにアドリアンとマイクと、ホーソーンが集まっていた。
今回はアドリアンから、ロバートに呼ばれて先に行くことになったという知らせが事前にあった。
「殿方同士の話がおありなのでしょう」
手紙を握りしめ、心をざわつかせていたロザンヌに、メリーは静かに言葉をかけた。そういうものなのか、とロザンヌは思った。ロバートとアドリアンの仲がいいのは、ロザンヌにとってもうれしいことだ。
「本日は、現時点での調査結果をご報告したく、皆様に集まっていただきました」
ホーソーンの言葉に、ソファに座ったロザンヌたちはうなずいた。マイクはロバートの横で、いつものようにメモを開いてペンを手に取った。
ホーソーンは手元の調査書をめくりながら話し始めた。
「まずは、オリバー殿のことから話しましょう。慈善会から流れた金と物資を受け取った記録が、本人の手紙や取引先の控えと一致しました。フォルティからタイラー運送の調査を知らされ、記録簿の奪取と、持ち出せない場合の処分を命じたことも、複数の供述によって裏づけが進んでいます。ネイヤー家は事件が処理されるまで、オリバーを家の事業と慈善事業から外しました」
腕組みをして聞いていたロバートはうなずきながら言った。
「当然だな。ネイヤー家として看過できない事態になったんだ。今後はオリバー殿は嫡子でいられるかも危うい」
「信用第一を家訓としている家柄ですからな」
ホーソーンは相槌を打った。
「次にセシリア嬢ですが。慈善会の金品を不正に動かしたことと、エルシー嬢を閉じ込めたことについて、引き続き事情を聴いています。自分の記録を差し出し、オリバー殿やフォルティ殿の関与を明らかにしたことは考慮されますが、責任そのものが消えるわけではありません」
そこで、ホーソーンは次へと用紙をめくった。
「フォルティ殿は、不正を知りながら口止め料を受け取り、情報をオリバー殿へ流し、書類を奪い返そうとした経路が確認されました。タイラー運送襲撃の実行役とのつながりも調べられています」
「タイラー運送は放火と襲撃に遭いましたが、気の毒に思った商会から彼に仕事の依頼が舞い込んでいるそうです」
マイクがメモから顔をあげて報告した。
「少しは補填になればいいですね」
ホーソーンが微笑した。
「続いて、グレース未亡人、ルイス殿ですが。馭者本人、アイリーンさん、当夜の馬車にかかわった者たちの証言が集められました。グレース未亡人がルイス殿へエルシー嬢への口止めを頼んだことについても、二人の供述は一致しています。ルイス殿がアイリーンさんを探し出して脅したことも、本人の供述とアイリーンさんの証言が一致しました。また、ルイス殿から当夜の実行役へ金が渡った経路についても、関係者の供述から裏づけが進んでいます」
「あの二人については、まだ調査が続くわけだな」
ホーソーンはうなずいた。
「実行犯も取り調べ中ですからね」
「で、慈善会は?」
ロバートが促すと、ホーソーンは別の調査書を取り出した。
「不正に直接かかわっていなかった理事たちは、台帳、倉庫、運送会社の記録のすべてを突き合わせる点検を始めています。支払いは複数人で確認し、配布先から受領の記録を返してもらう方式に改めるそうです」
「まだ改善の余地はありそうだな」
ロバートがつぶやくと、ホーソーンは小さくうなずいた。
「何分、善意で運営されていたところですから、商売をしている者から見たらまだ甘いところはあるのは否めません」
ロバートがにやりと笑った。
「読者から感想がきているぞ」
そう言って、執務机に置いてあった数枚の紙を取り上げて読み始めた。
「『足りない毛布を寄付したいのですが、横流しされないように寄付するにはどうしたらいいでしょうか』とか、『小麦粉や薬品を持ち込みたいが、どこが適切だろうか』とか、『自分の寄付がどこへ届いたか確認できる仕組みを作ってもらいたいものだ』とか。報道があってからすぐ、かなりの数の読者から反響があった。この感想を送ってきた人たちのほうがよほど要点を押さえていると思わないか?」
マイクはメモをめくりながら言った。
「でも、こんな言葉をもらっています。『今度は、毛布も小麦粉も、あらかじめ通知されていた数字どおりに届きました』って」
キャスケットからのぞく彼の口元が綻んでいた。
それを見て、ロザンヌは安堵した。
慈善会も、今回の不正で損なわれた信用を少しでも取り戻そうと、すぐに動いたのだろう。
ホーソーンは手元の調査書を丁寧に揃えて、入れていた書類入れに戻した。
「また進展がありましたら、ご連絡いたします」
「わざわざありがとうございました」
ロザンヌたちが口々に礼を言うと、ホーソーンは頭を振った。
「事件の糸口を提供してくれた方への、当然の礼儀ですよ」
ホーソーンは柔和な笑顔を浮かべて、一礼すると部屋を出て行った。
そこへ、入れ違いに扉を叩く音がした。
「小応接室に、予定されていたお客様がお二人ともお見えです」
社員の知らせに、ロバートは礼を言った。
「では、皆で行こうか」
「どなたですの?」
ロザンヌの質問に、ロバートは片目を瞑ってみせた。
「行けばわかるし、きっとロザンヌが気になっている人だ」
ロバートの言葉に、ロザンヌは首を傾げながらも、アドリアンにエスコートされて部屋を出て行った。
数回扉を叩いてロバートが扉を開けた。そこにはソファに向かい合って腰を下ろしていたエルシーとアイリーンがいた。
「二人ともご足労を掛けましたね」
ロバートのにこやかな顔に、二人は固い表情でうなずいた。
ロザンヌたちが席に着いたところを見計らって、エルシーが口を開いた。
「皆様には、父との話し合いの結果をご報告する義務があると思ってまいりました」
ロザンヌたちがうなずくのを見て、エルシーは続けた。
「父は最初、家同士の約束を勝手に壊すなと怒りました。今まででしたらそこで逃げ出していましたが、今回はそういうわけにはまいりませんので、荒れる父にきっぱりと宣言いたしました」
「それで、上手くいきましたの?」
心配そうな顔で聞くロザンヌに、エルシーはにっこりした。
「ええ。オリバー様がどう処分されるかにかかわらず、私はあの方と結婚はしないと宣言しました。結局、治安部の調査で明らかになった事実を知って、父もようやく折れました」
「オリバー殿が嫡子でいられる可能性は低いと見たんだろうな」
ロバートの言葉に、エルシーはうなずいた。
「おそらくそうでしょう。まだ彼が嫡子でいる間に、穏便に解消する方がクイン家への影響も小さいと判断したのだと思います」
「ようやく、一息つけますわね」
ロザンヌの言葉を聞いて、エルシーは小さく息を吐いた。
「父が許したから結婚しなくて済んだのではなくて、父が許さなくても結婚しないと私が言ったことで、あれから父の、私への態度が少し変わりましたわ。私の何気ない話にも耳を傾けようと努力するくらいには」
「それはよろしかったですわね」
ロザンヌの素直な言葉に、エルシーはうなずいた。その後、エルシーはアイリーンへ顔を向けた。
「あなたには、事情があったとはいえ、申し訳ないことをしたと思っています」
そう言って目を伏せたエルシーに、アイリーンは冷たい口調で返した。
「どの点について謝っているの?」
「身代わりを頼んだことからよ。そのあと、失踪の後始末と沈黙を押しつけたことも。あなたが引き受けていない危険にまで巻き込まれる結果になってしまったもの」
エルシーは顔をあげて、アイリーンをじっと見つめた。
「許していただくためにここに来たのではないの。私がしたことを、あなたに直接お詫びしなくてはならないと思って来たのです」
アイリーンは無表情なまま、何も話そうとしなかった。
「本当に、ごめんなさい」
消え入るような声で、目の端に涙を浮かべ、エルシーは何度も謝った。
アイリーンは鼻を鳴らした。
「あたしも、舞台の外であんたを演じると引き受けた。そこはあたしの責任だよ。でも、犯罪に巻き込まれるところまで引き受けた覚えはない」
エルシーは一切の言い訳をせず、うなずいた。
「馭者が襲われたと知ったときも、あたし自身が脅されたときも、あたしがどんなにこわかったか、わかる? あんなこと、二度とごめんだよ」
「ごめんなさい」
アイリーンは盛大なため息をついた。
「あんたの気持ちはわかった。あたしが狙われたのは、いくつもの偶然が重なった結果だってことは頭ではわかっているさ。だけど、怖い思いをしたことは消えない。あたしの怒りも消えない。もう、あんたとは今までと同じ友人には戻れない」
アイリーンの言葉に、エルシーは瞳を揺らし、そっと目を伏せた。
「そうよね。……受け入れるわ」
アイリーンは席を立つと、肩を落としたエルシーを見おろした。
「次に自分の人生が嫌になっても、誰かにあんたの役を押しつけないで。自分の役は、生涯、自分でやること。それがあたしへの贖罪だよ」
エルシーははっと顔を上げた。
アイリーンの顔にあったのは、やりようのない怒りとエルシーへのいままでの想いがないまぜになった、悲しみだった。
「あなたの言葉を、一生、胸に刻むわ」
「そうして」
新聞に慈善会の不正や襲撃の記事が載るころには、アイリーンは舞台へ戻っていた。新聞には彼女の名前は出ず、劇場でも彼女が失踪令嬢の身代わりだったと知る者はいない。
部屋を出る前に、アイリーンはロザンヌのそばに行った。
「これ」
アイリーンの次の公演の招待券だった。
「舞台の上ならなんだってなれる。でも舞台を降りたら、あたしはあたしでいるよ。二度と身代わりなんかしない。あたしの人生だけを生きる」
ロザンヌは招待券を受け取りながら言った。
「ええ。秘密は守りますわ」
アイリーンはうなずくと、部屋を出て行った。
エルシーがぽつりと言った。
「私、彼女のことが好きだったの。身分など関係なく、彼女と友人になれた時間は忘れないわ」
一筋の涙が彼女の頬を伝った。エルシーはハンカチで目元を拭うと、ぎこちない笑みを浮かべた。
ロバートに丁寧にお礼を言った彼女は、静かに部屋から出て行った。
それまで黙ってロザンヌの後ろにいたメリーが言った。
「お嬢様、本日はお静かでいらっしゃいましたね」
「わたくしだって、黙るべきところでは黙れますわ」
「そのようでございますね」
メリーは眼鏡の蔓を触りながら答えた。
「……褒められたのかどうか、微妙ですわ」
ロザンヌは眉をひそめた。
「お茶を淹れ直しましょうか」
メリーが茶器を下げて部屋を出て行った。
ロバートは扉が閉まるのを見た後、ロザンヌに向き直った。
「ロザンヌ、私は最初、きみが何かを見つけるたびに、危険な場所へ飛び込むのではないかと思ってひやひやしていた。だから、アドリアン君にそばを離れるなと頼んだ」
アドリアンは慌てて言葉を挟んだ。
「ロバート殿に頼まれなくても、僕はそうしていたよ。そこは覚えていて」
ロバートの言葉に、ロザンヌは不服そうな顔を向け、アドリアンにはちらりと目を向けたが、何も言わなかった。
ロバートはその顔を見て小さく微笑して、続けた。
「だが、きみは数字の食い違いを見つけただけではない。間違った推測を捨て、ひとの責任を切り分け、最後には何を書かないかを選んだ」
ロバートの思わぬ評価の高さに、ロザンヌは目を瞬いた。
「秘密を暴く者は大勢いる。だが、秘密を守りながら、隠してはならない事実だけを見つけられる者は少ない」
ロバートはそこまで言うと、ロザンヌに
「よくやった」
と、小さく言った。
「叔父さま……」
ロバートはこれまで、ロザンヌが質問するたびに、的確な言葉を与えてきた。それで問題が解決したことを報告しても、そうか、とか、よかったな、と笑顔を見せてくれてはいたが、決して褒めてはくれなかった。それが今日、初めてロザンヌの出した結果を認めた上に、褒めたのだ。
ロバートに褒められたくてしてきたのではない。ましてや、認められたかったわけではない。
だからこそ、ロバートの言葉が、ロザンヌの心に深く響いた。
「ありがとうございます」
目尻に涙を溜めたロザンヌは、席を立ってロバートに抱き着いた。
ロバートはロザンヌを抱きしめ、頭を何度も撫でた。
「大きくなったな、私のおちびさん」
「わたくしはもう淑女ですが、叔父さまの前ではいつまでもおチビさんですわ」
鼻をすすりながら、ロザンヌは言った。
「だったら、またお前を抱きあげてメリーゴーランドをしてやらなくちゃな」
そう言ってロバートは笑った。
「あの記事の後、レマー新聞あてに相談事の手紙が増えた。その中でロザンヌの目が必要だと判断したものは、初めからお前に話していいか?」
ロバートの発言に、アドリアンはぎょっとした。
「ロバート殿、それは」
アドリアンの声が聞こえていないロザンヌは、ぱっと顔を上げて言った。
「もちろんですわ! わたくしでよければいつでも、いくらでも!」
ロザンヌの勢いに、ロバートは苦笑し、アドリアンに目を向けた。
「ロザンヌ。僕の傷が消えるまでは、危険な調査には行かないんじゃなかった?」
「もちろん覚えておりますわ!」
興奮気味のロザンヌに、ロバートは続けた。
「いやいや、ちゃんと条件はあるぞ。相談内容の仮説と確認できた事実を分けることを頼むつもりだ。その際に、ロザンヌ一人で危険な場所へ行かないこと。メリーがついているだけでも駄目だ。また、その件を記事にするかどうかは私が判断する。どうだ?」
ロザンヌは目を輝かせた。
「では、今後は叔父さま公認で調査してよろしいのですね?」
アドリアンがロザンヌに言った。
「ロザンヌ、ちゃんと条件を聞いていた? おそらく僕がいないと調査できないということだよ?」
ロザンヌの耳にアドリアンの言葉は届かなかったことになったらしい。
「叔父さま、大好きですわ」
満面の笑みで力いっぱい抱きしめてくるロザンヌに、ロバートは頬をひきつらせた。
「ここまで喜ばれるとは」
「猫にまたたびを与えたようなものでしょう? どうするんですか、それ」
アドリアンは大はしゃぎするロザンヌの様子を見て、げんなりした顔になった。
「私も少し早まったかなと思い始めたよ。……デヴィッド兄上の怒りまくる顔が目に浮かんできたところだ」
「話を通していないのに、ロザンヌの鼻先に大好物をぶら下げたんですか」
アドリアンは呆れた声で言った。
「すまん。そこまで考えなかった」
マイクが苦笑して言った。
「レマー家の騒動が記事になりそうですね」
そこへお茶を運んできたメリーが入ってきて、その後ロバートはメリーから延々と説教をされた。ロバートは、しまいには大柄な体を縮こませてうなだれていた。
「メリーさんて、社長でも容赦なく叱れる人だったんですね」
マイクがアドリアンに声を落として言った。
「たぶん、レマー家でロザンヌの母上を除いて最強じゃないかと思っているよ」
アドリアンも小さな声で返した。
ロザンヌはメリーとロバートの様子を見ないことにしたらしい。用意された紅茶を美味しそうに飲んでいた。
アドリアンはロザンヌに言った。
「調査のことだけど、一つ、頼みがある」
アドリアンの真剣な声に気づいたロザンヌは、カップをソーサーに戻して、アドリアンを見た。
「なんでしょう?」
「調査の件だけど。動く前に、僕に話してほしいんだ」
ロザンヌはきょとんとした。
「わたくし、最初からそのつもりですわよ?」
「本当?」
予想外の答えに、アドリアンはびっくりした。ロザンヌはうなずいた。
「勝手に先走らず、まずはアドリアン様にお話をいたしましょうと思っていました。一緒に考えていただければと思ったのです」
「ぜひそうしてくれ」
今度はアドリアンがうなずいた。ロザンヌの言葉に、自然と顔が綻んでいった。
「最初からきみといるよ」
「うれしいですわ」
ロザンヌはにっこりした。
二人が見つめあうそばで、マイクは長い溜息をついた。
「もしかして僕はまた、この二人のいちゃいちゃを眺めることになるのか……?」
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