終章 守られた秘密 ③
そこへ、扉を叩く音がした。
ロバートが声をかけると、扉の外にいた社員が困惑した顔を覗かせて言った。
「お客様がお見えです」
「今日はもう予定はないはずだ」
「それが、その……」
社員が言い終わる前に、聞き覚えのある声が響いた。
「私ですわ。ロザンヌ様がこちらにいると伺ったので参りました」
社員を押しのけるようにして入ってきたのは、サンドラだった。
「ようやく捕まえましたわ」
サンドラはつかつかとロザンヌのそばに近づいた。
「あなたにお礼を申し上げようと、午前中に先触れを出したのに掴まらず……レマー家を訪れてみれば、今日は朝早くに外出したとうかがい、行き先を尋ねてこちらにうかがいましたの」
サンドラは今回も先触れが届いたのとほぼ同じ頃に、ロザンヌを訪ねたらしい。
「それはご足労をおかけいたしました」
ロザンヌはソファから立ち上がり、サンドラの前で頭を下げた。
「お座りになりませんか?」
ロザンヌの誘いに、サンドラは首を振った。
「いえ。すぐお暇しますから」
サンドラは扇子を広げて、すまし顔になった。
「あなたがご不在だったのはもうよろしいのよ。私はエルシーを見つけて無事に返してくださったお礼を申し上げたかっただけですから」
サンドラは扇子を閉じて侍女に持たせると、ロザンヌの両手をとった。
「ロザンヌ様、サンドラ・マクナマラは心からあなたに感謝いたします。エルシーを見つけてくださって、そのうえ無傷で彼女を家に帰してくださいました。ありがとう存じます」
胸にしみこむような、心からの言葉だった。
「あなたなら見つけてくださると思った私の直感は、やはり当たりましたね」
サンドラは続けた。
「それでも、あなたの身を危険にさらしてしまったことは、私にも責任があります」
「そんなふうにお考えにならなくても」
ロザンヌの言葉に、サンドラは首を振った。
「いいえ。これはマクナマラ家として、借りができたということです。今後、ロザンヌ様にお困りごとができたらぜひ、協力させて頂戴。侯爵家の力でなんとかしてみせますわ」
真剣な顔で言うサンドラに、ロザンヌはたじろぎながらもうなずいた。
「そういうことがあるときは、サンドラ様を頼らせていただきますわね」
「そうして頂戴。それから」
サンドラはいたずらっぽく笑った。
「私たちはもう友達。ぜひ、近々うちに遊びにお越しになって。招待状を送りますわ」
「サンドラ様……」
一介の伯爵令嬢が、今後は侯爵令嬢の友人として招かれる。これはレマー家にとって名誉であり、追い風になることは間違いない。
家のつながりもさることながら、ロザンヌはまっすぐな気性のサンドラに好意を抱いていて、もっとお話ししてみたいと思っていたのだ。
「ありがとうございます。ぜひ、うかがいますわ。素敵」
ロザンヌの素直な言葉に、サンドラは華が咲いたような笑顔になった。
「うれしいわ。きっとよ」
サンドラはロザンヌをぎゅっと抱きしめると、部屋にいた者を見回した。
「突然押しかけてしまってごめんなさいね。もう退出いたします。ごきげんよう」
優雅な礼をしたサンドラは、そのまま部屋を出て行った。
申し訳なさそうな顔をした侍女がロザンヌたちに頭を下げると、急いでサンドラの後を追っていった。
閉まった扉を見つめながら、ロバートがぽつりと言った。
「嵐のようなご令嬢だったな」
アドリアンもあっけにとられたまま、うなずいた。
「あれが、ふだんのサンドラ様のようです。調査中はお静かでしたけれど」
ロザンヌの言葉に、マイクがうなずいた。
「あの時はエルシー嬢の安否を気遣っていたから令嬢っぽかったんですね」
「彼女は歯に衣着せぬ物言いをされる、気持ちの良い方なのですわ」
美点を述べているような述べていないようなロザンヌの発言に、周りのものは微妙な顔をした。
「ともあれ、関係者たちに一区切りついたというところだな」
ロバートの言葉に、ロザンヌはうなずきかけて、首を傾けた。
「どうしたの?」
不思議そうに尋ねるアドリアンに、ロザンヌは答えた。
「サンドラ様って、ケイトリン様と似ているような気がしましたの」
アドリアンは苦笑した。
「ああ。元気なところとか?」
「それ、それですわ」
ロザンヌは手を叩いた。
「ケイトリンと言えば、彼女を預かっている家から手紙が来てね」
「あら、なにかありましたの?」
アドリアンはくすりと笑った。
「彼女に新しく専属の侍女がついたんだそうだ。ノーラさんという名前で、とても優秀で助かっているという話だった」
アドリアンはそう言って、メリーへ顔を向けた。
「メリー、きみの従姉なんだってね」
ロザンヌの後ろに立っていたメリーは、ゆっくりとうなずいた。
「さようでございます」
メリーは誇らしげに胸を張った。
「メリーが推薦した人物は、ケイトリンの淑女教育に熱心で、さっそく成果が出ていると言って喜んでいた」
「ノーラならば、きっと立派な淑女へと指導することでしょう」
メリーは眼鏡の蔓を持ち上げた。
「きみのところにお礼状を出したいということだったので、レマー家宛てに、と返しておいたよ」
「ありがとうございます」
ロザンヌは遠い目になりながらつぶやいた。
「きっとスパルタですわ。ケイトリン様、今頃はお疲れなのでは……」
メリーが小さく咳払いをした。
「ケイトリン様ならきっと、あふれる元気でこなされると思いますよ」
ロザンヌはメリーを横目で見た。
「帰りましたら、陣中見舞いのお手紙を書きますわ」
「僕にも書いてよ」
アドリアンが言ったところで、また扉を叩く音がした。先ほどとは違い、焦ったような叩き方に、ロバートが眉をひそめた。
「すみません。王家からの使者がお見えです」
ロバートの返事を待って扉を開けた社員が、背後にいた人物を通した。
現れた男は王家直属を示す制服を着ていた。
ロバートの顔に緊張が走った。
「王太子殿下より、ロザンヌ・レマー嬢へ直接お渡しするようにと、預かってまいりました」
「わたくしに?」
目を瞬くロザンヌとは違い、ロバートとアドリアンの顔が強張った。マイクとメリーがロバートとアドリアンの様子に気づき、眉をひそめた。
官吏はロザンヌの前に進み出ると、黒塗りの盆を差し出した。その上には王太子の色であるロイヤルブルーの封蝋がされた白の上質な封書が置かれていた。
ロザンヌはおずおずと手を伸ばし、封書を取った。
「お確かめください」
官吏にうながされ、ロザンヌは封を切って便箋を取り出した。そのまま目を走らせ、息を呑んだ。
「ご用件はおわかりいただけましたか」
ロザンヌはうなずいた。
「はい。……あの、レマー新聞のオーナーと、アドリアン・ルメール様にも同席いただいてもよろしいでしょうか」
官吏は慇懃にうなずいた。
「信頼のおける方ならかまわないとの仰せです。では、ご承諾いただいたということで、王太子殿下にお伝えいたしますが、それでよろしいか?」
「はい。承りました」
ロザンヌはその場で、優雅な礼をとった。
官吏はうなずくと、そのまま去っていった。
「ということですので、叔父さま……」
振り返りながら言ったロザンヌは、そこで言葉を失った。
ロバートが蒼白な顔で立ち尽くしていたのだ。
「叔父さま……?」
ロザンヌはアドリアンに顔を向けた。
アドリアンもまた、閉じられた扉に目を向けたまま、顔色を失っていた。
「二人とも、どうなさったの?」
ロザンヌは横にいたアドリアンの腕に手を当て、軽く揺さぶった。
「アドリアン様?」
ロザンヌに何度も名前を呼ばれて、アドリアンははっとなった。
「アドリアン様、どこか具合でも悪いのですか?」
心配そうに見上げるロザンヌの顔を見て、アドリアンはぎこちなく首を横に振った。
「いや、大丈夫だ」
「では、なにか気になることでもございましたの?」
アドリアンは口元を無理に上に向けて見せた。
「なんでもない。ただ、ロザンヌが王太子殿下に召喚されたんだなって、驚いただけだよ」
「それならいいのですが」
ロザンヌは納得のいかない顔のまま、ロバートを見た。
「叔父さま、一緒に登城してくださいますわよね?」
ロザンヌに言われて、ロバートは険しい顔になった。
「なにがあっても、私は必ず一緒に行く。ロザンヌを決して一人にはしない」
真剣そのものな口調に、ロザンヌは困惑した。
「叔父さま、悲壮なことになるようにおっしゃるなんて」
ロバートは首を振った。
「まずは、手紙の内容を見せてもらえるか?」
ロザンヌはテーブル越しに、手紙をロバートに渡した。
手紙をひったくるように手に取ったロバートが、手紙に目を走らせた。
読み終わった後、大きなため息をついて、額に手を当てた。
「ロバート殿、僕にも読ませてください」
アドリアンに言われて、ロバートは顔を伏せたまま、手紙を持っていた手を伸ばした。
アドリアンが手紙をとると、ロバートは両手で頭を抱えた。
「叔父さま、大丈夫ですの?」
王太子殿下からの手紙には、近々相談したいことがあるから、登城してほしいという内容が書かれていた。
それだけの手紙に、ロバートがなぜこんなに深刻な状態になるのかわからないロザンヌは、手紙を読むアドリアンの腕にそっと触れた。
「アドリアン様」
手紙を読み終えたアドリアンは、それをロザンヌへ返すと、自分の腕に置かれた彼女の手を握った。
「大丈夫。ロバート殿はちょっと驚いているだけだよ」
「でも」
アドリアンはにこっとした。
「ロザンヌが王太子殿下からじきじきに呼ばれたんだ。それに同行する僕たちも、緊張しないわけがないだろう?」
「それはそう、ですわね」
そうつぶやいたロザンヌに、メリーは温かいお茶を淹れ直したカップを差し出した。
「ロザンヌ様、帰宅されましたら、王太子殿下の御前で失礼のないように、作法の復習をいたしませんとね」
メリーの言葉に、ロザンヌは口元に運びかけたカップを止めた。
「お母さまにもお手伝い願おうかしら」
メリーは強くうなずいた。
「それがよろしいかと」
ロザンヌとメリーが話す横で、ロバートとアドリアンは目を合わせた。互いに何も言わないが、言いたいことはわかっていた。
王家に才を見出されれば、ロザンヌは自分たちの手の届かない危険な仕事へ駆り出されかねない。あの方に、ロザンヌの使い道を思いつかせたくない――。
あのときロバートが抱いた危惧が、現実になりつつあった。
ロザンヌは、公で見る王太子殿下の姿しか知らない。アドリアンも、ロバートに教えられるまでは同じだった。
「これは手強そうだ」
アドリアンのつぶやきに、ロバートは無言でうなずいた。
「うちのお転婆を盗られてたまるか」
ロザンヌとメリーが作法の話に花を咲かせている横で、ロバートとアドリアンは小声で話し始めた。
「僕も、良かったらお手伝いします」
マイクはそう言って、席を立って二人のそばに寄った。
メリーがさり気なく、ロザンヌの目線が三人からそれる位置に座った。
三人は、眩しそうにロザンヌの笑顔を見つめていた。
ロザンヌはメリーと話をしながら、手元の封書をそっと押さえた。どのような相談であれ、今度は一人で答えを出すつもりはなかった。
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