第十二章 守るべき秘密 ②
訪問時刻は午前中になるだろう、とホーソーンに言われ、ロザンヌたちはロバートの新聞社で決定した訪問時刻を聞くことにした。
ロバートとマイクは新聞社の前で馬車を降りた。彼らが下車する前にロザンヌは眠ってしまい、起こされることもなく寝室までアドリアンに運ばれた。
翌朝そのことを母に聞かされ、ロザンヌは安堵のため息をついた。
「メリーがいたら何を言われるか……。いなくてよかったですわ」
その言葉を聞いて、母は呆れたように言った。
「気にするところはそこなの? 寝顔を見られたとか、重たくなかったかしらとか、そういう恥じらいはどこにいったの?」
母の言葉にはっとなったロザンヌは、そこでようやく顔を赤らめた。
ロザンヌの身支度を手伝っていた母は、ロザンヌの髪をとかしながらたしなめた。
「もうすこし淑女らしくしないと、安心して嫁がせられないわ。淑女教育の上級コースを専門学校で受講した方がいいかもしれないわねえ。デヴィッドに相談を……」
ロザンヌはため息交じりに言う母を鏡越しに見て、ぎょっとした。
「お母さま、今日は早めにロバート叔父さまのところへ行かなくてはなりませんの。ですからそのお話はまた今度に」
早口でまくし立てるロザンヌに、母親は頬に手をあてて眉尻を下げた。
「今日もまた? デヴィッドの機嫌が悪い日が続くというわけねえ」
「お父さまには今度たっぷり甘えますわ」
「そうして頂戴。我が家の平和のためにも」
母親はそう言って、ロザンヌの髪にデヴィッドから贈られた翡翠の髪飾りを着けて満足そうにうなずいた。
そのとき、使用人がアドリアンの来訪を告げた。
ロザンヌは鏡台の前から立ち上がり、テーブルの上にあったバッグを手にした。
「行ってきますわ、お母さま」
「はい、行ってらっしゃい」
ロザンヌは階下で待つアドリアンのもとに急いだ。
そのまま二人は馬車に乗り込み、ロバートのもとを目指した。
新聞社で待っていたロバートとマイクに合流したロザンヌたちは、指定された時刻に間に合うように馬車で出発した。
ジョーンズ男爵家は、王都の貴族街の隅にあった。
屋敷の前には、王都治安部の馬車が止まっていた。
二台の馬車は時刻になると、男爵邸へ入っていった。
使用人に案内され、ロザンヌたちは小ぢんまりとした応接室へ通された。
部屋にはすでに、グレースが座って待っていた。不愉快そうな表情を浮かべていても、その目にはどこか怯えた色がにじみ出ていた。
ホーソーンが型通りの挨拶を済ませると、グレースに席を勧められ、全員がソファに腰を下ろした。マイクはロバートの横に座り、さっそくメモとペンを取り出した。
「それで?」
グレースに促され、ホーソーンは静かな口調で昨夜、オリバーの屋敷での話を語った。
グレースは、オリバーが連行されたと聞いたところで動揺したが、話が慈善会のことになると、扇子で口元を隠し、顔をそらした。
「私は慈善会のことなど何も知りませんわ」
「では、エルシー嬢を目撃した話を伺いましょう」
グレースは顔をそむけたまま、目だけをホーソーンへ向け、早口で話し始めた。
「私は劇場街でエルシー様を見かけただけです。私は一人だったし、彼女に話しかけてもいませんわ」
ロザンヌは不思議そうに首を傾けた。
「わたくしたちは、エルシー様へ話しかけたかどうかを、まだお尋ねしておりませんのに」
グレースの握る扇子がびくりと揺れた。グレースは目を伏せ、黙り込んだ。
そこへ、扉を強く叩く音がした。
「失礼いたします」
入ってきたのは、治安部の部員だった。一人の男性が、二人の部員に挟まれて立っていた。
「ルイス……!」
グレースが叫んだ。
男は、情けなさそうな笑顔を浮かべた。
「ごめんよ、こっそり裏口から逃げようとしたんだけど、見つかってしまったよ」
「こちらの男性は?」
ホーソーンはグレースに尋ねた。苛立ちを浮かべたグレースは、音を立てて扇子を閉じた。
「ただの知り合いですわ」
「それはないだろう、グレース」
男は手を振った。その動きで、男の小指がきらりと光った。
ロザンヌは男の小指を凝視した。
印章指輪だ。
ロザンヌがアドリアンに顔を向けると、アドリアンは無言でうなずいた。彼もまた、印章指輪の持ち主だった。
「僕に執着しているって皆に説明してほしいなあ」
のんびりとした口調でおどけたふうを装っているが、目は冷たい。
「あなたのお名前は?」
ホーソーンの質問に、男は胡散臭そうな笑みを浮かべた。
「ルイス・ブラウン。ブラウン家の嫡男だ」
「エルシー嬢の失踪当日、あなたはどちらにいましたか」
「グレースと一緒に劇場街にいたよ。あそこで、僕と一緒だったところをエルシー嬢に見られたと言って、グレースが動揺していた」
「ルイス!」
グレースはたしなめるように叫び、ルイスを睨んだ。
「エルシー様の馬車を襲わせたのはあなたでしょう! 私はそんなことは頼んでいないもの!」
グレースの言葉に、ルイスはかっとなった。
「お前が言ったんだろう! オリバーの耳に入る前に馬車を止めて、あの女の口を塞いでくれ。必要なら脅してもいい、と!」
ホーソーンはグレースに尋ねた。
「脅迫を頼んだのですか」
グレースはホーソーンをキッとにらんだ。
「脅して話をつけてとは言ったけれど、馭者を殴れなんて言っていないわ!」
ルイスはグレースの答えを鼻で笑った。
「エルシーに僕と一緒のところを見られた、オリバーに言いつけられて自分を捨てるようなことになったら、僕に貢ぐ金づるを失うからなんとかしろって言うから劇場街の知り合いに金を掴ませて馬車を追いかけさせたんだぞ!」
「あなたに貢いでいたなんて失礼な! あなたが欲しいというから買ってあげたのに!」
「それを貢ぐというんだよ! ヒヒ爺が死んで、ようやく僕に堂々と会えるとか言いながらオリバーへ尻尾振って!」
ロザンヌたちがいるのも忘れたのか、二人は罵り合いを始めた。
「これはこれは……欲しい情報が勝手に零れ落ちてくるとは、なんと楽な調査だろうな」
ホーソーンのつぶやきに、ロバートとマイクがうなずいた。
「でもこのままでは、いつかは取っ組み合いになりそうですよ」
アドリアンがげんなりした様子で言った。ホーソーンは部下に目を向け、小さくうなずくと、ルイスを連れてきた男たちがルイスとグレースを引き離した。
二人は肩で息をしながら、互いを睨み続けた。
「つまり、グレース殿はエルシー嬢にルイス殿といるところを見られて、ルイス殿にエルシー嬢に口止めをしてくれと頼んだ。ルイス殿はエルシー嬢の馬車に知り合いの者を追わせた。頼まれた者は知恵者だったか手練れだったんでしょうな。エルシー嬢の馬車を追い越して、道端で馬車が通りかかるのを待っていた。そこでエルシー嬢の馬車の馭者を背後から襲った」
ホーソーンの淡々とした口調に、ルイスとグレースは気まずそうな顔で、静かになった。
ルイスが小声で言った。
「帰ってきた者は、馭者を襲った直後に中を改めたが、馬車はすでに空だったと言っていた。最初は何とも思わなかったが、あの短い間に、令嬢が一人で馬車を降りて姿を消せるものかと、あとになって違和感を覚えたんだ」
「ほう? エルシー嬢の行動に疑問を持ったと。それで?」
ホーソーンがさりげなく、先を促した。
ロザンヌはルイスの言葉に、はっとなった。そこは考えたことがなかったからだ。
「あの時のエルシー嬢にはエスコートする者もいなかった。そんな状況の貴族令嬢が劇場街に何の用がある? 侍女もいなかったんだ。もしかしたら、逢引かもしれない。だけど、エルシー嬢はオリバー殿の婚約者であるうえ、地味で目立つことを避けているような人だろう。場所は劇場街。だったら、グレースが見た人物は、舞台女優かもしれないじゃないか」
「あなたはなかなかいい発想をするのですね。面白い」
ホーソーンのおだてを真に受けたらしいルイスは、得意そうな顔になった。
「だろう? だから知り合いにも聞いて回ってもらったんだ。そこで、アイリーンという舞台女優を見つけた。試しに『舞台の仕事は、舞台の中だけにしておけ』と言ってやったら、がたがた震え出した。僕の見立ては正しかったわけだ」
ホーソーンは数度、お義理のような拍手をした。
「お見事。治安部に欲しいくらいの頭脳ですな」
それまで黙ってルイスの話を聞いていたグレースは、蒼ざめた顔になった。
恐ろしいものを見るような目つきで、ルイスを見て言った。
「呼び止めて話をつけるだけだと思ったのに……人を傷つけたなんて、恐ろしいことをしているのに、罪悪感すらないなんて」
口元を震わせるグレースに、ルイスは舌打ちした。
「お前に頼まれたことをした結果だろうが」
「私はそこまでしてくれなんて一言も言っていないわ」
二人の口論が始まりかけたところで、ロザンヌが口を開いた。
「頼んだことと、実際にしたことは確かに別です。けれど、ご自分の秘密を守るために、見知らぬ人を脅してよいと考えた点は、お二人とも同じです」
ロザンヌの言葉に、ルイスとグレースは顔を見合わせ、口をつぐんだ。
「馭者とアイリーン嬢の証言と、当夜使われた馬車、ルイス殿が金で雇った実行役を確認しなくてはなりませんな」
ホーソーンの言葉に、ロバート、マイク、ロザンヌ、アドリアンがうなずいた。マイクはうなずきながらも、口元を固く引き結んで、ずっとメモにペンを走らせ続けていた。
「まずは、グレース殿とルイス殿には、治安部の本部までご同行いただきます。そちらで、詳しいお話を伺います」
ホーソーンの言葉に、グレースはがっくりと肩を落とした。ルイスはグレースを忌々しげに見て、ホーソーンへ顔を向けた。
「僕はブラウン家の嫡男だ。まずは家に連絡を入れたい」
今更ながら、貴族という身分を持ち出したいらしい。ホーソーンはそっけなく答えた。
「それはこちらでやっておきます」
ルイスが逃げないように、彼を連れてきた二人の部員が再び脇に立った。
ホーソーンは数名の部員に、ジョーンズ邸に残るように指示をした。
ジョーンズ邸を出た後、ロザンヌはずっと考えこんだ。
馬車に乗っても、彼女は俯いたまま、何もしゃべろうとしなかった。
隣に座るアドリアンが、心配そうに話しかけた。
ロザンヌは眉尻を下げた。
「わたくし、劇場街で見られたことから馬車襲撃、アイリーンさんへの脅迫まで、ずっと一つの筋道で考えておりましたの」
「でも、実際には?」
「グレース様が頼んだことと、ルイス様が実際にしたこと。それに、ルイス様が後からアイリーンさんを探し出したことは、それぞれ別に確認しなくてはいけなかったのですわ」
ロザンヌはため息交じりに言った。
「わたくしも、まだまだなのだと思い知らされました」
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