第十二章 守るべき秘密 ⓵
ネイヤー邸へ向かう途中、二台の馬車は一度レマー新聞社へ立ち寄った。
ホーソーンが先回りの部員をネイヤー邸へ向かわせる間に、ロバートは新聞社に残っていたマイクへ、慈善会で起きたことを手短に伝えた。危険な受け渡し現場とは違い、これから向かうネイヤー邸は治安部が先に周囲を監視する。そう説明したうえで、ロバートはマイクの同行を認めた。
また、新聞社の金庫に収めていた証拠の原本は、ロバート立ち会いのもとで正式にホーソーンへ引き渡された。
ロザンヌたちが乗った二台の馬車がネイヤー邸に到着した。
周囲ではすでに王都治安部員たちが、それとわからないように正門と裏手を見張っていた。
先の馬車からホーソーン、ロバート、マイクが降りた。
続く馬車では、ロザンヌがエスコートするアドリアンの手を握りしめ、ゆっくりと降り立った。
ホーソーンが訪問を告げると、屋敷の使用人はホーソーンたちを応接室へ案内した。
屋敷へ入ってすぐに、ロザンヌは周囲をこっそりと見回した。もしかしたら逃亡のための旅支度をしているのかもしれないという予測があったためだったが、どこにもそのような様子は見えなかった。
小さく息を吐いたロザンヌに、アドリアンは気づかわしげな顔を向けた。
通された応接室には、苛立たしげに歩き回るオリバーがいた。彼が身に着けている服は、少なくとも旅装ではなかった。
ホーソーンに続き、ロバート、マイク、アドリアン、ロザンヌが入室した。
「夜分に失礼いたします。王都治安部のホーソーンです」
オリバーはホーソーンに不機嫌そうな顔を向けた。来客に席を勧めることなく、オリバーは言った。
「私は別の来客を待っているんだ。用件は手早く頼む」
アドリアンはロザンヌの隣に立って、そっと彼女の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 立っていられる?」
馬車を降りる際、ロザンヌがいつもより強く自分の腕を取った。疲れが出ているのだ。
「わたくしなら大丈夫ですわ」
「遠慮せずに掴まっていて」
微かにうなずいたロザンヌは、アドリアンに添えた手に、少しだけ力を込めた。アドリアンはロザンヌの手に、そっと自分の手を重ねた。
オリバーはロザンヌをじろりと見た。
「治安部の人間が話があるというから通したのだが、なぜここに、レマー家の令嬢までいるんだ」
ロザンヌがこたえる前に、ロバートが返した。
「彼女が、あなた方の隠した数字を最初に見つけたからですよ」
「数字?」
オリバーの目が鋭く光った。
「何の話だ」
ホーソーンが話し始めた。
慈善会の事務室の台帳と倉庫の記録簿の違い、運搬費の清算時の差、存在しない西区の配布先。
「なにより先ほど、フォルティ氏本人が不正への関与を認めました」
オリバーの顔が引きつった。
ホーソーンは書類入れから、先ほど慈善会事務室で確保した書類と、新聞社で正式に引き渡された証拠の一部を取り出した。オリバーに見えるように広げて見せ、慈善会で行われた不正への関与を尋ねた。
オリバーがフォルティの話した内容を尋ねると、ホーソーンは、フォルティが認めた内容を正確に伝えた。ロバートの横でメモを見ながら、マイクは語られる内容に一つ一つうなずいた。
「……というわけで、あなたの待ち人がフォルティ氏なら、今夜はここには来ない。今頃は治安部の本部へ連行され改めて供述書を書いているところでしょう」
オリバーは部屋の中に目を走らせた。扉の前に立ちはだかるように立っているホーソーンとロバートを見て、次に窓の外へ目を向けた。
「うちの部員が屋敷を取り囲んでいます。変な気を起こして、罪状を増やさない方がいい」
ホーソーンの言葉に、オリバーは舌打ちした。その拍子に前髪がひと房落ち、オリバーは片手で撫で上げた。
「セシリアだ。セシリアが不正を持ちかけてきた。台帳を書き換え、三台分の運搬費を受け取ったのも、すべて彼女の単独犯だ」
ロザンヌが静かに反論した。
「彼女が罪を犯したことと、あなたが利益を受け取ったことは、別の事実ですわ」
ロバートが促し、マイクはこれまでに確認された証拠をメモから読み上げた。
「慈善会の台帳には三台分の運搬費を支出した記録がありますが、タイラー運送の社長から、運搬費は二台分だけだったという証明書をアドリアン様は得ています。オリバー様からセシリア嬢へ送られた手紙六通のうち、二通にあなた様の署名がありました。慈善会事務室で確保した控えに、慈善会の支出とオリバー様へ渡した額が対応していました。横流し先の受領記録と、オリバー様が指定した取引先の走り書きもあります。倉庫、配送、門衛のそれぞれの記録簿から、寄付品の五分の一が正規の配布先へ届いていません」
「そういうことだ。あなたも貴族なら、潔く話されたらどうか」
ロバートが諭すように言った。
オリバーはふい、と横を向いた。
「……金は投資に使って増やし、後で返すつもりだった。物資も換金後に補填するつもりだった」
「つもり、ですか」
ホーソーンの言葉に、オリバーは叫んだ。
「私なら必ず利益を出せる! 眠っている資金を動かしただけだ! 慈善会に貢献できるように私の才能を使おうとしたんだ。何が悪い!」
ホーソーンは一瞬固まったが、呆れたように首を振った。
そのとき、マイクがゆっくりと一歩前に出た。
「毛布二十四枚、小麦粉十二袋、薬品六箱です」
押し殺した声で、マイクは言った。
「貴族のあなたにとっては、後で戻せばよい数字だったのかもしれません。でも、その物資を、そのとき必要としていた人がいたんです。その人たちが待っていたのは、帳簿の数字ではなく、物資です!」
メモを握りしめるマイクの手が震えていた。
「あなたには、厳しい冬の夜の冷たさなど縁がなく、絵空事に感じるかもしれませんが、凍てつく寒さの中に暮らす者は現実にいるのです。そんな人間には、金よりも毛布や腹を満たす食べ物や、病を治す薬が、今すぐほしいものなんです」
キャスケットのつば越しに覗くマイクの目がオリバーを凝視した。小さな体から放たれる純粋な怒気に、オリバーは息を呑んだ。
オリバーたちのしたことは、ただの不正ではないのだ。
ロバートがマイクの肩に腕を回し、自分の身に寄り添わせた。
「もういい。もう、わかったから」
ロバートが囁いた。
マイクは俯き、唇をかみ、肩を震わせた。
マイクがこれほどまでに怒るのは、慈善の数字を記事の材料として見ているだけではないのだろう、とロザンヌは初めて気づいた。マイクがロザンヌたちの手がける調査に精力的に協力してくれていたのは、青少年記者クラブの一員というだけではなかったのだ。
ロザンヌもまた、帳簿の謎を解くことに夢中になり、その数字の向こうで物資を待っていた人々を、十分に見ていなかった。
だが、違う点もある。ロザンヌはオリバーへ顔を向け、言った。
「機会を差し出したのは、セシリア様です。けれど、そこへ何度も手を伸ばしたのは、オリバー様ですわ」
オリバーはロザンヌとマイクを交互に見て、拳を握りしめた。
ホーソーンは小さく咳払いをして話し始めた。
「オリバー殿にお尋ねしたいことがあります。セシリア嬢は前日にオリバー殿の屋敷へ直接手紙を届けに来たと言っています。その手紙を確認したい」
オリバーは神妙にうなずき、使用人を呼ぶと、手紙を持ってこさせた。
オリバーに渡された手紙の封蝋は破られていなかった。
ホーソーンはちらりとロザンヌへ目を向け、うなずいた。ロザンヌもホーソーンへうなずき返した。
「アドリアン殿が運搬費を調べている話は、誰かから聞かれましたか」
ホーソーンの質問に、オリバーはうなずいた。
「フォルティが知らせに来た」
「どちらでお聞きに?」
「……懇意にしている女性の家だ」
ロザンヌの脳裏に、バザーでオリバーが伴っていた、栗色の巻き毛の、目元にほくろのある女性の顔が浮かんだ。
「フォルティ氏から話は聞きました。今度は、あなたの話を聞かせていただきたい」
「私は知らせを受けただけだ」
オリバーの言葉に、ロバートは片方の眉を上げた。
「そうですか? タイラー運送の倉庫が焼け、金庫が開けられ、記録簿の一部が焼失したんですよ?」
オリバーはロバートを鋭く睨みつけた。
「私は、記録簿を持ち出せなければ処分しろと言っただけだ。人がいるところへ火をつけろなどとは命じていない」
「つまり、記録簿の奪取と、持ち出せなかった場合の焼却は命じた、と」
ロバートはホーソーンへ目を向けた。
「なるほど?」
ホーソーンが深くうなずいた。
オリバーははっとなった。口元に手をやり、自分の失言に顔を蒼ざめさせた。
ホーソーンは厳かに告げた。
「オリバー殿には、慈善会不正、証拠隠滅、タイラー運送襲撃について事情をお聞きするため、治安部へご同行を願います」
オリバーは動揺しながら、ホーソーンに尋ねた。
「私は、エルシーの馭者襲撃の嫌疑までかけられるのか?」
「どうでしょう? それは事情聴取の折にでも」
オリバーの顔が見る見るうちに険しくなった。
「私にはエルシーを消す理由がない! クイン家との婚約を失えば投資家としての信用にも響くんだ。私はネイヤー家の次期当主なんだぞ!」
ホーソーンは激昂するオリバーに小さくうなずいた。
「では、エルシー嬢の失踪に関して、なにか心当たりはありますか? 些細なことでも構いません」
ロザンヌたちの目が、一斉にオリバーへ向けられた。
周囲の気配に気圧されて、オリバーは目を泳がせた。少し思案したのち、ぽつりと言った。
「……手がかりとは思えないが、一つだけある」
「なんでしょう」
「私が懇意にしている女性が、エルシーの失踪後に訪ねてきて、失踪当日にエルシーを目撃したと話をしていた」
「それは興味深い話ですね」
低い声で、ホーソーンが答えた。
「その方のお名前とお住まいは?」
「彼女にも話を聞くのか」
「もちろんですよ。小さな手がかりでも追うのが仕事です」
オリバーは苦い顔をして、しぶしぶ話し始めた。
「ジョーンズ男爵家の未亡人、グレース・ジョーンズだ」
「……彼女ですか」
「知っているのか」
ホーソーンは曖昧にうなずいた。
「ジョーンズ男爵が晩年、孫ほどの年齢のご令嬢とご結婚なさったことは、社交界でも有名でしたからね」
「なら、住まいはわかるだろう」
ホーソーンはうなずいた。オリバーとともに部屋を出ようとしたところで、ロザンヌが質問した。
「オリバー様、ジョーンズ様は、どこでエルシー様を見たとおっしゃったのでしょうか」
オリバーはロザンヌに顔を向けた。
「劇場街だと言っていた」
「ジョーンズ様はなぜ、劇場街にいらしていたのか、お話になりまして?」
「買い物か何かに出ていたとしか聞いていない」
ロザンヌは少し考えこんだ。頭の隅に、謎の男が言った、アイリーンへの脅しの言葉が蘇った。
『舞台の仕事は、舞台の中だけにしておけ』
劇場街でエルシーの姿をしたアイリーンを見た人物がいたなら、その人物を起点として、誰かがアイリーンへたどり着いた可能性があった。ただし、ジョーンズ自身が襲撃にかかわったのか、単に何かを見た証人なのかは、この時点では判断はつかない。
「ふむ。失踪当日の重要な目撃者として、しっかりとジョーンズ男爵未亡人にも話を聞かなくてはなりませんな」
オリバーは大股でロザンヌに近づいた。アドリアンはそれ以上オリバーに近づけさせないよう、さっとロザンヌの前に立った。
「令嬢、こんなことをして、エルシーとの婚約が無事で済むと思うのか」
怒りのこもった声だった。
ロザンヌは、アドリアンの後ろから、静かに返した。
「それをお決めになるのは、もうオリバー様ではございませんでしょう」
かっとなったオリバーは唸り声をあげ、アドリアンの背後にいるロザンヌをめがけて腕を上げた。
一瞬で険しい顔になったアドリアンが、応戦の構えをとった。
「オリバー殿!」
ホーソーンの鋭い声に、オリバーは舌打ちし、ゆっくりと腕をおろした。
「ご同行を」
ホーソーンに促され、オリバーは肩を怒らせながら扉から出て行った。その後ろ姿を見ながら、ロザンヌはアドリアンの上着を掴み、額を彼の背につけ目を閉じた。
その夜はそこで調査を終え、それぞれの家に帰宅することになった。
「明日は、ジョーンズ男爵家を訪問します」
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