第二章 同じ言葉で書かれた噂
サンドラが帰った後、ロザンヌは主だった新聞社から、エルシーの失踪を扱った新聞を取り寄せた。
「ほどほどになさいませと申し上げても無駄なのでしょうね」
メリーはため息をついて、取り寄せた新聞の束をロザンヌの自室に持ってきた。
新聞の数は、ロザンヌが思っていた以上に多かった。自室の机に山と積まれた新聞を見て、ロザンヌはメリーがテーブルのわきにそっと紅茶を置いていってくれたことに感謝した。
さっそく、一番上の新聞を手に取った。
エルシー嬢が失踪したとされる翌朝の記事だった。同じ新聞社の記事を日付順に追っていった。それを数社分繰り返し、ロザンヌは目を閉じた。
どれも、おおむねロザンヌの持っていた情報と同じだった。
「事実は情報の中に平凡な顔をしてまぎれていると、叔父さまは仰っていたけれど」
ロザンヌはぬるくなった紅茶を飲み、一息ついた。
窓外から見える午後の空は澄んでいた。明るい日差しは背の高い樹木の葉に反射してきらめいていた。その日の光はまた、ロザンヌの自室の絨毯にも落ちていて、白い陽だまりを描いていた。
ロザンヌは一度両手を上げて猫のように背中をそらして伸びをした。
「今度は同じ日付の記事を読みましょう」
新聞社ごとの山を崩し、今度は日付ごとに束ね直した。
ロザンヌは深呼吸をして、また山の一番上の新聞を手に取った。
翡翠色の瞳をせわしなく走らせた。
「……あら?」
数社分を読み込んでいったところで、ロザンヌは違和感を覚えた。
慌てて引き出しからノートを取り出し、当局による情報を時系列に沿って書き込んだ。その後、別のノートを取り出して新聞社の名前と日付、内容をメモした。それを数社分やり終えたころには、日は傾き、空はオレンジ色に染まっていた。
ロザンヌはノートを見つめて眉をひそめた。
「どの新聞社も同じ事実を報じるのはわかりますわ。だけど……」
ロザンヌはメモノートをめくりながらつぶやいた。
新聞社が違うのに、妙に似た表現が繰り返されていた。
『地味で内気な令嬢だった』
『華やかな従姉に日ごろから責められていた』
『婚約者には別の女性がいた』
『それでもずっと悲しそうに微笑んで婚約者を立てていた』
『長年の苦しみと、政略結婚に耐えられなくなっていた』
『よって、自ら姿を消した可能性が高い』
この順序と表現が、どの新聞社もほぼ同じなのだ。
「語られている筋書きがあまりにも同じでは?」
記事の中には、サンドラが茶会でエルシーのドレスを批判し叱責していたことまで書いてあった。
「あの場には大勢いたから、漏れても不思議ではありません……でも、ほぼ同時に同じ解釈を載せているのは不自然ですわ」
ペンの頭を齧りながら、ロザンヌは唸った。
ふいに、ロザンヌがペンを握っていた手に、大きくて暖かな手が被さった。
「またなにか首を突っ込んでいるんだ?」
頭の上から、聞き慣れた声がした。背後からそっともう片方の手がロザンヌの肩に置かれた。
ロザンヌは、はっと上を仰いだ。
困惑した琥珀色の瞳とぶつかった。
「アドリアン様」
慌てて首を巡らすと、アドリアンは新聞の山へ目を移した。
「あの、これは」
アドリアンは、ロザンヌがノートを閉じようとした手をやんわりと握って遮ると、ノートを覗き込んだ。そこには大きく『エルシー様の失踪時系列』と書かれていた。
「僕との約束よりこっちを探る方が楽しかったんだ?」
しょんぼりした声だった。ロザンヌはぎくりと肩を揺らした。
アドリアンは自分の顎をロザンヌの頭頂へのせた。
「きみが楽しく過ごせているならそれでいいんだ。いいんだけどさ」
ロザンヌの<アドリアン警報>が鳴った。
アドリアンのこの台詞は、盛大に拗ねてしまう前兆だ。
以前は手がけていたことに集中するあまり、一か月近く、彼の手紙への返信を遅らせて拗ねられた。あのあと、彼の機嫌を戻すためにかなりの時間を要した。それ以来、ロザンヌはアドリアンを放置する時間を作らないよう注意深く生活するようになった。
今日はアドリアン様と一緒に予約を入れていたレストランで食事をすることになっていた。
「あの、お約束の時間までまだ少しあるかと」
淑女の支度には時間がかかる。メリーはその時間をちゃんと計算して声をかけてくるはずだ。そのメリーがまだ何も言ってきていないのなら、まだ十分な時間があるはず。なのに、アドリアン様がここにいるということは、どういうことか。ロザンヌの頭は疑問符だらけになった。
「僕がロザンヌに少しでも早く会いたいと思ったのは迷惑?」
明らかに拗ねた声が返ってきた。
ロザンヌの額に、焦燥の汗がにじんだ。
右手にはアドリアンの手が重なり、頭上には彼の顎が乗ったままだ。振り向くこともできない。
「いえあの、それはたいへんうれしゅうございます。ですが、淑女の支度というものは時間がかかりますでしょう?」
「支度ではなく事件を追ってたよね」
「支度までの、自由時間ですわ」
「支度までの自由時間を僕と過ごすより、エルシー嬢のことを調べる方がいい?」
いつもは理性的で温厚なアドリアン様が屁理屈を言うほど、拗ね始めてしまったらしい。
ロザンヌはため息をつきそうになるのを堪えた。これ以上言い訳をしても、彼は余計拗ねるだろう。ロザンヌは方向を変えることにした。
「ところでアドリアン様は、わたくしの部屋に入る前にノックをしてくださいませんの?」
「したよ? 何回もしたけど返事がないから、きみになにかあったかもしれないと入ったんだ」
嘘だ、とロザンヌは思った。ロザンヌの知るアドリアンなら、本当に心配したときはロザンヌの名前を叫びながら駆け込んでくるはずだ。
ロザンヌは眉をひそめた。
「アドリアン様は、心配するときは足音を立てずにお入りになるのですね?」
「心配ならいつもしているよ? 僕のこと以上に興味をもつものがまた現れるんじゃないか、また放っておかれるんじゃないかって」
ロザンヌの喉が変な音を立てた。あれは完全に自分の黒歴史だ。頼まれた事実を追っていて、ついつい後回しにした結果、盛大に拗ねられた。
「わたくしはアドリアン様を大切に思っておりますわ。あれからちゃんといただくお手紙にはすぐにお返事を差し上げていますでしょう?」
「ロザンヌに関する悲しい記憶は、なかなか消えないもんなんだよ」
アドリアンは額をぐりぐりとロザンヌの頭にこすりつけた。ロザンヌは何と答えたものかと思っていると、アドリアンはふいにロザンヌのこめかみにキスを落とした。
「僕はいつだってきみのことを考えているんだ。同じものを返してくれとは言わないけれど、せめて、僕の目の届くところにいてほしい」
アドリアンは、ペンを握りしめたままの右手をそっと持ち上げ、その甲に唇を落とした。
「アドリアン様」
ロザンヌが頬を染めてアドリアンを見上げた。
アドリアンは照れくさそうな顔を、ゆっくりとロザンヌに寄せた。
「はい、そこまででございます!」
短いノックとともに勢いよくドアが開かれ、メリーが茶器をのせたトレイごと、大股で入室した。
アドリアンは残念そうな顔をして、ロザンヌから手を離した。
メリーの目が、眼鏡越しに光った。
「アドリアン様は、お嬢様をちょっと驚かすだけだとおっしゃっていたから安心してお茶の用意をしていましたのに、私まで驚く事態になるところでございました。それでは私が当主様に叱られてしまいますので、以降はお控えください」
アドリアンは両手をメリーに見せて、降参のポーズをとった。
「罰としてお茶の時間はなしです。これからお嬢様のお支度をいたしますので、ご退出願います」
アドリアンは「わかったよ」と言うと、ロザンヌに笑顔を見せて部屋を出て行った。
心の隅でちょっぴり残念に思いつつ、アドリアンが消えたドアを見つめていると、メリーのつぶやきが聞こえてきた。
「アドリアン様は、私がお嬢様にちょっかいを出すなと申しました件には、承諾の返事をなさいませんでしたね。あの方、また私の隙をついて再挑戦なさるかも……学校の補講で対策法を学ぶべき?」
むむ、と言いつつ胸の前で拳を震わせているメリーに、ロザンヌは苦笑した。
◇◇◇
アドリアンとの食事は楽しいものだった。
ロザンヌの大好物であるローストチキンが美味しい店だった。
店が勧める赤ワインとともに、ローストチキンに舌鼓を打っていると、アドリアンはロザンヌの部屋で見たノートの内容に言及してきた。
「まさか、エルシー嬢を探そうとしてるわけではないよね?」
不安そうな声だった。
「サンドラ様にエルシー様を探してほしいと頼まれはしましたが、お断りしました」
「それを聞いて安心したよ。噂をたどるだけではなく、人探しにまで乗りだすかと思った」
明らかに安堵の表情を浮かべるアドリアンに、ロザンヌは複雑な思いを抱いた。
手にしたナイフとフォークを皿に置き、目を落とした。
「どうしたの?」
ロザンヌは軽く首を振った。
「ただ、気になることがあるのです」
「というと?」
ロザンヌは顔を上げた。
「複数の新聞を読み比べ、記事の表現をそのまま書き抜いてみましたわ」
「それで?」
アドリアンも食事の手をとめて、ロザンヌをじっと見た。ロザンヌはまっすぐにアドリアンを見つめた。
「そこから感じたのは、どなたかがエルシー様の物語を書いて、新聞社に流したのではないか、ということです。わたくしはそのことをサンドラ様にお伝えする義務があると思っています」
アドリアンは何とも言えない顔になった。
「……きみがそう言うのなら、そうなんだろう。そしておそらく、それは重要なことになるんだろうな」
「アドリアン様」
アドリアンは寂しそうな微笑を浮かべた。
「きみが噂から事実をすくいとる力があるのはわかっている。人一人の身の上がかかっているから、無下にできない。僕が言えるのは、無茶をしないでほしいということと、僕にもできることがあればすぐに言ってほしいということだよ」
思いもよらぬ言葉だった。
アドリアンが自分を理解してくれていると思うと、ロザンヌの心に温かい波が広がっていった。
「アドリアン様……ありがとうございます」
「約束だよ?」
ロザンヌはにっこり笑うと、深くうなずいた。
◇◇◇
翌朝、ロザンヌはサンドラを訪ねた。
侯爵家の屋敷は噂以上に豪奢だった。アイボリーを基調とし、所々に青をアクセントに用いた、まるで白磁のような佇まいだった。
応接室に通されたロザンヌは、さっそく目を爛々と輝かせたサンドラに詰め寄られた。
再びロザンヌの肩を掴んだサンドラは、先日の侍女にたしなめられ、慌ててロザンヌへ席を勧めた。
ロザンヌは持参した二冊のノートをサンドラの前に広げた。
「馬車が発見された時刻、クイン家から正式な失踪届が出された時刻、それから、この新聞が各邸へ届いたころをご覧ください」
サンドラはノートを覗き込んだ。
ロザンヌは二冊のノートの該当箇所を順に指さした。
「この朝刊は、クイン家が失踪を公表するより前に、すでに各邸へ届いています。記事を書き、版を組み、印刷して配る時間を考えれば、新聞社がこの筋書きを受け取ったのは、さらに前ということになります」
「馬車を見つけた者から、話を聞いたのではなくて?」
「それでしたら、エルシー様を乗せた馬車が空で見つかったことまでは書けるでしょう。ですが、この記事には、エルシー様が地味で内気だったこと、華やかな従姉に責められていたこと、婚約者に別の女性がいたことまで書かれています。そのすべてに苦しみ、自ら姿を消したのだと結論づけていますわ」
ロザンヌは、もう一冊のノートを開いた。
「一社だけでしたら、記者が知っていた噂をつなぎ合わせたとも考えられます。けれど、別々の新聞社が、同じ事柄をほとんど同じ順序と表現で記事にしています。それぞれが独自に取材して書いたとは思えません」
サンドラは考え込むように眉を寄せた。
「つまり、誰かが同じ話を新聞社へ持ち込んだということ?」
「はい。それも、エルシー様が消えた後に生まれた噂ではございません。誰かがあらかじめ、エルシー様が姿を消した後に語られる物語を用意していたのだと思います」
サンドラは手を叩いた。
「だからよ! だから失踪した二日後には信じられないくらいの速さでたくさんの噂が広まったのだわ!」
サンドラは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「やっぱりね! で、引き受ける気になったのよね?」
「エルシー様の居場所を捜す、というご依頼はお引き受けできません」
「じゃあ、何をしてくれるの?」
「この筋書きを誰が、何のために新聞社へ流したのか。それを調べることでしたら、お引き受けいたします」
サンドラは目を細めた。
「つまり、あなたは調査するけれど、エルシーの行方は探さないわけね」
ロザンヌはゆっくりとうなずいた。
「それでご承諾いただければ、と思っております」
サンドラは広げていた扇子を、大きな音を立てて閉じた。
「……今はそれで納得するしかないのね。わかったわ。それでやってみて頂戴」
「ただし、条件がございます」
「なに? 報酬?」
ロザンヌは首を振った。
「それはいただきません」
「じゃ、なにかしら」
「わたくしは噂の中から事実を拾うと申し上げました。ですから、これからは知っていることを隠さないでほしいのです」
「わかったわ」
サンドラは軽く頷いた。
「次に、サンドラ様の推測を事実として語らないでください」
「それもそうね」
サンドラは機嫌よく微笑んだ。
「最後に、これが一番大切です」
「なにかしら」
ロザンヌはサンドラの目をじっと見つめた。
「わたくしの調査に、勝手に介入しないことです」
部屋の空気が一瞬、固まった。サンドラの性格をよく知る侍女がおろおろと、サンドラとロザンヌの間で視線を往復させた。
サンドラは口元を引き結び、ロザンヌを睨んだ。
「あなた……」
絞り出すような声だった。
ロザンヌは、鋭い眼光を向けるサンドラを正面から見返した。
「お呑みいただけますか?」
サンドラが膝の上で拳を握った。
「私に指をくわえて見ていろと?」
「勝手に介入しないということで、何もするなとは申しません。ただ、わたくしの知らない所で何かされますと、事実が示す先を見誤るかもしれません。そのための条件です」
「……エルシーのためにならないと?」
「仰る通りでございます」
サンドラは目を閉じると、小さく息を吐いた。再び目を開けたとき、小さく頷いてみせた。
「わかったわ。あなたの条件を呑みます」
「それでは、これからよろしくお願いいたしますわ」
ロザンヌは右手を差し出した。
サンドラはその手をしっかりと握り返した。
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