第一章 サンドラ・マクナマラの来訪
エルシー・クイン嬢の失踪は、発覚した翌朝から各紙の一面トップを飾った。
クイン家はレマー家と同じ伯爵家である。歴史こそ浅いものの、国内有数の商家として知られており、その財力を見込まれて、エルシーはネイヤー侯爵家の嫡男オリバーの婚約者に迎えられた――記事にはそう書かれていた。
両家の婚約は、クイン家がネイヤー侯爵家の持つコネクションを、ネイヤー家がクイン家の莫大な資産を求めた、いわゆる政略上のものだった。そのためオリバーは、愛人を持ちながらもエルシーを手放すつもりはないらしい。また、オリバーには両親以上に投資の才があり、クイン家側にも、財産を食い潰されることはないだろうという打算がある――そんな噂まで紹介して、記事は締めくくられていた。
「ゴシップ専用の新聞は、情報を手っ取り早く入手する手段としては優秀ですが、その姿勢はよろしくありません」
メリーは、ロザンヌが両手で端を握り、前のめりの姿勢で食い入るように読んでいた新聞を、手品のような鮮やかさで一気に引き抜いた。
ロザンヌはそれまで幾分丸くなっていた背をすい、と伸ばした。ロザンヌの前に、メリーは湯気の立つカップを静かに置いた。
「気を鎮めるハーブティーでございます」
「……あら、わたくしの部屋中にお茶のいい香りがただよっていますわね」
「今頃ですか」
メリーはわざとらしくため息をついた。
ロザンヌはローテーブルに置かれたカップを手に取り、口をつけた。
香りからは想像できない、酸味と苦みが口の中に広がった。
「珍しいお味ですわ」
ロザンヌは口元をひきつらせながら、淑女らしく遠まわしに美味しくはないと伝えた。
「そうでしょうとも。メリー特製、ブレンドハーブティーです」
「……メリーにも不得手なものがあるのですね」
顔をしかめながら、ロザンヌはカップをソーサーに戻した。
「どういう意味です?」
「いえ、なんでも」
もう一度カップを手に取って、ロザンヌは息を止めてお茶を一気に飲み干した。飲みやすい温度でよかった、と心の中で安堵したが、ここも淑女らしく顔には出さない。
「お嬢様、よろしいでしょうか」
扉の向こうから、執事の声がした。
「ええ。お入り」
銀盆に白い封筒を置いた執事が静かにロザンヌの前まで進んだ。
「至急、とのことでございまして」
ロザンヌはメリーから手紙とペーパーナイフを受け取り、中の便箋に目を通した。
手紙の差出人は、サンドラ・マクナマラ侯爵令嬢だった。
「小一時間もしないうちに来訪したいと仰っているわ」
執事が灰色の眉を下げた。
「いえ、実はもうお見えでして」
「もう? 先触れの意味とは?」
「同感でございます。いかがなさいますか」
ロザンヌはメリーと顔を見合わせた。メリーは何も言わなかった。
「お会いいたしましょう。応接室にお通しして」
「かしこまりました」
執事は軽く頭を下げ、部屋を出て行った。
「メリー、なんだかよくない話な気がするわ」
先触れの手紙に目を落とし、ロザンヌはつぶやいた。
「私は後ろに控えさせていただきます」
「助かるわ」
二人で応接室に入った時、サンドラはせかせかと室内を往復していた。
ロザンヌが顔を現した途端、サンドラは素早くそばまで来て、その肩に両手を置いた。
「あなた、ロザンヌ様よね。エルシーを探し出して頂戴」
挨拶もなくいきなり肩を掴まれて、ロザンヌはその場に固まってしまった。一呼吸おいて、やんわり抗議しようとサンドラの顔を見たロザンヌは、開きかけた口を閉じた。
サンドラは瞼を腫らし、目元を真っ赤にしていた。
サンドラの銀色の瞳には焦りの色が浮かんでいた。いつも丁寧に結われている金髪が所々ほつれてしまっていて、彼女の華やかな装いに疲労の影を落としていた。
「あの子、馬車で移動中に襲われたの。馬車は見つかったけど、本人はいなくて、争った形跡も見られなかったって言うし、持ち物の一部も残ってて物取りの線でもないらしいって話なの。じゃあなんなのって、聞いて回ってもだれも答えてくれない。だからもう、あなたしかいないの」
そこまで一気にまくしたてると、ロザンヌの肩を掴んだ両手に一層の力がこもった。サンドラの指先が、ロザンヌの肩に食い込む。
ロザンヌの眉が微かに歪んだ。
メリーとサンドラ付きの侍女が、左右からそろって大きな咳払いをした。
サンドラははっとした表情になり、慌てて両手を引っ込めた。
「ごめんあそばせ」
両腕を後ろに回して、サンドラは硬い微笑みを浮かべた。
ロザンヌは何事もなかった顔をして、ソファを手で示して言った。
「おかけください。エルシー・クイン様の件でお越しになったことは、わかりました」
「そうなのよ」
サンドラは侯爵令嬢らしく、優雅な所作でソファに腰を下ろした。後から入室した使用人がお茶を出し、退室したのを確認すると、彼女は再び話を始めた。
「この件を担当した者に話を聞いても、らちが明かない。事件が起きたのはもう二日も前なのよ。なのに、何の進展もないというのは無能か怠慢ではなくて?」
サンドラは目の前のカップを手に取り、一口飲んだ。カップを胸元に留めたまま、話を続けた。
「ですので、あなたにエルシーを探し出してほしくて、お願いに参りましたの。同じ令嬢として放っておけないことですもの、お受けしてくださるわよね?」
サンドラは侯爵令嬢然とした美しい微笑を浮かべた。それだけで、断るロザンヌのほうが道理に外れているかのような空気が生まれた。
さすがは侯爵令嬢、微笑一つで場の空気を決めてしまう術をご存じでいらっしゃるものだ。ロザンヌは内心で感心したが、おくびにも出さず、カップを口に運んだ。
カップをテーブルに置くと、ロザンヌは静かな声で話し始めた。
「わたくしのことをどこでご存じになったのかわかりませんが、わたくしに人探しの力はございませんの。申し訳ないのですが、このお話は」
「なら、何ができるというの?」
サンドラは人の話を切るように言葉を重ねてきた。およそ侯爵令嬢のすることとは思えない。ロザンヌは静かに言葉を返した。
「わたくしは噂話から事実を見つけます。また、知った秘密は守ります」
サンドラの銀色の目がきらりと光った。
一瞬で、焦りと苛立ちを剥き出しにしていた表情が消えた。
代わって現れたのは、強い意志と揺るぎない自信を備えた、社交界の華としての顔だった。
「では、エルシーの失踪についての噂はご存じ?」
「いいえ」
サンドラはじっとロザンヌの目を見つめた。
二人の間に沈黙が下りる。
やがてサンドラは令嬢らしくない、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「あの子、私の従妹なの。だから昔からあの子とよく遊んだわ。私って、華やかな外見でしょう? そのうえ身分が侯爵令嬢。小さなころからちやほやされてきた。だけどね」
サンドラはそこで言葉を切ると、またカップに口をつけた。
「エルシーは決して私に媚びなかった。私の身に着けたものも欲しがらない。私の話を聞いて、ほかの子のように追従や賞賛することもなく、自分の考えを返してくる。私がいたずらをしようとすれば、たしなめてきたわ。それでいて、威張らない」
サンドラはカップをテーブルに戻すと、膝の上で両手を組んだ。
「そんなエルシーが、地味だからと悲しげに振る舞うこと自体、おかしいのよ。何を企んでいるのか聞き出そうとしてもはぐらかされてきたわ。あなたには、まずこの前提を知っておいていただいたうえで、エルシーを調べてくださらないかしら」
人探しの依頼は自分の範疇外である。ロザンヌは首を横に振った。
「わたくしには荷が重すぎるように存じます」
「あの子の噂を聞いたうえでも、そう言えるなら、そのときは改めて知らせて」
そこまで言うと、サンドラはすっと立ち上がった。
「たった二日であの子の噂がどれだけ膨らんだか、聞いてみればいいわ。あなたなら、おかしなことに気づける。私の直感がそう言っている。私、こういう時の勘は外したことがありませんのよ」
失礼するわね、とサンドラは優雅に礼をして、侍女とともにさらりと部屋を出て行った。
扉が閉まった後で、ロザンヌは長い息を吐いた。
結局、どうやら自分は、エルシー様のことを聞き回ることになったらしい。
「一枚上手でしたわ」
知らないうちに、肩に力が入っていたらしい。ロザンヌはソファの背もたれに身を預けた。
「嵐のようなお方でしたね」
メリーが扉を見ながらつぶやいた。
ロザンヌはその意見に深く頷きながら、バザーで見かけたエルシーの様子を思い出した。
「エルシー様は、遠くにいたわたくしにも聞こえるほどよく通る声で、サンドラ様にすぐに謝っていらっしゃった」
あの茶会での姿も、バザーでの姿も、サンドラの語ったエルシー像とはどこか噛み合わない。
「記事には、エルシー様が失踪したとありました。馭者が襲われたことは書かれているのに、エルシー様が襲われたとは書かれていない」
サンドラは、エルシーが誘拐されたと考えている。
新聞社は、そう書くだけの証拠がないと判断したのだろうか。
それとも、誘拐と書かせたくない者がいるのだろうか。
どちらにしても、馭者への襲撃とエルシーの不在が、紙面の上では妙に切り離されている。
次から次へと湧く疑問に答えるには、材料が少なすぎた。
ロザンヌは首を傾けて、サンドラが座っていたソファへ目を向けた。
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