↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
秘密は守りますわ ―消えた令嬢と三冊の帳簿―  作者: 飛絽じゅらん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/11

序章 小さな声は、部屋の端まで届いた


「だから、どうしてそのドレスを選んだのかって聞いているのよ!」


 和やかだった茶会が終盤に差しかかったころ、一階のテラスへ通じる回廊から剣呑な声が響いた。


 茶会は情報交換の場であると同時に、ロザンヌ・レマー伯爵令嬢にとっては、好奇心に栄養を与える場でもある。その日の茶会は、慈善会員である主催者が、庭の鑑賞を兼ねて慈善事業への理解を深めてもらおうと開いたものだった。


 ロザンヌは婚約者のアドリアン・ルメール伯爵令息と出席していた。説明会のあと、二人で大庭園を散策し、ひと息つこうと回廊の先の茶席へ向かっていた。そのときだった。


 女性の声が続いた。


「あなたには似合わないって何度も言っているじゃない!」


 とげとげしい声に、周囲の招待客たちの顔が曇った。


「私にはこれで十分よ。だって、地味だもの」


 弱々しいながらも、どこか達観したような声だった。それだけで、声の主の顔を見なくても、どんな表情を浮かべているかが想像できた。


「そういうことじゃないのよ」


 今にもかんしゃくを起こしそうな声だった。

 声を聞きつけたらしい招待客が遠巻きに回廊へ集まり始めた。ロザンヌは少しだけ近づいて、様子をうかがった。


 そこには、俯く女性にかぶさるようにして文句を言い続ける金色の巻き毛をした美しい女性がいた。くすんだ色のドレスを着た女性は、黒髪を控えめな髪形に結い、遠くからでもわかるほどの大きな黒ぶちの眼鏡をかけていた。


「私はそういうことを言っているんじゃないの! どうして私の言うことを理解できないのよ!」

「ごめんなさい、サンドラ」


 一層俯いた彼女の黒髪が、華奢な肩からさらりと落ちた。彼女の顔は見えないが、肩を落として少し震えている様子から、悲しさをこらえていることが伝わってきた。


「どうしてそうなるのよ! もう!」


 サンドラと呼ばれた女性は顔を真っ赤にして地団太を踏んだ。


「……ひどいな」


 そうつぶやきながら、アドリアンは顔をしかめた。

 周りの人々も、扇子で口元を隠して、眉をひそめていた。あちこちでひそひそ声が聞こえてきた。


「……またですわね」

「ええ。エルシー・クイン様には非がない話ですのにね」

「いくら殿方から人気があっても、あのようなきつい性格では、ちょっと」


 声を落とした会話がしばらく続き、低いさざ波となって周囲に広がった。


 険悪な雰囲気のエルシーとサンドラのもとに、一人の紳士が割って入った。線の細い男だが、威圧感でまわりを従わせることに慣れているようで、ひそひそ話をしていた貴族たちをひと睨みで黙らせた。


「エルシー、裏方に徹すると言っていたのになぜ騒ぎを起こしているんだ?」

「オリバー・ネイヤー様」


 怒りを含んだ声でサンドラは言った。


 男は、ちらりとサンドラへ青い目を向けた。


「あなたもだ、マクナマラ侯爵令嬢。淑女が声を張り上げていい場ではない」


 サンドラは眉尻を吊り上げてオリバーをにらんだ。社交界の薔薇と呼ばれる彼女は、怒った顔も美しい。


「婚約者を伴わず別の方と茶会に出席するほうがおかしいでしょう!」


 だれもが思っていても口にはしないことを公然と口にしたことで、遠巻きにしていた人たちからかすかなどよめきが起こった。

 オリバーは顔色一つ変えず、平然と言い返した。


「我々は茶会に人を招く側なのだ。裏方の進行役を引き受けたのもエルシー自身だ。あなたがとやかく言うことではない」


 赤い唇をかみしめるサンドラに目もくれず、オリバーはエルシーの腕を掴んだ。


「行くぞ」 


 彼女をなかば引きずるようにして、オリバーは室内へ戻っていった。二人が向かった入り口には、扇子を口元にあてて立っている栗毛の女性の姿が見えた。


 サンドラは拳を震わせながら、二人が室内へ消えるのを見た後、足早に別の入り口から中へ入っていった。その後、さりげなく見物していた客たちも散り始めた。


「行こう、ロザンヌ」


 アドリアンに促されて、ロザンヌはゆっくりとその場に背を向けた。

 やがて茶会を辞し、馬車置き場へ向かいながら、ロザンヌは首を傾げた。

 エルシーは、ロザンヌからかなり離れたところにいた。それなのに、あの弱々しい声まで、一語一語はっきりと聞こえていた。それに――


「どうした?」


 ロザンヌの浮かない表情に目敏く気づいたアドリアンが歩みを止めた。


「……いえ」


 ロザンヌは軽く頭を振った。その動きに合わせて、彼女の鮮やかな赤い髪が揺れた。

 ロザンヌは小さく息を吐いた。彼に話すほどのことでもあるまい。


 アドリアンは気遣わしげにロザンヌを見た。


「そうかい? またへんな好奇心を持ったんじゃなければいいけど」


 アドリアンは琥珀色の瞳を細めて苦笑した。


「わたくし、そんなにお転婆ではございませんわよ?」

「どの口が言うかな」


 つんつん、とアドリアンがロザンヌの頬に指をあてた。


「全く同感でございます」


 ロザンヌの侍女、メリーが二人の間にすっと腕を入れてきた。


「うわ」


 アドリアンがのけぞったすきに、メリーはロザンヌを自分の背に隠した。


「お嬢様はお小さいころから好奇心の塊でございますが、アドリアン様も、ロザンヌ様に対しては好奇心旺盛のご様子。不肖メリーが公の場における適切な距離を設けさせていただく所存でございます」


 眼鏡をきらりと光らせ、メリーは綺麗な角度を保ったお辞儀をした。

 アドリアンは手のひらを彼女に向け、降参のポーズになった。

 ロザンヌはもう一度、苦笑した。


 三人が乗った帰りの馬車の中で、ひとしきり茶会で話題になった内容を語り合った。やがて車内に沈黙が落ち、心地よい疲れが忍び寄ったころ、ロザンヌは車窓の景色を眺めながら、先ほどの違和感を思い出していた。


 ――エルシー様のよく通る声と、遠くからでも一目でわかる悲しげな所作。対するサンドラ様の憤怒の形相。……まるで舞台を見ているようでしたわ。

 それが、エルシーとサンドラを知ったきっかけだった。


◇◇◇


 あの一幕で抱いた違和感は、一週間後の催しでも消えなかった。

 ロザンヌはアドリアンとバザー会場に着くなり、エルシーの姿を探した。きょろきょろしていると、さっそくアドリアンにたしなめられた。


「またなにかに首を突っ込もうとしている?」


 ロザンヌはすっと背筋を伸ばした。


「いえ。エルシー様を探しておりましたの」

「なぜ」

「……なんとなく?」


 悪気なく首をこてんと傾けるロザンヌに、アドリアンはため息をついた。


「それが首を突っ込むということだよ。……いいかい?」


 アドリアンはロザンヌの前にまわった。


「きみは、新聞社を経営する叔父上のロバート殿でも、新聞社の記者でもない。今日は調査に来たわけじゃないだろう? ふたりでバザーに貢献しつつ、デートを楽しむ日だ」


 アドリアンの琥珀色の目がロザンヌをじっとみつめた。いつ見てもきれいだけれど、陽の光の中で見るアドリアンの目は特に美しい、とロザンヌはいつも思う。うっとり見つめていると、アドリアンがすっと顔を寄せてきた。


「返事は?」


 不意打ちだった。美しい琥珀の瞳に、自分の驚いた顔が映っている。

 ロザンヌは息を呑み、頬に熱を覚えながら慌てて返事をした。


「承知いたしましたわ」


 途端に、アドリアンの表情が嬉しそうにはじけた。

 ロザンヌは改めてアドリアンの腕に手をかけ、機嫌のよさそうな微笑を湛えた彼のエスコートに身を委ねた。


 その微笑は、催しに参加していた年若い令嬢たちの目を引いた。頬を染めて、ちらりと振り返る令嬢がいることに、ロザンヌは気づいていたが、アドリアン本人はまったく気づいていない。


 顔が良く、柔らかな印象を与える伯爵令息である彼は、実は淑女たちから人気が高い。

 婚約したばかりのころは、ロザンヌに聞こえよがしに、気の強い彼女とアドリアンとでは不釣り合いだと口にする者もいた。


 アドリアンにさりげなく近づこうとする女性もいた。


 だが、アドリアンはそうした女性にも礼儀正しく一線を引き、決して靡かなかった。


 よりにもよって、ロザンヌの得意分野である噂で、ロザンヌを蹴落とそうとした令嬢たちもいた。

 ロザンヌは、そうした噂には噂で応じた。人を貶めるために噂を使えばどうなるか、本人にもわかるように。


 だが、噂は叩いても叩いても出てくるものだ。そこでロザンヌは、次に事実を突きつけることにした。

 アドリアンがいかにロザンヌを好きなのかが、誰の目にもわかるようにしたのだ。


 つまり、アドリアンに甘えて甘えて、甘えまくった。


 お茶会の席でも、一緒に昼間を散歩しているときでも、アドリアンがロザンヌに尽くす姿を見せたのだ。


「女性の尻に敷かれた殿方に魅力はないですわよね」と、アドリアンを狙っていた女性たちは、二人の様子を見て、一気に熱が冷めた。


 その間、ロザンヌにいつになく甘えられたアドリアンは、終始ご機嫌で過ごした。緩んだ顔のアドリアンは、友人たちから気味悪がられた。しばらくは友人たちにからかわれることになったが、アドリアンは気にしていなかったらしい。むしろ、


「婚約者の気持ちが自分に向いていないと、甘えてはこないものだ。お前たちはどうなんだ?」


 と、真剣な顔で問い返されたという逸話を、ロザンヌは自分の友人から聞かされた。


 昔の出来事を思い出しながら、ロザンヌはアドリアンに見とれる令嬢たちに、にっこりと微笑みかけて、その場を通り過ぎた。


 慈善会は王都のはずれに広い敷地を構えていた。その庭に、寄付された品物や会員たちから寄せられた手作りの小物や菓子類が白いクロスを掛けたテーブルに所狭しと並べられていた。

 それらを覗き込みながら歩いていると、目元にほくろのある栗毛の女性を伴って歩くオリバーに気づいた。


「エルシー様ではありませんのね」


 ロザンヌのつぶやきに、アドリアンは小声で返した。


「表向きは、亡くなった友人の未亡人を庇護していることになっている。だが、紳士の社交場では別の話が流れている」

「あら。お詳しいのですね」


 見上げたアドリアンの口元が歪んだ。


「紳士の社交場ではいやでもそういう話は流れてくるんだ。女性をトロフィー扱いする者は一定数いるから」

「ということは、オリバー様はエルシー様を大切になさっていないと?」


 うなずくアドリアンに、ロザンヌは顔を曇らせた。


「エルシー様もおつらいことでしょう」

「オリバー殿も考えなしの方ではない。ああやって」


 アドリアンはオリバーと栗毛の女性へ顎をしゃくった。


「人前では庇護者として節度ある態度を保ちながら、堂々と彼女を同伴して、……楽しんでいるというわけだ」


 最後の言葉で思い切り顔をしかめたアドリアンに、ロザンヌは小さく笑った。


「未亡人がエルシー嬢の姿を見ると睨みつけている。エルシー嬢は顔を伏せて見ないようにしている。そんな状況をオリバー殿はわかっているのに未亡人を窘めようとしない。エルシー嬢は肩身の狭い思いをしていると思うよ」


 アドリアンは不愉快そうに言った。


 オリバーのやっていることは不誠実極まりないとロザンヌは思った。アドリアンもまた、そのたぐいの不誠実さを最も嫌っている。長い婚約期間を通して、ロザンヌはそのことをよく知っていた。


 エルシーは小物売り場の売り子を一人でしていた。鼻の上に散ったそばかすは、よく言えば印象的で、ありていに言えばかなり目立った。そばかすから視線を逸らすための大きな黒ぶち眼鏡なのだろうが、ロザンヌには、そばかすも眼鏡もかえって悪目立ちしているように思えた。


 今日も彼女は飾り気のない髪形で、首まで覆う紺色のドレスを着ていた。化粧もほとんどしていないようだ。清楚ではあるが、下町のおしゃれな娘たちのほうがよほど装いがこなれているようだとロザンヌは思った。


 控えめな微笑で客に応対する今日の彼女は、先日、肩を震わせていた気弱な姿とは異なり、どこか知的に見えた。

 ロザンヌは首を傾げた。


「どうしたんだい」

「……いえ」


 ロザンヌはアドリアンの腕を引き、次の催しのテーブルへと移っていった。


◇◇◇


 エルシー・クインがあのバザーの日を境に失踪したと聞いたとき、ロザンヌが最初に思い出したのは、あの茶会の一幕だった。


 エルシーは、ロザンヌからかなり離れたところにいた。それなのに、あの弱々しい声まで、一語一語はっきりと聞き取れた。それだけではない。遠くからでも一目でわかるほど、彼女の所作は悲しげだった。


 ――まるで舞台を見ているようでしたわ。


 あのとき抱いた違和感が、再びロザンヌの胸に浮かび上がった。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。よかったら、評価をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。