第十一章 偽物だと知る者 ①
出発を前に、レマー新聞社の裏手には、新たに二台の馬車が用意されていた。
ロバートはまず、捕らえた男に受け渡しの手順と、合図が聞こえたらその場に伏せることを言い含め、治安部員の一人に見張らせた。それから、男に声が届かない場所へ同行者を集め、現場での段取りを説明した。
「偽書類には、慈善会の会計処理を知る者だけが気づく不整合を一か所入れてある。相手が書類入れを受け取り、中身を確認するまで動かないこと。ホーソーン殿と治安部の人には通用門と慈善会裏手の退路を塞げる位置についていただく。エドガーと社員のネイトは左右の路地を押さえる。ハンスは一番近くの暗がりに身を隠し、相手が中身を確認したところで、合図の鳥の声を短く二度鳴らす。私は包囲全体を見渡せる位置で指揮する。以上だ」
ロバートが全員を見回した。その場にいた全員がうなずいた。
エルシーとメリーは安全な保護場所に残り、セシリアとマイクは警護の者とともに新聞社に残ることになっていた。現場で起きたことは、戻ってからロバートが話す。マイクの両親との約束がある以上、今回ばかりは連れていけなかった。
二台のうち一台は王都治安部が用意した、外見は貨物馬車にしか見えない監視用の馬車だった。
アドリアンは、ロザンヌ、ロバート、ホーソーンとともに監視用の馬車へ乗り込んだ。囮に使う偽書類入りの革の書類入れは、もう一台に乗ったハンスが預かっていた。
揺れる馬車の中で、ロバートは再三、ロザンヌに言い聞かせた。
「いいか、ロザンヌはアドリアン君と、なにが起きても、合図があるまでここにいるんだぞ」
ロザンヌは不満そうにしながらも、そのたびに素直にうなずいた。
やがて二台の馬車が慈善会近くで止まった。そこでまた同じことを言われ、ロザンヌは棘のある声で言い返した。
「すでにお約束いたしましたわ。わたくしは一度したお約束を違えません」
そっぽを向くロザンヌに、ロバートは苦笑した。
「違反すれすれの守り方しかしていないロザンヌの言葉には信用が置けないからな」
ロバートはロザンヌの頭をポンポンと叩いた。
「今度は僕もいっしょに乗っていますから、飛び出しそうになったら押さえます」
アドリアンがとりなすように言った。
「きみを信じるよ」
「わたくしは?」
むくれるロザンヌに曖昧な笑顔を見せ、ロバートはホーソーンとともに馬車を降り、扉を閉めた。
もう一台からは、ハンス、エドガー、ネイトと治安部員たちが降り、打ち合わせどおりの位置へ散っていった。
捕らえた男も馬車から降り、縄で縛られていた手首をハンスに解かれた。腕をさする男に、ハンスは偽の書類を入れた革の書類入れを持たせ、慈善会裏手の通用門の前に立つよう促した。
ハンスは男の傷めた肩をさりげなく撫で、その目をじっと見た。男が恐怖に顔を引きつらせるのを見ると、周囲に人影がないかを確認し、男から最も近い暗がりへ溶け込んでいった。男は顔をこわばらせ、口を強く引き結び、通用門を睨みつけた。
やがて、完全に日が落ちて、あたりは暗闇に包まれた。
捕らえた男は書類入れを抱えたまま、じっと通用門の前に立っていた。しきりに血走った目を周囲へ向けては、一歩前へ足を出し、また様子をうかがって別の方向へ足を出していた。逃げ出したくてもハンスが近くにいるとわかっているので身動きが取れないのだろう。
「余計なことを考えなければ少しは楽でしょうに」
ロザンヌは小声でつぶやいた。
「緊張感に押しつぶされて叫び出されるよりはましだろう」
ロザンヌの横で一緒に小さな窓から外の様子をうかがっていたアドリアンが答えた。
「もう約束の時刻から半刻が過ぎようとしているのに、まだ出てこないんだ。緊張感も最大になっているはずだ」
「それはそうですわね……」
言いかけて、ロザンヌはぴったりとくっついているアドリアンの袖を掴んで引っ張った。
「……今、慈善会の二階の端の窓に灯りが入りましたのに、すぐに消えてしまいましたわ」
アドリアンも確認しようとしたが、外はすでに暗く、二階の端の窓を目視しにくい状態だった。
「じれったいですわね」
ロザンヌは親指の爪を噛んだ。
「こらこら、爪の噛み跡をメリーに見られたらまたお説教されるよ」
アドリアンはロザンヌの手を包み込み、そっと口元から遠ざけた。
「そうでしたわね」
ロザンヌは馬車の中を見回し、いるはずのないメリーの姿を求めてしまい、そのことに気づいた後で心のどこかが欠けたような気持ちになった。アドリアンのぬくもりを感じる自分の手に目を向けると、彼の手の甲に、赤く腫れた傷が走っていた。
「やっぱり、包帯をしたほうがよろしかったのではないかしら」
「この程度で包帯をして帰宅したら父上だけでなく、母上にも軟弱者扱いされるよ」
「……騎士をご先祖に持つルメール家の考え方を、もっと学ばねばなりませんわね。今度、おばさまにお伺いしてみようかしら」
「母が勝ち誇った顔を僕と父に見せながら、これみよがしにきみを独占するのが目に浮かぶよ」
頬をほんのり染めたロザンヌは、照れを隠そうと馬車の小窓に目を向けた。
アドリアンは握っていたロザンヌの手に軽くキスを落とそうと頭を傾けたところで、ロザンヌに手を引っ張られた。
油断していたアドリアンの体がぐらりと揺れ、ロザンヌの肩に鼻をぶつけた。
「ごめ……」
「来ましたわ! 通用門が内側から開きました!」
興奮を押し殺した声のロザンヌは、どうやらアドリアンがぶつかったことに気づいていないらしい。アドリアンは鼻をさすりながらロザンヌの横から窓を覗いた。
細く開かれた通用門から、帽子を目深に被り、外套の襟を立てた男が姿を現した。
受取人は捕らえた男へ声をかけた。
「余計なものには手を出していないだろうな」
捕らえた男は打ち合わせどおりに答えた。
「女には逃げられたが、書類は取ってきたぜ」
捕らえた男は革の書類入れを見せびらかすように顔の前で振って見せた。
通用門から出てきた受取人は、用心深く周囲を見回した。
その後、受取人は書類入れに手を伸ばした。
捕らえた男は、その手に届くように書類入れを差し出した。
受取人は外套の内側から小型のランタンを取り出し、遮光板をわずかに開いた。細い光の中で留め金を外し、書類を数枚めくる。
中には、実在する配布先や物資の数量を組み替えて作った、もっともらしい一覧が入っていた。ただし一か所だけ、慈善会の会計処理に通じた者なら、あり得ないと気づく数字の組み合わせが仕込まれていた。
受取人は捕らえた男に叫んだ。
「これは偽物だ!」
その瞬間、鳥の鳴き声が短く二度、暗闇に響いた。
受取人は小型のランタンを取り落とし、書類入れを抱えたまま通用門へ逃げ込もうと身をひるがえした。
捕らえた男は言われた通りに、すぐにその場に伏せた。
石畳を走る複数の靴音があたりに響く。
通用門の前に、ホーソーンとその部下が現れた。受取人を囲むように次々とホーソーンの部下が姿を現した。
受取人は脇道に逃げようと体を向けたが、自分をにらみつける男たちに気づき、あとずさった。
受取人は完全に包囲されていた。
「押さえろ」
ホーソーンの一言で、横にいた部下が一歩踏み込んだ。
受取人は叫び声を上げながら、書類入れを振り回して逃げようとした。
ハンスは振り回される書類入れから身をかわして受取人の懐に入ると、受取人の手を押さえて背中側にねじり上げた。
受取人は悲鳴を上げて書類入れを手放した。書類入れが地面に落ちる音がした。
受取人は苦痛に身をよじり、膝を曲げ、崩れるように地面にへたり込んだ。
受取人が取り押さえられたのを確認し、ロバートも暗がりから姿を現した。
「取り押さえたようだ。行こう」
アドリアンはつぶやくと、ロザンヌの手を取った。ロザンヌはうなずいて、アドリアンとともに馬車を降りた。
ホーソーンがランタンの光を受取人に当てた。部下が受取人の帽子をはぎ取り、顔をその光へ向けさせた。
「何をする! 私が何をしたというんだ! 放せ!」
受取人が叫んだ。
「この男だ! 声に聞き覚えがある! おれたちに金を渡したのはこの男だ!」
石畳から身を起こし、捕らえた男は指をさしながら叫んだ。
「何の話だ! 私はそこの男のことなど知らない」
「昼間は眼鏡をかけていたけど、同じ声だ」
「言いがかりだ」
押し問答を始めた二人の近くで、衣擦れの音がした。二人が顔を向けた先にいたのは、アドリアンにエスコートされたロザンヌだった。
「フォルティ様ですわね」
静かな声だった。
「レマー伯爵令嬢……」
フォルティの顔が引きつった。
「こんなところに……」
「フォルティ様は、こちらでなにを?」
フォルティは口元に愛想笑いを浮かべ、目を細めた。
「私は忘れ物を取りにきただけです。そこに不審な男がいたので、事情を聞こうとしたところです」
ロザンヌは扇子を広げて口元を隠し、フォルティをじろりと見た。
「ではなぜ、中身をご覧になっただけで、偽物だとおわかりになりましたの?」
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