第十章 届かなかった手紙と、焼けた帳簿 ⑥
ロバートは眉を上げた。
「ほう? また玄人好みなところに……。で、事務室のどこに?」
「通常の支払い証書に紛れ込ませてあります」
「その内容は?」
「オリバー様へ渡した金額と慈善会の支出を対応させる控えと、横流し先へ物資を渡した際の受領記録、それに、オリバー様の指定した引き取り先を示す走り書きです」
「うまいな」
ロバートの目が光った。
「そこに入れておいてもじっくり見ない限りわからないだろう」
「今のところ、安全ということですかね」
マイクがセシリアの言葉をメモしながらつぶやいた。
「今のところ安全だとしても、襲撃が失敗したと知れば処分されるかもしれない。治安部の人間が来たら、今夜中に確保する手立てを相談しよう。隠し場所を正確に書いてくれ」
セシリアはマイクがメモを取りやすいように、丁寧に説明した。
会話を聞きながらじっと指示書を見つめていたロザンヌが、不意に声を上げた。
「そうですわ!」
目を輝かせたロザンヌは、ロバートへ顔を向けた。
「この指示書の中の、『書類入れは慈善会裏手の通用門へ運ぶこと』は、使えますわ!」
声を弾ませたロザンヌに、ロバートとアドリアンは同時に苦い顔になった。ロザンヌが何かを思いついて目を輝かせるときは、たいていお転婆をしようという時だと、身にしみてわかっている。
「一応、話を聞こうか」
ロバートは嫌そうに言った。
「相手は、まだ書類入れが奪われなかったことを知らないかもしれませんわ」
アドリアンは膝を打った。
「受取に来る者を確かめるつもりか」
ロバートが厳しい顔になった。
「ロザンヌ。自分で持っていくというつもりなら、認めんぞ」
ロバートの言葉に、ロザンヌはむっとした。
「まだ何も申し上げておりませんのに」
「顔に書いてある」
マイクはロザンヌが持っていた指示書を覗き込んでつぶやいた。
「……これ、受け渡しの時刻が書いてありません」
ロバートとロザンヌとアドリアンは互いの顔を見合わせた。
「ハンスに聞き出させろ」
ロバートの言葉を受けて、マイクは部屋を走って出ていった。バタバタと階段を駆け下りる足音が遠ざかった。
静けさが降りた部屋の中で、ロザンヌたちはじりじりとしながらマイクの帰りを待った。
ほどなくして、マイクは戻ってきた。扉を開け、焦った声で伝えた。
「日が完全に暮れてから半刻以内に持ってこいと言われたそうです。通用門の脇へ立てば、向こうから声をかける、と」
ロザンヌは窓に目を向けた。
窓の外は、茜色に染まりつつあった。
「時間がありませんわ」
同じく窓へ顔を向けていたロバートは、口元を引き結んだ。
「捕らえた男を使う」
「囮にするのですか」
「協力を頼む。強制はしない。応じるなら、襲撃への関与と、こちらに協力した事実を当局へ正確に伝える」
ロバートは席を立った。
「私が男に交渉する」
「僕も行きます」
「わたくしも」
ロバートはセシリアへ目を向けた。
「あなたはここで待っていなさい。足を休めることだ。女性社員を一人ここへ入れておくから、何かあれば彼女に言いなさい」
「承知しました」
セシリアは神妙にうなずいた。
ロバートたちは階段を降りて、社屋の一室へ向かう途中、廊下ですれ違った社員に女性社員を自分の居住階へ向かわせるように伝えた。
その後、廊下と階段をしばらく歩いて着いた先には、戸口の前に馭者の男が立っていた。
中は窓のない狭い部屋だった。
少し間を開けて、ハンスと捕らえた男が椅子に腰かけていた。男は足元にも縄を打たれ、歩けないようにされていた。
ロバートは無表情のまま、男の前に立って見下ろした。
男はロバートの冷たい目を見て、怯んだ。
「きみにやってもらいたいことがある。協力すれば、襲撃への関与と、こちらに協力した事実を当局へ正確に伝える。どうだ?」
男は疑い深そうにロバートを見た。
「本当に?」
ロバートはうなずいた。
「私は新聞社の社長だ。嘘を最も嫌う」
「……なにをすればいいんだ」
ロバートは男の目を見ながら話し始めた。
「偽の書類が入った革の書類入れを持って、指定時刻に慈善会裏手の通用門へ行け。そこで受け取りにきた者へ渡すんだ。余計なことは話すな。それから、これが一番肝心だが」
ロバートはちらりとハンスを見て、また男に向き直った。
「なんです」
男は不安そうな顔をした。
「命が惜しければ、鳥の声を短く二度聞いたら、その場に伏せろ」
男はごくりと唾を飲んだ。
「やるか?」
ロバートが重ねて聞くと、男は口を引き結んだ。
「……やる。俺は生きて帰らなきゃなんねえんだ」
「事情は今は聞かない。生きて帰りたいという、その言葉を信じよう」
そこへ、扉を叩く音がした。
ロバートが外に顔を出すと、馭者が小声で伝えた。
「王都治安部の方々が到着したそうです」
「わかった。私の居室へ案内するように伝えてくれ。それからハンスを連れていく。社員を戸口に立たせるから、きみがこの男を見張っていてくれ」
「わかりました」
馭者の男はうなずいて、部屋に入った。
代わりにハンスが外に出て、ロバートたちとともに移動を始めた。ロバートは同じ階の廊下の見張りに立っていた社員に声をかけ、戸口の見張りを命じた。
居住室の前には、肉付きの良い中年男性と、二人の治安部員が立っていた。中年男性は、目尻の深いしわと細目から、物腰が柔らかそうな印象を与えた。
ロバートは三人に丁寧なあいさつをして、中へ招き入れた。
セシリアの横にふっくらとした、いかにもお母さんというような女性が、赤くなっていたセシリアの足に軟膏をすり込んでいた。
「こうしておけば、赤みが早くひいていきますよ」
女性は軟膏の蓋を締めながらセシリアに笑顔を向けた。
「ありがとうございます」
セシリアは頭を下げた。
「では、わたしはこれで」
「助かったよ」
ロバートの言葉に、女性社員は軽く頭を下げると、部屋を出て行った。
扉が閉まったところで、ロバートは新たな訪問者に向き直った。
ロバートは自身と、ロザンヌたちを軽く紹介した。
「私はホーソーンと申します。おおよその状況は把握しましたが、慈善会絡みだとは……。もう少し詳しく聞きたいですな」
「もちろんです」
ロザンヌたちが席に着いたところで、ロバートはこれまでに判明したことの説明を始めた。続いて、受取人を現場で押さえ、その後、慈善会の事務室に残る証拠を確保する計画を話した。
受取人が革の書類入れを手に取るまで待つこと。
ハンスが鳥の声で合図すると、捕らえた男はその場に伏せることになっていること。
ホーソーンたちには受取人を包囲してもらいたいこと。
受取人が慈善会へ入ろうとした場合は、単独で追わず退路を塞ぐこと。
受取人を押さえたあと、事務室に残る証拠も確保したいこと。
「……それで、包囲に私も加わってほしいと」
ロバートは続けて説明した。
「元軍人のハンスと、その元同僚で現在は馭者をしているエドガー、それにうちの社員を一人配置します。ホーソーン殿にも加わっていただきたい」
「わたくしも参りますわ」
ロザンヌの言葉に、ホーソーンを含め、全員がぎょっとした。
「だめだ!」
ロバートとアドリアンとマイクがほぼ同時に叫んだ。
ホーソーンも当然というようにうなずいている。
ロザンヌは不満そうにアドリアンたちを見た。
ロザンヌが口を開きかけたところで、アドリアンが柔らかく、しかし、きっぱりとした声で言った。
「今度は、馬車からでなければいいという話ではないよ」
ロザンヌは食い下がった。
「では、離れた場所から」
ホーソーンが首を振った。
「万が一の時は、ご令嬢が我々の弱点になり得るのですよ」
ロバートが悔しそうな顔をした。
「それが、そうでもないから憎らしい」
「というと?」
ホーソーンは驚いた顔を向けた。
「この子には、優れた観察力がある。それが必要になる可能性は十分にある」
ロバートは頭を掻きむしった。
「ロザンヌ。現場に連れていく代わりの条件がある」
「なんでしょう」
ロザンヌは前のめりでロバートを見た。
「こちらが指定した待機場所より、現場に近づくな。アドリアン君と一緒に、慈善会を見渡せる別の建物か、馬車の中で待機。合図があるまで動くな。できるな?」
「承知いたしました!」
横で額に手を当ててため息をつくアドリアンには目もくれず、ロザンヌは目を輝かせて胸の前で両手を握った。
「甘い……ロバート殿も結局、ロザンヌに甘い……」
アドリアンのつぶやきを、ロバートは聞かなかったふりをして、セシリアへ向いた。
「あなたには、新聞社に残ってもらいます。あなたは顔を知られている。罠だと知らせることになりかねない」
「承知しました」
セシリアは静かにうなずいた。
ロバートはアドリアンに目を向けると、柔らかな声で言った。
「ロザンヌのことはきみにしか頼めない。今度こそ、ロザンヌを危険へ近づけないでくれ」
顔をこわばらせたアドリアンの肩が、小さく揺れた。
「アドリアン様は、きちんとわたくしをお守りくださいましたわ」
ロザンヌの抗議に、アドリアンは首を振った。
「きみの袖が破れている時点で、胸を張って同意はできないんだよ」
ロザンヌは自分の破れた袖を見た。
「これは自分の不注意でしたのに……。でしたら、着替えてまいります」
「問題は服じゃない」
「でも、このままでは目立ちますし、アドリアン様もずっと気にされるでしょう?」
アドリアンは天井を仰いだ。
ロバートはため息交じりにロザンヌに言った。
「着替えなら隣の部屋のクローゼットにある。着替えた後はアドリアン君のそばから離れるなよ」
隣室は、ロザンヌの家族がいつ訪れても泊まれるように用意されていた。
「それでしたら、喜んでお約束いたしますわ」
即答するロザンヌに、アドリアンは小さく笑った。
「その約束だけは、ずいぶん素直だね」
「わたくしはいつも素直ですわよ?」
ロザンヌはすました顔で答え、さっそく隣室へ向かった。
着替えを済ませて隣室から出ると、アドリアンが扉のすぐそばに立っていた。
「本当に、ここでお待ちになっていたの?」
「そばから離れないと約束したのは、きみの方だろう」
ロザンヌは笑いかけたが、彼の右手を見て表情を変えた。手の甲が赤く腫れ、指の付け根には擦り傷ができている。
「お怪我をしているではありませんか」
「これくらいは怪我に入らないよ」
「わたくしの袖の破れを怪我に数えた方のお言葉とは思えませんわ。こちらへ」
ロザンヌは隣室にアドリアンを招き入れた。
アドリアンは苦笑して、扉を開けたまま中に入った。
「消毒しておきましょう」
ロザンヌは棚の扉を開けて、中から手当て道具の入った箱を取り出した。ソファに座るアドリアンの手を取り、消毒液を含ませた布を傷口へ近づけた。その布が小さく揺れているのを見て、アドリアンは息を呑んだ。
「手が震えている」
「……今ごろになって、少し怖くなってまいりましたの」
「僕もだよ」
「アドリアン様も?」
「扉の向こうからきみの声が聞こえたのに、すぐにそばへ行けなかった。あのときは、本当に怖かった」
「それでも、セシリア様を放すことはできませんでしたわ」
「わかっているよ。きみがそういう人だと知っているから、怒りきれないんだ」
アドリアンは困ったような顔で微笑を浮かべた。
ロザンヌはうつむいたまま傷口を丁寧に拭い、消毒を終えた。
「アドリアン様は、いつもわたくしを守ろうとなさいますでしょう?」
「もちろん」
「でしたら、わたくしにも、ときどきお守りさせてくださいませ。お心くらいなら、わたくしにも守れますわ」
アドリアンは手当てを終えた右手で、ロザンヌの手をそっと包んだ。
「それは、とても心強いね」
二人がロバートたちの部屋に戻ったとき、窓の外へ目を向けていたホーソーンが言った。
「そろそろ、日が暮れる」
窓から見える空は暗くなり始めていた。
マイクが貸家で詰めた紙束はすでに取り出され、代わりに、慈善会の記録に似せて作った偽の書類が収められていた。ロバートは偽の書類が入っていることを確かめると、革の書類入れの留め金を掛けた。
「待っている者に届けてやろうか」
書類入れを手にロバートが言うと、
「中身ではなく、わたくしたちをお迎えいただくことになりますけれどね」
と、ロザンヌが返した。
「今度は相手が驚く番だ」
アドリアンはロザンヌの手を握りながら言った。
ロバートは書類入れをハンスへ差し出した。
口元を固く結んだハンスは、大きな手で書類入れをしっかりと握った。
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