第十章 届かなかった手紙と、焼けた帳簿 ②
先ほどまで事務的に答えていた声が、微かに揺れていた。
エルシーが戸惑いながら、質問した。
「お姉様?」
「……姉は、オリバー様を信じていたのです」
ロザンヌは、セシリアが何を言おうとしているのか察した。エルシーも、セシリアの一言で何かを察したのだろう、顔をわずかに歪ませた。
セシリアが唇を震わせながら語った。
「姉は、オリバー様を信じ、将来を思い描いていました。オリバー様も姉の気持ちを受け入れているように振舞っていたと姉は言っていました。しばらくの間、姉は幸せそうでした。けれど、オリバー様は姉が不要になると、あっさり捨てました。姉にとっては人生のすべてが崩れるほどのことだったのに、オリバー様にとっては、終わった話でしかなかった」
セシリアはそこまで語ると、唇を噛んだ。
「それで、お姉様は……」
エルシーの問いに、セシリアは俯いたまま答えた。
「亡くなりました。あの方は、失意のうちに姉が亡くなったことさえ、気に留めていないでしょうね」
口元をゆがめながら答えたセシリアに、ロザンヌが質問した。
「それで、オリバー様に近づいたのですか」
セシリアはうなずいた。
「あの方がなにを欲しがっているのか、調べました」
「……お金、ですわね」
「ただのお金ではありません。投資に使い、自分の才覚を世間へ示すためのお金です。私はその虚栄心を利用しようと計画を立てました」
「それで、オリバー殿の欲につけ込んだのか」
アドリアンの表情が険しくなった。
「私は、慈善会の台帳には、少しくらいの不一致があっても気づかれないと話しました」
「あなたから持ちかけたのね」
エルシーの言葉に、セシリアはうなずいた。
エルシーの顔が厳しい表情に変わった。
「オリバー様を罠にかけようとしたというの?」
「機会を差し出しました。手を伸ばしたのは、オリバー様です」
ロザンヌは眉をひそめた。
「機会を差し出すために、慈善会のお金を使ったのですね」
ロザンヌの言葉に、セシリアは一瞬詰まった。
「……はい。ですが」
セシリアは早口で言い訳を始めた。
「はじめから大きな横流しを提案したわけではありません。最初は、荷馬車一台分でした。三台使ったことにして、二台分だけを運送業者へ払う。残った分を投資に使えると話しました」
「オリバー様は、なにも尋ねなかったのですか?」
ロザンヌの質問に、セシリアは首を振った。
「もちろん聞かれました。『記録は残らないか』と言われたので、『三台分を受け取った署名は私がします』と答えました」
「聞かれたのはそれだけですの?」
「いいえ。私が署名すると言ったら、『疑われるのはお前だろう』と言われたので、『そうなります』と答えました。そうしたら、『それならやってみろ』と」
セシリアは淡々と語り始めた。
架空の運搬費、存在しない配布先、そして、寄付品の毛布や小麦粉、薬品へと広がっていったこと。すべてが、ロザンヌの調べた内容と一致していた。
「オリバー様が引き取り先を用意して、私が西区第三臨時救護所の責任者代理へ渡した、と記録することになりました」
「では、横流しされた寄付品はすべて、オリバー様が用意した相手へ渡ったのですか」
「そうです」
セシリアの言葉を聞いて、ロザンヌが質問した。
「では、『受取人、現れず』と書いた箇所を、『責任者代理受領』へ変更したのは?」
「私がやりました」
エルシーが顔色を変えた。
「やはり、あなたが」
「はい」
アドリアンが最も重要な点を尋ねた。
「あなたは、いつまで続けるつもりだった?」
「オリバー様が、自分の意思で慈善会のお金を受け取ったと証明できるまでです」
即答だった。
「そのために、不正を繰り返したのか」
厳しい声で問うアドリアンに、セシリアは顎を上げ、張りつめた声で答えた。
「一度だけでは、私の証言を否定されます。ですから、あの方が何度も利益を受け取った記録を残しました」
マイクがメモをめくりながら質問した。
「その記録は、今どこにありますか」
「安全な場所に隠してあります」
「ここですか」
「一部は」
エルシーは非難を込めた目でセシリアを見た。
「お姉様のことはお気の毒だと思うわ。けれど、慈善会のお金も物資も、あなたが復讐に使っていいものではないでしょう」
セシリアはしばらく黙っていた。やがて、また俯いた。
「わかっています」
小さな声だった。エルシーは容赦なく、言葉を継いだ。
「わかっていながら、続けたのね」
「はい」
「私を閉じ込めたことも、オリバー様を捕まえるためなら許されると思ったの?」
「……いいえ」
「なら、なぜ」
セシリアは顔をあげてエルシーをまっすぐ見た。
「今告発されれば、オリバー様は逃げる。罪を負うのはわたしだけになると思ったからです」
二人の視線が交差した。
部屋に沈黙が下りた。
「……セシリア様は、オリバー様に利用されて不正へ加わったのではございませんのね」
ロザンヌの言葉に、セシリアは体を揺らした。
「はい」
「ご自分から不正を持ちかけ、慈善会の金や物資を渡し、その証拠を残した」
「その通りです」
「そして、証拠をそろえるまで告発させないために、エルシー様をここへ閉じ込めた」
セシリアはすぐには答えなかった。
「……はい」
アドリアンが続けた。
「そこまで証拠を残していたなら、エルシー嬢が告発しようとしたとき、オリバー殿の名を明かせばよかったのではないか」
セシリアの纏う雰囲気が、固くなった。目をさまよわせ、口を開けかけては閉じ、また開くと、小さく息を吐いた。
「あのときは、オリバー様を捕まえる証拠だけがあればよいと思っていました」
「あのときは?」
「はい」
セシリアは戸口の外を気づかわしげに見た。
「ですが、今は違います」
「なにが違うのですの?」
「オリバー様は、一人ではないかもしれません」
ロザンヌは眉をひそめた。
「共犯者がいるということですの?」
セシリアはうなずいた。
「はい。慈善会の中に、オリバー様へ私たちの動きを知らせている者がいるのではないかと、疑っています」
「なぜ、そう思ったのですの?」
セシリアはロザンヌへ顔を向けた。その顔には、ありありと焦燥感が現れていた。
「昨日、皆様が慈善会で運搬費についてお調べになったあと、私はオリバー様へ手紙を送りました」
「手紙を?」
「はい。アドリアン様たちが過去の運搬記録を調べていること、運送業者まで調べられれば不正が明らかになるかもしれないことをお知らせしました」
アドリアンが眉を寄せた。
「では、タイラー運送が襲われたのは、その手紙を読んだからではないのか?」
「私も、最初はそう思いました。ですが」
セシリアは膝の上で手を握りしめた。
「今朝、慈善会へ向かう前にオリバー様のお屋敷へ寄りました。昨夜お送りした手紙について確認したかったのです。ところが、オリバー様は昨夜から一度もお戻りになっていないと聞きました」
「では、手紙をご覧になっていない?」
「少なくとも、屋敷では受け取っていません。もちろん、屋敷の者が別の場所へ届けた可能性はあります。ですから、絶対に読んでいないとは言えません」
セシリアは一度言葉を切った。
「そのあと慈善会へ向かう途中で、タイラー運送が火事と強盗に遭ったと知りました。そのときは、不正と関係があるのかまではわかりませんでした」
話しながら俯いていったセシリアは、そこで顔を上げた。
「けれど、今日の面会で、昨夜アドリアン様がタイラー運送から、実際に使った荷馬車は二台だったという証明書を得ていたことを知りました。その直後に、タイラー運送が襲われたことになります。偶然とは思えませんでした」
マイクがペンを頬に当てながら質問した。
「ですが、それだけでは、慈善会内部から情報が漏れたとは言えませんね」
「ええ。手紙が屋敷からオリバー様へ届けられた可能性もあります。ですが、もし手紙が届いていないのだとしたら、私とは別に、皆様の調査を知らせた者がいることになります」
セシリアは唇を引き結んだ。
「そして今日、フォルティ様は、アドリアン様が運搬費について私に尋ねると知ると、突然、自分も同席すると言い出しました」
「タイラー運送の証明書を見ても、驚かなかったね」
アドリアンの言葉に、セシリアはうなずいた。
「はい。証明書の内容よりも、私が何を答えるのかを気にしているように見えました。残る一台分の行方を私が話すことを、警戒しているように」
「あなたの説明を聞いているというより、監視していたようだった、ということですの?」
ロザンヌの言葉に、セシリアの表情が強張った。
「そう感じました」
アドリアンが表情を引き締めた。
「確かに、フォルティ氏は証明書の内容より、きみの返答を気にしているように見えた。だが、それだけで彼が襲撃に関わったとは言えない」
「タイラー運送での聞き込みを、別の誰かに見られていた可能性もございますわ」
ロザンヌの言葉に、セシリアは小さくうなずいた。
「わかっています。ですから、フォルティ様が襲撃を命じたと断定するつもりはありません。ですが、あの場でオリバー様の名を出せば、すぐに知らせが届くような気がしたのです」
「だから、残る一台分を誰へ渡したのか答えなかったと?」
「はい」
ロザンヌはポケットから、清掃の女性から受け取った紙片を取り出した。
「それで、これを?」
セシリアはうなずいた。
「フォルティ様の前では、何もお話しできませんでした。けれど、このまま皆様を帰せば、次に会える保証もありません」
「それでエルシー様の居場所を守るため、慈善会の者には知らせず、ロザンヌ様とアドリアン様のお二人だけを指定したのですね」
マイクが不満そうに言った。
「それで僕たちは置いて行かれて焦りに焦りましたよ」
ちょうどそこへ、人数分のカップを盆にのせたメリーが戻ってきた。
「私はお嬢様をおひとりで行かせるつもりなどございませんでしたけれど。とりあえず、皆様、続きは腰を下ろしてからにしてはいかがでしょうか」
「椅子が足りないわ」
エルシーが残念そうに言った。
「でしたら、少々お行儀が悪いですが、寝台を椅子がわりにいたしましょう」
「テーブルは僕とマイクで移動させよう」
「……本腰をすえて、お話することになりそうですわね」
ロザンヌは開けっ放しの扉を閉めてから、皆が向かった寝室へ入っていった。
寝室にはランプが用意されていた。それを運んできたテーブルの中央に置き、寝台には、エルシーとセシリアが少し間を空けて座った。マイクとアドリアンは、それぞれ手近な箱を椅子代わりにした。残った二脚の椅子には、ロザンヌとメリーが腰を下ろした。
全員にカップがいきわたったところで、アドリアンが口を開いた。
「ところで、フォルティ氏がオリバー殿へ情報を渡したという証拠はまだないのでは?」
セシリアは紅茶を一口飲んでから、答えた。
「そうです」
「彼が運送会社襲撃に関わった証拠もない」
「……ありません」
セシリアは口元をきゅっと窄めた。
「手紙が屋敷からオリバー殿へ伝わった可能性は残る。だが、それとは別に、慈善会内部から調査が漏れた可能性も無視できない」
「そう考えています」
紅茶を一口飲んだロザンヌは、セシリアに質問した。
「フォルティ様は、エルシー様がここにいらっしゃることをご存じではありませんわね」
「ええ、知らないはずです」
「この部屋については?」
「それも、誰にも話していません」
アドリアンは眉を寄せた。
「だとすれば、慈善会内部の者というだけでは、この貸家の場所まで知ることはできない。オリバー殿がかかわったという記録がここにあることもだ」
「セシリア様が以前から見張られていたか、あとをつけられていた可能性がありますわね」
ロザンヌの言葉に、セシリアは青ざめた。
「……気づきませんでした」
エルシーは横に座るセシリアを見た。
「では、私をここへ閉じ込めたことも、フォルティ様は知らないのね」
セシリアはエルシーを見ることなく、俯いて答えた。
「はい。あなたのことは、私一人で決めました」
怒りの表情のまま、エルシーはセシリアの横顔を睨んだ。
マイクは二人を見ながら、質問をした。
「セシリア嬢は、ここには証拠の一部があるとおっしゃいましたよね」
セシリアは少しだけ顔を上げた。
「ええ。あります」
セシリアは立ち上がり、寝室の横にある奥の部屋へ向かおうとした。
「僕も行こう」
アドリアンがさっと立ち上がった。
「一人では行かせられない」
セシリアはちらりとアドリアンを見た。
「いまさら逃げるつもりはありません」
「それを判断するのは、話を聞き終えたあとだよ」
ロザンヌはメリーに目配せをして、席を立った。
「わたくしもまいりますわ」
「僕も」
マイクとメリーが同時に腰を上げた。ロザンヌはまた視線でメリーに合図を送ると、メリーはしぶしぶながら、心得たというふうにうなずき、エルシーのそばに残った。
奥の部屋の隅に、小さな旅行用の木箱があった。
箱には衣類しか入っていないように見えた。
セシリアが衣類をかき分け、底に手をかけると、かちりと音がした。
「二重底ですのね」
セシリアが引っ張り出したのは、革の書類入れだった。
「ずいぶん使い込まれた書類入れですわね」
「姉から就職祝いにもらったものなのです。職場でもずっと使っていました」
セシリアは革の表面をそっと撫でた。
「大切な書類を持ち歩くときは、いつもこれを使っていました」
書類入れをそばの小さなテーブルに置いたセシリアは、アドリアンに目を向けた。
「どうぞ、ご覧になってください」
アドリアンは書類入れを開け、中にあった紙束をすべて取り出した。
アドリアンは奥の部屋にあったランプへ火を入れ、紙を一枚ずつ検めていった。
オリバーから届いた短い手紙。セシリアが日付と金額を並べた一覧。横流しされた物資の数量と、引き取り先を記した覚え書き。
いずれも丁寧に日付順にそろえられていた。
マイクがざっと見てつぶやいた。
「手紙の筆跡はすべて同じに見えますね」
セシリアはうなずいた。
「オリバー様からの手紙は、あの方の筆跡です。それ以外は、私が記しました」
「署名は?」
「手紙の一部にあります」
マイクは数通の手紙を何度も見比べながら唸った。
「この手紙だけでは、慈善会のお金を受け取ったとは断定できませんね」
苦しそうな表情を浮かべたセシリアがうなずいた。
「わかっています」
「ですが、台帳の支出日、あなたの記録、オリバー様の手紙の日付を重ねれば、お金の動きは追えるかもしれませんわね」
ロザンヌの言葉に、アドリアンは相槌を打った。
「タイラー運送の証明書もある。実際に使った荷馬車が二台だったことは、外部の記録で証明できるよ」
ロザンヌは、エルシーたちのいる部屋へ目を向けた。
「セシリア様がここへ来たことを、誰かに見られた可能性はございませんの?」
「注意していたつもりです」
「見られていないとは、言い切れませんわね」
「……はい」
ロザンヌはアドリアンとマイクの顔を順に見た。二人と視線を交わしてから、再びセシリアへ向き直り、きっぱりと言った。
「エルシー様と、この証拠を別の場所へ移しますわ」
セシリアが息を呑んだ。
アドリアンは力強くうなずいた。
「それがいい。ロバート殿へ知らせよう。新聞社の者に馬車と人手を用意してもらうんだ」
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