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【完結】秘密は守りますわ ―消えた令嬢と三冊の帳簿―  作者: 飛絽じゅらん


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第九章 三台目の代金を受け取った者 ②



「これは行くべきだ」


 ロザンヌから見せられた紙片を読み、ロバートは力強く断言した。


「セシリア様は差額分があることをお認めになりましたわ。でも、あの方なら、なにかうまく取り繕ってのらりくらりと逃げられたように思いますの」

「なにか含むところがあると?」


 ロバートが問いかけると、


「ええ。何の考えもなく、フォルティ様の前で差額の存在をお認めになるとは思えません」

「自分が横領したから、皆さんを危険な場所へ誘いだそうとしているかもしれないってことですか」


 腕を組んでマイクが唸った。


「あの場で話をしたのは僕だったのに、セシリア嬢はロザンヌに走り書きを渡すように言った。彼女が話したいのは、僕ではなくロザンヌかもしれない」

「でしたら、疑わしい点はあるものの、叔父さまも行くべきだとおっしゃいましたし、行かないわけにはまいりませんわね」


 ふん、と気合を入れるロザンヌに、アドリアンは慌てた。


「僕もいっしょに、とあったんだ。きみ一人で行かせないからね」

 ロザンヌはにこりと笑った。

「今度は、わたくしにも話をさせてください。セシリア様からのご指名もございましたもの」

 アドリアンはちらりとロバートへ目を向けた。ロバートは神妙な顔で、小さくうなずいて見せた。

「では、そうしよう」

「僕は陰でお二人を見守っています」

 マイクに続き、

「私もです」

 と、口元を引き締めたメリーが言った。


 ロバートが咳払いをした。


「では、安全策を施すとしよう」


 ロバートはマイクに筆記具と用紙を渡した。


「これに、ロザンヌが受け取った紙片の内容を書き写してくれ。写しは私が預かる。原本はロザンヌが持っていなさい」

「はい」


 マイクはローテーブルに齧りつくような恰好で書き写し始めた。彼の文字を見たロザンヌが、目を瞬いた。


「とても美しい文字を書かれますのね」

「私が叩き込んだ。青少年記者クラブの子たちには、習字を必須にしている」


 とたんに、ロザンヌが苦いものを口にしたような顔になった。それを見たロバートは含み笑いをした。


「習字を嫌がるきみをなだめすかして席に着かせたことが役に立っているよ」

「叔父さま。淑女の恥ずかしい過去を公開しないでくださいませ」


 頬を赤らめたロザンヌがロバートをにらみつけた。


「アドリアン君にとっては、きみに関する新情報だ。ご褒美にしかならないよ」

「でも」

「ロバート殿の言葉は正しいよ。僕には幼いころのかわいらしいきみの姿を想像できる情報だ」


 ロザンヌは一層赤くなった頬を両手で抑えた。


「アドリアン様の言葉を聞いても、恥ずかしさは減りませんのね」

「まあ、そのくらいで。きみたちに続報を知らせておこう」


 ロバートは笑顔を引っ込めた。


「例の運送業者の火事の件だ。あれは強盗及び放火と断定された。これが何を意味するか、ロザンヌもアドリアン君もわかっているね?」

「ええ。慈善会の不正へ切り込もうとしている者の証拠を潰そうとしているということですわね」

「それだけではない」


 ロバートは厳しい表情を浮かべた。


「相手は、証拠を消すためなら人の命を危険にさらすこともためらわない。放火は裏手の倉庫と会社の二階の社長室だったが、あの建物の三階に、タイラー氏は住んでいた」

「え」

 アドリアンがぎょっとした。

「彼は無事でしたか?」

「幸いにも、軽い火傷と擦過傷程度で済んだが、彼がきちんと避難階段を建物に設けていたから助かったんだ」


 蒼ざめたロザンヌとアドリアンは、どちらからともなく手を取り合った。


「セシリア嬢の指定場所に行くことは賛成だ。だが、目立つな。危険を察知した場合は、彼女に会わずにすぐ立ち去ること。これは、アドリアン君に厳命しておく」

「心得ています」


 ロバートは深くうなずくと、ロザンヌを見た。


「私はここに残り、知らせが入りしだい人を出せるようにしておく。ロザンヌ、くれぐれもお転婆はしないように」

「わかりましたわ」


 ロザンヌは真剣な顔でうなずいた。


「馬車は聖堂北門まで行かず、一本離れた通りに止め、ロザンヌとアドリアンだけで北門に向かう」

「人目につかないようにするためですのね」


 ロバートはうなずいた。


「マイクは二人を目視できる距離で待機だ」

「はい」

 ロバートはマイクに顔を向け、続けた。

「もし、セシリアが二人を別の場所へ案内した場合は、マイクは気づかれない距離を保ちながら後を追ってくれ」


 マイクがうなずくのを見たロバートは、次にメリーを見た。


「きみは馭者と馬車で待機してくれ。約束の時刻から四半刻を過ぎても二人もマイクも戻らなければ、私に知らせてほしい」

「承知しました」


 ロバートは最後に、全員をぐるりと見まわした。


「これなら、『二人で来てほしい』というセシリア嬢の条件を守りつつ、無謀にならない最低限の安全策となるだろう」


 全員がうなずいたところで、ロバートはゆっくりと微笑んだ。


◇◇◇


 日が傾き始めた西区の聖堂北門前に、街路樹の長い影が落ちていた。北門は、正門より人通りが少ない。ロザンヌとアドリアンは並んで門のそばに立った。


 礼拝を終えた人々が、長い影を揺らしながら北門から遠ざかっていった。もうすぐ夕刻を告げる鐘が鳴る前の、静かな時間だった。


 ロザンヌは目立つ赤い髪を帽子の中に収め、その帽子を目深に被っていた。そのロザンヌを守るように、アドリアンは周囲へ慎重に目を走らせた。


「……なぜそんなに強く握られるんですの?」


 ロザンヌはくすくす笑いながら、アドリアンに握りしめられた手を握り返した。


「きみがどこにも行かないように、握っているんだよ」

「わたくし、どこにも行きませんわよ?」

「そうあってほしいと心から願うよ」

「信用ありませんのね」


 アドリアンは琥珀色の瞳をロザンヌに向けた。静かで真剣なまなざしに、ロザンヌはどきりとした。


「お願いだから、今日は僕の手を離さないで」


 ロザンヌは、握られた手へ自分の指を絡めた。


「でしたら、離れないようにお持ちになって」

「……このままルメールに連れ帰りたい」


 アドリアンが顔を空に向けて呻いた。


「それはだめ。もうすぐ約束の時間ですわ」


 約束の時刻が近づいても、通りを歩く人影はなかった。


 ロザンヌが門の向こうを見ようとしたところで、聖堂脇の細い道から、夕闇に溶け込む、地味な外套を着て帽子を被った女性が現れた。


 女性はあたりを見回しながら、ゆっくりとロザンヌたちへ近づいてきた。

 ロザンヌとアドリアンは知らぬふりをして、門の前に佇んでいた。

 女性は二人の背後と周囲を何度も見た後に、声をかけてきた。


「お二人だけですね?」

 セシリアだった。薄暗い中でもわかるほど、彼女は憔悴していた。

「ええ。あなたがそうお望みでしたから」


 セシリアはアドリアンへ目を移した。


「慈善会の者には?」

「知らせていない」


 セシリアは、じっとアドリアンを見た。アドリアンもセシリアから目をそらさない。セシリアは小さく息を吐いた。


「あなた方を信用しましょう。では、こちらへ。ここではお話しできません」

 セシリアはロザンヌとアドリアンに背を向け、ついてくるようにと手振りで示した。


「どこへ行くつもりかな」

 セシリアはちらりと背後のアドリアンへ目を向けた。

「歩いてすぐのところです」

「そこで、なにを見せるつもりだ?」


 セシリアは少し迷ってから答えた。


「私の話よりも、信じていただけるものです」


 セシリアは表通りから外れた静かな一角にある、古いアパートへロザンヌとアドリアンを案内した。人の出入りが少ないのだろう、アパートの前には砂埃がたまっていた。


「こちらです」


 見上げたセシリアにつられるように、ロザンヌは彼女の目線をたどって顔を上げた。その先の窓には、黒っぽい厚手の布のようなものが掛けられていた。ほかの窓も似たようなもので、人が住んでいる気配があまり感じられなかった。


 セシリアはアパートの階段を上がっていき、二階の突き当りの部屋まで進んだ。

 セシリアはポケットから鍵を取り出して解錠し、するりと中へ入った。

 ロザンヌが続いて入ろうとしたところで、アドリアンが引き留めた。


「中に誰がいる?」

 セシリアは振り返り、アドリアンへ目を向けた。

「その方に会っていただくために、ご案内したのです」

「名前は? 知っている人かな」

 セシリアは、薄暗い室内の奥へ目を転じた。

「私から申し上げるより、ご覧になったほうがよろしいでしょう」


 アドリアンはロザンヌに一つうなずくと、室内に足を入れた。続いてロザンヌが入ってきたところで、奥から椅子を引く音がした。


「セシリアさん?」


 怯えを含む、警戒した女性の声だった。


「お会いいただきたい方をお連れしました」


 セシリアの返答に、女性は少し苛立った声音で返した。


「誰かを連れてくるなんて、聞いていませんわ」


 微かな軋みとともに奥の扉が開き、ランプの光を背負った女性の姿が、暗がりの中に浮かび上がった。

 女性はいったん奥へ引き返すと、ランプを手にしてロザンヌたちの前まで進んできた。


 現れた女性は、若く、凛とした表情をしていた。背中に長い黒髪を流した小柄な女性だが、その佇まいから、明らかに貴族令嬢だとわかった。


 ロザンヌは、彼女の顔を見ていくうちに、警戒するように細められた茶色の目と、唇の形に見覚えがあることに気がついた。


「……エルシー様?」


 ロザンヌの声に、女性は息を呑んだ。


 セシリアが二人の間に立った。


「ええ。ロザンヌ様がお探しになっていた、エルシー・クイン様です」


 驚く表情の彼女には、眼鏡はなかった。頬を覆っていたそばかすも、くすんだ肌もなかった。

 セシリアの言葉に、エルシーは真っ青になった。


「あ、あなた、まさか、ロザンヌ・レマー様……?」

「はい」


 エルシーは目を見開き、怯え始めた。


「うそ……あの新聞社の……」

「はい。レマー新聞は叔父が経営しております」


 エルシーは胸の前で両手をぎゅっと握りしめた。


「私のことを、新聞にお書きになるのですか」

「どういうことでしょう?」


 ロザンヌが小さく首を傾けた。


「私が自分で姿を消したことも、あの方に身代わりを頼んだことも、すべて新聞記事としてお書きになるおつもりですか」


 ロザンヌは横に立つアドリアンを見た。


 アドリアンは何も言わず、握っていた彼女の手をそっと離した。


 ロザンヌはアドリアンに一瞬だけ微笑を見せ、怯えるエルシーへ一歩近づいた。


「新聞に書くべきことと、書いてはならないことがあるのは、わたくしも承知しております」

「でも、私は」

「ご安心ください」


 ロザンヌは、まっすぐにエルシーを見て微笑んだ。


「わたくし、秘密は守りますわ」


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