第八章 三台目の荷馬車②
「くわしく」
ロザンヌの表情が一変した。
「それはマイクも交えて話したい。さ、行こうか」
ロザンヌは差し出された腕に手をかけた。
応接室では、マイクがローテーブルに用意されたサンドイッチを両手にもって、頬をリスのように膨らませていた。ロザンヌとアドリアンが現れて、両手のサンドイッチを無理やり口に押し込んだ。
「ゆっくり召し上がっていいのよ」
頬張り過ぎて目を白黒させているマイクに、ロザンヌは苦笑した。
マイクは数度うなずいて、紅茶を口に流し入れた。
「すみません、天国の食べ物かっていうくらい美味しいもんだから」
「料理長に伝えておくわね。きっと喜ぶわ」
お茶の用意をしていた使用人に目配せをすると、彼女はうなずいて部屋を出て行った。
ロザンヌは持参したノートをローテーブルに置いて、数字の書き込まれたページを開いた。
「アドリアン様から、運搬に使用された荷馬車は二台で、料金も二台分だという話を聞きました。その証明書も手に入れたと。……慈善会の内部記録に頼らない、初めての書面証拠ですわ。お二人とも、お疲れ様です」
アドリアンとマイクは揃って笑顔になった。
「これで、消えてしまったものが明らかになりました」
ロザンヌはちらりとアドリアンとマイクに目を向け、続けた。
「毛布二十四枚。小麦粉十二袋。薬品六箱。……西区第三臨時救護所へ送られたことになっているものです。その運搬に使ったことになっている三台目の荷馬車も、存在しない」
「つまり? ロザンヌはこれをどう思っている?」
アドリアンが先を促した。
「それぞれ、事務室の台帳にあった数量より、倉庫の記録簿にあった数量が少ない。その差の分を、西区第三臨時救護所へ送ったことにしているとしたら? そこへ運んだ三台目の荷馬車の料金まで台帳上に作らなければなりません」
「架空の荷馬車を経費として計上したということか」
アドリアンの言葉に、ロザンヌはしっかりとうなずいた。
「一つの嘘を隠すために、別の記録にも嘘が必要になったということですわね」
「そうなると、昨日のセシリア嬢の話が」
マイクはメモを取り出し、ページをめくり始めた。
「ええ。昨日、セシリア様は、三台分の費用が支払われているとおっしゃいましたわね」
ロザンヌはアドリアンに顔を向けた。
「そうだね。そして、エルシー様が台帳を調べていたことも知っていた」
ロザンヌがセシリアに話したとき、彼女はびっくりしていた。それは、知らなくてびっくりしたというものではなかった。
『誰に聞いたのか』と、セシリアはロザンヌに嚙みついた。
「僕たちがどこから情報を得たのかも、知りたがっていましたよね」
マイクがメモから顔を上げた。
「ロザンヌはセシリア嬢が犯人だと?」
アドリアンの問いに、ロザンヌは首を振った。
「まだわかりませんわ」
「そう断定しない理由を教えてくれるかい?」
ロザンヌは、ノートをめくり始め、ここですわ、と指をさした。
そこには、美しい筆記体の箇条書きがあった。
<セシリア様についてわかっていること>
1.会計補助を担当している。
2.倉庫事情にも詳しい。
3.三台分という会計記録を提示した。
4.エルシー様が台帳を調査していたことを知っている。
5.わたくしの情報源を探ろうとした。
「なるほどね。これらはすべて、セシリア嬢が事情を知っていたことを示す事実にすぎない。不正を行った本人だと断定する証拠ではない、ということだね」
「彼女は誰かに命じられて記録した可能性がありますわ。あるいは、誰かを庇っているのかもしれません。もしくは、最初から関与していることも考えられます」
「堅実ですねえ」
マイクがノートを覗き込みながら、メモにペンを走らせた。
「叔父さまの教えです」
ロザンヌは少しだけ胸をそらした。
「叔父さまは金の流れを追え、とご教示くださいました」
ロザンヌはまた、ページをめくった。
「叔父さまの言葉から、わたくしは三台目の荷馬車の料金の流れについては三つ、調べなくてはならないのではと思っております」
「それがこれ?」
ロザンヌはうなずいた。
「一つ目、誰が支払いを認めたのか。
二つ目、台帳では誰に支払ったことになっているのか。
三つ目、実際にその金を受け取ったのは誰なのか」
「今わかっているのは二つ目だけだね。運送業者へ支払ったことになっている」
「でも、三台目分はその運送業者には支払っていないですわね」
「ということは、台帳に書かれた支払先と、実際の受取人が違うということか」
メモを取りながら言ったマイクに、ロザンヌとアドリアンはうなずいた。
そこへ、控えめなノックの音がした。
「なにかしら?」
執事がドアを開けて入ってきて、ロザンヌに名刺の乗った銀盆を差し出した。
「この方が、お嬢様にお会いしたいと」
「オリバー・ネイヤー様が?」
アドリアンの顔が強張った。
「僕も同席する。ここに通してもらって」
アドリアンの強い口調に、ロザンヌは目を瞬きながらも、うなずいた。
「オリバー様に、来客中ですがその場でよろしければとお伝えしてみて」
執事は頭を下げて出て行った。
マイクがにやりと笑った。
「印章指輪を確認する絶好の機会ですね」
ロザンヌは証明書をノートに挟んで閉じ、ローテーブルの隅へ寄せた。
通されたオリバー・ネイヤーは礼儀正しく、突然の訪問と、そのことで割り込む形になったことを先客のアドリアンとマイクに謝罪した。
「おかけください」
マイクが下座へ移ると、オリバーは空いたソファへゆったりと腰を下ろした。
使用人が茶の支度をする姿をちらりと見て、オリバーは手袋を外した。
ロザンヌは、横に座るアドリアンが気を張っているのを感じながら、微笑を浮かべて用件を尋ねた。
「婚約者のエルシーを探してくれていると聞きましたのでね。そのお礼と、なにか進展があったのなら伺いたいと思ったのです」
愁いを帯びた表情でオリバーはカップを手にした。
その動きに合わせて、右手の小指にはめた金色の指輪が、小さく光った。
台座には、ネイヤー家の紋章が刻まれていた。
印章指輪だ。
マイクが食い入るようにその指を見つめている。
ロザンヌは慌てて言葉を紡いだ。
「この度のこと、心中お察し申し上げますわ。サンドラ様も心配されていらっしゃいました」
ロザンヌ自身は、エルシーを探していると公言した覚えはない。外向きには、アドリアンとマイクが調べていることにしている。ただ、慈善会に寄付品を届けようとしているだけだ。
ロザンヌは彼の言葉を否定しないが、肯定もしないように返した。
オリバーは寂しげな微笑を浮かべた。
「ええ。当家でも彼女の失踪にかかわる情報を集めていますが、なかなかこれといったものが集まらず、藁にもすがる思いでこちらを訪ねた次第です。どうか、私の心を慰めるような情報があるとおっしゃっていただけませんか」
アドリアンはロザンヌが口を開く前に、オリバーから見えるように彼女の手を握りしめて、その甲に唇を寄せた。
「貴殿の心痛は察するに余りあります。僕も、ロザンヌが姿を消したら、世界が暗闇に包まれたように感じるはずです」
アドリアンはつらそうに眉根を寄せ、琥珀色の瞳をロザンヌに向けた。
「アドリアン様」
戸惑いながらも頬を染め、アドリアンを見上げたロザンヌに、
「僕を置いてどこかに行かないでくれよ?」
アドリアンは瞳を揺らしながら縋るような声で囁いた。
「も、もちろんですわ。わたくしは」
「ああ、ロザンヌ!」
アドリアンはロザンヌの肩に両腕を回して軽く抱きしめた。
「あの、あの、お客様の前で、その」
真っ赤になったロザンヌの耳に、オリバーのわざとらしいため息が聞こえた。
「それで、エルシーに関する手がかりは、何も得ていないと?」
「残念ながら、貴殿にお伝えできることはありません」
オリバーはちらりと隅に寄せられたノートへ目を向け、今度はマイクを見た。
「そちらの少年も、お二人の逢瀬に同席を?」
「彼には、ルメール家から寄付する品の運搬について調べてもらっていたのです」
アドリアンは笑顔のまま答えた。
「ロザンヌとは、その相談をしていました。エルシー嬢についてお話しできることは、やはりありません」
オリバーは閉じたノートへもう一度目を向けた。納得した様子はなかったが、それ以上は追及しなかった。
「どうやらお二人の逢瀬の邪魔をしたようで申し訳ない」
「わかってくださいますか」
アドリアンが嬉しそうな声で答えた。
「今日はこれで失礼する」
オリバーは呆れた表情を隠しもせず、挨拶をして部屋を出て行った。
扉が閉まって少し経ったところで、アドリアンが大きく息を吐きながら背もたれに崩れた。
「あの人、威圧感あったよな」
「アドリアン様、あれはお客様のいる前でやっていいことではありませんわ」
頬を抑えながらロザンヌは抗議したが、アドリアンは軽く手を振っただけだった。
「お嬢様、アドリアン様がピンチを救ってくださったのですよ」
ロザンヌの背後にいたメリーが静かに口を開いた。
「アドリアン様の過剰な演技に翻弄されていらっしゃいますが、ネイヤー様を早々に引かせたのはあの演技です」
「演技」
メリーは深くうなずいた。
「思い出してください。ネイヤー様は最初、なんとおっしゃっていましたか」
ロザンヌは頬に手を当てたまま、眉を寄せた。
「あ」
「ネイヤー殿は、きみ自身がエルシーを探していると知っていたんだよ」
アドリアンは上体を起こした。
「昨日、慈善会を訪ねたばかりなのに、その翌日にきみを訪ねてきた。偶然かもしれないが、気にはなる。慈善会の事務室から話が伝わった可能性も考えておいた方がいい」
「印章指輪を着けていたことも気になります」
マイクが後を引き取った。
「嫡子用の印章指輪をしているからといって犯人とはならないだろうが、昨日の今日、君を訪ねに来た彼のことは、僕には十分、怪しく見える」
「アドリアン様の指摘で、僕は危険を感じましたよ」
「マイクまで」
険しい表情のアドリアンとマイクに、ロザンヌは戸惑った。
「ネイヤー様が嫡子用の印章指輪をされていることも、確認できたことのひとつにすぎませんわ」
アドリアンが困ったような微笑を浮かべた。
「きみはそう言うと思ったけどね」
アドリアンの言葉に、マイクとメリーは黙ってうなずいた。
ロザンヌは少しだけ口を尖らせた。
「もう。……次に調べるべきことを、申し上げてもよろしくて?」
「なんだい?」
アドリアンの言葉に、マイクはさっとペンを握り直した。
「三台目の荷馬車代を受け取った方を探しますわ」
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