第八章 三台目の荷馬車 ⓵
慈善会を訪問した翌日の午前中、ロザンヌはメリーと自室の机に広げたノートを見ながら話をしていた。
「今日こそは謹慎を実行なさるのですよね」
「さすがにお父さまがお許しにならないのはわかりますもの」
ロザンヌは口を尖らせた。
「ああもう。すぐにでも出かけたいのに」
ノートにペンを放り出し、椅子の背もたれに身を投げ出したロザンヌはため息をついた。
「そのようなはしたないことを」
メリーの小言の途中で、軽快なノックの音がした。
「アドリアン様ですわ」
笑顔になったロザンヌが席を立った。
「いけません。それは私の仕事です」
メリーはロザンヌより先に扉へと向かった。扉の向こうからアドリアンの声がした。
「ロザンヌ、僕だよ」
メリーが扉を開けると、アドリアンが小さな花束を手に入ってきた。ロザンヌが座る席まで来ると、花束を差し出した。
「今日は自宅謹慎だろう? 気分転換になるかと思って」
「まあ、嬉しいですわ」
色とりどりの花に目を細めるロザンヌを、アドリアンは嬉しそうに眺めた。
「では、私は花瓶とお茶の用意をしてまいります。……アドリアン様、おわかりですね? 昨日の馬車の中でのこと、大目に見た私を失望させないでくださいませ」
アドリアンは両手を肩まで上げて苦笑した。
「わかったよ。今日はロザンヌと打ち合わせをしようと思ってきたんだ。マイクが応接室で待っているから、お茶はそちらに用意してくれ」
「かしこまりました」
メリーが部屋を出て行くと、アドリアンはロザンヌに腕を差し出した。
「行こうか」
「はい」
ロザンヌは閉じたノートとペンを片手に、アドリアンのエスコートとともに自室を後にした。
廊下を歩きながらアドリアンが尋ねた。
「今日はどこへ行くつもりだった?」
ロザンヌは上目遣いにアドリアンをにらんだ。
「アドリアン様もメリーと同じようなことを」
「で? どうなの?」
明らかにからかっているとわかるアドリアンに、ロザンヌはつんと顔をそむけた。
「わたくし、約束は守ります。どこにも参りませんわ」
「窓から出たりしない?」
ロザンヌの顔がみるみる真っ赤になった。
「いつのお話をされていらっしゃるの! ……待って! そのころはまだアドリアン様とは婚約しておりませんでしたのに、なぜご存じでいらっしゃるのですか!」
「情報提供者の名前は言えないなあ」
「アドリアン様!」
真っ赤な顔で噛みつかんばかりのロザンヌに、アドリアンは声を立てて笑った。
「ひどいですわ! 淑女の過去を調べるなど、紳士の風上にも置けません! 断固抗議いたしますわ!」
「ごめんごめん。とってもかわいらしい逸話だったから、つい」
「今では黒歴史ですわ!」
アドリアンは何とか笑うのを抑えようとするが、顔を赤くするロザンヌがかわいらしく見えて、笑顔が収まらない。それがロザンヌには、まだ自分の過去を笑っているようにしか見えなくて、ぷりぷり怒りながら拗ね始めた。
「そんなに怒るとは思わなかったんだよ。ごめん」
「もう、知りませんわ」
「機嫌を直して。ね?」
アドリアンは廊下の端へ寄り、歩みを止めた。ロザンヌはまだアドリアンにそっぽを向いている。
アドリアンは静かな声で言った。
「お転婆でもお淑やかでも、僕はロザンヌが大好きなんだよ」
そして、親愛の情を込めてロザンヌの頬にキスをした。
ロザンヌは一瞬固まったが、そのあと、頬を一層赤くした。顔を俯け、少しだけ体をアドリアンに向けると、小声で話し始めた。
「……あれは、どうしてもわたくしが行かなくてはならないことがあったから、自宅にいるように言われていたのでやむを得ず、窓から出て行ったのです。窓から出て行ったことは反省いたしましたが、今も後悔はしておりませんの」
「そうなんだ」
ロザンヌは俯いたままうなずいた。
「もう、あの頃のように身軽ではございませんので、部屋の近くにあった木を伝って降りるようなことはできません」
「……うん?」
アドリアンは首をひねった。聞いた話から、一階の応接室かサロンの窓だと思っていたのだ。
「……そんな高い木は屋敷のすぐそばにはないよね」
逸話は十歳になる前の話だったはずだった。
頭の整理が追いつかない。アドリアンは現在のレマー家の外観を頭に描いた。
「ええ。わたくしの部屋のすぐそばにあった木だけでなく、窓から手が届く木をすべて、父が切り倒すように命じましたので」
ロザンヌはしょんぼりと肩を落とした。
ただの逸話としてもたらされた話なので、おそらく彼女は怪我をしてはいないだろう。それでも、聞いているだけで背筋が寒くなる内容には変わりない。今しがた知らされた自分でさえ肝が冷えたのだから、当時のデヴィッドはさぞかし真っ青になったに違いない。
アドリアンはからかったことを後悔した。
まさかこんな恐ろしい話を聞かされることになるとは。
アドリアンはロザンヌに両腕をそっとまわして抱きしめた。
「あの木には申し訳ないことをしました」
「……その木は、きみが無事だったことを喜んだと思うよ」
アドリアンはそれだけ答えて、彼女を抱く腕に少し力を込めた。
二人が抱擁をしていると、脇から小さな咳払いが聞こえた。
メリーが茶器を乗せたワゴンの脇に立っていた。
「お客様がお待ちです。お急ぎください」
ロザンヌとアドリアンはゆっくりと抱擁を解いた。目の端が少しだけ赤くなってはいるが、落ち着きを取り戻したロザンヌを見て、アドリアンはまた腕を差し出した。
二人がノックをして中に入ると、マイクが小花柄のカップを恐る恐るといった様子で口に運んでいた。
「お待たせいたしましたわ」
マイクは音を立てながらカップをソーサーに戻した。
「ぬるくなったでしょう? 新しいお茶を用意いたしますわね」
メリーがすかさず横から湯気の立つカップを置き、先ほどまでのカップを下げた。
三人分の茶の用意を済ませると、メリーはいつものようにロザンヌの背後に立った。
「では、始めようか」
アドリアンの声に、マイクとロザンヌがうなずいた。
「マイクに来てもらったのはほかでもない、昨日の運送業者の件だ」
マイクがうなずいた。
「あの業者のもとを訪ねて、慈善会には本当に三台まわしたのか、そうでないのかということと、支払われた金額が何台分なのか、を調べるんですよね」
「そう。ロザンヌもメリーも、ここが気になっているはずだ」
ロザンヌとメリーもうなずいた。
マイクが悔しそうな顔をした。
「僕一人で尋ねに行けたらいいんですが」
「それは仕方ないよ。きみは優秀だけど、大人ではない。運送業者は相手を見る。そこで、だ」
アドリアンは膝にそれぞれの肘をつけて手を組んだ。
「僕とマイクとで、運送業者にあたって来ようと思う」
とたんにマイクの顔がほころんだ。
「ありがてえ」
アドリアンは微笑した。
「ロザンヌ、ほかに聞いてきてほしいことはあるかな?」
ロザンヌは少し考えたあとで、ゆっくりと頭を振った。
「いえ、アドリアン様にお任せいたしますわ」
アドリアンはにこりとして、マイクを見た。
「では早速、出かけよう」
◇◇◇
慈善会の配送記録簿に記載されていた運送業者は、王都の中心から少し外れた街道にあった。小ぢんまりとした建物の横には、荷馬車置き場があり、二、三台の荷馬車の横に、まだ数台分置ける空間があった。
対応に出てきた人に用件を伝えると、階段を上がった二階の奥にある社長室へ案内された。社長室とは名ばかりの、木目がくっきりと出た板を打ち付けただけの壁の、小さな部屋だった。
机上にはたくさんのメモや書きかけと思しき請求書が散乱していた。
社長は四十代後半の男で、不機嫌そうに口元をゆがめていた。アドリアンとマイクに、自分が座っている前に置かれた簡素な椅子を指して座るように言った。
男はじろじろとアドリアンとマイクを見た後、タイラーと名乗った。
「それで、ご用件は?」
アドリアンは貴族的な笑顔を浮かべ、ルメール家から物品の寄付を検討していると説明した。
「なるほど、慈善会へ金ではなく物品の寄付を検討しているから運搬費を知りたい、と」
タイラーは手元の書きかけの請求書にペンを走らせながら言った。
アドリアンはタイラーの態度を気に留めることなく、軽く相槌を打った。
「ああ。去年は御社が三台出したと聞いた。今回も同程度になる可能性があるので、ルメール家として、おおよその料金を知りたいんだ」
アドリアンはさりげなく、右手の嫡子用の紋章指輪がタイラーの目に入るように右手を顎にあてた。
顔を上げたタイラーは彼の指輪に目をやった。そのとたん、タイラーの態度があからさまに変わった。
「さようでございますか。それで、いつの運搬費用を確認すればよろしいでしょうかね」
タイラーはもみ手をしながらへらへらと笑った。
「あれはいつだったかな」
アドリアンの質問に、マイクはメモを開き、慈善会の配送記録簿から控えた日付を読み上げた。
「その日付なら、昨年度の記録ですな」
タイラーは後ろの棚にあった記録簿を引き抜いた。せかせかとページをめくり、探し始めた。
「配送記録に載っているはずですよ。……あった、これだ」
「拝見できるかな」
「かまいませんよ」
メモや請求書だらけの机の上に、どさりと記録簿が置かれた。
アドリアンとマイクが席を立ち、記録簿を覗き込んだ。そこには、荷馬車二台配送、とあった。横に、慈善会より依頼、と記載されている。
「料金は二台分?」
「さようです。ほら、ここに」
隣のページに、支払い済みと書かれた横に、料金が書き込まれていた。
「二台とも同じ規格の荷馬車でしたからね」
アドリアンとマイクが顔を見合わせた。
「料金は二台分を受け取ったと?」
タイラーは訝しげな顔をしたが、記録簿に目を落とし、うなずいた。
「ええ。ここに受取済みの印があります」
アドリアンとマイクはまた顔を見合わせ、今度は微かに頷きあった。
アドリアンはタイラーに、また質問をした。
「三台目を追加した可能性は?」
タイラーは打ち消すように手を振った。
「ございませんよ。あそこは財布の紐は硬いんですよ」
「別の日にあった可能性は?」
タイラーは帳面をめくり、首を振った。
「ないですね」
今度はマイクが質問した。
「西区第三臨時救護所という場所へ運んだ記録は?」
タイラーは別の記録簿を引っ張り出して、ページをめくった。
「そんな場所に運搬した記録はないですね。慈善会に頼まれる配送先はいつも決まっていますから、もし別の場所を頼まれれば、記録しておかないと次年度に『あそこへ』と言われてわからなきゃ、即別の業者を指名されかねませんからね」
「それは厳しいね」
「まったくですよ」
タイラーが苦々しそうに言った。
「ところで、慈善会では三台分の料金を支払っていることになっていると知ったら、どう思う?」
アドリアンの言葉に、タイラーはぎょっとした。
「ちょっと待ってくださいよ! 運搬代だって、慈善事業のためだからって、かなり金額を抑えたものにしているのに! 三台分払えるなら正規料金払えってんだ」
アドリアンは憤るタイラーをなだめるように、片手を上げた。
「慈善会の台帳には、御社へ三台分の料金を支払ったと記されている。もし事実と違うなら、御社の名が架空の支払いに使われたことになる」
タイラーの顔から怒りが消えた。
「うちが三台分を受け取ったことにされているんですか」
「ああ。そこで確認のため、当日の配送日、依頼主、手配した荷馬車の台数、受け取った料金を書面にしてもらいたい。記録簿と相違ないことを示す署名と商会印も頼めるかな」
タイラーは記録簿とアドリアンの顔を見比べたあと、強くうなずいた。
「商会の信用にかかわる話です。書きましょう」
タイラーは『証明書』と書いた用紙を作成し始めた。アドリアンとマイクは、内心で固唾をのんでタイラーのペン先を見守った。
タイラーは配送日と依頼主、手配した荷馬車が二台であること、受け取った料金も二台分であることを書き入れ、最後に自らの署名と商会印を押した。
「この件は、こちらから連絡するまで内密にしてもらいたい。慈善会に問いただすにしても、まず事実関係を固める必要がある」
アドリアンはさりげなくタイラーへ口外しないようにくぎを刺した。
「あっちもうちも、信用第一ですからね」
タイラーは神妙な顔でうなずいた。
差し出された証明書は、彼らにとって慈善会の内部記録に頼らない、初めての書面証拠となった。
◇◇◇
アドリアンとマイクはその足で、レマー家へ戻った。
アドリアンはマイクを応接室で待たせて、自分だけロザンヌの自室へ向かった。ロザンヌは刺繍枠のついた布を手にしていたが、メリーがくたびれた顔をしていたことから、おそらく針ではなく口を動かしていたことが察せられた。
「お待ちしておりましたわ」
ロザンヌは足早にアドリアンのもとに寄った。
「いい子にしていた?」
「……お帰りくださいませ」
口をへの字に曲げたロザンヌに、アドリアンはくすりと笑った。
「まだ何も報告していないけど?」
アドリアンはロザンヌに一枚の紙を差し出した。
「三台目はなかったよ」
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