第七章 消える前に残したもの③
ロザンヌの肩が微かに揺れた。マイクは無言のままさらさらとペンを走らせた。
横にいたケイトリンがもの言いたげにしていたが、ロザンヌは姿勢を崩さず、静かなままだった。それを見たケイトリンは、また前を向いた。
ケイトリンも気がついたのだ、とロザンヌは思った。西区の孤児院の院長は、『臨時救護所を設けた話は聞いたことがない』と証言していた。彼女の言うことと矛盾している。
アドリアンは自然な調子で尋ねた。
「寄付品の運搬費から想像すると、この日の運搬用荷馬車は三台くらいかな?」
セシリアは手元の会計用配送記録簿を見た。
「はい。三台分の費用が支払われております」
ロザンヌは、彼女の広げた記録簿をちらりと見た。アドリアンも同じように視線を彼女の手元に向けていた。
「三台でこの金額か。一台ごとの料金は同じだったのだろうか」
「はい、同じでございます」
「どちらの運送業者かわかる?」
「こちらに記載されております」
アドリアンとロザンヌは示された項に目を向けた。
ロザンヌはバッグから取り出したノートへ、業者名を控えた。
「これは運搬もだけれど、荷馬車に搬入するのも大変だったろうね。三台とも同日に倉庫を出たのかな」
アドリアンが感心したように言うと、セシリアはにこりと笑った。
「配送記録には、同じ日付が記されておりますわね」
ふうん、とアドリアンは柔らかな声でつぶやき、静かに続けた。
「あなた自身が、荷馬車を見たわけではない?」
その言葉に、セシリアの顔から笑顔が消えた。
「私は会計の補助をしています。荷の出入りを見張る立場ではございませんのよ」
セシリアの固い声が続いた。
「ずいぶん詳しくお尋ねになるのですね」
「父の金を使う以上、家令に叱られない程度には調べておかないとね」
アドリアンは柔和な笑みを浮かべた。たいていの令嬢なら、この笑みを見たら赤面して静かになるのだが、彼女は違った。
「レマー家のご令嬢から何かお聞きになったのでしょうか」
何かを推し量るような目を向けられたアドリアンは、肩をすくめてみせた。
「不足している品についてはね。だから今日は、私が運搬にかかわることを教えてもらいに来たわけだよ」
「……さようでございますか。それで、ほかにお知りになりたいことはございますか」
「そうだなあ」
アドリアンは視線を上に向けた。それからセシリアを見ると、静かな声で答えた。
「以前の寄付や配布について詳しい方に、話をうかがうことはできるだろうか」
「……エルシー様がおられれば、一番お詳しかったのですが」
セシリアは目を落として答えた。
「エルシー様は、こちらの帳簿をよくご覧になっていたそうですわね」
気づいたときには、言葉が口から出ていた。
今まで沈黙していたロザンヌの突然の発言に、セシリアはびっくりした顔になった。
無表情で自分を見つめるロザンヌに、セシリアは鋭い視線を返した。
「そのようなことまで、どなたにお聞きになったのでしょうか?」
ロザンヌがさらに口を開けかけたところで、アドリアンが引き取った。
「寄付の参考として、こちらでも慈善会の活動について聞き及んでいるに過ぎない。今日はその確認も兼ねて来訪した次第だよ」
ロザンヌは口を閉じた。質問はアドリアンに任せると約束したばかりだったことを思い出したのだ。
アドリアンの貴族的な微笑を見たセシリアは、作り物とわかるような笑顔になった。
「エルシー様が早く見つかるとよろしいですね」
表向きは、善意のように聞こえた。だがロザンヌには、『どこまで知っているの?』と探られたように感じて、心の中がざわついた。
アドリアンが軽く咳払いをして、辞去の意を伝えた。
セシリアは機械的な笑顔のまま、席を立ち、ジェンナー氏に声をかけて、彼と二人でアドリアンたちを見送った。
慈善会の建物から出てすぐの階段を降りながら、ロザンヌは口を尖らせた。
「もう少しお話を伺えましたのに」
横に並んで歩くアドリアンは、くすりと笑った。
「あれ以上は突っ込んではいけない」
「なぜですの」
アドリアンを見上げる翡翠色の瞳が不満そうに揺れた。
「あの女性は、答えに困っていなかった。逆に、きみがなにを知っているのかを探ってきただろう?」
アドリアンの言葉に、ロザンヌはしぶしぶながらうなずいた。
「帳簿や記録簿に詳しい方というより、帳簿について何を尋ねられるかを知っている方、というほうが正確な気がいたしましたわ」
「なるほど、上手い表現だ」
アドリアンのエスコートで馬車に乗ったロザンヌは、ノートを広げた。
横に座るケイトリンとアドリアンがそのノートを覗き込んできた。
「マイクのメモが一番詳しいですわよ」
ロザンヌの言葉に、向かいの席にメリーと座っていたマイクがにこりとしてメモを取り出した。
「では、本日得た情報を整理しましょうか」
「わたくし、メモを取らせていただきますわね」
マイクは軽くうなずいて、メモに目を向けた。
「まず特筆すべき一つ目。西区第三臨時救護所について、セシリア嬢は『当時だけ臨時に存在した』と説明した」
「それ、どう考えてもおかしいと思います!」
ケイトリンが両手の拳を胸に揃えながら抗議した。
「だって西区の孤児院の院長様がご存じないのっておかしいです」
「そうですわね。そこは、この場にいる人達全員がそう思っていましてよ」
なだめるようなロザンヌの声に、ケイトリンは
「そう、ですよね」
と言いながら、拳を膝の上に置いた。マイクはケイトリンの様子を見て、話を続けた。
「二つ目。ケイトリン嬢のお話の通り、西区の孤児院長はそんな救護所をご存じなかった。
三つ目。倉庫記録簿と門衛出入簿に記録されていた荷馬車は二台。
四つ目。支払い記録には運送業者名が記載されている。
五つ目。セシリア嬢は、エルシー嬢が帳簿を調べていたという話を否定せず、ロザンヌ嬢がどこからその情報を得たのか確認しようとした」
「今日のセシリア様を見ていたら、以前の優しくて頼もしいセシリア様とは別人な気がしてきました……」
ケイトリンが肩を落としてつぶやいた。彼女にとって、慈善会の関係者はみんな、いい人たちなのだ。ロザンヌがそっとケイトリンの腕に触れた。
ケイトリンが迷子犬のような顔を向けてきた。ロザンヌは黙って彼女の肩を抱きしめた。ロザンヌは憶測でケイトリンに『セシリア様は大丈夫』とは言えなかった。
ケイトリンはしばらくされるがままになっていたが、だしぬけに、
「そういえば!」
と、叫んだ。
ロザンヌが慌てて体を離すと、ケイトリンは目をキラキラさせて話し始めた。
「帳簿といえば、エルシー様が何度も帳簿を調べていらっしゃった頃、オリバー・ネイヤー様も何度か迎えに来られていました!」
「どういうことですの?」
ケイトリンは顎に指を添え、目をさまよわせながら答えた。
「ネイヤー様は、慈善会に時折お見えになっていたのです。ですから、婚約者のエルシー様を迎えに来られているんだなって思っていました。だって、エルシー様が帳簿を見ている間、事務室付近で待たれていたことがありましたもの」
「事務室付近? 廊下にそんな場所があったかしら?」
首を傾げるロザンヌに、ケイトリンがうなずいた。
「あるんですよ。事務室って、壁の一つがガラス張りになっていたでしょう?」
「そういえば」
事務室の階段に面した壁には、ガラス窓が嵌められていた。外は見えないのに不思議なことをするものだと思った。
「あのガラス窓と同じものが階段を挟んで向こうにある部屋にもついているんです。その部屋は、主に関係者の休憩や、待ち合わせに使われています。そこで、待たれていた姿を見ました」
「……それはまた、新たな情報ですね」
マイクはメモにペンを走らせながらつぶやいた。
アドリアンも胸の前で腕を組んで考え込んでいた。
メリーは黙ってロザンヌへうなずいて見せた。
おそらく、ケイトリンを除く全員が、アイリーンを脅した男の印章指輪を思い出したのだ。
馬車での会話はそれきりで、ケイトリンを滞在先へ送り届けた。レマー家への道のりを走る馬車の中で、アドリアンが口を開いた。
「あの印章指輪は思い違いかもしれないと思っていたんだ。きざな指輪をつける男はたくさんいる。服装からどこかの使用人かと想定していたんだが」
その言葉に、ロザンヌはうなずいた。
「ええ。これは一度、ネイヤー様が印章指輪をいつも着けられているかどうか、確認する必要がありますわね」
「嫡子なら持っているものだから、同一人物とは証明できませんけれど、確認は必要でしょうね」
マイクがメモを取りながら話した。
「たしかに、指輪をしているから犯人、というわけではありませんが、失踪当日までエルシー様の近くにいて、慈善会にも出入りできた人物なら、確認は必要ですわね」
四人は互いの顔を見ながらうなずきあった。
ロザンヌは横にいるアドリアンの腕に、そっと頭をもたせかけた。アドリアンがすかさず、ロザンヌの頭の上に頬を寄せて、そのあと頭頂にキスを落とした。
アドリアンのぬくもりを感じながら、ロザンヌは父の部屋で見た二通の文書を思い出していた。
一通は、エルシー本人が消えたと世間へ信じ込ませるためのもの。
もう一通は、エルシーが表舞台から消えたあとも、不正の調査が止まらないようにするためのもの。
彼女は、自分の失踪と、不正の追及の二つに、別々の筋書きを残していたのだ。
そして、ロザンヌたちがたどっているのは、後者だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます! よかったら、評価をお願いします!




