第七章 消える前に残したもの②
「なるほどですわ」
感嘆したロザンヌの瞳がアドリアンに向けられた。アドリアンはにこりと笑って、そっと自分の隣を指さした。
ロザンヌは少しだけ腰を浮かせたところで、隣から悲壮感を漂わせた父と目が合った。同時に、自分がなぜこの席についているのかを思い出し、座り直した。
ロザンヌが自分のもとに来ないとわかり、アドリアンはまた肩を落とした。
ロザンヌはまたアドリアンを見なかったことにして、ロバートとマイクに顔を向けた。
「わたくしは、アドリアン様のご指摘がありました帳簿を見たいと思います。これから慈善会に参りますわ」
ロバートが途端に難しい顔になった。
「今日も自宅謹慎の約束だ。それに支払い記録簿とか、簡単に見せてもらえるとは思えないぞ」
デヴィッドが続けた。
「収支だけでなく支払先の名前などは信用にかかわるから、第三者には見せないもんだ」
「でも、慈善会は慈善のためのものでしょう? 公正を重んじるのでは?」
「だから寄付をした者には年度末に内訳を送ってくるんだよ。それをもって明朗としているんだ」
ロザンヌは小さく唸ると、そのまま深く椅子に座り込んでしまった。
アドリアンがロバートに話しかけた。
「ロザンヌの調べた内容から、おそらく必要なのは、物資購入の支払い記録と、運搬費の支払い記録、誰が支払いを承認したか、誰が金を受け取ったことになっているか、ということで合っていますか?」
「そこまで確認できれば完璧だが、まずは物資購入と運搬費だけでも大きい」
「金の行先と承認者を探すのか。難儀だぞ」
デヴィッドの言葉に、ロバートも同意した。
「ですから、今度はルメール家の名前で慈善会を訪れようと思います」
アドリアンはデヴィッドに微笑した。
「これをやり遂げなければ先には進めません。そうですよね?」
アドリアンはロバートにも顔を向けた。
ロバートは渋い顔のままうなずいた。
「ルメールの名で、今度は慈善会を訪問します。僕が表に立ち、婚約者であるロザンヌには寄付品目の相談役として同行してもらえば問題はないかと。彼女のことは僕が責任をもって守りますから」
「ルメール家とレマー家で、共同の寄付を検討しているということにするのか」
ロバートが唸った。
「でしたら、ケイトリン様にもご一緒いただきましょう。彼女は事務室の方々とは懇意にされていらっしゃるようでした。彼女がいれば、事務室の方々の対応も柔らかくなると思いますわ」
にこにこしているロザンヌに、デヴィッドが眉をひそめた。
「お前は自宅謹慎中だと言っただろうが」
「お父さま……」
ロザンヌが眉尻を下げた。
「昨日外出させたのは、今日自主的に自宅謹慎をするという約束をしたからだ。忘れたのか」
ロザンヌは萎れた花のように首を垂れた。
「ロザンヌの提案は採用した方がいい。それと、行くなら今日中だ。もしかしたら敵が証拠隠滅にかかるかもしれない。その前に乗り込むべきだろう」
ロバートが重々しい声で言った。
「兄上、ここはひとつ、アドリアン君を信じてみようじゃないか」
「お父さま、謹慎の日延べをお願いしますわ」
ロザンヌは両手を胸の前で組んで訴えた。
「むむむ」
デヴィッドは、また唸った。全員の目が一斉に自分に注がれている。無言の圧に、とうとうデヴィッドはがくりとうなだれた。
「わかった。ただし、日が暮れる前に必ず帰宅するように」
「ありがとうございます!」
ロザンヌは背中を丸めた父に抱き着いた。
「私から注文がある。いいかな、ロザンヌ?」
「はい」
ロザンヌは慌てて姿勢を正した。
「まず、慈善会の事務所に行っても、アドリアンが前面に立ち、きみは終始しずかにしていること」
「質問もだめですの?」
ロバートはうなずいた。
「聞きたいことがあるなら、あらかじめアドリアン君に伝えておきなさい」
「わかりましたわ」
ロザンヌはしぶしぶうなずいた。
「きみは寄付品選定の補助という役だ。マイクはルメール家とレマー家の依頼で数量を記録するという役で同行させる。ケイトリン嬢には必要以上の情報を与えないこと。元気のいい、素直な令嬢のようだから、うっかり口にするかもしれないリスクを減らすためだ」
「そうですわね。ケイトリン様に危ない目に遭ってほしくありませんもの」
アドリアンもうなずくのを見て、ロバートはまたロザンヌへ顔を向けた。
「それと、一番守ってほしいことがある」
「なんですの?」
「その場で誰も追及しないことだ」
最難の条件に、ロザンヌは無言でロバートをにらんだ。
「にらんでもだめだよ。これは譲れない。きみを危険にさらさないためだからね」
ロザンヌは扇子を握りしめた。
「そんなことより、このあとちゃんとアドリアン君と仲直りしておきなさい」
「え」
ロバートの不意打ちのような発言に、ロザンヌの目は反射的にアドリアンへ向けられた。
固まったロザンヌをそのままにして、ロバートはメリーにひらひらと手を振った。
「メリー、頼んだよ。私はこのあと兄上と少し話があるから」
「かしこまりました」
メリーはロザンヌを立たせると、アドリアンに目で戸口へ向かうよう促した。二人はメリーに誘導されるように書斎を出て行った。
「あの子の拗ねた顔もかわいいんだけど、アドリアン君がかわいそうだからな」
小さく笑うロバートに、
「もとはと言えばお前が渋るアドリアン君を書斎へ引っ張ってきたからだろう。ロザンヌが想像以上のお転婆をしそうだからと保護の念押しをお前がしたかっただけの話だ」
デヴィッドは呆れたように言った。
「兄上もわかっているでしょう? あのお転婆は自宅謹慎の時間が長いほど、それが解けたときの反動が大きい」
腰に手を当てて、ロバートはため息をついた。
「あの子は、年齢とともに反動が大きくなるんだよなあ」
嘆息するデヴィッドに、ロバートは慰めるように肩をぽんぽんと叩いた。
◇◇◇
慈善会とケイトリンに連絡を入れ、その日の午後に訪問することになった。馬車の中では、メリーが数度咳ばらいをしなければならないほど、ロザンヌとアドリアンはいつも以上の親密さを漂わせていた。二人を前にして、盛大なため息をついたマイクは、キャスケットをずらして寝たふりを決め込んだ。
馬車から降り立った二人は、仲良く腕を組み、慈善会の建物の前に立った。ケイトリンには倉庫から直接事務室に来てもらうことになり、戸口前で合流した。
ロザンヌはケイトリンにマイクを紹介した。ケイトリンは相手が平民であることを知っても、全く気にする様子はなかった。ロザンヌとアドリアンは、彼女の屈託のなさを喜んだ。
「ロザンヌ様、アドリアン様、ご無沙汰しておりますわ」
ケイトリンの元気な声に、三人は自然と笑顔になった。アドリアンはケイトリンに、今回の訪問の趣旨を改めて説明したが、必要以上の説明をしなかった。
戸口で対応したのは、先日世話になったジェンナー氏だった。
事務室の来客用のソファに四人が次々と腰を下ろしたのを見て、ジェンナー氏が困惑していた。ロザンヌは心の中で、彼の気持ちはもっともだと思った。寄付品の相談に婚約者だけでなく、ケイトリンやマイクという少年まで引き連れてやってきたのだ。事務室の職員たちも同じような表情を浮かべていた。
アドリアンたちが座ったところで、ジェンナー氏が質問してきた。
「不足している品を知りたいとのことでしたが、先日、レマー嬢にもお話ししたはずですが、何もお聞きになっていないのでしょうか」
アドリアンは社交で見せる貴族的な笑みを浮かべた。ロザンヌはアドリアンの横で、目を伏せ、静かに座っていた。ケイトリンは横目でロザンヌの振る舞いを見て、自分も両手を膝の上で揃えて目を伏せた。
マイクは平然とポケットからメモを取り出し、ペンを握った。
「もちろん聞いているよ。だから今回はもう一歩踏み込んで相談したいと思ってね」
ジェンナー氏が怪訝そうな顔になった。アドリアンはそのまま話を続けた。
「ルメール家からも相応の寄付を予定しております。現在不足している品だけではなく、どの地区へ、どの程度の量が必要なのかまで確認したうえで、品目と数量を決めたいと考えている」
「それでしたら、こちらで一覧を作成いたしましょう」
アドリアンは軽く首を振った。
「今後も継続して支援することになるかもしれません。そのたびに慈善会のお手を煩わせるより、過去の配布記録と運搬費を拝見して、こちらでも適切な量を判断できるようにしておきたい」
「ずいぶんとお考えいただいているようで」
ジェンナー氏が複雑そうな笑みを浮かべた。
「ええ。遠い地区へ大量に届けるなら、品物だけでなく、運搬費も寄付側が負担する可能性は大いにあると思う」
まったく引く気配を見せないアドリアンに、ジェンナー氏は小さく息を吐いた。
「でしたら、私ではなく会計に携わる者のほうがよさそうですね。少々お待ちを」
ジェンナー氏は席を立って、一人の女性の机へと向かった。
茶金の巻き毛の女性が、ジェンナー氏に声を掛けられ、顔を上げた。小声で説明を受けた彼女は、ちらりとアドリアンたちに視線を向けた。
ロザンヌは彼女と一瞬だけ目が合ったとき、そのまなざしの奥に強い意志を感じた。彼女はジェンナー氏に愛想よくうなずいて、彼とともにアドリアンたちのもとに来た。
「彼女は会計補助担当のセシリアです」
「初めまして。私でお役に立てることがあればいいのですが」
セシリアはにこりと笑って軽く頭を下げた。目鼻立ちは華やかだが、身なりは質素で、清潔感のある装いだった。
アドリアンに続き、ロザンヌも会釈を返した。
「セシリアさん、今日はよろしくお願いしますね」
横でケイトリンがにこりと笑った。セシリアも目を細めた。
「今日はレマー様方の案内役なのね。大活躍じゃない」
「そんな。私なんてまだまだです」
ケイトリンはアドリアンに顔を向け、自信たっぷりな声で言った。
「帳簿のことだけでなく、倉庫のことも、セシリアさんが一番お詳しいんですよ!」
セシリアは困ったような笑みを浮かべた。
「それは過大評価ですわよ、ケイトリンさん。皆様がお忙しいので、私が保管場所や帳簿への記載などを覚えているだけです」
「またまた!」
ケイトリンがセシリアと親しげに話す様子を見て、アドリアンは苦笑いをした。
その横で、ロザンヌは微かに眉をひそめた。少し離れた席にいたマイクがちらりとロザンヌに目をやるが、ロザンヌはセシリアの顔から目をそらさないでいた。
「大丈夫ですか?」
マイクが小声で聞いてきた。
ロザンヌも声を落として答えた。
「ええ」
「気になることでも?」
「……あとで、お話いたします」
マイクは小さくうなずいて、また澄ました顔に戻った。
ロザンヌはまた、セシリアに目を戻した。彼女は控えめな笑顔で、アドリアンに挨拶をしていた。
彼女は会計補助をしているという。だったら、帳簿の保管場所も内容も把握していることになる。倉庫のことも詳しいというのなら、なぜ、複数の記録簿の数字が食い違ったまま、長期間放置されているのかという疑問がロザンヌの頭に浮かんだのだ。
「こちらでご要望にお応えできると思うのですが」
セシリアがローテーブルの上に置いた用紙を、アドリアンが手に取った。用紙に記載された数字と品目に目を通したアドリアンは、その用紙をローテーブルの上に戻した。
「この内容は、ロザンヌから聞いている」
セシリアは小さく、そうですか、とつぶやいた。
「今回は品目ではなく、配布量と運搬費を確認したいのだが」
「詳細をお知りになりたいと?」
アドリアンはうなずいた。
「そうです。昨年度の地区別配布実績と各地区への運搬費のほかに、雑費もあったことでしょう。それらの支払いを示す記録もあればありがたい。今後、同程度の寄付をした場合の運搬費の見込みが立つ。概算も立てられないようだと父から叱責されかねないからね」
アドリアンがおどけてみせると、セシリアは上品に小さく笑った。
「少々お待ちを」
と言ってセシリアは席を立った。自席に戻り、鍵のかかった引き出しを開けて記録簿を数冊手に取り、戻ってきた。
「こちらがお望みの記録ですわ」
セシリアが開いた紙面には、北区救貧院、東区孤児院、そして西区第三臨時救護所が記載されていた。
アドリアンは記録簿を覗き込みながら、素知らぬ顔で質問した。
「西区にも、この規模の救護所があるのですね」
「ええ。臨時に設けられたものですので、現在はございませんが」
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